未完結の話

 俺は、記者の男が充分に離れたのを見届けてから、ドアをノックした。

 ノックをすると、いつもより少しばかり反応が遅かった。


「……はい。どちらさまでしょう?」

「あ、闇夜? 夏生なつきだけれど」


 ドアは開いて、真っ白い仮面が出てきた。


「どうぞ中へ」


 ボロボロな家だけれど、中は魔法が掛かったように美しい。

 来る度にアンティークは増え、そしてますます素晴らしくなる室内装飾。

 部屋の真ん中……お気に入りの安楽椅子に座る闇夜すらも、部屋を彩る芸術品のように見える。


「初めまして、闇夜と申します。

 お会いできて光栄です。これからも仲良くしていきましょう」


 闇夜の常套句。何度聞いても、気分が高揚する。


「一ヶ月ぶりですね……夏生。仕事は慣れましたか?」

「うーん。まだ自信もって慣れた! とは、言えないなぁ。

 覚える事が次から次へとあるから。

 もうホント大変だよ……あー、学生に戻りたい!」


 記者に会って感じた不快感なんて、あっという間に忘れられた。

 この家に入った瞬間から、俗世間の事など頭の中から消える。


「――――さて、今日はどのような怖い話を御所望ですか?」

「そうだなぁ。もう色々話を聞いたから……どうするかなー」

「夏生は、話したりしないのですか?」

「お、俺が話すの!? いや、無理無理無理無理ぃ!」

「そうですか……残念です」

「いや、だって! 俺が知っている怖い話って、殆ど闇夜から聞いた話だし!

 闇夜の方が、色んな人から話を聞いているはずだから、俺が知らない話があるかもしれないじゃんか。何でもいいよ。怖い話なら何でも!」


 闇夜は、細長く美しい指を仮面の縁に滑らせながら黙考した。

 俺は確かな期待感を持って、闇夜を見つめた。

 どんな話だとしても……闇夜が語るのだから、きっと怖いはずだ。

 しばらく待っていると、闇夜は静かに笑いながら言った。


「――――それでは、夏生。これから話す話を、彼にも伝えてくれませんか?」

「え? 彼?」

「家の前で記者の男と会ったはずです。彼に、ワタシの話を伝えて下さい」

「なっ、何で!?」


 思わずソファから立ち上がった。


「闇夜は、あいつとは話さないんじゃなかったのか!?」

「はい。彼と直接顔を合わせて話す事は、怖かったもので」


 怖い? 闇夜が怖いって思った!?


「どうして、夏生はタツヤに話したくないのですか?」


 タツヤって誰だ、って一瞬思ったが……あの記者の名前だと思い出した。


「だってあいつは三流オカルト雑誌の記者で、闇夜の事を面白おかしく書こうと思っているよ!? あの雑誌読んだことあるけど、クソだよ!?

 ホント、すっげえつまんないよ!?

 あんなつまらない雑誌に、闇夜の事が載るなんて……絶対、駄目だ!!」

「大丈夫ですよ、夏生」


 闇夜は、目の前で俺が騒いでも全く動じていなかった。


「例え話したとしても、タツヤは記事には出来ませんから」

「どうして言い切れるんだよ!?」

「それは話をすればわかりますよ」

「駄目だよ、闇夜。そんなことをしたら……俺がしたくないんだ」


 申し訳ないと思いつつも、首を横に振る。


「……わかりました。

 では、とりあえずワタシがこれから話す話を聞いて下さいますか?

