あやつり人形

 人は、愚かな生き物だ。

 見てはいけないといわれると、見たくなる。

 聞いてはいけないといわれると、聞きたくなる。

 知ってはいけないといわれると、知りたくなる。

 知った先に、例え破滅が待っていようとも……人は一時の好奇心で禁じられている事をしてしまう。人は、知りたいという欲求に弱いのだ。





「すみません、わざわざ来て貰って」


 俺の言葉にタツヤさんは、微笑みながら小さく首を横に振った。


「いや、大丈夫ですよ。

 いつも僕の方が夏生さんを呼び出して、来て貰っていますから、たまには。

 ……何か、頼みますか?」


 最近、テレビで取り上げられた若者に人気の居酒屋。

 大人数での飲み会も出来る座敷。少人数の女子会とか出来る個室。

 安くて、充実した飲みが出来るので大人気のお店だ。

 分厚いメニュー本に載った料理は、ありすぎてどれにしようか迷う。

 別冊でメニューある、お酒も百種類以上ある。

 飲み放題で全てを試せる数じゃない。

 せっかくの飲み放題なので、今まで飲んだ事のないお酒を飲んでみよう。

 メニューを見ていたら俺は、あるお酒の名前に引き寄せられた。

 俺の本日一杯目は、ブラッティーメアリーというカクテルにすることにした。

 タツヤさんは迷いに迷った挙句、一番無難な生ビール中ジョッキにした。


 今日は、俺がタツヤさんを呼び出したのだった。

 嫌な顔一つせず、待ち合わせ時間通りに現れたタツヤさんと乾杯する。

 《未完結の話》の完結を知る――――共通の目的を持った仲間だ。

 そう、俺は思っている……でも。


「それで、あの……お願いしてきたモノは……」

「あっ、はいはい。今出します」


 タツヤさんは微笑むと、録音機を取り出した。

 今まで聞かせて貰った話をもう一度、聞かせて欲しい……そうお願いした。


「ありがとうございます。

 それで、この録音機を少しの間、お借り出来ますか?」


 俺が手を出すと、タツヤさんは少しだけ表情に陰りを見せた。


「あ……いや! 無理ならいいんです。確認は、すぐに済みますんで」


 俺はすぐに顔の前で手を振った。


「ちなみに何の話を確認するんですか?」


 タツヤさんが真顔で訊いてきた。


「……川崎かわさきさんの話を。録ってありますよね?」

「ええ、もちろん。では、どうぞ」


 タツヤさんは思い出したように笑顔を浮かべて、素早く操作をすると録音機を渡した。


「再生ボタンを押せば、すぐに聞けますから」


 俺は録音機を受け取りながら、第一難関はクリアしたと思った。

 そしてイヤホンを耳にはめながら、俺はタツヤさんの様子を伺った。

 彼は、おつまみを食べながらも俺の方を見ていた。


 タツヤさんは録音機に入っている話の中、俺に聞かせたくない個所があるらしい。

 それも《美夜子みやこ》についての話で。


 川崎さんの話は、違うと思って口に出してみたら当たったらしい。

 彼女の話は俺も一緒に最後まで聞いたから、絶対に違う。


 俺が本当に確かめたい話は……山ノ内やまのうちさんの話だ。

 前に聞いた《鏡の世界の話》じゃない。あれは一部だ。

 タツヤさんが、再生中にイヤホンを取ったから聞けなかった話がある。

 彼が隠した取材の続きを聞きたい。それが本来の目的だった。


 俺は、ごく自然に再生ボタンを押した。

 ……俺が聞きたいと口に出した話が、すぐに聞こえてきた。

 俺に自由に録音機を使わせないつもりらしい。

 さて……本来の目的を遂行するには、どうすればいいのか?

