チャプター2

 ノリノリのJポップがガンガン掛かっている、若い世代に人気の喫茶店。

 学生にも良心的に安いケーキとお茶が楽しめる。


「ごめんね、三春ちゃん。お兄ちゃんに訊いてみたんだけどさぁ。

 非番の日、用事があるんだって――――」

「う……大丈夫です」


 三春は、ケーキセットを前にそわそわしていた。


「あの……美麗さんに、訊きたいことがあって」

「あたしに?」


 三春は頷いて、例の茶封筒を差し出した。

 美麗は武骨な茶封筒に一瞬、顔を強張らせた。


「それ……何?」

「美麗さんが送ったのかな……と思ったんですけれど」

「知らない!」


 美麗は、大きく首を横に振った。


「そ、そうですよね……いいんです。何でもないです」


 七夏が生前、手紙のやり取りをしていたのは美麗くらいのようだった。

 でもそれだけで送り主を美麗と仮定するのは、率直過ぎただろうか。

 本当に知らなさそうだし、三春はおずおずと茶封筒をしまい込んだ。


「それ……中身は、何だったの?」


 美麗は、怖い物を見る様な顔で訊ねて来た。

 三春は打ち明けようかどうしようか迷ったが、全てを話す必要はないと判断した。


「お姉ちゃん宛てに届いた、怪文書です。物騒な事を書いてあって」


 掻い摘んで話すと美麗は嫌な想像をしたのか、眉間に皺を寄せた。


「単なる、性質の悪いイタズラだと思います」


 三春は何でもないと今更ながら言った。でも美麗の表情は晴れない。


「でも……普通の郵便物じゃないでしょ」

「え?」

「いや、だって……切手とか消印とか無いから」


 怖いくらい真顔になった三春に、美麗はしどろもどろになりながら言った。

 三春は茶封筒を取り出して、じっと見た。

 今見ると、とてもあらかさまなのに何故、気付けなかったのだろう?

 切手も消印もないのに家に届いたという事は……直接、自宅のポストに投函したという事。それか直接、七夏に手渡しされたという事。

 もし自宅のポストに入っていたのなら……朝の新聞は母親が取るから見つかる。

 差し出し人の名前もない不審な物を見つけて騒がないはずがない。

 この茶封筒の事は七夏以外、家族は誰も知らなかった。

 だとしたならば残るもう一つの方法で、七夏に届けられたということだ。

 こんな怪文書、七夏は鼻にも掛けず捨てるだろう。でも大事にとってあった。


 一体、渡した相手は何者だろうか?


「あのさ、三春ちゃん」

「はい?」

「ごめん、これから予定があって」

「あ、はい。すみません、お時間を取らせてしまって」


 美麗は、可愛らしい白いフリルブラウスにピンク色のフレアスカートという装い。どうやら、これからデートらしい。

 大人びた装飾品を見つめながら、三春は微笑んだ。

 必要最低限の物しか入らなさそうな、小さなバックを抱えて、立ち上がった美麗は何度か口籠ってから言葉を口にした。


「お兄ちゃんは多分……七夏ちゃんの事、調べて無いと思う。

 だって七夏ちゃんは、交通事故って事になっているから」

「それじゃ、お姉ちゃんを轢き殺した相手は? それも調べて無い?」

「うぅ……それは――――」

「ご、ごめんなさい、わざわざ教えてくれたのに。

 私……最近、嫌な想像ばかりするみたいで……」


 単なる考え過ぎなんだと三春は必死に自分に言い聞かせた。


「それじゃあ、またね三春ちゃん!」

「また今度……」



 浩太は、何度も腕時計を見ていた。今日は美麗と久し振りのデートだった。

 授業を不規則にサボりがちな浩太と違って……見かけはギャルのように派手なものの、意外と真面目に通学している美麗とは生活リズムが合わず、今まで互いに望んでいたデートが出来なかったのだ。

 実に久し振りである二人きりの時間に気持ちが浮き立っているのか、浩太は約束の時間の三十分前には集合場所にいた。そわそわと落ち着きなく、時計を何度も確認しては時計の長針の進みが、やけに遅いような気がして地団太を踏んでいた。


