第2話 終わった日、始まった日
突然ですが、身内自慢をさせてください。
私の祖母はとても美人です。
六十歳を超えていますが、背筋がビシッと伸びて姿勢が美しく、凛としています。
いつも着物姿で穏やかに微笑んでいる、まるで聖母……いえ、着物なので菩薩様と言った方がいいでしょうか。
祖母の美しさは昔から有名で、十七歳の時、当時住んでいた地域にあった大きなデパートの広告モデルをして欲しいと声を掛けられてモデルデビューをしています。
表に出るよりも美容関係の裏方が好きだった祖母は早々に表舞台を去ったそうですが、今でも知らない人に「元モデルのあの方ですよね?」と、声をかけられたりします。
それだけ記憶に残る美しさだった、ということだと思います。
孫ながら誇らしいです。
母は祖母と違い、美容やファッションに興味がありません。
家ではジャージをよく着ています。
でも、母もとても美しいです。
母の美しさは健康的な肉体美、といったところでしょうか。
母は新体操の選手でした。
そのしなやかな動きに憧れ子供の頃は、よくチラシを丸めて作った棒に長い紐をくっつけリボンの真似をしたものです。
今は引退して子供達に新体操を教えていますが、手本を見せているところは現役と遜色がない程優雅で、子ながら誇らしくなります。
私は祖母と母、二人の『美』に憧れています。
将来祖母のようにモデルになりたい、母のように新体操の選手になりたい、ということではないけれど……。
ただ『二人のように美しくありたい』、それだけは強い意思として子供の頃からありました。
祖母からは美容やファッションの助言を受け、母からは柔軟があり、適度に引き締まった身体作りを教わりながら育った私は中々『意識高い系の女子』に仕上がりました。
自信を持ちすぎたせいか余計なことを言ってしまい、女子のヒエラルキー社会で痛い思いをすることもありましたが、その度、祖母という菩薩様の有難いお言葉を頂きながら人間関係も学習しつつ、なんとか清く楽しく美しく生きてきました。
なのに……。
築き上げた『全て』を失ってしまうことになるなんて……。
私の運命の歯車が狂った、いや……歯車ごと奪われてしまったあの日。
それは高校生活最後の夏休みも残り半分となった、暑い夏の日のことでした。
※※※
その日は登校日で、競い合うように鳴く煩い蝉の声にうんざりしながら一日を過ごしていました。
登校日といっても、授業があったわけではありません。
『学校泊』という私の通っていた高校独自のイベント行事の日で、学校に一泊することになっていました。
皆で夕食の支度をし、食事をとってから各クラスで考えたイベントを楽しむのです。
私のクラスは比較的ベタな催しものの『肝試し』でした。
夕飯のカレーを作り終え、夜の帳が下りると旧校舎にてスタートです。
「ペアを作ろっか」
「そうだね。でもさあ、一人どうしよう?」
「あっ……そっか」
肝試しは二人ペアで回ることになったのですがくじ引きなどはせず、好きな友達と自由に決めることになっていました。
私はいつも行動を共にしている友達と一緒に行こうと話をしていたのですが、私達は三人組です。
「あ!」
その時、一人のクラスメイトに目が止まりました。
一人で居ることが好きなのか、人と話しているところを見かけない大人しい子です。
「灰原さん、私と一緒に肝試し回らない?」
ぽつんと席に座り、スマホを弄っていた灰原さんに声を掛けました。
一応全員参加となっているので、灰原さんもまだ相手が決まっていないなら都合が良いんじゃないかと思い、提案してみました。
ペア決まった? と聞くと、「まだだけど」と返事がありました。
「ええっ。ルナ、いいの?」
「別に三人で回ってもいいんじゃない?」
「いいの! 灰原さん、一緒に行こう?」
「……」
返事はありませんでしたが、ちらりとこちらを見た感じが了承してくれたように感じたので、友人二人に「先に行って」と伝えました。
「じゃあ、また後でね!」
「うん! 気をつけてね!」
バイバイと手を振った後、灰原さんの前の席に座りました。
「今行っても順番待ちだし、もう少しここで時間潰してから行こうか?」
「……」
またまた返事はありませんが、灰原さんのスマホを触る手が止まっていないので動くつもりはなさそうです。
良い頃合いになったら声を掛けようと思いながら、私もスマホで漫画を読むことにしました。
「……親切ぶって、哀れんでいい気になっているだけでしょ。……本当にうざい」
「うん?」
灰原さんがボソボソと呟いたのですが、聞き取れませんでした。
折角話してくれたのに!
