第三章 物語の完結を求めたこと

闇夜を取材にきた男

 駅から目的地へ向かう道すがら、片方だけの子供の靴を見つけた。

 パステルピンクに七色のラメ、子供に大人気の魔法少女キャラクターの絵が入った、小さな靴。色とデザインから女の子の靴なのは一目瞭然だった。


 どうして片方だけ、道の真ん中に落ちているのだろう?

 どうして通行人達は、絶対に見えているはずなのに素通りしているのだろう?


 転がっている靴が可哀想になって、俺は拾い上げた。

 さて、交番に持って行こう。

 いや、でも……もし落とした女の子、または保護者が靴を探しに来て、確かに落ちているであろう靴が道に無かったら……交番に届いているかもと考えないで諦めてしまったら……どうしよう? 俺の脳裏に、勝手にイメージで作り上げた靴の持ち主の女の子が、泣いているのが鮮明に浮かんだ。

 この靴のデザインや大きさから考えて、小学校に入ったばかりの女の子に違いない。自分の歩いてきた道を辿って来て、靴がなかったら悲しむことだろう。


 あーあ。靴を手に取ってしまったばかりに、色々思い悩むこの時間が嫌だ。


 でも、知ってしまったのだから。あの哀れな片方の靴を見て、無関心を装って通り過ぎるなんて……俺には出来ない。


 とりあえず落ちている場所近くに……通行人の邪魔にならない場所に置こう。

 子供の靴を、街路を彩る花壇の上に置く。ふと、通行人の女性と目が合った。

 別に、俺は悪いことなんかしてない。ただ落ちていた靴を置き直しただけ。

 なのに、どうして気まずさを覚えなければならないんだ?

 どう見ても社会人の男が、子供用の、しかも女の子の靴片方持っているから?

 落し物を見ても拾わずに無視するのが、この世界の常識なのかよ。


 この前だって……風船を誤って放してしまい、木に引っかけてしまって途方に暮れている男の子がいたから、わざわざ木に登って風船を取ってあげて手渡したところを、その子の母親に見つかって何か怒られたし。

 そりゃ、物騒な世の中だから、神経質になるのもわかるけどさ?

 なんだかなぁ……見知らぬの人の言動を頭から疑うのって、どうなんだ?


 他の通行人達を避けるように、早足で先を進んだ。

 人の姿が少なくなって……活気が薄れていって……静かな郊外に着いた。

 静かな、というか誰もいないから生活音が全くない、寂しい場所だった。

 聞こえるのは風の音と鳥の鳴き声。

 それと閉じたシャッターがガタガタいう音だけ。

 此処は《宵月よいづき通り》忘れ去られた廃れた商店街。


 時が止まっているかのような、まるで別世界のような錯覚を来る度、思う。


 数年前まで知らなかった場所。

 大学二年の時の、とあるきっかけがなければ一生、来なかった場所。知ってからは通い続けて……大学を卒業して、社会人になった今もこうして習慣的に訪ねている。


 こんなところまで、わざわざ足を運んでいる理由。

 改めて理由を思い出すと、思わず苦笑してしまった。


「怖い話が聞きたくて……か」



 俺は、自他共に認めるオカルトマニア。

 

 ……そんな事を自覚していたのは、社会に出る前の話だ。

 会社に勤めてからは真夜中までホラーサイトを閲覧したり、心霊スポット巡りをしたり……そんな事はしなくなった。

 しても今の自分には、何のプラスにもならないからだ。


 今でも、怖い話は好きだ。でも、むやみやたらに探そうとしなくなった。

 だって入社してから毎日……優しくも厳しい先輩から仕事の仕方を教わって、早く一人前に出来るように覚えるべきことを頭に入れる事で精一杯だ。

 家に帰れば、もうぐったり。学生時代の勉強とは、わけが違う。

 テスト前に暗記すればOKOKじゃないんだ。


 これは仕事だ。お給料貰うんだ。仕事が出来なければ、容赦なくクビになる。

 それに俺のミスは、一緒に働く人の迷惑になる。

 教えて貰った事を完璧に覚えて、迷惑かけないようにしないといけない。


 人付き合いだって大変だ。色んな世代の人がいるんだ。

 今のところ仲良くしている同期は、二浪して職を転々とした五つ年上の人。

 俺の指導係になっている先輩は、なんと十四歳も歳が離れている。

 上司なんて俺の父親よりも年上だ。だから一緒にお酒を飲んでも、何を話していいんだかわかりゃしない。この前なんか、俺が使っている敬語の間違いが気になるって「お疲れ様」と「ご苦労様」の違いをくどくど説明された。


