真実と狂気と罰

 深刻な問題が根本的から何も解決しない現実逃避は、何時までも続けられるものではない……ワタシは必然的、強制的に話をする羽目になりました。

 ざわつく胸の中の整理も出来ず、目の前で無邪気に微笑む美華から目を逸らしたい衝動を抑えつけて、ワタシは言葉を紡ぎました。


「美華。今日は何故、あの公園に来たのですか?」


 訊くまでもない問いでしたが、ワタシはとある確認の為に口に出しました。


「えへへ……私、公園って昔っから好きなんだよね。

 高校生にもなって、ブランコが好きって変かなぁ? でも、ブランコに乗って揺れていると、時間が経つのを忘れられるっていうか……」


 美華の答えを聞き、ワタシは自分の中の疑念が確信へと変わりました。


「――――やはりそうでしたか」

「……何が?」

「それでは、どうしてワタシが、あの公園に来たのか、わかりますか?」

「それは……暇潰し?(笑)」

「いいえ。あの公園で会おうと待ち合わせをしたのです」

「え? 誰と? 待ち合わせって、私の家にいていいの!?」

「もちろんですよ、だって美華とお会いしたくて約束したのですから」

「……いきなり何の話?」

「ですから、あの公園に向かったのは、美華と会う為だと」

「…………嫌だ。ちょっと、何を話しているの、闇夜?」


 美華は、先程と打って変わってぎこちない笑みを浮かべました。

 もうここまで話してしまったワタシは、真っ直ぐ美華を見据えました。


「ワタシは美華の携帯に電話をしました」

「いつ?」

「つい一時間前ですよ、美華」

「えっ……知らない」

「それでは、美華の携帯電話の通話履歴を見てみて下さい。

 ワタシが掛けた電話の記録が残っているはずです」

「……し、知らない! 私、知らないよ!? 身に覚えがないよ!?」

「そうでしょうね……そうだと思いました」

「ねえ、闇夜!? さっきから何の話をしているの!?

 全然わかんないよ、闇夜!」


 美華は困惑と僅かな怯えに、表情を歪めていました。


「一時間前に電話で話した〝彼女〟は、明らかに美華とは別人でした。

 一人称が『私』から『アタシ』になり、話し方が『くだけた口調』から『ですます口調』になり……それは確かな違和感でした。

 でも〝彼女〟は、ワタシの事を知っていました。

 ルナが経営する《illusion》を知っていました。いえ、店を知っていたどころか〝彼女〟は、ルナお手製のケーキを食べた事もあるそうです。

 美華が教えたのですか? 連れて行ったのですか?

 そうでなければ……あの喫茶店へ向かう事など不可能ですから」


 息継ぎをしつつ様子を伺うと……美華は小さく首を横に振っていました。


「知らない、知らない……私じゃない、私じゃない……」

「美華の携帯に出て、ワタシと約束を交わした〝彼女〟について目星はついています――――理愛でしょう?」

「り、理愛? 何で? どうして理愛が!?」

「だって理愛しかいませんよ。美華が幼い時からずっと一緒にいる互いにかけがえのない、第二の家族といってもいい存在である」


 ワタシは、涙を流す美華と目を合わせて、しっかりと告げました。


「美華のいう親友〝理愛〟は、美華の中にいる別人格ですね?」


 その真実に瞳を見開いた美華は俯き、肩を震わせました。

 あまりに痛々しい姿が見ていられず、ワタシは美華に手を伸ばしました。


「……大丈夫ですか?」


 ワタシが右肩に手を置くと同時に、美華は顔を上げました。

 その顔を見た瞬間、全身に鳥肌が立ちました。


 彼女は――――笑っていました。

 光を失った瞳を見開き、声を押し殺して笑っていました。

 それは、まるで……鬼女のように。


 ワタシと目が合うと、彼女はゆっくりと笑顔を消していきました。


「フ~ン? やっぱり、闇夜も……美華を悲しませるんですねぇ?」


 怒りで震えた低い声。


「せっかく……嫌な奴は全員消したのに……消したと思ったのに!」

「――――貴女は、理愛ですね?」

「どうしてですか? どうして美華を悲しませるんですか?