それにしても……灰原さんはいつも下を向いて話すクセがあるようです。
少し猫背になっています。
背筋をピンと伸ばして前を向けばもっと楽しく会話出来るし、気持ち良いのに!
正しい姿勢はシェイプアップにもなります。
灰原さんはその……少しふくよかだからお勧めしたいけれど……。
アドバイスをしたいけど、色んな人にお節介をして不快な思いをさせた前科があるので我慢です。
高校に入ってからは友達がたくさん出来たけれど、中学までは失敗の連続でした。
顔や身体の『改善したらもっと良くなるところ』って、大体がコンプレックスなんですよね。
私は単純に、『ここを治すともっと可愛くなるよ』という感じで人に話していたのですが、それって他人からコンプレックスを指摘されているのと同じだったのです。
例えば『アイラインをこう引いた方が目が大きく見えるよ』というのは、『あなたの目は小さい』や『アイラインの引き方が下手』とも取れるのです。
そういう意味でも言っていなくても、受け取り方は人様々です。
悪く受け取り気にする人もいれば、気にせず受け取ってくれる人もいます。
アドバイスをする側の人柄にもよります。
私の場合は度々波風を立たせてしまったので、駄目な方だったのでしょう。
祖母によく叱られました。
人間関係って難しいです。
聞かれてもいないアドバイスはしない方が良いのかもしれません。
今はちゃんと考えてから話すようにしています。
アドバイスと美意識の押し売りをしていた頃の私は本当に愚かでした。
私の黒歴史です。
思い出すと叫びながら走り出したくなります。
でも、その失敗で多くを学んだので必要なことだったと思います。
これからも気をつけよう……なんて考えていると教室の扉が開きました。
「まだここにいたか。もう残ってるのは二人だけだぞ」
「え、うそ!? ごめん」
思っていたよりも速いペースで進んだようで、クラスメイトが迎えに来てくれました。
「行くぞ。ついて来いよ」
「うん! 灰原さん、行こう!」
慌てて立ち上がり、灰原さんと教室を出ました。
前を歩く彼は
家が隣で保育所から今までずっと同じ所に通っています。
大人しい性格なのか、あまりお喋りはしません。
でも、何かあったときは必ず助けてくれる頼りになる幼馴染みです。
外見もあまり気にしないようで、ズレた眼鏡にボサボサ頭。
いつもだらしなくシャツが出ていたりします。
子供の頃から注意していますが治らないので、言っても無駄かなと半分諦めています。
今日もボサボサな頭を整えたいなと見ていると、彼が口を開きました。
スタートまでの案内中、彼が肝試しの説明をしてくれるようです。
「瑠奈、旧校舎にまつわる『鏡の魔女』という噂を話を知っているか?」
「知っているよ。旧校舎の階段の踊り場にある姿鏡に向かって『魔女様』って三回呼びかけると、魔女が現れて連れ去られるっていう、ちょっと子供っぽい話だよね。灰原さんは知ってた?」
「……」
また灰原さんから返事がなくなってしまいました。
どうしたのでしょう、もしかして怖いのかな?
灰原さんの方をちらりと見ると、じーっと光輝のことを見ていました。
「何だ?」
「……別に」
光輝に話し掛けられて視線を逸らした灰原さんでしたが、少しするとすぐに視線を戻し、やはり光輝をずっと見ています。
灰原さんも光輝のボサボサ頭が気になるのでしょうか?