 そんなこんなで毎日、疲労感いっぱいで帰宅するんだ。

 怖い話の事なんか、平日は見事に頭が吹っ飛んでる。


 でも、俺は此処に来る事をやめられなかった。

 ホラーサイトや心霊スポットで得られる恐怖なんて、たかが知れてる。

 レベルの低い恐怖で、満足しなくなっただけ。

 より良質な物しか求めなくなっただけ。


 此処は――――俺の期待を裏切らない。


 だから、貴重な休日に俺は通勤で使う電車とは違う路線の電車に乗り、数駅を経て郊外にある《宵月通り》まで足を運ぶ。数年も通い続ければ、身体は自然と道のりを覚える。電車でうたた寝しても自然と目的の駅で目が覚める。


 毎週末、来ることは無理になったけれど、今でも月に一、二回は必ず来る。

 この通りの先にある廃屋と見間違えるほどボロボロな家。


 ……そこにいる怪談蒐集家である語り部と会う為に。


 会いに行く怪談蒐集家の名前は、闇夜あんやという。

 素顔を隠す白い仮面を常に装着しており、姿体格を隠す黒いフードつきマントを羽織っている。年齢も、性別も不明。

 プライベートについては、ほとんどが謎だ。

 幾度となく対面して話をしているのに、全く素性が掴めない。

 闇夜が、絶対の意志を持って自分の話をしないようにしているようだった。

 俺もプライベートについて知りたいと思いつつも、訊ねはしなかった。

 下手に素性を訊いてしまうと、語る者と聞く者の関係が崩れる気がしている。


 俺が望んでいるのは、闇夜が語る怖い話。身を震わせる絶対の恐怖。

 怖い話が以後、永遠に聞けなくなるのは嫌だ。絶対に、嫌だ。

 俺が、俺であるように思える時間。恐怖を感じている時に同時に感じる悦楽。

 身体の奥から湧き上がるのは、生きている実感。

 社会人になっても、これだけはやめることなど出来ない。


 もはや俺は、オカルトの熱狂者マニアではなくて……恐怖の中毒者アディクトなのだから。



 もうボロい事が当たり前になっている、闇夜の住んでいる家。

 ……台風で屋根が飛ばされてもおかしくない家の前に、男がいた。

 思わず、二度見をしてしまった。

 闇夜の元に俺以外の来客が来ることは、別におかしくはない。

 闇夜は、オカルトマニアの間では有名な存在だからだ。

 闇夜の住所は、随分前にネットに流出している。


「――――頼む! 頼むよ、闇夜! 話をしてくれ!」


 男がドアを叩きながら叫んでいた。思わずビクッとしてしまった。


「知っているんだろ!? 闇夜は、最後の話を知ってるんだろ!?」


 多分、ドア越しに応えている闇夜の声は聞こえなかった。

 しばらく男はドアを叩いて、必死に懇願していたが……ついには諦めたように後ずさった。

 そして振り返った男と、つい立ち止まって見ていた俺は目が合ってしまった。

 俺は、咄嗟に隠れる場所を探した。そんなものは何処にも無かった。


 仕方なく俺は、今来たばかりですよ感を出しながら挨拶をした。


「こんにちは」

「えっ? あっ……」


 俺が驚いたのと同じくらい、男も驚いていた。


「……あ、あの……あなたも闇夜に会いに来た? いや、来たんですよね?

