二度と会わないと
純也は、ワタシに視線を向けていましたが……ワタシを見ているわけではないようでした。その視線は、瞳は、何も見ていない。映していない。
「高等部に進んだら、クラス替えが無いからな。
美和子ちゃんとは、三年間一緒だったんだ。
自分は男子で、相手は女子だから接し方には気を付けたよ。
話しかけ過ぎると騒ぎ立てる馬鹿がいるから、時々しか話さなかったし。
地道な努力のお陰で……数ヶ月もすれば普通に会話をするようになったよ。
もう解ってると思うけれども俺が輝明と仲良くしたのは、輝明といつも一緒にいる美和子ちゃんと親しくなりたかったんだ。
最初は、すぐ傍にいるのに話しかけられなくて、辛くて辛くて……荒樹じゃないけれどさ……従兄妹関係だからって一緒にいる輝明が、憎らしくて。
でも輝明と良好な交友関係でなければ、美和子ちゃんとの仲が繋がれなくなる。
嫌いな奴と仲良くするのは、自分の感情を殺し続けるのは、とても苦痛な事。
でも、美和子ちゃんとの時間の為に……必死で我慢していたんだ」
一息吐いて、純也はワタシから視線を外して遠くを見つめました。瞳の澱みは消えず、何も見ていないのに口は機械的に動いて昔話を紡いでいく。
「彼女と仲良くなる度に、彼女の従兄である輝明との仲が徐々に険悪になった。
闇夜もわかるだろうけれど、輝明は当時は美和子ちゃんにご執心だったから、必要以上に仲良くなる奴を敵視していたからな……別に輝明と友達になりたくて近付いた訳じゃない。高校三年になれば、俺と輝明は口きかなくなったよ。
我慢の限界だったんだよ。それと……少しだけ計算もあってね。
既にクラス中には、俺と輝明は親友だと認識されてた。
美和子ちゃんとは友人として仲良く好意的な言動を取っていたからね。
もし……従兄が親友と口を利かなくなったら心優しい彼女の事だから、輝明か俺に関係を復元するように話しかけるんじゃないかなって。
俺に話しかけて来たなら、俺の方から輝明と表面上は仲良くするようにして。
輝明に美和子ちゃんが話し掛けて、喧嘩とかになったらいいなと思ったんだ。
まあ、目論見は外れて……輝明の方から関係の復元をお願いしてきたから……
ガッカリしながらも、美和子ちゃんはちゃんと、俺の事も気にかけてくれている事がわかって少しは嬉しかったよ」
息継ぎをする純也。少しだけ瞳に光が戻った様な気がしました。
「それから……俺と美和子ちゃん、そして輝明は同じ大学へ進んだんだ」
「奈々は?」
「彼女は女子大に進んだんだ。彼女は高二の時に輝明に告白してフラれてた」
「その話は輝明から?」
「まあ一応、俺は輝明の親友だったからな」
そう言って冷笑する純也と、同窓会の会場で輝明とじゃれていた純也が、重ならない。まるで別人になってしまったかのような変貌でした。
「純也は、美和子に告白したのですか?」
「あぁ、したよ。卒業式の時にね。フラれた」
「………………」
「暗くなるなよ! 当時の俺の方が絶望的に暗かったんだから!
フラれた直後に美和子ちゃんから『輝明君の事が好きなんだ』って言われて。
そして、大学へ入った直後、美和子ちゃんが輝明と付き合い始めたのにはショックだったな。同じ大学に進んでいたんだけれどさ、嫌になって行かなくなったし。
輝明は、どうして急に来なくなったのか分からなかったみたいだな。
――――何にも知らないのは輝明だけ……」
「輝明の事、まだ嫌っているのですか?」
「あれ? 俺、あいつの事好きだなんて言った?」
「え……だって、仲直りしたのでは?」
「それは美和子ちゃんの為に、表面上を取り繕っただけだ。
最初っから嫌いだ、あんな奴……優男というより、優柔不断で頼りない奴だ。
美和子ちゃんとの交際だって大学に入ってからなんだぜ?
