長電話

 アプリの話をしていたら、携帯から手が離せなくなってしまった。

 よく使用するアプリ順に並んだ小さなアイコンを、次々に開いていく。

 ゲームの中には、インストールしたのを忘れていたアプリもあった。


「しかし、携帯電話も随分と変わりましたね」


 闇夜が感慨深そうに言った。


「電話以外にゲームが出来るとは思いませんでした」

「あたし達が大人になる事には、もっと進化してるんじゃない?」


 あたしの言葉に闇夜は小さく首を横に振って、溜息を吐いた。


「嫌なの?」

「いいえ。便利になるのなら歓迎です。今では、テレビ電話も気軽に出来るようですね。電話にまつわる怪談があるのですが……聞きたいですか?」


 あたしが頷くと闇夜は話し始めた。





 羽深うぶか 世那子せなこは新居を見渡して笑みを零した。

 中学生の頃から思い描いていた、念願の一人暮らしデビューを果たしたのだ。

 世那子の両親は、嫁入り前の娘が実家を出るなんて危険だ……と難色を示していたが、必死に説得して何とか許しを得た。色々と決まりを突きつけられたが、親の目から離れてしまえばこっちのものだ。


 昨日、独立記念を祝って早速、友達を呼んでささやかなパーティーをした。


 半日使って引越しの荷物は片付けた。

 好きに配置した部屋のインテリアは気に入っている。

 やって来た友達も可愛いと称賛してくれた。


 これから自由な生活が始まるのだ。


 ベッドに仰向けになり、天井を見ながらニコニコしていた世那子は部屋の固定電話の呼び出し音でスクッと立ち上がって腕を伸ばし、子機を取った。


「もしもし?」

「あ……」


 相手の女性は『あ』と言ったきり黙ってしまった。


「もしもし?」

「えっと……もしもし、あの……世那子さん、ですか? 羽深 世那子さん?」


 声がうわずっている。世那子は顔をしかめた。


「はい……どちらさまですか?」

草葉くさば 、です」


 聞き覚えがない。


「あの……」

「草葉京子きょうこです」

「えっと……」

「草原の草に、葉っぱの葉に、京都の京に、子供の子です……」


 詳細に漢字の説明をされても、ピンとこない。


「もしかして、私の事、忘れているんですか?」


 的を得た言葉に世那子は口を閉ざした。咄嗟に否定の言葉も出なかった。

 ぐすぐすと耳障りの泣き声が、子機から鼓膜を震わす。

 うんざりして電話を切ろうと思った。


「……ごめんなさ」

「明桜中学校、一年と二年ともA組でしたね。担任は、志賀しが 眞弓子まゆこ先生」


 言葉を遮って言われた言葉は、間違いなかった。


「私達、同じクラスでした。隣の席でした。思い出せましたか?」

「……あ」


 脳裏に過った、おさげ髪の少女。黒縁の眼鏡を掛けた少女。


「思い出した」

「あぁ、よかった! いきなり電話してごめんなさい!」


 草葉 京子は明るい声になった。


「びっくりした! そうなら、そうと言ってよ!」


 世那子も安堵した。

 そして中学時代の同級生からの電話は、大いに盛り上がった。

 当時の思い出話に花が咲く。


「覚えているかな? よく、放課後に残って一緒に遊んだよね!

