カワサキくんの話
前半
向かい合って座っている女性は、豊かなブラウン色の長髪を一つに束ねて、白い花の髪留めを挿していた。控えめのフリルがあしらってあるブラウスに、動きに合わせてふわりふわりと広がるスカートを押さえるように行儀よく重ねられた両手――――俺の周りでは希少となった美しい女性が今、目の前にいた。
じっと見ることが躊躇われるかのような……彼女の清純さを目の前にした俺は気まずい思いをしながら、視線をあっちこっちに向けた。とても不審だった。
「わざわざお越し下さって、ありがとうございます。
タツヤさんの言葉に、川崎
「……
「はい。どんな話でも構いません」
「本当ですか?」
川崎さんは、大きな瞳でじっとタツヤさんを見て、そして俺も見つめて来た。
タツヤさんも、もちろん俺も、即座に頷いた。
先生が話した《未完結の話》
川崎さんも美夜子とは同級生だったというし……彼女の話を聞く事で、物語の完結に一歩近づける。そんな期待を込めて、大きく頷いた。
「わかりました。私の話が、少しでも手助けになるのでしたら喜んで」
川崎さんは上品な笑みを浮かべてから、ほつれ髪を直しつつ話し始めた。
美夜子――――彼女は……普通の女の子じゃありませんでした。
普通ではないというのは、悪い意味ではありません。
彼女は、同性の私でも美しいと感じるほど綺麗な顔立ちをしていました。
くっきりとした二重瞼に長いまつげの大きな光満ちた瞳。
形が整った完璧な鼻、花弁のように可憐な唇、ほっそりとした顎のライン。
透き通る白い肌は太陽の光に当たると光り輝き、背中まで伸ばした長い黒髪は羨ましくなるくらいサラサラとしていて、まるで絹のようで……。
本当に私達と同じ人間なのか、時折疑わしく思ってしまうほど綺麗な子でした。
口数が少なく、人前では絶対に話さなかったから……まるで、精巧な人形が生きているかのようで……良い意味で人間離れしていました。
そして美夜子は秀才で、授業で先生に唐突に指名されてもスラスラと答えて、テストではよく満点を取って先生に褒められていました。
美夜子は……私の憧れでした。
他人に憧れの感情を抱いたのは、生まれて初めてでした。
お友達になることを夢見て……でも、声を掛けるなんて畏れ多くて出来なくて。
そう……あまりに完璧すぎて、遠巻きに見つめる事しか出来ませんでした。
でも、私はそれで充分に満足していたのです。
私、小学生の時は園芸委員でした。花を育てるのが好きでだったので。
ある日、放課後遅くまで園芸委員の話し合いがありました。
ただ雨が話し合いの途中から降り出してしまい、帰る時にはバケツを引っくり返したかのような、どしゃぶりの雨になってしまいました。
私……小さい頃、雨が大っ嫌いだったんです。
雨が降るという予報があると、母からいつも大きなカッパを渡されるんです。
ランドセルを背負ったまま着る事が出来る大きいカッパは……白が下地でカラフルな水玉で、あまりにも地味でダサくて……それを着るのが嫌で嫌で堪らなくて。
幸い家が近くだったので、普通の雨の時はカッパを着ないで走って帰って、濡れたランドセルをハンカチで拭いて、母を誤魔化し続けていました。
でも、その日はカッパを着ていても濡れてしまいそうな勢いの大雨で……私は泣く泣くカッパを取り出しました。誰にも見られないように、気を使いながら。
窓ガラスに反射して映る、カッパ姿の私はあまりにも間抜けに見えて……とても憂鬱な気持ちになりました。
「カワサキくん?」
それなのに……一番見られたくない人に見られてしまいました。
もうとっくに帰ったと思っていた、彼女に。
「カワサキくん。あのね、ワタシ……今日、傘を忘れてしまって……。
だから、途中まで傘に入れてくれないかな?」
カッパ姿を見られたショックに落ち込んでいた私は、美夜子の言葉の意味を理解する事に遅れました。
「――――えっ!?」
「ごめんなさい。いきなりで、驚かせてしまって。
カワサキくんは、私と帰り道が途中まで同じよね?