 俺は話は半分以上聞き流し、考える事に集中した。


 何とかして彼の目を誤魔化して……彼が席を立った時に録音機を操作しよう。

 この日の為に、同じモデルの録音機を買って操作を頭に叩き込んだのだから。

 全ては、話の完結を求める為……話の全貌を知る為。

 他人が隠している事を暴くのは、微かな良心の呵責に苛まれるが……知りたい欲求を抑えつけるには、あまりにも弱すぎる。


 既に、恐怖の中毒者になっている俺には。


 そもそも、どうしてタツヤさんは、俺に話を全て聞かせないのか。

 彼は何か隠している。それは、出会った頃から心の隅で疑い続けていた。

 まず、闇夜の家の前で出会った時……『最後の話をしてくれ』と、闇夜に対して頼み続けていた。タツヤさんと闇夜は、既に知り合いなんだ。

 でも、タツヤさんは俺には初めて取材に来たかのように話した。

 俺に闇夜の事を根掘り葉掘り質問までして……。

 その時に、俺が《未完結の話》を話し終わった後、彼は確かに言った。


『それに……闇夜からの話が聞けて良かった』

『あんな中途半端な話を聞いて、気分悪くなったんじゃ?』

『いいえ、驚いただけですよ。

 てっきり話を聞けば……わかると思っていたので』

『何が、わかるんですか?』

『…………僕の中にある、僕の《未完結の話》の結末、ですよ』


 何の話だかわからないが……完結を求めてやってきたタツヤさんに、闇夜は《未完結の話》をすることを決めた。無関係の話をするとは思えない。

 タツヤさんは、二年前に山ノ内さんから話を聞いていた。

 だから《美夜子》については、既に知っていたと言う事。

 それを闇夜は知っていた? 闇夜は、タツヤさんに直接会いたがらなかった。でも、仲が悪いわけではなさそうだし。

 二人は、どのような関係なのだろう?