「お待たせ!」


 約束の五分前、美麗がやって来た。

 随分前から待っていた事を知っているかのように、やけに上機嫌な様子だった。


「待ってねえよ!」


 一瞬だけ満面に笑みを浮かべた浩太だったが、すぐに仏頂面に戻った。


「さ、行こ!」


 スカートをなびかせながら、浩太の左腕を取って歩き出す美麗。

 天真爛漫な恋人に振り回されるのが楽しみだった浩太は、まんざらでもなさそうな顔になって腕を引かれるまま……足を進めた。

 大好きな人と並んで歩くだけなのに、いつもの街並みが別世界のように輝いて見える。飽きるほど見慣れているはずの店まで、新鮮なものに見える。いつもは素通りする小物の店だって美麗が、紹介すると中を覗いてみたくなる。

 小指の爪の大きさの誕生石アクセサリー買って、と浩太におねだりしてみた。

 買って貰ったら嬉しくて一生大事にしようと思った。


「これ家宝にするね!」

「はあ?」


 浩太は美麗があまりにも喜ぶので、笑いを堪え切れなくなった。

 美麗は、いつになく上機嫌だった。それは浩太にとって嬉しいことだった。

 浩太は美麗が、三春と出会っていた事は知らなかった。

 だから彼女の上機嫌が……実は自身を誤魔化す為にわざと振る舞っているものだとは気付かなかった。

 せっかくのデートだから気分を切り替えようと思ってはいた。

 けれども、さっきから三春と出会って話した出来事ばかり思い出す。


 三春が見せた茶封筒――――実は、全く心当たりがないわけではなかった。


 何故なら、昨日……美麗の自宅のポストに入っていたのだから。

 中にはA4サイズの紙が2枚入っていて、自分の名前が書かれていて。



 高城 美麗、憎むべき人。心根が腐っている人。

 愛らしい顔を醜く歪ませて、口汚くワタシを罵った人。

 連中の中で一番、口が悪い人で……ワタシを一番、傷つけた人。

 ワタシを、たくさん馬鹿にして見下してこき下ろして。

 ……忘れたくても忘れられない最悪な言葉の数々。

 それと名前で呼ばず、物のように『あれ』とか『これ』と呼んでいた。

 だから、ワタシの名前は覚えていないに違いない。

 そしてワタシにした仕打ちも一欠片も記憶になく、幸せに生きてるだろう。

 許せない。絶対に許せない。死ね、高城 美麗。二度と話せない様にしてやる。

 もう誰も傷つけないように、永遠の沈黙を与えてやる。



 送り主は、覚えていないと書いてあったが……心当たりがあった。

 この文章が何を意味するのかも……そして、送り主についても。


 確かに、忘れてはいた。思い出したのは、この手紙(?)を見たからだ。

 罪の意識に苛まれる事もなく、ずっと過ごしていたのは事実だ。

 しかし何故今更? この≪ワタシ≫をいじめたのは、もう9年前の話だ。

 しかも、こんな回りくどい読み物まで寄こして……論理的に、あるがままの事実を書いてある告発文というより、恨み辛み心情を書き殴った日記。

 なにより……美麗が怖かったのは、七夏の元にも届いたという事。

 だとしたなら、あと届くかもしれない人は二人。浩太と真司。

 四人で、毎日の日課のように行っていた過去の過ち。七夏が引っ越したと同時にいじめられっ子も消えて、いじめはやめざるおえなかった。

 今になれば、どうしていじめていたのだろう?

 そもそも誰がいじめようなんて言ったんだっけ?


「――――美麗?」


 浩太の声に我に返った。


「な、何?」

「俺の話、聞いてなかったのかよ」

「ご、ごめんね。ちょっと考え事してて」


 気付いたら駅前から随分と離れていた。

 ずっと建設工事の囲いが取れないビルが見えてきた。


「だから真司がぁ、情けねえんだよ!

 C組の可愛川えのかわって女子がいるだろ?

 どうも真司はソイツの事が好きみたいなんだけどよ、行動しないんだよ!

