逸話 第弐『アリスさん』
人形少女
えーっと、どこまで話したっけ?
……いや、もういいって! けっこう飲んだし!
「お待たせ致しました。ご注文伺います」
あぁー……。じゃあ、カシスオレンジおかわり、お願いします!
――――だからぁ、何の話だったっけ?
もうわかんなくなったから、別の話題にしよ!
私、こう見えても聖童学園の卒業生なのよ。見えない? うっさい!
こう見えても小等部から、エスカレーターに乗って高等部まで……ホントよ?
この前、同窓会だって行ったんだから!
え? 闇夜――――……うん、知ってるよ。同じクラスだったから。
そうか、君も闇夜を知ってるのね。
今更だけれどさ、闇夜と関わらない方が良いよ?
私の同級生……闇夜の同級生でもあるんだけど、一人失踪しちゃったから。
えっ……何で知ってんの!? ……あぁ、闇夜から聞いたから。
闇夜は未だに、周囲で起こる怖い話を集めているのね。
全然変わってないなぁ。
闇夜は、いつも一人でいて、オカルト関係の本ばっか読んでた。
だからクラスの大半は関わろうとしなかったな。
私は……まあ、なりゆきっていうか。
席替えで闇夜と隣同士になっちゃって……向こうは挨拶をしてくるから、毎日挨拶交わしていれば普通に仲良くなるでしょ? 闇夜は、取っ付き辛そうに見えるけれどクラスの中で一番大人びていたし、常識的で物腰も穏やかだったな。
それでいつからか、闇夜が怖い話をしてくれるようになったのよね。
ん? 闇夜の本名? えー忘れちゃったぁ……いやホントに!
闇夜は、最初の自己紹介の時に『闇夜と呼んで下さい』って言って、それから私も他のクラスメイトも、闇夜って呼んでいたから……本名で呼んでいたのは教師くらいで……もう十数年経つと記憶も曖昧よ。
ただ、闇夜が話してくれた怖い話は、何故かしっかりと覚えているのよね。
聞きたい? 聞きたいって顔してる(笑) いいよ、話してあげる。
う~ん……あっ、どうせだから一番最初に話して貰った怖い話にしようかな。
――――ワタシの幼馴染の話をしましょうか。名前は、
お向かいに住んでいて、家族ぐるみで付き合っていました。
週末は、お互いの家に遊びに行って室内で遊んでいたのです。
清良は、人形遊びが好きでした。よくお気に入りのフランス人形 《アリス》を同席させて、不思議の国のお茶会の真似事をしていました。
《アリス》は、清良が五歳の誕生日に買って貰った年代物のフランス人形で華美なロココ調のドレスに身を包んで、小さい顔には美しく、
あんまりじっと見ていると、大きく澄んだガラスの瞳に吸い込まれそうなほど魅力溢れる人形でした。
「さあ……お茶会をするわよ、アリス。今日もお行儀よくしなさいね?」
清良は、大人のようにてきぱきと茶会を仕切っていました。
《アリス》を清良は妹のように可愛がり、よく話し掛けていました。
「闇夜、そこのティーポットを取って下さる? ……ありがとう。
この菓子を召し上がれ? 頬っぺたが落ちるほど、とっても美味しいのよ」
繊細に編み込まれたレースを床に広げ、お小遣いを出し合って買った、二リットルのペットボトルのミルクティーと大袋のチョコレート菓子でしたけれど……ワタシも清良も、心から楽しんでいました。
しかし童話と違って、時間は思い通りになってはくれませんでした。
お茶会は、いつも清良が習い事へ行かなければいけなくなって終わりました。
清良は幼稚園に入る年齢の頃から、ピアノ・バレエ・英会話・華道や茶道など……母親の言いつけて数多くの習い事をしていました。
遊びの誘いを毎回断る所為で、清良にはワタシしか友達がいませんでした。
あの日は久し振りに遊べると思っていたのに、清良が習い事が無い日だと勘違いをしていて、清良の母親が迎えに来てしまいました。
