第18話 塔へ
「ステラ様、おはようございます」
「リコちゃんおはよう」
「いよいよだぞ。ぐっすり寝たか?」
「大丈夫! ばっちり!」
とうとうこの日が来てしまいました。
今日もいつも通りの時間にやって来た二人と挨拶をしつつ、私は洗顔に向かいます。
よし、今日は気合いを入れるために氷を三割増しにして洗うぞ!
「それ、もう顔を氷らした方がいいんじゃない? やってやろうか?」
「死んじゃうから」
タオルを持ってきてくれたリンちゃんが、氷が山盛りになった洗面台を見て呆れています。
私もやりすぎたかなと思いましたが、だからといって殺されてしまうわけにはいきません。
ああ、冷たい!
リンちゃんに氷らされなくても氷りそう!
気合いを入れすぎてダメージの入った洗顔を済ませて戻ると、リコちゃんが朝食の用意を済ませてくれていました。
「これは……!」
小さなバスケットにはカットされたバゲット、その隣にはポタージュのスープ、サラダにソーセージやオムレツの乗ったプレート。果物の入った小皿。
ホテルの朝食のような光景が広がっています!
「こ、これは……わ、わたっ、私の朝食ですか?」
「ええ」
「食べてもいいのですか?」
「もちろん」
ぐすっ、泣きそうです。
固形物を摂取しても良いとお許しが出てからは、少しづつ普通の食事も食べさせて貰っていましたが、こういう風なお店で出てもおかしくないお金を取れそうなレベルの食事を用意して貰ったのは初めてです!
カロリーを計算しているのか一つ一つの量は少ないですが、見た目が綺麗な時点で私は震えています。
食事の中に群青色が無いってこんなにも食欲をそそるんですね!
「いただきます……!」
仏壇に手を合わせるときよりもピンと指を伸ばして手を合わせ、今まで生きてきた中で最も気持ちの篭もった『いただきます』をして、ナイフとフォークに手を伸ばしました。
美味しい……美味しいよ……。
「これから大仕事だというのに……緊張感がないな」
支度を済ませて私を迎えに来たオリオンが生暖かい目で見ています。
緊張なんてしない方が良いのです。
今はこの一口一口を噛みしめて味わうことに全力投球です。
「さすがステラ様です」
リコちゃんが聖母のような微笑みを浮かべ、グラスに入った飲み物をスッと出してきました。
……群青色です。
やっぱり、これも飲むんだ?
声には出して聞きませんでしたが、リコちゃんは柔らかにこくりと頷きました。
いつもより量は少なめですが、後口がこれって最悪ですね。
世の中甘くないということを思い知りました。
※※※
いつものメンバーで塔を目指して出発しました。
城が用意してくれた馬車に乗り、以前オリオンと歩いた道を進んでいます。
馬車で良かった。
また屋根を飛んで渡っていくことになったら、貴重な朝食をリバースしてしまったでしょう。
街の中は静かで、あまり人の姿がありません。
「静かだね?」
「ここはね。進んでいくと騒々しくなる」
「そうなの?」
「封印が解ける瞬間を見るために、皆海の方に集まってんだよ。ほら、見てみろよ」
リンちゃんに言われ、馬車の窓から顔を出して遠くに見える塔の辺りを見ました。
「わっ!」
いました。
人がうじゃうじゃと!
小さな点がひしめき合っています。
『人が塵の……』という例の台詞を言いたくなるような光景です。
「何か緊張するなあ」
「その割にはしっかり朝飯食べてたけど」
「あれは別!」
ちゃんとした朝食なんて、次はいつありつけるのか分かりません!
這ってでも食べてやる!
窓から外を見たとき、前方に私達が乗っているのと同じ馬車が見えました。
灰原さん達です。
今日はパレードをしなかったようです。
まあ、人のいないところでパレードをしても虚しいだけですよね。
あえてやればよかったのに。
「良い天気になって良かったですね」
リコちゃんが窓の向こうの空を見上げながら呟きました。
「塔に入ってしまえば関係ないが、出だしとしては気持ちが良いな」
「そうだね」
皆で雑談をしながら馬車に揺られていると、旅行している気分になってきました。
今から使命を果たそうとしている、なんて重たい空気はありません。
それが素晴らしい、肩に力を入れずにすみます。
やっぱり私の仲間は最高です!
『君を守れるのは君だけだよ』
ふと、ファントムの言葉が頭に過りました。
この言葉は今も胸の中に燻っています。
でも三人のことは信じたいです。
たとえ騙されていてもいい、そう思いますし。
「どうした?」
オリオンが私を見ています。
リンちゃんとリコちゃんも心配そうに私を見ていました。
急に黙った私を気にかけてくれたようです。
「もう着くけど。馬車に酔った?」
「ううん。なんでもないの。ありがとう」
やっぱり私は三人が大好きです。
ファントムの言葉は、慎重に行動するようにという助言として胸にしまっておこうと思います。
塔に繋がる橋がかけられた海岸に到着、馬車が止まりました。
沿道には島の人や観光客が集結しているようで、身動きが取れない程すしづめ状態です。
事故が起こらなか心配だなあ。
馬車の扉を開けると、『わああ』と大きな歓声があがりました。
人の声が巨大な一つの波になって襲いかかってくるようで怖い……。
あれ、でも多くの視線はこちらを見ていません。
前の方を見ています。
……そうか、灰原さんの方か。
「ルナ様、塔から出たバケモノを倒してくださってありがとうございました!」
「!?」
沿道から聞こえた声に、耳を疑いました。
バケモノって巡礼者のことですよね?