 あの時はオカルトブームで……トイレの花子さんとか、口裂け女とか……。

 そうそう! コックリさんとかも、私の机の上でやったよね!」


 饒舌じょうぜつになった京子はスラスラと当時の記憶を話し出す。


「色々覚えてるね、京子ちゃんは。中学の頃の事なんて、もう……」


 世那子はベッドに腰掛けた。長電話する時は、このスタイルだ。


「仕方ない、もう大学生だもの。白蘭女子大学に行っているんだっけ?」

「そうだよ。大学へ徒歩十五分で行ける場所に部屋を借りて。

 親を説得するの、大変だったんだからぁ!」

「マンション? アパート?」

「三階建てのアパート。改装されたばっかりだから、それなりに綺麗なんだ」

「……遊びに行っても良いかな?」

「もちろんいいよ!」

「どうもありがとう」


 世那子の脳裏に浮かぶのは、京子の中学時代の顔。思えば、卒業してからまともに連絡なんか取ったことなどない。本当に久し振りの電話だった。

 でも話せば、まるで当時に戻ったかのように楽しく話せる。中学生の時も長電話をして、母親に怒られた事もあったな……思い出して世那子は笑った。


 今は一人だ。だから気兼ねなく、いくらでも話す事が出来る。


「ねえ」「あのさ」


 二人の声が被ってしまった。

 あまりに綺麗にハモってしまったので、笑い合う。


「ごめんごめん、先いいよ」

「こっちこそごめんなさい。世那子ちゃんからでいいよ」

「あははは、何だか楽しくなってきちゃって!」

「どうして?」

「だってめちゃくちゃ久し振りなんだもん!」

「そうだね……ねえ、話している内に思い出してきたんじゃない?」

「うん?」

「中学生の時の記憶。私の事、うろ覚えみたいだったから」

「あははは、そうだねー。でも大丈夫! もう思い出したし」



「――――本当に思い出しているのぉ?」


 酷く冷淡な声だった。


「え」

「まだ忘れてるよねぇ?」

「いや、あの……何を?」

「何をぉ?」


 嘲笑う声。


「だから中学生の時の話だよ」


 声音がガラリと変わった事に、世那子は呆然していた。


「仕方ないな。じゃあ詳しく話してあげるから良く聞く事……いい?」


 別人のように京子は無機質な口調で、まるで教科書を朗読するかのように話し始め

た。


「六年前……席替えによって草葉 京子は羽深 世那子と隣同士になった。

 二人は最初は、とても仲良くしていた。明るい世那子は、京子にとって憧れの存在。でも近付くにつれて、彼女の明るさの正体を知った。

 世那子の明るさは、他人の犠牲によって創り出されたものだと」

「何を……」


「黙れ!! 昔の悪行を見事に忘れ去っていたお前は、黙って私の話を一言一句たりとも聞き漏らさないよう気をつけていればいいんだ!!」


 お前呼ばわりされて、罵声を浴びせられたショックのあまり閉口する世那子。


「羽深 世那子は一見すれば性格が明るく、友人が多くて、問題ない生徒だった。

 担任は気付かなかったが、クラスに在籍するほとんどの同級生は知っていた。

 世那子は、クラスの支配者だ。

 一人の犠牲者に極悪非道な振舞いを平気で行う悪魔だ。選ばれた犠牲者は世那子と友人になり、身も心もスタボロにされる!


 私は、一人で本を読む事が好きで、自他共に認める人畜無害だったから何にも知らなかった。世那子と隣同士になってから……私の平穏は失われた!

 私の小さな失敗を周囲に言いふらして、私がどうしようもなく無能で屑で無価値な存在であると言い続けて、変えようが無い容姿や両親をさんざん貶して侮辱して扱き下ろして!! 私が苦しみ泣いているのを見て、皆と笑い合っていたねぇ?


 今でも鮮明に覚えているよ。忘れたくても忘れられないの!

 私がトイレに行くと、トイレの花子さん呼ばわりしてトイレに閉じ込めた。

 花粉症でマスクをしていると、口裂け女呼ばわりして暴力を振るった。

 放課後には私の机でコックリさんをやって……私を幽霊扱いして皆で袋叩き。


 思い出した? ねえ思い出した? ねえ楽しかった? 楽しかったのぉ?


 そう、今だからわかる。あれはイジメだ。それも最も劣悪な陰湿なイジメだ。

 でもねえ~、当時はそう思わなかったのぉ! どうしてだかわかる!?

 ずっとずっとずっとずぅぅうううっと攻撃され続けて、身を守ることすら疲労するくらいに痛めつけられた私は、降伏することが最善手だと思っていたんだ。


 でもねえ~、それでも世那子は止めなかった。あぁ、止めなかった。

 私が学校から消えるまでイジメは止めなかった!!