 この話を聞けば、夏生の気持ちも変わるかもしれませんので」


 変わる事なんてない。闇夜の話は、恐怖を求める者だけが聞くべきもの。

 この怖い話は、俺の胸の中だけに秘める。

 俺は、深くソファに座り直して闇夜の語る怪談に、全神経を集中した。




 とある日、ワタシの元に一人の男性がやってきました。


「初めまして、闇夜と申します。

 お会いできて光栄です。これからも仲良くしていきましょう」

「どうも……」


 匿名を望み《先生》と名乗った、元教師の男性はゆっくりと話し出しました。

「怖い話を聞いて下さるのですよね? どんな話でも聞いてくれると」

「はい。伺います」

「なら、良かった。

 この話は……周囲の人に話せなくて、ずっと心苦しかったんです」


 先生は心から安堵した様子でした。

 紅茶を一杯、口にし終わった後は落ち着いて自然と話し始めました。


「わたしは小学校の教師を務めていました。

 もちろん、クラスの担任になった事もあります。

 低学年から高学年まで、全てやりました。

 その中で……忘れられないクラス……いえ、忘れられない児童がいるんです。

 受け持った大勢の教え子の中で一人だけ異質な……変わった女の子がいました。

 名前は、ミヤコ――――美しい夜の子、と漢字では書きます」

美夜子みやこ――――」


「はい。美夜子ちゃんは……こんなことを教師が口にするのは、あるまじきことなのでしょうが……彼女は、とても変わっていました。

 完全な寡黙で、他者には挨拶するどころか愛想笑いすら見せませんでした」

「誰にもですか? あなたにも?」


「ええ。二十数名のクラスメイトとも関わることは絶対にしませんでした。

 教師達も、まるで存在しないかのように振る舞っていた美夜子ちゃんも……担任であるわたしだけは、ちゃんと挨拶をしてくれました。

 誰とも関わらない、関わろうとしない。そんな性格難な子だから、クラスメイト達から嫌われていたのかというと、そうでもありませんでした。

 美夜子ちゃんは稀にみる絶世の美少女で、不思議な魅力がありました。

 本当に美しい女子で……彼女が入学して来た時は、わたし達教師の噂の的でした。

 際立っていたのは、容姿だけではありません。

 美夜子ちゃんは、とても聡明で……そう、とても頭が良かった。そんな完璧な彼女に憧れる子はいれど嫌う子など……クラスには誰一人いませんでした」

「気付かなかったのかもしれません。

 いつの時代も、完璧な存在は妬みの対象です」


「あははは……いいえ、絶対にありませんよ。

 彼らはまだ小学生だったのですから。わたしは、担任ですから、人と関わることが苦手な美夜子ちゃんを気にかけ、毎日話し掛けていました。

 とある日……美夜子ちゃんが、まともに会話をしてくれました。

 『ねえ、先生。どうしてワタシに関わるのですか?』

 『それは美夜子ちゃんが心配だから』

 『ワタシと関わると、辛い思いをしますよ』

 『辛い思い?』

 『ワタシ、見えます』

 『……何を?』

 『前世の記憶……ワタシとして生まれる前、ワタシは男でした。

  ワタシは十七歳で死にました』

 『美夜子ちゃん。そういうことは』

 『嘘じゃありません!』

 黒く大きくつぶらな瞳が、わたしを見つめた。

 彼女の中では本当の事なのだと悟り、わたしは付き合いました。

 『ワタシ、殺されたのです!

  同じ学校に通う男の子に……教室の窓から突き落とされて』

 『もういい』

 『首の骨が折れて、死にました』

 『美夜子ちゃん』

 『嘘じゃないの! 先生……先生は、わかるでしょう?』

 『そうだとしても、今の美夜子ちゃんには関係のないことでしょう?

  前の人生は、もう終わっているのだから……』

 『先生は……やっぱり信じてない……いや、信じたくないんですね?』

 『どうしてそう思うの?』

 わたしの質問に、美夜子ちゃんは首を大きく横に振って、答えないで行ってしまいました。それから美夜子ちゃんは、少しずつですがクラスメイト達と関わるようになりました。

 でも、それは……わたしが望んでいた関わり方では、ありませんでした」


 先生はふぅと息継ぎをして、喉を潤す為、紅茶を一気に飲み干しました。

 勢い良く飲んだので、気管に入り、激しくむせました。


「大丈夫ですか?」


 先生は大丈夫だと右手を振りながら、咳をし続けました。

 一段落ついてから、先生は自主的に話し始めました。


「ええと……どこまで」

「美夜子が、先生に自身の前世の記憶を話したところです」

「ああ、そうだった。それで……そうだ。

 美夜子ちゃんは前世の記憶が見えると公言し、クラスメイト達にソレを教えていました。

 『A君は、前も男だった。病気で病院で死んだんだよ』

 『B君は、女だった。崖から飛び降りで死んでる』

 『C君は、幼稚園の男の子だ。車に轢かれて死んだんだね』

 そんなことを広めていったら、真似をする子供が現れました。

 つまり前世の記憶、というものに子供達は振り回されていきました。

 前世と同じ死に方をするのでは、と本気で怯えたり……自分が誰なのかわからなくなったり……当時、保護者の方からクレームが入りました。


 わたしが、前世の話などを授業中にしたからだと誤解して怒鳴りこんできたのです。理不尽ですが、我が子に『本当のお母さんがいい! お前は違う!』と泣きながら言われたら……誰だって憤りをぶつけたくなりますよね?