 こんなところまで来る人は、それしか目的ないですよね!?」


 男は俺に迫ってきて、一気に言葉をぶつけてきた。


「そ、そうですけれど」


 勢いに呑まれて俺は何度も頷いた。

 男は、俺の反応を見て表情を明るくさせると、更に近づいてきた。


「僕は、アルケミ出版社のアルファーロと申します」

「はいぃ?」


 男の名乗りを聞いて思わず変な声が出た。

 思いっきり日本人顔の男に、あまりにそぐわなかったからだ。


「あ、やっぱり驚きます? 義理の父がスペイン人なんですよ。

 ……僕は、この姓を気に入っているんですよね。

 自己紹介の際に、相手に強烈な印象を植え付けられるじゃないですか」


 確かにそうだ。日本人は、カタカナの名前に慣れてない。

 俺も、アルファーロという名前は既に脳裏に深く刻み込まれてしまった。


「実は、こちらにお住まいの闇夜について、お話を伺いたいのですが」


 スペイン人の姓を名乗る男は、さらりと本題を述べた。


「闇夜……」

「御存知でしょう? 今しがた、闇夜に会いに来たとおっしゃいましたよね?」

「はい。でも此処に来たのは初めてなんです」


 俺の口は、咄嗟によどみなく嘘を述べた。


「初めて? 此処に来たのは、初めて?」

「はい。だから闇夜について訊かれても困ります」


 男は、一気に不愉快そうに眉をしかめた。

 俺は、心拍数が速くなっていくのを悟られないようにした。

 嘘を吐いてしまったのだから、もう覆せない。

 大丈夫。この男には、俺が常連である事は見破れないはず。


「――――それは、どうも。引き留めてしまって、申し訳ありません」


 男は食い下がることなく、すんなりと俺を解放してくれた。

 ほっとして、俺は頭を下げながら闇夜の待つ家へ向かおうとした。

 その俺の顔の前に、名刺が突き出された。

 

 《アルケミ出版社 フリーライター

  タツヤ・アルファーロ【Tathuya‐Alfaro】

  Tel 080‐××××‐××××

  E-mail ×××××@××××××××××××.co.jp》


「闇夜に会った後、気が向いたら連絡下さい。いつでも待ってますので。

 闇夜と対面した時の体験談を、お聞かせ頂けると嬉しいです」

「…………どうして闇夜の事を取材するんですか?」

「こちらで手掛けているオカルト情報誌ファクティス、ご存知ですか?」


 コンビニで格安で売っている雑誌だ。五百円で買えるだけの安っぽい刺激しか掲載されてない、しかも記事の間にアダルト広告が挟んである三流雑誌。

 一度立ち読みして、すぐに本棚に戻した。五百円の価値もない代物だった。


 ……そう素直に告げるわけにもいかないので誤魔化した。


「いいえ、すみませんが知りません」

「多くのオカルトマニアが心酔している、謎の怪談蒐集家・闇夜について取材した記事をファクティスの来月号に掲載しようと思いまして」


 あんな三流雑誌に、闇夜の事を載せる!? 冗談じゃない!

 咄嗟とはいえ嘘を吐いた自分を讃えたい。

 俺は、名刺を受取った後……男に振り返って言った。


「闇夜は、怖い話を聞かせる者を選んで相手をする――――だから、俺が会える保証なんて、どこにもないですけれど?」

「そうですね。僕も帰れって言われてしまいましたし。

 でも……闇夜について詳しいんですね?」

「あ、闇夜について考察したサイトになら、どこにでも載っている事ですよ」


 むしろ取材をしようと思っているはずなら、少しは下調べしとけってんだ!

 闇夜が望むのは、怖い話を語りに来る者。恐怖を求めて来る者。

 取材しようとやって来る記者なんか、酔っぱらっていても相手にするもんか!


「あの、もう良いですか?」


 これ以上相手にしていたら、不愉快が爆発してしまいそうだった。


「どうぞどうぞ。あっ、気が向いたらご連絡下さい。お待ちしてますので」


 誰が連絡するかボケ。心の中で毒吐きなががら、家のドア前まで来た。

 ノックしようとして……振り返る。記者の男はじっとこちらを見ていた。


 向こう行け。お前がいたら、闇夜が相手してくれないかもしれないだろ!


 俺は睨んでいたのかもしれない……男は大袈裟に肩を竦めると、踵を返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る