本当に、途中まででいいの。どうしても無理なら……その……。
大丈夫だから。あの、駄目……かしら?」
言葉の意味が浸透した直後、私は何度も頷いていました。
「だ、駄目なんかじゃないっ……です。
あの、どうぞ……この傘、使って下さい」
「でも、それではカワサキくんが」
「カッパ来てるから、大丈夫っ……です」
ところどころ言葉がつっかえながらも、何とか返事をしました。
美夜子は、にっこりと私に微笑みかけてくれました。
もう、信じられませんでした。
笑みを浮かべると、その美しさは際立って……私は感激しました。
あれだけ大嫌いだった雨さえも、綺麗に見えました。
一緒に帰った時間は、夢のような一時でした。
並んで歩いて、取り止めもない話をしながら幸せを感じると同時に、不安を覚えました。美夜子が『もうここまででいいよ』と言って、傘を返す時が永遠に来なければいいのに……そう思っていましたから。
明日になれば、彼女とは話せなくなってしまう。
近くにも寄れない、遠くから見つめるだけの日々に戻ってしまう。
言葉を交わして……笑顔を間近で見れる……。
その幸福を知ってしまった私は、今までの生活は辛すぎる苦行でした。
「あぁ、もうここまで来たのね。どうも、ありがとう」
終わりの時は、思ったより早く来てしまいました。
彼女の言葉が耳に入った瞬間、引っ込み思案だったはずの私は言っていました。
「この傘は、明日! 返してくれればいいです! 使って下さい!」
美夜子が私の傘を持っていれば、この関係は続くのではないかと思いました。
だから必死でした。
「……いいの? 本当に?……ありがとう――――《レイン》」
最後は囁くように呟かれたのに、私の耳に雨音よりも明瞭に聞こえました。
「れ、れいん?」
「英語で《雨》って意味だよ。カワサキくんの名前は、美雨だったよね?
だから、これからワタシは、カワサキくんの事をレインと呼ぶよ」
その時の私の気持ちは、まさに天にも昇る気持ち……でした。
あだ名をつけられたのは初めてでした。
今まで皆から、名字にさん付けか名前にちゃん付けで呼ばれていた私は……美夜子がつけてくれた《レイン》というあだ名が、とっても素敵に思えて……まるで新しい自分になったかのようでした。
嬉しいことに美夜子との交友は、それからも続きました。
私達、意外とすぐに仲良くなったんです。とても気があったんですよ。
読書が好きで、静かな場所で過ごす事が好きで、人が多い場所は嫌い……それ以外にも似ている個所がありました。驚くくらいでした。
わずか数日で、私達は気心知れた親友になれました。
美夜子と仲良くなったばかりか、親友になれたこと……本当に幸せでした。
彼女と一緒にいる時、私は川崎 美雨ではなくて、親友の《レイン》でした。
話し方も変えていたんですよ。一人称を『私』から『ボク』に。
《レイン》という名前が、なんだか男の子の名前みたいだったので。
美夜子は、私に色んな話をしてくれました。
そのどれもが不可思議で、怪奇な話……彼女の美しい唇から発せられる、珠を転がすような声で話されると……恐怖よりも、楽しさがありました。
――――美夜子が話してくれた話の内、いくつか簡単に話しますね。
「日曜日の夜、明日からまた学校だと思うと憂鬱で『明日がこなければいいのに』と思って眠って、朝目覚めたら日曜日の朝になっていた。
それを三日間続けて、そろそろ学校に行きたくなったので『明日がくればいいのに』と思ったら、次の日はちゃんと月曜日だった」
「野良猫に、餌をあげていたら母親に見つかって凄く怒られた。
しばらく餌をあげないで、鳴いていても無視をしていたら……ある日学校からの帰り道で、猫が座って待っていた。目を逸らして通り過ぎようとしたら、聞いた事もない声で『冷たくするなら、優しくすんなよな』と言われた。
歩道を歩いていたのは美夜子だけ。他にいたのは猫一匹。
猫は、いつの間にか消えていた。それから猫の姿は全く見ていない」
「亡くなったお祖父さんのお墓参りをした日の夜、夢の中にそのお祖父さんが出てきた。『今日は、来てくれてありがとう。久し振りに顔を見たら一緒にいたくなったから、今日来て欲しい』と優しい顔で言われた。
『友達と離れ離れになるから、嫌だ』と言ったら、悲しい顔になって消えてしまった。お祖父さんが寂しくならないように、毎日仏壇で声を掛けるようにした。そうしたら年に一度の命日の日、必ずお祖父さんが現れて『一緒にいたいから来て欲しい』と訊ねてくる。その度に断り続けるのが心苦しい。
いつか『いいよ』と言ってしまいそうで怖い」
美夜子が話してくれる話は、どれも好きでした。
それに……ボクは、そういう怪奇な話に目がなかったのです。
――――え? 《鏡の世界の話》ですか?
はい、美夜子から聞きました。どうして、知っているのですか?
別の同級生が話したのですか?
でも……あの話は……ボクだけに話してくれたはず……一体、誰ですか?
ボク達の会話を盗み聞いたのは?
……あっ、言えませんよね。失礼しました。
いいですよ、大体予想はついていますから。
ボクが美夜子の親友であることを最も妬んでいた人物が、いましたから。
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