 わたしは、すぐに美夜子ちゃんと話をしました。

 『美夜子ちゃん。前世の記憶の話だけれど』

 『信じていないのでしょう、先生?』

 『だから信じているとか、信じていないとか、そういう話では無くて』

 『本当にあった事ですよ』

 『本当にあったとしても、他の人に教えてはいけないよ』

 『だってみんなは知りたがっていました』

 『だとしても、もう話してはいけない。みんなが混乱するから』

 『ねえ、先生』

 美夜子ちゃんは、吸い込まれそうな瞳をわたしに向けたまま、言いました。

 『まだ先生、信じてないのですね』

 『だからそういう問題じゃ』

 『先生の前世を、教えてあげましょうか?』

 『……美夜子ちゃん』

 『これで最後です。最後になりますから』

 彼女の気が済むのなら、とりあえず途中で遮らず最後まで話を聞こうと思いました。美夜子が心を開いているのは、わたしと、二人の友達だけなのだから」


 そこで言葉を切る先生。ワタシは待ちました。

 しかし、なかなか次の言葉が出てきませんでした。


「先生?」


 見ると、何かに気付いたような顔で固まっていました。


「……先生? どうかなさいましたか?」


 再度、声を掛けると、先生はソファから立ち上がって、玄関へ直行しました。

 そして止める間もなく帰ってしまいました。





 闇夜の話は終わった。あまりに唐突に。


「……えっ、終わり? 本当に終わり!?」

「はい」

「その《先生》の、話の続きはぁ!?」

「わかりません。途中で帰ってしまいましたから。

 あれから先生は二度と此処を訪れていません」


 闇夜は淡々と言った。


「何で引き留めなかったんだよ!」

「語る者が、話している最中に気が変わり……話すのをやめるのなら。

 聞かせて頂いているワタシには、続行を強制する資格はありません」

「だって続きが気になるじゃないか!」

「――――そんなに続きが知りたいですか?」

「闇夜は知りたくないのか?」

「……そうですね」


 闇夜の返答に俺は唖然とした。だって、そんな事は有り得ないからだ。

 怪談蒐集家なら、話の続きを、ちゃんとした完結を求めるはずだ。

 そうしなければ肝心の恐怖が得られない。

 そんな事は、わかりきっているはずなのに……どうして?

 恐怖を得る為なら、どんなことでもするんじゃないのか?

 例え、話す当人にとっては心の傷であっても……続きを催促することは傷口に塩を塗りこむような非道な行為だとしても……俺だったら話を聞く。

 絶対的な恐怖を体感出来るのならば、どんなモラル違反だってする。


「闇夜は、俺と同じ穴のむじなだと思っていたのに」


 失望した俺は、闇夜を睨みつけながら言った。

 闇夜は、静かな態度のままだった。

 俺は、胸の奥から込み上げる感情に任せて言った。


「残酷な真実、隠された過去、知らなければ良かった心の闇……。

 今まで恐怖を得る為に、どんな事も受け入れてきたはずなのに。

 ……どうして、この話は完結を求めない?」

「――――夏生、《牛の首》という話を御存知ですか?」


 俺の質問に答えず闇夜は逆に質問し返した。


「えっ?! ……も、もちろん知ってるさ。有名な話だもの。

 《牛の首》という、とても恐ろしい怪談がある。

 この怪談を聞いた者は、恐怖のあまり、三日以内に死んでしまう。

 この怪談を知る者みな死んでしまい、今に伝わるのは《牛の首》と言う題名とそれがとても恐ろしい話であった……ということだけ」


 《牛の首》それは――――人の好奇心が創り出した、最高の都市伝説。

 恐怖を求める者が、育て上げて、増殖させた噂話。


「ワタシは……絶対的な恐怖は、己の想像力が創り出すものだと思います。

 実態が無いからこそ……好き勝手に想像を膨らませる事が出来る。自分の中の思考は、馬鹿馬鹿しい考えを真実にし、己が最も恐ろしいと思う結末を自然に導き出す」

「何が言いたいんだ?」

「ですからワタシは、本来の結末で得られる恐怖とは別の……ワタシだけの恐怖を味わう為に《先生》の未完結な話を、あえて未完結のままにしているのです」


 闇夜から説明されて「そういう楽しみ方もあるのか」と思ってしまった。

 でも、俺はちゃんとした結末を知りたい。

 こんな中途半端は、はっきりいって嫌いだ。

 とてもムズムズする、ムカムカしてくる……まずいな、煙草でも吸うか?


「夏生、物語の完結を求めますか?」


 闇夜は、まるで悪巧みを囁くかのようなトーンで言った。


「知りたいけれど……無理なんだろ? だから妄想で補えと」

「無理ではありませんよ。ちょうど今日、彼が現れましたから」

「彼? ……ってことは、先生ってわけじゃないよな。濁す必要ないもんな。

 ……え? タツヤ? あの記者が、どう関係してくるんだよ?」


 先生の話をする前に、記者の男に話をしろと言っていた。

 いまいち関連性がわからず首をひねる。


「夏生が完結を知りたいのなら、そうしてみて下さい。

 もしかしたら完結を知る事が出来るかもしれません」

「もしかしたらって……」

「絶対の保証は出来ないということです」


 闇夜は安楽椅子に腰かけ、足を組みながら言った。

 その白い仮面の裏……何を考えているのかさっぱり読み取れない。

 ただわかるのは闇夜は、物語の完結を求めるつもりはないようだ。

 《未完結の話》を、そのまま大切にするという。

 俺は、闇夜の判断に心底がっかりしながらソファから立ち上がった。


「お帰りですか、夏生」

「ああ」


 恐怖を得るどころか、最近で一番沈み切った気持ちで家を出た。

 恨めしい気持ちで、闇夜がいる家を見つめる。

 あのうさんくさい記者から闇夜について訊ねられた時、知らぬ存ぜぬを通したにも関わらず、闇夜は怖い話を聞きたいという俺の期待を裏切った。


 いつもは、きちんと完結されている話をしてくれていたのに。

 帰り道にある地下喫茶店≪illusion≫に寄る気力もなく、俺は駅まで向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る