揺れ動く心

 ワタシは、美華が電話に出るのを待ち続けていました。


『お掛けになった電話番号は、電波が届かない場所にあるか電源が入っておりません』


「……出ませんね。これで五回目です」


 ワタシの言葉にルナは呼吸することを思い出して、大きく息を吐きました。


「――――美華、来ないですね」


 ワタシの失言で、ルナは目を伏せました。土曜、日曜と二日続けて〝illusion〟にいましたが、美華は一度も来ませんでした。

 ルナは、休日に美華が来ないのは初めてだと言いました。


「……申し訳ありません。今日は、もう帰りますね」


 気まずい雰囲気に耐え切れず、ワタシは席を立ちました。


「ありがとうございました。またお越し下さい」


 寂しそうなルナの声に、胸が掻き毟られました。


「さようなら……」


 店の外に出るとカラスの啼き声が頭上を飛び交い、気落ちしているワタシにはまるで嘲笑われているように感じました。


「……カラスか」


 吉兆を示す鳥か、それとも死を運ぶ厄鳥……なのか。


 ワタシの目の前を漆黒の羽根がゆっくりと落ちてきました。

 それを見事にキャッチする。黒々と輝く、綺麗な羽根……。

 カラスの羽根を見てワタシは、あの怪現象の後に残された黒髪を思い出しました。長い黒髪……女性らしい美しい黒髪……。


 ワタシの名前を知って、ワタシに助けを求めた……何か。


「美華……」


 今時、珍しい腰まで伸ばした美しい黒髪を持つ十六歳の少女。

 笑みを浮かべているのに、何故か憂いを感じる不思議な表情をする少女。


 美華は、今どこで何をしているのだろう?


 そう考えたワタシは、自分自身に驚きました。

 どうして、美華の事を考えているのだろう?

 ワタシと美華が会った回数など両手で充分事足りるというのに……どうして?

 考えれば考えるほど、美華の笑顔が鮮明に甦り、ワタシは苦しくなりました。


 ――――自宅近くの道へ差しかかっても、苦しみは消えませんでした。

 ついに足が止まり、深く息を吐きました。


 ザッ……。ワンテンポ遅れて耳に届いた、紛れもない地面を蹴った音。

 ワタシは振り返りました。


「さ、咲……!」


 中学二年生の少女が両手を胸の前で組んで、途方に暮れた表情で立ち尽くしていました。


「あんや……闇夜……っ!」


 ワタシと顔を合わせた瞬間、咲の両目から大粒の涙が零れました。

 とにかく、泣きじゃくる彼女を家の中まで通しました。


「咲、一人でここまで来たのですか?」


 既に聖イノセント女学園の生徒は、三人も失踪してしまっている。

 たった一人でワタシの家まで来るのは不用心だと思いました。


「ううん……知り合いの、刑事さんに、車で送ってもらった……」

「ああ、それならいいのですが。今日はわざわざ、どうしたのです?」


「……あのね、闇夜」

「はい」


「また、消えたんだよ」

「……一週間前でしたか。三人目が消えたのは」


「違うよ、闇夜。四人目」


 咲は、ポケットティッシュを取り出して鼻をかむと、少し大きめの声で失踪者の名前を告げた。


「神林 小百合さん……あたしの目の前で、消えてしまったの」

「咲が敬愛している先輩まで、いなくなってしまったのですか。

 目の前で? 一体、どういう事なのですか?」


 咲は、悲しみと恐怖に顔を強張らせながらも、事の顛末を話してくれました。

 いじめの告白で美華の名前が出た時、ワタシは出来るだけ反応が表に出ないようにしました。


「神林先輩が失踪した事を知っているのは、あたしと先輩の家族、それに警察と闇夜だけ。容疑者が未成年者で……それに誘拐だから報道はされない」

「その、部屋にやって来た少女は」


「知らない……多分、高等部だと思う」

「『美華を苦しめる奴は――――アタシが絶対に許さない』

 そう言ったのですよね?」


「うん……」

「――――まさか、理愛が?」


「リエって誰?」

「あっ、いえ……」


 ワタシは美華の事も、理愛の事も、話すつもりはありませんでした。

 話してはいけない気がしたのです。


「とにもかくにも警察に話したのなら、もう咲に出来ることはありません。

 犯人である少女に顔を見られているのですから、無暗に外出せず家にいて下さい」


「闇夜、何か知っているの?」

「いいえ」


 咲は疑わしそうにじっと見つめてきましたが、ワタシは絶対に話すつもりはありませんでした。


「……何か知っているんだったら、一緒に警察に来て話して!

 早くしないと、先輩が殺されちゃうの!」

「話せません、咲。ワタシは何も知りませんから」

「………………」


 咲は、今にも胸倉を掴んできそうに身を乗り出していましたが、大きく溜息を吐くとソファから立ち上がり、黙って家から出て行きました。


 ワタシは一人になった後、すぐに携帯を取り出して美華に電話を掛けました。

 六度目の電話。繋がる事を願いながら、携帯を操作しました。


《――――もしもし?》


 囁くような、女性の声が唐突に聞こえました。


「美華! 闇夜です」

《えっ? ……あぁ、闇夜。どうしたんですかぁ?》


 彼女の……どこか気だるそうな声音に違和感を覚えつつも、せっかく電話が繋がったので、ワタシは早口で用件を述べました。


「美華、あの……これから会えませんか?」

《これから? ずいぶん急ですね?》


 彼女は驚きを隠しませんでした。


「そうです。これから、今すぐ、会って話したい事があるのです」


 無理矢理でも会うつもりでした。

 話をしたい……というよりも会って、顔を見たいと思いました。


《……いいですよ。それじゃ、あの喫茶店で会います?