 ここで、いつの間にかタツヤさんが頼んだ料理がやって来た。


「うわぁ美味しそうだぁ」


 もう酔いが回ったのか、タツヤさんは子供のように目を輝かせて喜んだ。

 トマトとチーズ、それにビーフいっぱいのピザ。

 何枚でも食べれそうなほど、美味しそうだ。俺は両耳からイヤホンを外した。

 怪談よりも飯だ。俺はお腹も空いているんだ。


「先に食べてていいよ。僕、トイレに行ってきまーす」


 タツヤさんが席を立ったのを見て、ピザの事は即座に頭から吹っ飛んだ。

 空腹感は、好奇心に負けた。

 完全に見えなくなるのも待たずに、俺は録音機を操作した。

 タツヤさんの声で、問題の音声データを探す。


≪2015年 5月4日 山ノ内やまのうち ゆうから《美夜子》の話を聞く≫


 よしっ、見つかった。これだ。

 タツヤさんが戻って来る前に、問題の個所を聞いてしまわなければ。

 早送りして、途中から再生。





山ノ内

≪美夜子ちゃんが向き直り、鏡の中の美夜子ちゃんとも目があいました。

 笑顔と泣き顔。二つの表情をそれぞれ浮かべる、二人の美夜子ちゃん。

 僕は、教室まで駆け戻りました。

 賑やかな教室に戻っても僕は、恐怖に震えていました。

 次第に具合が悪くなったので保健室へ直行して、その日は早退しました。

 高熱を出して、死ぬような苦しい思いを三日三晩して、体調が戻った時は恐怖体験そのものを完全に忘れていました≫



タツヤさん

≪えっ、忘れていた?≫


山ノ内

≪――――ええ、あなたから取材の話があるまで、忘れていました≫




 ……ここからだ。ここから先は初めて聞く。




山ノ内

≪どうして美夜子ちゃんの話を、訊きに来たんですか?≫


タツヤさん

≪ですから雑誌の取材ですよ、それ以外に理由なんて……≫


山ノ内

≪それに、どうやって僕が同級生だって知ったんですか?≫


タツヤさん

≪山ノ内さんが同級生であることは、とある人が教えてくれました≫


山ノ内

≪誰ですか?≫


タツヤさん

≪……情報提供者は、第三者には明かさない決まりですので≫


山ノ内

≪――――美夜子ちゃんから訊いたんですか?≫


タツヤさん

≪は?≫


山ノ内

≪鏡の世界にいる……美夜子ちゃんですよ≫


タツヤさん

≪ハハハ……まさか≫


山ノ内

≪信じられないですか? 僕はハッキリ見たんですから。

 彼女は存在します。鏡の世界に、いつまでも≫


タツヤさん

≪でも、こちらの世界の美夜子は失踪したから。

 ……だから、むこうの世界にも美夜子はいないはずでは?≫


山ノ内

≪それじゃあ、美夜子ちゃんは何処に行ってしまったんですか?≫


タツヤさん

≪さあ……もう十数年も経っていますから≫


山ノ内

≪…………ええと、すみません。お名前をもう一度、伺っても宜しいですか?≫


タツヤさん

≪アルファーロと申します≫


山ノ内

≪あぁ、そうだった。ペンネームですか?≫


タツヤさん

≪まあ、そうです。

 山ノ内さん、美夜子について他に知っている人に心当たりはありますか?≫


山ノ内

≪えっ? えっと……親友の女の子、とか。

 ……でも彼女とも同じクラスだったんですけれど、名前を忘れてしまいまして。

 そんなに交流した事は無かったから連絡先も知りません。

 それに担任だった先生も、辞めてしまってから連絡が取れなくなりました。

 良い先生だったんですけれどね。責任を感じてしまったみたいです。

 他に……誰がいただろう? クラスの皆は、まるで幻だったみたいに美夜子ちゃんの事を、すっかり忘れてしまって……≫


タツヤさん

≪でも、あなたは思い出したじゃないですか≫


山ノ内

≪それは怖い思いをしましたから。

 僕以外に、あんな恐ろしい思いをした事のある人なんか…………≫



 ここで、急に声が聞こえなくなったので慌てて残り時間を確認した。

 まだ先があったので、早送りにして再び話し出すのを注意深く聞いた。



タツヤさん

≪山ノ内さん?≫


山ノ内

≪あ、はい。突然黙りこんで、すみません。

 ……どうして思い出してしまったんだろう?

 また、思い出しました。もう一つありました……美夜子ちゃんとの話。

 さっき美夜子ちゃんと席が隣同士になった事があるって、言いましたよね?

 席が隣同士だったので、彼女が読んでいる愛読書のタイトルとか、ノートとか見る事が出来たんですよ。


 ……いや、ずっと見ていたわけじゃないですよ!?