昔から好きだったんなら……従兄妹でいつも一緒にいたんだ。
俺と違って、いつでも告白出来たんだ。もっと早く、もっと昔から付き合っていたのなら……付き合っていれば……あっさりと諦められたはずなのに。
彼女と仲良くなる前に……彼女に想いが募る前に……」
美和子は、社交的な性格ではありませんでした。
だから彼女の魅力は近付いて関わらなければわからない。
「今でも好き……なのですか?」
「もちろん! あの雨の日、傘を貸してくれた時からずーっと……大好きだよ」
ようやく笑顔になった純也でしたが、すぐ醜悪な表情に早変わりしました。
「あいつと違ってね」
「輝明ですか?」
「美和子ちゃんがいなくなって四年後……あいつは、荒樹と付き合い始めた。
帰りを待つって言っていたのにさ。もう帰って来ないかもしれないなんて」
「輝明も……辛かったはずです」
「あんなやつに! 一時でも彼女を取られた事が悔しくて!!」
純也の激昂した声は一瞬、雨音が消させた気がしました。
人の気持ちは、変わってしまうものなのだとワタシは思っていました。
小学生から現在まで変わらない気持ちを語る純也は、とても
そう感じ入ってワタシが話す前に、純也は言いました。
「だから奪い返して良かった……」
「は? 何て言いましたか?」
「聞こえてるくせに……わざわざ聞き返すなんて、闇夜って意地悪なんだな」
「はい」
「開き直ってるし」
「ワタシは、純也よりも非道で卑劣で残酷な……人間ですから」
「言い過ぎじゃね? まあ、変わった奴だけれどな」
「ワタシも、罪を犯しましたから」
その時、風が吹いて雨粒がワタシ達に吹き付けてきました。
「冷たっ! げぇ~……中、入ろうぜ!」
純也は大袈裟なリアクションをすると、先に戻ってしまいました。
ホテルの内部に戻ると、既に同窓会はお開きになっていました。
「純也!」
輝明と奈々が、姿を探していたようで駆け足で駆け寄っていました。
「どこに行ってたんだよ!」
「ごめんごめん! 闇夜と話し込んでてさあ!」
そう言って明るく笑いながら輝明の背中を叩く純也。
「あれ? 随分、仲良くなったんだな」
意外そうな顔をする輝明。
「俺って誰彼構わないで仲良くなれるからさあ!」
「あぁ、そう? ……あ! これからの二次会、純也を呼べって!」
「どこだ? も・ち・ろ・ん、居酒屋だろうな!」
「これから予約取ったり……色々、大変なんだから!」
「お疲れ様で~す、幹事殿!」
男同士、楽しく自然に会話しているのを見ると、先程の話は作り話ではないのかと思ってしまいました。
「闇夜、大丈夫だった?」
奈々が、輝明が掴み上げたワタシの胸倉に視線を向けました。
「はい」
「悪かったな、闇夜。何も知らなかったみたいなのに、掴みかかってしまって」
輝明もバツ悪そうに俯きながら謝罪を言いました。
「美和子の事……知らなかったとはいえ、申し訳ありませんでした」
「いや、闇夜は悪くない。俺が悪かった」
「いいえ、こちらこそ申し訳ありませんでした」
しばらく交互に、頭を下げ続けました。
「はいはい、ストップ! ストーップ!
