後半
……私が美夜子と仲良しだって事は、他のクラスメート達には絶対に秘密でした。だって、そうでしょう? もし他の子に知られたら、何をされるか……。
美夜子は誰もが認める才色兼備、完全無欠な優等生の美少女。
誰だって、彼女と友達になりたいと思っていました。
でも、なる事は出来ませんでした。
何故なら美夜子は孤高の人でした。低俗な者とは一切関わらず難しい純文学を読んでいる姿は、まるで芸術品のようでした。
そんな美夜子と何の取り得もない私が、急に仲良くなったなんて知られたら。
きっと皆で一致団結して、私をいじめようとするはずです。
美夜子と仲良くなる前……ただでさえ、私はクラスで肩身の狭い思いをしていましたから。でも、美夜子とおしゃべり出来るのなら――――学校に行く事なんて全く辛くありませんでした。まわりの他の子なんか、気になりませんでした。
ただ、二人を除いて。
美夜子には、私の他にも二人の友人がいました。
一人は幼馴染の男の子で、あだ名で《リュウ》と呼ばれていました。
彼は、隣のクラスだったから会った事はありませんけれど……よく美夜子の話に出てきました。
もう一人は……滅多に話に出ない《ナイト》という人物。
ナイトのことは美夜子から直接聞いたわけではなく、美夜子とリュウが話しているのを盗み聞いたクラスメートが、友人に話しているのを聞いて知りました。美夜子が心を開いているのは、ボクと、その二人だけです。
気になって、遠回しに訊いてみた事があります。
「美夜子、ボクの他に仲良くしているのは……リュウと?」
「レインとリュウと……あと一人、いるわ」
「誰なのですか?」
そこで、美夜子はニッコリ笑って露骨に話題を変えました。
続いて問い掛けることは出来ませんでした。
美夜子は、こんな私でも仲良くしてくれているのです。
嫌われることなんて、出来ませんでした。
何の前触れもなく、突然ある日から私に誰かからの嫌がらせが始まりました。
私が席を外している間に……私の教科書やノートを破ったり、落書きをしたり。
私の筆箱、上履き、ランドセルにつけていたお守りまで隠したり、捨てたり。
私に対して直接、何かするわけではありませんでした。
私に対して直接、悪口も暴力もありませんでした。
しかし真綿で首を絞めるような嫌がらせが、連日続きました。
私は、嫌がらせの事を美夜子に悟られないようにしました。
美夜子との付き合いを妬んだ誰かからの嫌がらせのせいで、当の美夜子本人から交際を中止されることが何より恐ろしかったのです。
『嫌がらせがあるのなら、元通りクラスメートに戻りましょう』
そう言われたくありませんでした。
たとえ私物が全て失う事になろうとも、美夜子と友人関係でいられるのなら、どんなものでも差し出しても構わなかったのです。
……嫌がらせをしていたのは、リュウとナイト。
そのどちらか、または二人が共謀してやっていたはずです。
他のクラスメート達には、美夜子との交際は気付かれていなかったはずですから。
きっと美夜子から話を聞いたのかもしれません。
顔も本名も知らない、二人の存在をボクは心の底から憎みました。
陰でひどい嫌がらせをする卑劣極まりない二人は、美しい美夜子の友人として相応しくない。彼女に奴等の本性を教えたい、でも嫌がらせの事は言えない。
苦しみました。頭が変になりそうなくらい。他者を憎悪しました。
ボクが苦しむのは、あの二人のせい。全て、あの二人のせいなのだから。
明日になったら髪の毛一本すら残さずに、この世から消滅してしまえばいい。
いいや……受けた苦しみを何倍にもして、二人に味あわせたい。
そして自分が犯した罪を、心底悔いながら、嘆きながら、朽ち果てれば良い。
ボクの苦悩は、日増しに強くなりました。隠しておけないほどに。
仲良くなったきっかけとなった日と同じく、雨が降る放課後。
誰もいなくなった教室で、とうとう美夜子から訊ねられました。
「レイン、君は何か悩んでいるでしょう?」
「………………」
「答えたくないのなら、無理には聞かないわ。
でもね、ワタシはけっして軽はずみな気持ちで訊ねているわけではないわ。
大切なお友達が悩んでいるようだから、力になりたいな……と思って」
美夜子の言葉が嬉しくて、泣きました。
そして、とうとう打ち明けることにしました。抱えている苦しみの一部を。
「…………ボクは、ある奴から嫌がらせを受けています」
「い、いやがらせ? そんな……」
美夜子はショックを受けたようで、大きな瞳を見開いていました。
その澄んだ虹彩が、細かく揺れているのが良く見えました。
「どうにかしたい。けれども、ボクは力がないから……どうも出来ません。
やり返す事すら出来ないのです。誰にも相談出来ませんでした。
あんな卑劣な、下劣な嫌がらせを受けていると知られたら……美夜子は、友達をやめてしまうかもしれない。そう思いました」
「そんなことないわ!」
美夜子は大声で否定して、首を横に大きく振りました。
「レインと友達をやめるなんて、そんなことしない!
