チャプター1

 真野 七夏の葬儀から二週間経った、ある日。

 真野家に、三人の来訪者があった。

 学校を休んでいる三春は、床に伏している母親の代わりに出た。


「いらっしゃいませ……」

「こんにちは、覚えているかな?」


 脱色した長髪を派手な髪留めで飾っている、そんなに年が離れていない少女。


「……すみません」


 あとの同行者の少年達にも目を向けたが、三人とも記憶になかった。


「まあ、仕方ないっか! あたしは高城たかじょう 美麗みれい

 あたし達は七夏ちゃんと一時、同じ小学校で友達だったの。

 あたしと七夏ちゃんは、大切なペンフレンドだったんだ」


 父の転勤で七夏は、この地元の小学校を途中で転校している。

 三春も、幼稚園の友達と離れる悲しさで引越しを嫌がった記憶がある。

 数年経って……七夏が高校入学、三春が中学入学を境に地元へ戻ってきた。


「あ……そうだったんですか? ごめんなさい」

「いいよ。覚えてなくて当然だよ。

 だってまだ、こ~んなにちっちゃかったんだもん」


 美麗は腰の辺りで右手を振った。


「どうぞ、中へ」

「――――お母さんは?」

「寝込んでいます……」

「じゃあ、お焼香だけしようかな。居座ったら御迷惑だよね」


 美麗はそういうと、靴を揃えて礼儀正しく家に入った。

 他の少年二人も同じく靴を揃える。一見すれば金のメッシュ入りの性質の悪い不良少年まで靴を揃えているのが、微笑ましかった。


「初めまして……と言っておきますね。僕は、宇都木うつぎ 真司しんじといいます」


 痩せた小柄の少年が、律儀に自己紹介してきた。


「真野 三春です。今日は……お姉ちゃんの為に、ありがとうございます」

「あ……はい」


 思わず揃って沈黙してしまったので、真司は慌てて、言葉を紡いだ。


「えっと、えっと! あの、こちらは屋代やしろ 浩太こうた

「あ?」


 先程の不良少年っぽいが目を細めた。


「いや、あの……一応、名乗った方が」

「何で勝手にやってんだよ、あぁ?」

「う、うぅん……ごめん」

「マジうぜえ」


 一人が睨み、もう一人は畏縮して……その間に入って来たのは美麗だった。


「何よ、浩太! その嫌そうな顔は!」

「えっ!? あぁ、いや……」


 浩太はハッとした顔をして、おろおろする。


「嫌じゃねえよ、ただ真司が」

「今日は、七夏ちゃんの為に来たんだからね! わかってんの?」

「わ、わわ、わかった。わかったからぁ!」


 美麗に一喝されて、浩太は素直に何度も頷いた。



 三人の焼香が終わり、三春が出したお茶を飲んで一息吐く。


「……これから、色々話があるんだけれども」


 美麗が言う。話とは当然、七夏のこと。


「あの、お姉ちゃんの事……どうやって知ったのですか?」

「あたしのお兄ちゃんから伝わったの」

「お兄さんから?」

「刑事なんだ。七夏ちゃんの現場に、たまたま仕事で行って……それで」

「現場に……」


 ……途方も無い悲しみに上塗りされて、三春は最初に感じた不信感と違和感を忘れていた。どうして、姉が突然死を迎えなければならなかったのか。


 健康だった。いつも通りだった。死の影なんか、見えなかった。

 それなのに、何故?


「お、お兄さんが捜査を!? 詳しく話を」

「待って待って! お兄ちゃんの仕事の話を詳しくと言われても……あたしも良くは知らない。……ただ、七夏ちゃんが事故で亡くなった事を知らされて」

「事故!? 嘘! 絶対、事故なんかじゃない!」


 遺体確認には、三春と父親が行った。母親は行けなかった。

 父親は一人で行くつもりだったが、三春が遺体が姉であることを見なければ姉が死んだなんて信じないと言い張り、ついて来たのだった。

 そして棺に入っている七夏を見た。どうしてか顔しか見せて貰えなかった。


『違う……お姉ちゃんじゃないよ』


 父親が言葉を発する前に三春が言った。


『よく似ているけれどお姉ちゃんじゃ、ないよ……。あの!