二人とも謝りモードから抜け出せなくなってるし!」
純也が間に入りこんで止めさせました。
奈々は携帯を使って二次会のお店の予約を取っていました。
ワタシは酔っぱらって千鳥足、または介抱されながら歩いている人達の群れの後に続いてホテルを出ようとしました。
「闇夜! あの、今度はこの三人で……四人だけで集まらないか?」
「いいえ……もう会わない方が良いと思います」
「えっ?」
「誤解しないで下さい。今日は、誘ってくれてありがとうございました。
会いたかった人には会えませんでしたが、皆さんに会えて良かったです。
でも、次に会ったら……ワタシは、また彼女の事を思い出してしまいます。
それはきっと……皆さんも。ワタシよりも長い時間、彼女と共にいた皆さんの方が辛いはずです。今年……もし法的な死が決まったなら、会ってはいけない」
館花 美和子が失踪して7年、死が確定するかもしれない年。
ワタシは三人の関係者と出会った。
無事に生きているを信じていた者。
帰って来たなら赦されようと思っていた者。
長い間彼女を想い続け、現在も愛を貫いている者。
ワタシは、今宵一時……美和子の痕跡、存在した証明である思い出話を聞いて自らも関係者であった事を思い出しました。
「美和子……あなたは、それを望んでこの場に呼んだのですか?」
目の前に一時だけ現れ、そして消えてしまった彼女に問いかけました。
ワタシが、彼女の失踪を悲しむ資格は無い。
十年もの間、忘れ去っていたのだから。
いや……まだ失踪しているという事自体、半信半疑だったのでしょう。
だってワタシは、美和子に会っているのですから。
あの綺麗な声、優しい笑顔……それが幻とか霊だとか、信じたくありませんでした。ワタシの目の前に、確かに存在してくれたのだと信じたかったのです。
「なあ、おい! 闇夜!」
輝明の制止を振り切って、純也がワタシを追いかけてきました。
ワタシは一瞬、振り返ろうか迷いました。でも足は止めました。
彼はすぐ後ろまで来ると、ワタシにしか聞こえない声で訊ねてきました。
「…………美和子ちゃんは、もう見えてないんだよね?」
「見えません。あなたの美和子は、見えてはいません」
「闇夜、俺さ今日は色々話し過ぎたと思うんだ」
「大丈夫ですよ。ワタシとあなた達は二度と会う事はありません」
そう、もう二度と会わない。だから、これだけは言っておこう。
ワタシは聞いてばかりでしたから、最後は言葉を紡ごう。
「純也。あなたの直向きな、真面目な愛が、独占的な束縛へと変わってしまった事と七年前の夏に、あなたが美和子を消してしまった事……残念でなりません。
輝明から奪って、あなた一人だけの存在にする事が出来て満足ですか?
美和子は、あなただけの物であるはずなのに……ワタシが美和子の事を言ってショックを受けていましたね。あなたは、どんなに望んでも姿が見れないというのに。
独り占めしたつもりが、永遠に失ったと気付いたのはいつですか?
彼女を完全に手に入れたはずの自分が、苦しい思いをするだなんて微塵も予想していなかったでしょう? 喪失感で狂いそうな自分をどれだけ必死に誤魔化しても
……美和子は二度と戻って来ません。
その犯した罪によって脳裏に刻み込まれ、忘却の彼方に葬れない事実に囚われている純也が哀れでなりません。でも、それを助ける事は誰にも出来ません。
何も知らない友人二人にも、ワタシにも……」
ワタシは、背後の純也に振り返りました。
純也の隣には、姿を消していた美和子は俯きながら立っていました。
囚われているのは、純也だけではない。美和子もそうだ。
限られた存在しか認知出来ない存在になってしまった彼女も、救えない。
「どうするかは、あなたが決めて下さいね」
ワタシは二人に対して言いました。
彼は歪な笑みを浮かべると、手を振って幹事の二人の元へ戻っていきました。
縋る様な彼女の視線から逃げる様に、心の内で思いました。
今夜は眠りに着くまで……美和子の事を考えていよう。思い出を振り返ろう。
明日になって、そして時を重ねれば、彼女の事など忘れてしまうだろう。
でも今夜は真剣に美和子を懐かしむから……と、決意して帰路につきました。
久し振りの外出だった所為か、肉体的にも精神的にも酷く疲れていました。
今日は楽しい夜になるはずだったのに。
ワタシと関わった人間は不幸になる、ということなのでしょうか?
いくら自問自答しても、自嘲的な答えしか思い浮かばず、苦笑しつつ自宅のドアを開けました。家の中を見た瞬間に、わかりました。闇の中に、誰かがいる事を。
既に雨は止んでいましたが……満ちた月は、厚い雲に隠されており真の闇が支配する夜です。ここは街灯など無い郊外ですから、外はもちろん家の中も真っ暗です。
闇の中佇んでいる来訪者が何者か、ワタシはすぐに理解しました。
『どうするかは、あなたが決めて下さいね』
――――彼女は、やって来てくれたのですから、受け容れないといけません。
「美和子。また会えて嬉しいです」
闇の中で彼女は、あの優しい笑顔を浮かべてくれた気がしました。
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