ピアノ教室に遅刻すると金切り声を上げている、ヒステリックな母親に強く手を引かれて、泣きそうな顔で帰って行く清良に手を振る事しか出来ませんでした。
慌てて帰ってしまったので清良は、《アリス》を置いて行ってしまいました。
《アリス》は明日、届けようと思いました。習い事は夜まで続いたからです。
その日の夜……清良から電話がありました。
そして置いていった
清良の母親は、未だに人形遊びをしている事を快く思っておらず、清良に黙って《アリス》を処分しようとしたことがあり、それから《アリス》は見つからないように隠していた。しかし今日、母親が直接迎えに来てしまったので仕方なく《アリス》は置いていかざるおえなかった……そう、泣きながら話す清良の声をワタシは胸が締め付けられる思いで聞いていました。
結局、清良が《アリス》を引き取りに来たのは、二週間後の事でした。
「今日は、本当に習い事がお休みの日なの」
心からの喜びを、はちきれんばかりの笑顔に変えて、清良はやって来ました。
清良が遊びに来ると知ってから、紅茶と洋菓子を用意して待っていました。
「さあ……お茶会よ、アリス。こちらにお座りなさい」
清良は、いつものようにお茶会を仕切り始めました。
ワタシも、いつもの定位置に座り、紅茶を紙コップに人数分注ぎました。
「アリス? お座りしましょうね」
ワタシが顔を上げると、清良は《アリス》に向き合っていました。
「きちんとお座りなさい。出来るでしょう?
駄目でしょ、アリス。このままではお行儀悪いわ」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、清良は優しく語りかけていました。
不意に催してしまったワタシは、一言断りを入れてから部屋を出ました。
すぐに戻るつもりでしたが、母がワタシを呼んでしまったので部屋に戻るのが遅くなりました。母からの差し入れ、紅茶に合う美味しいケーキをお盆に乗せてゆっくりと階段を上がりました。
必然的に足音を立てないように、慎重に階段を上がりました。
部屋の前まで来て、ドアが閉まっている事に気づいて、両手がふさがっているので中にいる清良に声を掛けようとした時でした。
「アリス! いい加減にしなさい! 正座をしなさい! 足を、曲げなさい!」
清良の怒鳴り声が聞こえて、ワタシの声は喉の奥で押し殺されました。
驚きと同時に、得体のしれない感情によって、悪寒が走りました。
《アリス》は人形なのに、まるで生きているような扱いを……いつものごっことは違うのは一瞬でわかりました。
清良の口調が、まるで出来の悪い娘に対して、怒っているような。
ワタシは、お盆を床にゆっくり下ろすと、ドアを音を立てないように細心の注意を払って少しだけ開けました。部屋の中の光景を一目見ただけで小さな好奇心でドアを開けた事を心底、後悔を覚えました。
「足を曲げなさい、アリス! 曲げなさい! 曲げろ! 曲げろ! 曲げろ!」
フランス人形に向き直っている清良の表情が、目を逸らしたくなるほど歪んでいました。人の手助けがあったとしても、《アリス》の関節のない脚は曲げる事など出来ません。激昂する清良に対して美しいフランス人形は微笑んだまま、身動き一つしませんでした。
痺れを切らした清良が、怒り任せに《アリス》を鷲掴みにして、ひらひらのドレスを捲り上げて脚を掴んで力を込めました。
そして、あっと言う間もなく、その細い脚は嫌な音を立てて折れました。
「ああぁ……」
やってしまった後、清良は一瞬泣きそうな顔になりました。
だが、すぐに無表情になると。
「アリスが……アリスがぁ……悪い子だから! 悪い子! 悪い子!
悪い子だからお仕置きなのよ、お仕置き!