だってレインは、ワタシの大切な友達だから!」
「……ありがとう」
「ねえ、レイン。実は、ワタシも、嫌がらせを受けているの」
「ええっ!?」
ボクは驚きました。完璧な美夜子に、意地悪をしようなんて考える存在なんかこの学校に、この世界にいるはずがないと思っていましたから。
「ワタシは悔しくて悔しくて……少しずつ仕返しをしているの。
でもね、なかなか効かないの。きっと一人だからなのだと思うわ」
「仕返し? 何をしているのですか?」
「……呪うの」
「え? 呪う?」
「そう。毎夜、午前零時に、呪う相手の顔を浮かべて、うんと念じるの。
苦しめ、苦しめ、もっと苦しめって」
「そんなの……もうずっとやっています。何度、奴の不幸を願ったことか!」
「憎しみは本心なのかもしれない。でも本当に不幸になるとは信じていない。
呪いっていうのはね? 信じる力なの。
これだけ呪っているのだから、絶対に相手に不幸が訪れるって信じるの。
そうすると……呪いは完全になって効くの。
でも、ワタシ達はまだ小さいから。いくら念じても、とても弱いの。
一人だと効かないみたいなの。だから……今日から、ワタシも一緒に呪う。
レインに嫌がらせをする人が苦しみますようにって。
レインに嫌がらせをする人がいなくなりますようにって」
世間話をしている時よりも、愛読書の話をしている時よりも。
呪いの話をしている時の美夜子が、何だか楽しそうに見えました。
美夜子は、ボクの全てを理解してくれていました。
ボクの拙い言葉選びから、真意を汲み取ってくれました。
もし、慰めの言葉を返されていたら……ボクは完全には救われなかったでしょう。
ボクが一番望んでいた、二人への報復。それを、美夜子は話してくれました。
「……でも、美夜子」
「なぁにレイン?」
「人を呪わば穴二つ……という事があります。
呪いが効いたら、その報いを受けるのではないでしょうか?」
「……そんな事はないよ」
「どうしてそう言い切れるのですか?」
「だって、奴が不幸になるのは因果応報だもの。
奴が嫌がらせをしなければ、呪われる事もなかった。
呪われたから、不幸になった。
元を正せば……奴が悪行を働いたことが元凶なのだから。
ワタシ達は、奴が不幸になる過程なだけよ。
何も悪い事をしているわけじゃないわ。だから何も起きるはずが無い」
「そうですね……ボク達は何も悪くありません」
そこで、先生に見つかって早く帰るよう叱咤されました。
いつの間にか雨が、どんどん強くなってきていました。
「――――レイン。ごめんなさい、私、今日は一緒に帰れないわ」
「えっ!? どうして?」
「《リュウ》を待ってるの」
幼馴染のリュウとの下校は、それまでも何度かありました。家が自宅とは反対方向にあるにもかかわらず、美夜子は一緒に帰っていました。
幼馴染だからって、美夜子を連れ回すなんて許せませんでした。
ボクは一緒に帰りたかったのですが、言い返す事なんか出来ませんでした。
「それでは、また明日。学校でね」
美夜子が微笑んで手を振ってくれたので、その後一人で何とか帰れました。
そして、その日の夜。午後十時半には眠るように、日頃から母から口酸っぱく言いつけられていましたが、ボクは午前零時まで起きていました。
時刻ちょうど、美夜子に教えられた呪いをやりました。
今までの苦しみを思い返し、憎しみを喚起させ、それこそ全身全霊をかけて。
リュウとナイト、どちらも不幸になることを信じて力いっぱい、呪いました。
三十分くらい行ったら、思いのほか疲れて、すぐに眠りこんでしまいました。
翌日、夜更かしした所為で朝が辛かったですが、学校へ行く為にランドセルを持って母の前に顔を出しました。
母は、二階から降りてくる私の足音を聞きつけて待ち構えていました。