 どうして美華を苦しませるんですか?

 美華は何にも悪い事してないのに、どうして!?」


 理愛に、ワタシの声は聞こえてないようでした。


「美華は闇夜の事が好きなのに、好きなのに、本当に好きなのに!

 闇夜は悲しませないって、苦しませないって、信じようと思ったのに!

 結局同じだった! アイツらと同じだった! 美華を悲しませて、苦しませて……

ねえ、どうしてですか? どうしてですか? どうしてですか? どうしてですか?

 どうしてですか? どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてえぇええええええええええ!?」


 ワタシが思わず立ち上がったのと、理愛が掴みかかって来たのが同時でした。

 凄まじい形相になった理愛は、片手で木製の椅子を頭上高く持ち上げ、細い両腕のどこにそんな力があるのか、理愛は軽々と椅子を投げつけてきました。

 かわした椅子は、窓ガラスに直撃しました。


「許さない許さない許さない許さない……ぜったいに……ゆるさない」


 憤怒と憎悪の人格は呪いの言葉を吐きながら、物を投げつけてきました。


「止めて下さい! 理愛! こんな事は……美華が望んでいません!」

「うるさいっ!」


 隣の家まで聞こえるような怒声を張り上げ、理愛は大きなガラス製の灰皿を投げて、当たった壁が陥没し、灰皿は床に落ちて砕け散りました。


「うるさいうるさいうるさい! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっ!」


 吐き出される声は、まるで投げナイフのようにワタシを苛みました。

 喚き続ける理愛は、もはや人の言葉を話していなかった。逆上を通り越して錯乱していた。言葉にならない呻きや叫びが、家中に響き渡りました。


 ワタシは説得するのを諦め、何とか彼女の猛攻をかわして、家から脱出しようと思いました。迫って来る理愛をかわしながら、玄関へ続く廊下へ行こうとしますが、理愛はそれを巧みに邪魔してきました。


 この家の大騒ぎを聞いて、近所の人が様子を見に来るか、警察に通報してくれないかとも思いました。

 けれどもそれは、あまりにも他力本願で叶う見込みはない可能性でした。


「――――あぁっぐ!!」


 唐突に、右足の裏から電流のような激痛が脊髄を通って、全身を責めました。

 見ると右足から血が流れ、床に血だまりを作っていました。

 逃げている最中、先程砕けたガラスの灰皿の破片を踏んでしまったようでした。

 その場に膝をついてしまい、しかも痛みで思考は停止し、頭は痺れたようにボゥとしていました。


 まるで跪くような形になったワタシの前に、理愛は厳かに、ゆっくりと近づいてきました。ワタシが顔を上げると、理愛は口角を上げました。

 怒り心頭に発した状態で浮かべた笑顔は……あまりにも醜悪で、恐ろしくて、人が浮かべていい表情ではありませんでした。

 理愛は歪に微笑んだまま、右手を振り上げました。

 その手には、インテリアとして飾られた電気スタンドがありました。


 理愛は躊躇いもなく、それをワタシに向かって振り下ろしました。

 ガンッ! 脳天から全身に駆け巡る激痛。

 それは一瞬で、ワタシの意識を失わせました。





 気が付いたら、ワタシは闇の中にいました。


 絶対なる闇……ワタシは経験した事がありませんでした。

 意識を失う直前の事を思い出し、ワタシは逃げ出そうとしましたが身体が動きませんでした。体勢からして椅子に座らされているようで、そのまま拘束されているようでした。


 一応脱出を試みましたが、ガタゴトと椅子が揺れるだけでした。


「――――何っ」


 背後で、悲鳴混じりの声が聞こえました。

 椅子を揺らした音に驚いたようでした。


「もうやめて! もう許して! 助けて! やめて! やめて!

 やめてぇっ! やめてよ! もう殺さないで! 殺さないで!