 本当に時々……もっぱら見ていたのは、彼女の綺麗な横顔だったんですから。


 それで、あれは美夜子ちゃんが別人のように明るくなって、昼休みは外で遊ぶ事が多くなった頃。雨が降っていたことは良く覚えています。

 さすがに雨の日は外では遊べないから、美夜子ちゃんは自分の席に座って珍しい事に本を読んでなくて、ノートに何かを一心不乱に書いていました。


 授業ノートでも借りて、書き写しているのか……そう最初は思っていました。

 でも書いている美夜子ちゃんの様子が、鬼気迫っていたといいますか……尋常じゃないほど怖い顔をしていたので、とても気になってしまったんです。

 もちろん覗きがバレたら絶対に嫌われることは、わかっていたんですけれど。

 好奇心に操られて、どうしても中身が知りたくなってしまって。


 でも、見れたのは一部だけでした。

 授業のノートじゃなくて日記……のような感じでしたけど要領得なくて。

 普通なら、すぐに諦めるはずなんですけれど、好奇心に取り憑かれていた僕は掃除の時間、とある作戦を実行しました。

 今思えば、かなり無茶な作戦でしたけれど。

 机を運んでいる時に僕の机と彼女の机をわざと倒して、中身を混合させて……問題のノートを間違えて持って帰ってしまうという……荒技です。


 どうしてあんなことまでして、ノートを見ようと思ったのか……。

 自分の意志を、ナニカに奪われて操り人形にさせられてしまったみたいで。

 罪悪感とか感じませんでした。ただ知りたい、それだけだったんです。


 無事にノートを持ち帰る事が出来て、大興奮のまま帰宅しました。

 そして帰宅後、すぐにノートを見てみました。ざっと見るだけのつもりだったので、真ん中辺りの適当なところから開きました。

 ページには一面、強い筆圧で殴り書かれた文字が覆い尽くしていました。


《嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌》

《なんでどうしてどうしてどうしてゆるせないぜったいにゆるさない》

《TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT》

《見るなこっちを見るな私を見るな見るな見るな見るな見るな見るなこっちを》

《もう嫌だ会いたくない顔を見たくない いつもいつもうっとうしい嫌い嫌い嫌い今度会ったら会ったらころすころす絶対に殺してやるもういやいやいやいや》


 目に飛び込んできた、激しい言葉の数々に高揚感が急速に萎んでいきました。

 その次に襲ってきたのは、見てはいけないものを見てしまった焦燥感。恐怖。

 ノートを閉じて、すぐにランドセルにしまいこみました。


 翌日、教室に入って来た僕に、すぐに美夜子ちゃんは駆け寄って来て言いました。


『私のノート、持って帰ったでしょう?』

『あぁ。間違えて、持って帰ってしまったみたいで』


 完璧な無表情、棒読みの言葉、彼女の対応はいつもと違いました。

 明るくなってからは笑顔が絶えなかったのに……もしかして、わざと持って帰った事がバレているのではないか……。

 内心怯えながらも、僕は忌まわしいノートを差し出しました。

 美夜子ちゃんはノートを手繰たくると、胸に抱いてじっとしていました。

 僕は、彼女の脇を通り過ぎて自分の席に行く事が出来ませんでした。

 動くことを許されていないような……重い空気が漂っていました。


『このノート、見た?』

『い、いいや? 見てないけれど……』

『へえ? どうして?』

『えっ!?』

『どうして中身を見ていないのに、自分の物じゃないってわかったの?』

『教科書の陰に隠れて、気付かなかったみたいで……。

 そ、それに名前も書いてなかったから!』

『本当に? 本当に中身は見ていない? 本当に見ていないの?

 誰の物か確かめようとも思わなかった? ねえ? 嘘吐いてないよね?

 本当に見ていないって、信じて良いのよね? ねえ、ヤマノウチくん?』


 真綿で首を絞められているかのように、徐々に苦しくなってきて……出来る事なら教室を飛び出してしまいたかったです。

 でも、あの時の僕は正に蛇に睨まれた蛙になっていました。彼女の視線から、追及から逃れたくて……僕は首を横に振りながら叫んでいました。


『見てないよ! 見てない!』

『そう? ……なら、いいの――――』


 最後、小さく呟いていたましたが……よく聞こえませんでした。

 美夜子ちゃんは、無機質に微笑むとノートを手に教室を出て行きました。

 ノートを無事に返しても……しばらく不安で堪りませんでした。

 あの恨みノートに、僕の事が書かれるんじゃないかって思い込んで。

 でも、もう二度と他人のノートなんか覗こうなんて思わなくなりました≫




 そこで、タツヤさんが戻って来た。俺は必死に自然を装った。

 笑顔の彼から視線を逸らす。それは良心が咎めたからではなかった。

 不信感……そして目の前にいる存在への、不安。

 怖くなったのだ。彼が何を考えているのか、わからなかった。

 どうして、この話を俺に聞かせてくれなかったんだ?

 既にタツヤさんはお酒を飲んで酔っぱらっているので、目の前にいても録音機を操作して元のデータに戻す事が出来た。

 録音機を返しながら、忘れかけていたブラッティーメアリーを一口飲んだ。


 今日はそんなに酔えないな。色々考えることが出来たから……。

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