アリスの為だから……アリスの、アリスの、アリスの……」
ぶつぶつと低く聞き取りにくい声で呟きながら、まるで何かに取り憑かれているかのように清良は折った人形の足を粉々に砕きました。
ワタシは、それ以上見ていられず、咄嗟にドアを閉めてから足元に置いたお盆を拾い上げて声を掛けました。
「清良! ただいま戻りました。
両手がふさがっているので、ドアを開けてくれませんか?」
先程見たのは、悪い夢なのだ。あれは清良ではない。
清良は……純粋無垢で大人しくて優しい少女、なのだから。
そう信じて待っていたら、ドアを開けてくれたのは、ワタシの知っている幼馴染でした。清良は、ケーキを見るやいなや明るい歓声を上げて、喜びを素直に表に出していたので、ワタシは不自然に座り込んでいる《アリス》を見ないようにして、お茶会を再開させました。
「――――あっ、そうそう。二ヶ月後、ピアノの発表会があるの」
ケーキを食べながら、清良は嬉しそうに言いました。
「へえ。何の曲を弾くのですか?」
「ショパンの子犬のワルツ。
それでね、発表会に着る衣装は、アリスとお揃いのドレスなのよ!」
その言葉に、思わず《アリス》を見てしまいました。
足を折られても、変わらない笑顔を浮かべるフランス人形。
《アリス》の澄んだガラスの瞳と目が合ってしまい、その瞳の奥で何かが蠢いているような錯覚を覚えて怖くなりました。
清良は、その後も激情に駆られた言動など片鱗も窺わせず、ごく普通に振る舞いました。ワタシは、何も見てないと自分に言い聞かせ、彼女に付き合いました。
その日の夜……夕食を食べている時、家のチャイムが鳴りました。
母親が応対に出て行くと、しばらくしてから怪訝な顔で戻って来ました。
「清良ちゃんの忘れ物かしら?」
母の右手には《アリス》がありました。
それを見てワタシは、ぞくりとしました。清良は《アリス》の足が折れている事をワタシに必死に隠していましたからうっかり忘れてしまわないように、ずっと手元に置いていました。
そして帰る時、清良は両腕でしっかりと抱きしめて持って帰ったのを見ていたからです。家に届けると、清良の母親に見つかってしまうので、仕方なくその日はワタシの部屋に置きました。人形の目を窓の外に向けて、寝床に就きました。
翌朝目が覚めると、《アリス》と目が合ってしまい、ワタシは叫んでしまいました。自分の記憶を疑えばいいのか、それとも《アリス》を疑えばいいのか。
ワタシは《アリス》を、すぐに学校で清良に手渡しました。
人形を見た清良は、とても気が動転としていましたが、彼女を気遣うほどワタシも余裕がありませんでした。
しかし、それから《アリス》は、ワタシの家の前へ来るようになりました。
返しても返しても、やって来る《アリス》を、ワタシだけではなく家族も不気味に思い始めました。
《アリス》はワタシの家に来る度に、どんどん傷ついていきました。
華麗なドレスが破け、細い腕が取れかかり、美しい髪の毛が一部引き抜かれ、美しい顔が歪になり……清良による《アリス》への暴行が酷くなりました。
でも、ワタシは《アリス》を彼女に返し続けることしか出来ませんでした。
「……もう嫌っ!!」
何度目かになる《アリス》の入った紙袋を手渡した時、とうとう清良の堪忍袋の緒が切れました。ワタシの目の前で《アリス》を乱暴に引き出し、冷たく固い床に叩きつけたのです。
「どうして!? どうして、いなくなっちゃうの!?
闇夜が取って行っているの!?」
まさかのワタシの所為にされて、ワタシも頭にかっと血が上りました。
「……清良が乱暴に扱っているからでしょう?」
「えっ!?」
「《アリス》が傷ついているのは、清良の所為でしょう?