 左手の甲を見せて下さい! 薬指の根元のところにホクロがあるはずです!』


 付添者は、棺の中から七夏の左腕を持ち上げて見せてくれた。

 そこには特徴的なホクロが確かにあった。三春は言葉を発せられなかった。


『娘です。真野 七夏で、間違いありません』


 父親が認めた発言をするのを聞きながら、三春は顔と左腕を見つめていた。

 だから、よく覚えていた。


「私は遺体確認の時に、しっかり見ました!

 遺体は損傷が激しいから顔しか見れないと言ってましたけれど……それにしては顔も腕も綺麗でした! 綺麗過ぎるくらいに!」

 葬式屋さんが綺麗にしてくれた、とかじゃない。傷がなかった。

 事故にあったら負うはずの怪我とか傷がなかった!

 いや、奇跡的に負わなかったのかもしれない。

 その可能性もあるけれども、事故じゃないと脳内で誰かが言い張っていた。

「それじゃあ、事故ではないなら……一体、七夏さんはどうして?」


 真司が俯きながら言った。


「わかりません。美麗さん、お兄さんから聞いてないですか?」

「だから、あたしは知らない! お兄ちゃん、仕事の話はしないから」

「……あの、美麗さん。お兄さんに近々、お話を伺えませんか?

 お姉ちゃんが何故、死んでしまったのか。私は話を聞いてないので」

「でも、その話を今聞いたら」

「私は妹です。姉の死を正確に知る権利がある筈です」


 決意に満ちた真剣な眼差しに見据えられて、美麗は気圧されたように頷いた。


「……じゃあ今度、非番の時を訊いてみるね」

「よろしくお願いします」


 三春は詰め寄り過ぎたと思って、若干身を引く。

 悲しむ両親を気遣い、友人達からの優しい励ましに答えるだけだった日々。

 姉を失った事で家族は温かい時間も、同時に失った。

 お姉ちゃんが死んだ事は天寿であり、運命……そんなの信じられない。

 さっき、事故では無いとはっきり言い放った。運の悪い事故なんかじゃない。

 事故ではないのなら……その反対だ。


「真野は、誰かにやられたのか?」


 浩太の発言に三人共、閉口した。

 それは考えに至ってはいけない問いだったように思う。


「だ、だだ、誰かにって!?」


 一番、怯えているのは真司だった。見かけ通り情けない……。


「わっかんねーけど。でも事故じゃねえなら、誰かにやられたって事だろ」

「それは、あの……」


 ごにょごにょ声が小さくなっていくが、聞こえた言葉は『失礼じゃない?』だった。


「何が? 俺は事実を言っただけだ」

「事実!? え、あの、じゃあ」

「お前は、上辺の言葉を聞いてパニクるな!」


 浩太は真司の後頭部をスパン!と叩いた。


「浩太! 変な事を言わないで!」


 美麗が悲痛な声で叫んだ。

 大声を上げてしまった事を瞬時に反省して、両手で口を覆った。

 すっかり居心地悪くなったのか、来訪者の三人は帰る事になった。

 せっかくお姉ちゃんの為にお焼香に来てくれたのに。


「今日は、来て下さって本当にありがとうございます」


 来てくれて本当に嬉しかった。だから、何度も御礼の言葉を述べる。

 七夏の友人だった人達が、揃って帰っていく。


 でも彼女達が来てくれたお陰で、三春は悲しみに暮れる自分と決別が出来た。

 心の大半を巣くっていた悲しみの代わりに、空洞を埋めるのは……怒り。

 姉を死に至らしめた、ナニカに対する怒り。

 屋代 浩太が言った。『真野は、誰かにやられたのか?』って言っていた。

 やられた……殺された、ということ。事故ではないのなら、反対の……故意。


 お姉ちゃんは、誰に殺されたの? 誰の故意の所為で死んだの?


「真野さーん!」


 いきなり声を掛けられて、身構える。七夏の怪奇な死を嗅ぎ付けた三流記者に追いかけ回されたせいで、三春は聞き慣れない声は拒絶してしまう。

 玄関の前で、郵便局員が立っていた。

 判子を取りに行こうとしたら署名でも構わないと言うので、氏名と住所を確認して苗字を書き殴った。届いたのは……競り落としたライブチケット。

 七夏が大好きだったアーティストの、一緒に行こうと言っていたライブ。


「お姉ちゃん……」


 死の真相を知りたい。でも、どうすればいい?