ボサボサ頭を追いかけていると、足が止まりました。
辿り着いたのは昇降口で、ここがスタートだということです。
中庭を通り旧校舎の中に入って『鏡の魔女』を試し、鏡のところに置いてあるピンポン球を持って帰ってくるというルールでした。
「……なあ、瑠奈。戻ってきたらちょっと時間くれないか」
「いいけど……何?」
「戻ってきた時に言う」
「そう? うん、分かった」
光輝を見ると、とても真剣な顔をしていました。
「気をつけろよ。俺はここで待っているから」
「うん」
そう話す顔はやはり真剣で……とても心配してくれているようにも見えます。
肝試しに行くだけなのに。
光輝は昔から過保護なところがあります。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ……」
戻ってからしたい話というのはよっぽど大事なことなのでしょうか。
やっぱり、肝試しの見送りにしては真剣な目をしています。
分からないけど、気になるし、早く戻ってきた方が良いのかもしれません。
「……るせない」
「灰原さん?」
また灰原さんが何か呟いたようですが、聞き取れませんでした。
顔を覗き込んだのですが、暗くてよく見えません。
私と光輝が話終わるまで待って貰ったので、『遅い』と怒らせてしまったのでしょう。
立ち止まって聞こうかと迷いましたが、灰原さんは足を止めるつもりはないようなので気にしないことにして足を進めました。
懐中電灯で辺りを照らしながら、道なり進みます。
途中、幽霊やゾンビに扮したクラスメイトに驚かされたり追いかけられたりしながら、辿り着いた旧校舎。
普段は鍵がかかっているので、入るのは初めてでドキドキします。
今までは怖いというより楽しかったのですが、旧校舎に一歩足を踏み入れると途端に空気が変わり、怖くなってきました。
明かりは懐中電灯の光だけ、埃くさい空気。
……何か居そうです。
「灰原さん、怖いね……」
「……」
返事がないので振り返ると、灰原さんは普段と変わらない様子でついて来て居ました。
凄い……でも、いつもの感じがちょっと怖いです……口が裂けても言わないけれど!
「怖くないの?」
「……別に」
「凄いね、私も結構平気な方なんだけど……ここはちょっと怖いな。もうちょっと近くにいようよ」
「嫌」
離れていると心細いので隣に並びたいと思ったのですが、私がそうしようと動いても灰原さんは距離をあけて下がってしまいます。
折角だからこれを機に仲良く慣れたら良いのに……。
怖くて歩くのが遅くなった私に痺れを切らしたのか、灰原さんが私を置いてスタスタを歩き始めました。
置いていかれないように必死に歩いていると、すぐに目的地に到着しました。
噂の姿鏡です。
その姿鏡は普段人がいない旧校舎の中にあるのに何故か曇り一つ無く、ピカピカに輝いていました。
それが異様です。
今日この肝試しのために、クラスメイトの誰かが磨いたのかもしれません。
きっとそうです!
旧校舎の空気に気圧され、逃げ出したいのを我慢しながら鏡の前に立ちました。
さっさと噂を試して帰ろう……って、灰原さん!?
灰原さんは噂を試すことをせず、ピンポン玉を持つとすぐに帰ろうとしていました。
「灰原さん! 噂を試さなきゃ!」
そう声を掛けると、灰原さんが振り返りました。
真っ暗なので表情は分かりません。
「あ、やっぱり試すの怖いよね……」
言われた通りにしようと思いましたが誰も居ないようだし、ちゃんとしなくても大丈夫そうです。
怖いです、言ってしまうと本当に何か出そうです!
私もピンポン玉を持って帰ろうとしていると、灰原さんが鏡の前に戻ってきました。
「くだらない……『魔女様』、『魔女様』、『魔女様』」
何か呟いたかと思うと、その後に大きな声で噂を試しました。
凄い……ああでも、言っちゃった!
何か起こったらどうしよう……!?
「……」
「……」
何か起こらないか、確認するような静寂が流れました。
……何も起こらない?
そうだよね……こんな子供向けの怪談で何か起こるわけ無いですよね。
「良かっ……」
「あれは……誰……?」
安堵の溜息を吐いていると、灰原さんの低い声が聞こえました。
まるで何かに怯えているような声でした。
『何か起こった』、そう悟りました。
その瞬間、心臓がきゅっと縮んだような、身体を凍らされたような感覚に陥りました。
――そして感じる視線。
その視線は、灰原さんのものではありません。
灰原さんも怯えていました。
視線の主、それは鏡の中に居ました。
姿ははっきりと見えません。
ただ、真っ赤な二つの瞳が私達を貫いていました。
危険だ。
その目を見て、ただただそう思いました。
『逃げなきゃ』
そう思った瞬間、私の視界は真っ暗になり……。
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