だから《アリス》は嫌になってワタシの家に来ているのではないですか?」
ワタシの追及に、清良はわかりやすく狼狽しました。
そしてろくに答えもせず、逃げてしまいました。
ワタシは片目だけになってしまった《アリス》を拾い上げて、語り掛けました。
「《アリス》……ワタシのところに来ても、何の解決にもなりませんよ。
ワタシは引き取るつもりはありません。人形の類は、昔から苦手なのです。
貴女が自由に動けず、物も言えない人形であるばかりに……残念なことです」
清良は、もう引き取るつもりはないようだったので仕方なく……人形供養が出来る場所へ送る事を決めました。
しかしその日の夜、《アリス》は姿を消してしまいました。
そして――――それからすぐに、あの出来事が起きてしまいました。
あれは三連休明けの火曜日。
ワタシが教室で、日直の仕事をしている時でした。
黒板を隅々まで綺麗にすることに全力を尽くしていたら、不意にざわついていた教室がシンと静まり返ったのを不審に思い、振り返りました。
クラスメート達の視線が、教室のドアの方に釘つけになっていたので、ワタシは何の警戒もなくドアを見ました。
そして絶句して、持っていた黒板消しを落としてしまいました。
花のカチューシャ、フリルとリボンで飾りつけられた派手なドレス、靴下や靴まで全てが色鮮やかなパステルピンクで統一されていました。
とんでもない恰好を当たり前のようにしているのは――――清良でした。
まさか寝ぼけて間違えたわけがないし、間違えようがないほど校則で着用が定められている濃紺の制服とは、真逆の姿でした。
だから皆、言葉を失くしてしまいました。
かくいうワタシも、声を取り戻すのにはしばらくの時間を要しました。
「き、清良……その恰好は、一体……?」
「ン? ウフフッ、おはよぉ!」
清良は、ニッコリと微笑むとドレスの裾を両手でつまみ上げて、恭しくお辞儀をしました。そこへ教師達がやって来て、清良にどうしてこんな恰好をしているのか詰問しました。清良はキョトンとしていましたが、怒られていると知ると泣き出して。
「おこらないで。おこらないで。アリスはわるい子じゃないのに!」
《アリス》――――その言葉に、ワタシだけが反応しました。
華美なドレス姿は、まるで生きているフランス人形のようで……。
ひたすら泣き続ける清良に困り果てた大人達は、清良の親を呼び出しました。
いきなり学校に呼び出されて、清良の母親は誰が見ても不機嫌そうでした。
しかし清良の姿を見て、誰よりもショックを受けていました。
やってきた母親を見て清良は、しゃくりあげながらも叫びました。
「清良キライ! キライ! 大キライ!! アリスをいじめるもん!
ぶったり、なげたり、ふんだりするもん! 清良いじめるママもキライ!
ママがいじめると、清良はアリスをいじめる! だから大大大キライ!!」
支離滅裂な言動に、いつものように叱りつけることも出来ませんでした。
それから清良は長期休学になり、ある日ひっそりと転校しました。
多大なストレスでおかしくなってしまった清良は、心療内科に通いました。
《アリス》に一時なったのは、溜め込んでいたストレスの爆発……そう主治医も彼女の両親も結論付けたようですが……ワタシは違うと思います。
けれども、誰にも違うと言えません。
あれは、清良の一家が引っ越す直前の事でした。
ワタシの両親が、清良の両親と話をしている時……ワタシは清良を探しました。
清良は家の近くにある、ゴミ捨て場の前で佇んでいました。
「――――あ、闇夜だ。なぁに?」
「もうすぐお別れですね」
「そうだね。今まで一緒に遊んでくれて、ありがと」
「こちらこそ……またお茶会をしましょうね」
「うん!」
「……そのフランス人形、捨ててしまうのですか?」
「うん。もう、ボロボロになっちゃったからね。闇夜にあげようと思ったけれど人形は嫌いなんだよね? それに、こんなボロボロを貰っても嬉しくないよね」
そう言って清良は、花のカチューシャを直して笑いました。
晴れやかな笑顔で、何度も別れの言葉を繰り返す清良を見送ってから、ワタシは彼女が捨てた人形を見ました。今にも叫び出しそうな、驚愕と恐怖で硬直した顔。
黒々と輝く両目から溢れる透明な液体。まるで涙のようにみえました。
「人形の類は苦手なのです。これは《アリス》には話しました。
清良には、話していないはずなのですが……。
どうして彼女は知っていたのでしょうかね?」
ワタシは独り言を呟きながら、その場を後にしました。
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