 三春は、久し振りに七夏の部屋に入る事にした。


 綺麗好きな七夏の部屋は、整理整頓されていた。

 慎ましく、それでいて可憐な女の子らしいパステルカラーで統一された部屋。

 よく借りていた姉の漫画……誕生日にプレゼントしたものとか……。

 三春は、思い出の品々から目を逸らして、姉の机に向き直った。


「お姉ちゃん、ごめんね」


 死後でもプライバシーを暴くのは、気が引く。机の中からは友人との写真とか美麗からの手紙とか……ざっと見るだけにした。

 どれも他愛も無い物ばかりだった。日記らしいものはなかった。


「私……何しているんだろ」


 三春は、写真の中の笑顔で映っている七夏を見つめて呟いた。

 お姉ちゃんの死が、運命であったなら私達の怒りは、やり場がない。

 でも誰かの所為だったならば、その誰かに対して心置きなく怒りをぶつけられる。


 私は、その誰かを求めている。


 その為に、お姉ちゃんのプライバシーを垣間見て。


「お姉ちゃん……」

 涸れたと思っていた涙が、また溢れてきそうだった。

 私が泣いても、状況は変わらない。無駄な部屋荒らしは、もう止めにして……姉が死んだ日から人形のようになってしまった、お母さんの代わりに家事をしなければ。

 あの優しく厳しいお母さんに戻るまで、私がしっかりと支えなくっちゃ。

 悲しむ暇もないほど、仕事をし続けるお父さんの代わりに出来る事を精一杯しなくちゃ。だって……もう娘は、もう私一人だけなんだから。

 三春は、出した写真や手紙を引き出しに中に元通りにしまう。


「あれっ?」


 奥に見慣れない茶封筒があった。

 写真と手紙とは、全く違うものだというのは一見してすぐにわかった。

 取り出して宛名を見ると達筆な文字で≪真野 七夏≫と書いてある。

 中身を取り出すと、A4サイズの紙が2枚……ワープロ打ちの文字。

 何か書いてある。


「これは、小説?」


 三春は、文字が羅列している本は、読まない。勉強で使う国語の教科書に載ってる純文学の箇所なんか、読んでいて頭が痛くなって来る。

 でも、一行目の文字を三春の目は追っていた。


 さあ、このノートに物語を紡ごう。ワタシの復讐の物語。


 復讐とは、穏やかじゃない。


「お姉ちゃんが書いたの?」


 三春と違って七夏は根っからの文学少女だったから、有り得なくはない。

 でも姉宛ての封筒に入っていたから……もしかして同じく創作活動をしている仲間と、お互いの作品を見せ合っているのか?

 けれど送り主の名前も、作者の名前もない……誰が書いたのかわからない。

 一枚目は、≪ワタシ≫が≪連中≫に対して憎悪を抱いているのはわかる短い文章が真ん中にあるだけ。そして二枚目のタイトルは≪真野 七夏≫。


「えっ?」


 三春は、見慣れた姉の名前を凝視した。

 そして何かを感じる前に、物語を読み進めていた。


 真野 七夏、ワタシの友逹だった人。

 ワタシを助けなかった人。何もしなかった人。

 負のプレゼントを突きつけられるのを黙って観ていただけの人。

 連中の中で唯一、優しくしてくれた人。ワタシを裏切った、一番許せない人。

 傍観者……そして、偽善者。一番、苦しんで死ねばいいのに。

 そう思っても、優しくされた時の記憶が邪魔をする。

 だから一番最初に殺す。死ね、真野 七夏。

 身体を真っ二つにしてやる。最期の言葉など残させはしない。

 死ぬ時も何も成す術も無く、訳のわからない内に死んでいけ!


 呪いの言葉の羅列が途切れた瞬間、目がチカチカして……眩暈を覚えた。

 創作と笑い飛ばす事は、三春には無理だった。

 事実として――――真野 七夏は死んでいるからだ。

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