凄く怖い顔をしていたので、夜更かししていた事がバレたのだと思い、反射的に「ごめんなさい」と言って目を瞑りました。
しかし、母親はランドセルを床に置かせて、優しく抱きしめたのでした。
何が起きたのか一瞬わからず、混乱して身体を硬直させていました。
母は、私を抱きしめたまま泣いていました。
「お、お、お母さん……えっと、あの、ごめんなさい。
こ、これからはちゃんと、十時半に、寝ますから」
泣かせるほど悪い事をしたのかと思って、私も泣きながら謝りました。
すると母は小さく頭を横に振って、涙を拭いてからいいました。
「今日は、学校にいかなくていいわ。しばらくお休みよ」
優しい声音で言われたにも関わらず、私はまるで死刑宣告を受けたかのようなショックを受けました。学校へ行くな、なんて言われるなんて。
私には美夜子に会う事が全てだったのに。
「え、えっ!? そんな、ごめんなさい!
毎朝、起こされなくても自分で起きます! 宿題だってやります!」
「美雨……こっちに来なさい」
お母さんは、いつもと様子が全然違いました。その事を感じ取った私は今まで注意されて来た事を並べ立てて、何度も何度も謝罪しました。
リビングで、いつものようにテーブル越しに向かい合って座ったら、母は少しだけ落ち着いたようでした。私の謝罪を遮り、じっと私の顔を見ました。
「美雨、落ち着いて聞いて。いい?」
「はい」
「……昨日から
「…………かえって、いない? 帰っていない?」
「昨日の夜、美夜子ちゃんのお母様からお電話があったの。
うちに遊びに来ていると思ったみたい」
ここから先、会話の記憶にありません。
気付いたら、母が傍で寄り添って寝ていました。多分、生まれて初めて癇癪を起した私を、母は必死に宥めていたんだと思います。
その日は、一日中寝ていました。
いえ、寝ていたのかどうか……丸一日、記憶がないのです。
――――美夜子がいなくなってしまったので、この話も終わりですね。
川崎 美雨の話が終わった。
俺は……そうとう表情が険しかったらしい。
川崎さんが不安げな眼差しを向けて来た。
「あ、あの……何かお気に障りましたか?」
「いいえ、別に何も」
俺は慌てて表情を元に戻し、首を横に振った。
タツヤさんは俺を一瞥すると、硬い口調で話した。
「川崎さん、ありがとうございました」
「あの……こんな話で、宜しかったでしょうか?」
「はい。大いに手助けになります」
「でも……もう美夜子は、法律で死亡したことになっています。
ですから美夜子の話を聞きたいと伺った時は正直……今更? と思いました。
――――もう話す事は無いので、私はこれで失礼しますね」
話し終わったことで居た堪れなくなったのか、川崎さんは静かに席を立つと深々とお辞儀をしてから、待ち合わせの喫茶店を出て行った。
彼女の姿が完全に見えなくなったところで、俺は大きく息を吐いた。
彼女の話を聞く事で、物語の完結に一歩近づける……そう期待していた。
でも尚更、わからなくなってしまった。謎が増えたからだ。
不思議な美少女、美夜子は失踪していた一体……どうして?
彼女が話していた呪いの報いを受けたから?
『ねえ、レイン。実は、ワタシも、嫌がらせを受けているの』
『ワタシは悔しくて悔しくて……少しずつ仕返しをしているの。
でもね、なかなか効かないの。きっと一人だからなのだと思うわ』
『仕返し? 何をしているのですか?』
『……呪うの』
一体、彼女は誰を呪っていたんだろう?
それに正体不明の、美夜子の友人……《リュウ》と《ナイト》も気になる。
この二人について知っている人は?
俺は、目の前に座り直したタツヤさんに視線を向けた。
俺と同じく話の謎について考えているのか、怖いくらいの真顔だった。
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