 だって、楽しかったんだもんねぇ? それだけ楽しかったって事だよね?

 だからあ! 当然、覚えているだろうと思って、電話をしてみたの!


 でも、席替えしてから半年間は、たぁっぷり楽しんだはずなのに……。

 世那子ちゃん、私のこと忘れてた。

 忘れてたでしょ? 電話するまで綺麗に忘れていたんでしょ?

 ねえそうでしょ? どう? どう? 思い出した? 思い出したよね?

 これだけ話したんだから思い出したよね? 覚えが無いなんて言わせないよ?


 もしそう言ったら許さない。許さない許さない許さない絶対に、許さない!!


 まあ、言わなくっても許さないんだけれどね! ねえぇええ!?

 私がいなくなってから、何事もなかったかのように普通に学校に行って進学して、もうすぐ大学生かぁ。いいな。いいなぁあああ! 一人暮らしとかぁあああああ!

 大学通ってぇえ、彼氏とかも作ったりしてええええ、就職? 結婚?

 幸せな人生を送るんでしょおぉおおおお!? 私は送れなかったのにぃいいいい!


 ねええぇえ!? まあだおもいだせないのぉおお!? 

 わわわたしがじゅう、よぉんさいでっ、しんだのおおおおおおおもいだせよはやくしろよおまえがころしたんだろうがころじたごろしだわだじをころしたあああああああ、あああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 世那子は子機を叩き戻して、慌ててテレビの電源を入れた。



 音量を少し大きくした。

 バラエティー番組の喧しい音が部屋に充満してから、世那子は深呼吸をした。


 先ほどの電話は……多分、イタズラ電話だ。そうだ。性質の悪いイタズラ。

 死者からの電話だなんて馬鹿馬鹿しい。

 電話が鳴った。世那子はビクつきながら、恐る恐る手を伸ばした。


 彼女からだったら即刻切ればいい。


「も、もしもし?」

「世那子?」


 母親からだった。世那子はホッと息を吐いた。


「さっきから何度も電話をかけていたのに話し中だったから。

 あんまり長電話しないこと! 緊急な連絡があったらどうするの!」

「ご、ごめんなさい……それで何の用ですか?」

「キミヨ叔母さんから沢山の苺を貰ったの。それでそっちにおく……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 世那子は思わず子機を放り投げてしまった。

 子機から途切れることなく続く声は……先ほどの京子の声だ。

 必死になって通話を切ってから、電話線を引き抜いた。

 部屋の電気とテレビを点けっぱなしにして、毛布を頭から被った。

 呼び出し音が響いた。鳴る筈の無い電話が、早く応対しろと急き立てる。

 世那子は部屋を飛び出し、友人の部屋に向かった。

 そして電話機を置いたまま逃げるように実家に戻った。


 それからも電話に対しての恐怖は消えず、精神科に通い続けている。





 あたしは手に持った携帯をごく自然な仕草で、鞄の中に戻した。


「あの世からの電話ね……ベターだけれど一番、怖いやつね」

「彼女からの電話の恐怖は、いつになったら終わるのでしょうね。

 罪に気付いた時か。はたまた贖罪をした時か……それとも許されないのか。

 まあ、電話以外でも連絡手段はありますから」

「あたしはあんまり電話とかしないから、出来なくても困んないかなぁ」

「通話以外にも、便利な連絡方法が携帯電話には搭載されてますからね。

 ではもし、携帯電話が使えなくなってしまったら、どうしますか?」

「そ、それはすんごい困る! 使えなくなるとか有り得ない!

 遊びに行く時は充電器を必ず常備して、もちろん充電マックスにして……」

「咲……携帯電話に取り憑かれてませんか?」

「そんな事ないよ!」


 気付いたら、片手に携帯を握って操作していた。

 鞄にしまっても五分と手放せない携帯電話。

 これくらい普通だよ。別に悪いことじゃないでしょ。


 あたしは闇夜から目を逸らした。

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