 俺がコクれって言ってんのに、今度にするばっか繰り返して」

「宇都木君は、優柔不断だからねえ」


 浩太と真司は幼馴染だった。

 傍からは不良とパシリと思われているみたいだが、二人は仲が良い。

 多少、強引だが……浩太は真司の恋路を真剣に応援しているのだった。


「もし宇都木君に恋人が出来たら、ダブルデートしようね!」

「それって何年後の話だよ?」

「あー、ヒドイんだぁ! 宇都木君の事、モテない君みたいに言ってるぅ!」

「そうは言ってねえだろ!」


 その時、強風が吹いた。美麗は咄嗟にスカートを押さえていた。


「あっ!」


 浩太は目に砂が入ったのか、目を擦っている。

 風に煽られて、フラフラと美麗は一歩前に出た。

 それは一瞬の事だった。浩太のすぐ傍にいた美麗が宙に浮いた。

 ポツポツ、と雫が浩太の頬に付着した。雨かと思って拭った。

 雨にしては……生臭かった。浩太は拭って右手の甲を見ると……。


「ひぃ!?」


 右手の甲は真っ赤に染まっていた。血だ。


「ひいぃいいいいぃっ!!」


 ドサリッ。重い物が落ちた音の発生源の方へ自然と視線を向けた。


「あぁ、あああああああああぁ!?」


 ソレを見た瞬間、浩太は叫ぶ事しか出来なかった。

 美麗は、鮮血を噴水のように撒き散らして地面に倒れていた。

 彼女の喉に食い込んだのは、クレーンの先端の鉤だった。

 鋭い鉤によって喉がパックリ割れて、漏れるのは声ではなく掠れた呼吸音だけ。

 断末魔の叫びを上げることも叶わず、てるてる坊主のようにブラブラと宙を飛んだ後……固い地面に落とされた。地面に落とされた衝撃で、美麗は絶命した。


「あああああぁあああぁぁあぁぁぁ!!」


 浩太は叫びながら、恋人の死体から目を離さないでいた。

 両手の爪をこめかみに突き立てて、頭を激しく首を横に振って叫び続けていた。

 誰かが呼んだのか、救急車とパトカーがやって来た。

 救急車に乗せられそうになって、浩太は抵抗した。美麗から離れたくなかった。

 救急隊の男性数名に押さえつけられてから、ブツリと意識が途切れた。


 三春は、美麗と別れてから数十分後……喫茶店を出た。美味しいケーキを食べても大好きなカプチーノを飲んでも、気分は晴れなかった。何かを見つけたと思ったのに結局、無駄になってしまった。

 やっぱり、この茶封筒は単なる怪文書で……お姉ちゃんの死とは無関係?


「……はぁ」


 あの日までは……死という言葉は、縁遠いものだと思っていた。

 周囲には言葉の意味もわからないのか、軽々しく「死ね」と言う輩がいるけれど

……三春にとって死という物は身近なものでは無かった。

 テレビの向こうで起きる殺人事件とか、遠方の親せきの人が亡くなったとか、自分や家族の死なんかは、もっともっと先の事だと思っていた。

 七夏が死んでからは、世界中が喪に服してしまったように色彩がなくなり……暗い暗い世界になってしまった。口を出るのは、溜息ばかり。


 ……姉の死の事ばかり、考えていたからだろうか?


 いつの間にか、三春は七夏の死んだ現場の横断歩道まで来ていた。

 死体があった場所とは思えないくらい、人々や車が普通に行き交っている。

 三春は、自分が世界に置き去りにされたかのような孤独感と心細さを感じた。


「――――失礼」


 後ろからの声に、三春はとっさに動いた。

 背後から黒い影が迫って来たので三春は後ずさった。

 影じゃなくて人だった。明らかに場違いで奇抜で風変わりな格好の人物。

 黒いフードつきのマントを着た、白い仮面を被った人は、横断歩道の前にある七夏の為に置かれた献花の箇所に白い花を置いた。


「真野 三春ですね?」


 おかしな格好の人は唐突に名前を呼んだ。三春は、反射的に返事をしていた。


「はい」

「初めまして、闇夜と申します」

「あ、闇夜……!?」

「お姉さんの事、心よりお悔やみを申し上げます」


 咲が言っていた怪談蒐集家が目の前にいる事を夢のように思っていた。


「お姉ちゃんから私の事を聞いた……のですか?」

「はい。七夏が写真を見せてくれました」


 三春は急に周囲の人々が気になった。闇夜は、とても丁寧な口調で言っている事も至極まともで会話が成立しそうだから、会話をするのは構わない。

 でも、その格好は人目を引く。よくその格好で外に出られたものだ。


「それでは、またお会いしましょう」


 三春が呼び止める前に、闇夜は踵を返してしまった。

 花を現場に置いて、妹に話したら終わりか。

 三春は、去っていく闇夜の背中を見つめた。


 ………………あれ? どうして?

 闇夜は、ここでお姉ちゃんが亡くなった事を知っていたんだ?

 それで、今日ここに私が来る事も知っていたんだ!?


 三春は震えた自身の身体を、両手で抱きしめた。

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