 もう血とか悲鳴とか嫌だぁ! もう嫌だぁ! 嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌……!」


 声はどんどん大きくなりましたが、漆黒の闇は揺らぎもしませんでした。

 叫び、喚き、そして疲れたのか、急速に声が小さくなっていきました。

 ワタシは、初めて聞く声でしたが……誰なのか直感的に悟りました。


「小百合ですか? 神林、小百合?」

「ひっ……誰!? 誰なの!?」

「ワタシは闇夜と申します」

「闇夜っ? ――――あ……」


 やはり声の主は、行方不明になった聖イノセント女学園の生徒でした。

 ワタシは、ゆっくりと呼吸を繰り返しました。ここで落ち着かなければ、此処から彼女を連れて脱出することが出来なくなるからです。呼吸をした時、生臭い嫌な腐臭を感じ、ワタシは生理的な嫌悪感で身体が強張りました。


 一体、何の臭いなのか……闇の中には、見えてないだけでどんな物があるのか……最悪な代物しか思い浮かばない自分の頭を呪いました。


「た、助けて! 助けて下さい!」


 ワタシを部外者と理解した小百合は、必死に懇願してきました。


「申し訳ありませんが……どうやら椅子に拘束されているらしく、それは出来ません……小百合、理愛に誘拐されたのですね?」

「り、え? ………………」


「水無瀬 美華の身体に宿る、交代人格です。

 美華は解離性同一障害……いわゆる二重人格者です」

「そんな……キレただけなのかと思って……」


「突発的な感情の爆発で、一連の失踪事件が引き起こせるとは思えません。

 理愛は美華に生じた負の感情をすべて引き受けた、いわば憤怒と憎悪の人格です。善悪の基準は、当然ないでしょう。

 しかし……敵を排除する為の行動力と思い切りが人一倍あります。

 一番手っ取り早く排除する為ならば、命を奪うという選択を何の躊躇いもなく行うはずです。先程、小百合は『殺さないで!』と言っていましたね?

 他に拉致された三人のお友達は、どうしました? 何処にいますか?

 彼女達は……生きているのですか!?」


「――――死んだ。私の、目の前で、あいつに殺されたの……!」


 美華じゃなくて、理愛が殺したのだ。


「あいつが、大きな懐中電灯と大きな包丁を持って来て、他にいたみんなを殺した!

 一番最初は、レイカだった。

 泣いているレイカの髪の毛を鷲掴みにして、殺さないでって言ってるのに、包丁を色んなところに突き刺して、切り裂いて、刺して、刺して、刺して、刺してぇ!!

 私に見えるように!! ぐさぐさぐさぐさぐさぐさぐささ刺してぇっ!

 それでね!? 最後は首を切り裂いて血たくさん出て、ぅぁああ……ぐぶっろ」


 絶叫を締めくくったのは嘔吐だった。


「小百合! 思い出す必要はありません!」


「それにね、チアキもアイナもね!?

 おんなじようにさされてきられてさかれてばらにされてぇ!

 からだはぜんぶすてられちゃった。

 のこったのあたまだけなの。…………くすくすくすくす。

 ふふふふふふふふふふふふふははははははははははははははははっ!

 そばにおいてくれたんだよ? わたしのそばにみっつ。

 おかげでさみしくないの。まっくらのなかでもだいじょうぶなんだよ?

 うふふふふふ、ふふふふふふふふふふふふふふ……」


 小百合の精神は崩壊した。いや、とっくに前に壊れていたのでしょう。

 友人達の死を目の当たりにさせられて、闇の中に骸ともに閉じ込められて……彼女を中心に行ったいじめの報復として、充分すぎるほどの罰を与えられて……それでも許されることはない。理愛は、絶対に許さない。


 たとえ、その手で殺めたとしても……彼女は許しはしない。絶対に。


 理愛も、きっと狂っているのだ。

 彼女を残忍な鬼にしたのは、美華を苦しませた奴らか?

 それとも……無意識の内に辛い事全てを押し付けた、美華なのか?


 これから更に、逃れられない現実が目の前で展開される。

 目を逸らす事も許されない。これは、罰なのだから。

 関わってはいけないものに関わってしまった……罰なのだから。


 小百合の変調な笑い声に混じって、足音が近づいてきました。

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