 アタシ、あそこのケーキ久し振りに食べたくなっちゃって……フフフッ》

「いえ。美華と初めて出会った公園で会いましょう」


 咄嗟に彼女の提案を一蹴しまい、しまったと一瞬思いましたが……ルナの前で出来る話ではないので仕方がありませんでした。


《んっ……と、わかりました。それじゃあそこで》


 異議を唱えることもなく、彼女は素直に頷きました。

 お気に入りの安楽椅子から立ち上がりながら通話を終え、携帯を懐にしまいながら玄関扉へ向かいました。




 その日の夕焼けは、いつもより毒々しい赤い陽光で……ワタシは異様に伸びた自分自身の影が自分のものとは思えないほど不気味に思いました。

 美華は初めての出会いを忠実に再現したように、儚く寂しげにブランコを漕いでいました。


「お待たせしました……美華」


 美華は、ワタシの顔を見上げました。

 その瞳は涙と奥から湧く光で輝き、綺麗でした。


「闇夜……来てくれたんだね?」


 美華は、心から安心したように微笑みました。


「ずっと会いたかったんだけれど……最近、身体の調子が良くなくて、お店の方も行けなくて……とっても寂しかった」

「無理に呼び出してしまって、申し訳ありませんでした」


 ワタシの言葉に、美華は小首を傾げました。


「……ねえ、闇夜。私の家に来ない?」

「はい?」

「もうすぐ暗くなるし……外よりも、落ち着いて話せると思うな。

 両親二人ともいないから、大丈夫! それに、美味しい紅茶もあるよ!」


 美華は、いつもの笑顔を浮かべるとブランコから降りました。


「……わかりました、伺わせて頂きます」


 ワタシは美華の案内で、彼女の住む家まで向かいました。

 平均的なマイホームより一回り大きい、立派なお宅でした。聖イノセント女学園は私立学校ですから……それなりの家柄の娘さんが集まります。

 美華の家も中級と上級の中間辺りの、経済的に恵まれた家庭のようでした。


 良く片付けられているお洒落なリビングで待っていると、美華が明るく笑いながら紅茶の入った陶器のポットとカップを持ってきました。


「えっと、これはぁ……ええと」

「ダージリンでしょう? 相当高価な物ですね」

「えへへ。デパートで探したんだ」


 ワタシが大好きな紅茶の香りと味を堪能している時、美華はワタシの顔を眺めていました。


「どうしましたか?」

「うん?」


「ワタシの顔を、じっと見つめていますから」

「うっ!? うぅん……紅茶、気に入るかなぁって」


「ええ。とても美味しいですよ」

「そ、そうだよね! あのね、それをデパートに買いに行った時の事なんだけれどね売り場のお姉さんが紅茶のこと一から十まで丁寧に教えてくれたんだよ!

 それに色んな紅茶も試飲させて貰ったんだよ!」



 ワタシは美華との会話を続けて、気付いてしまった事がありました。


 それは、言わなくてはいけない真実。

 そして、ワタシが言わなければ、この平穏は永遠に続くでしょう。


 例え仮初でも、ワタシは静かに暮したいのに……それを、自らの手でぶち壊さなければならないなんて……ワタシは改めて神を憎みました。

 人は、都合よく神を存在させたり、否定したりします。

 ワタシは、その場限りの非道で冷酷な神を心から憎悪しました。


「闇夜? ……ねえ、闇夜っ?」

「あ、はい」

「……私の話、聞いてた?」

「別の事を考えていて、聞き流していました」

「そ、そんなに素直に白状しなくってもいいじゃん! もうっ!」


 美華はわざとらしく頬を膨らませて、そっぽを向きました。


「美華……」

「フンだ! 闇夜なんか知らないっ」

「美華……」

「優しく呼んだって、許さないんだから!」


 ワタシは、耐えられなくなって両手で顔を覆いました。

 冷たい仮面の感触が伝わり、心に冷気に当てられた時のような痛みが走りました。


 あぁ、どうしてこんなことに? 嫌だ、この真実だけは話したくない。

 これは、真実がもたらす絶望を渇望していたワタシへの天罰か?

 大勢の人に恐怖しか与えないワタシが、喜びなど知ってはいけないと。


 罪深いワタシに関わった者は、例外なく不幸になる……。


「――――闇夜?」


 いつの間にか、美華がワタシの顔を覗き込んでいました。


「……ごめん。子供みたいに不貞腐れちゃって」

「美華は……悪くありません。ワタシの……せいなのです」


 ワタシは、話す決心がつくまで、平穏を壊す覚悟が出来るまで、深呼吸を繰り返しました。







 ――――終わった……美華を苦しめる者は、これでもういない。

 あとは、美華に沢山の優しさを与えるだけ。

 今までに傷ついた心が、完全に直るほどの優しさを。

 それはアタシが……ううん。アタシだけじゃない。もう一人。

 美華が求めている人――――闇夜。

 白い仮面に黒いフードを着た、性別不明、年齢不明の変な人。

 だけど、悪い人ではない。

 変わっているけれど、美華が認めているなら、アタシも受け入れよう。

 アタシは美華の〝親友〟なんだから。

 ――――でも。

 もし、闇夜が美華を悲しませるような事をしたら。

 その時は、アイツらと同じく〝消して〟しまおう……。

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