灰原さんと愉快な仲間達が倒したことになってる!?
さっきの声の他にも、灰原さん達に感謝の声が次々と飛んでいます。
「なんでこんなことになってんだよ!」
呆然としている私の後ろで、リンちゃんが怒鳴りました。
「『女神の使者が倒した』ということは、聞かなくても誰でも分かる。塔から出てきた魔物を倒せるのは女神の使者だけだからな。民衆からすれば、女神の使者といえば向こうの方なのだろう。ちょうどあの日は向こうが帰って来た日で、あの場にいたしな。まあ、いいじゃないか」
私は停止してしまっていて顔を見ることは出来ませんが、オリオンが落ち着いた声で話しています。。
「よくないよ! 頑張って倒したのはステラだろ!」
「他者の評価をかすめ取る形で受けてしまうことは、正常なものからすれば屈辱だと思うがな」
「リン……。ステラ様、私もオリオン殿の仰る通りかと思います」
そう……だよね。
リコちゃんの冷静な声を聞きながら、私も心の中で肯きました。
前の馬車の方に目を向けると、険しい顔をしたアークが見えました。
今彼が感じているものは『屈辱』なのでしょうか。
だとしたら、まだ救いようがあるように思いますが……。
よく見るとライナーの表情も硬く、珍しくあのセイロンにも笑顔はありませんでした。
「はっ! あいつは正常じゃないだろ!」
そう吐き捨てたリンちゃんの視線の先には、満面の笑みの灰原さんがいました。
「ほらな」
灰原さんを見ながら鼻で笑っているリンちゃんの顔には、『心底軽蔑している』と書いているようです。
「ふふ」
リンちゃんを見ていると何だか可笑しくなってきました。
笑い出した私を見て、皆は顔を顰めています。
折角頑張ったのに、体だけではなく努力までも奪われた気がして一瞬絶望しそうになったけれど、私の代わりのようにリンちゃんが怒ってくれて……救われました。
「リンちゃん、ありがとう。あと、倒したのは私だけじゃなくて『皆で』だよ。オリオンとリコちゃんもありがとう」
振り返って後ろにいた三人に笑いかけると、オリオンとリコちゃんは笑顔を返してくれました。
リンちゃんは照れたのか、プイッと顔を背けてしまいました。
「お前の頑張りは俺達が知っている」
「うん!」
そうです。
私の大事な人達が知ってくれているのだから、それで十分です!
これから塔に挑むというのに、凹んでなんかいられません!
「ステラ様! 頑張ってください!」
「え?」
気合いを入れ直して歩き始めた私達に向けてとても大きな声が飛んできました。
声の発信源を探してきょろきょろと辺りを見回していると、手を振っている集団を見つけました。
あれは……城のメイドさん達です!
皆シュシュをつけてくれています。
あ、くるりんぱをしている子もいますね。
アレンジ上手だなあ。
皆見覚えのある人達で、城でも話をしてくれるようになっていたのですが、こうやって声援を送ってくれるなんて……。
「俺達だけじゃなかったな」
オリオンがポンと私の肩を叩きました。
「うー……」
やめてください、私……今は泣きそうなんです!
耐えているんです!
これ以上優しいことを言われると醜態を晒してしまいます。
「ありがとう! 頑張ります!」
メイドさん達に手を振ると、皆は更に元気に手を振って返してくれました。
本当にありがとう、凄く元気がでました!
「用心するんじゃぞ!」
「あ!」
聞き慣れた声だと思ったら、印屋のモノクルお爺さんもメイドさん達の近くでこちらに手を振っていました。
「印屋のおじいちゃん、ありがとう!」
「誰が『おじいちゃん』じゃ! 年寄り扱いするな!」
「元気なじじいだな」
リンちゃんが笑っています。
確かに、警備している兵士さんを押しのけてこちらまで抗議をしに来そうな勢いで、元気が余っているように見えます。
モノクルお爺さんの隣にも見慣れた顔がいると思ったら、武器屋のもやし青年が居心地悪そうに立っていました。
こちらを見ていたのですが、目が合いそうになると視線を灰原さんの方に向けました。
なんなの!
「城の連中は分かってるのかもな」
「ん? 巡礼者のこと?」
「ああ。……まあ、それだけじゃないかもしれないが」
「化けの皮はいつまで持つかなあ?」
リンちゃんは機嫌が良くなったのか、足取り軽く進んでいきます。
置いて行かれそうです。
海にかかった橋にまで来ると、人だかりはなくなりました。
規制して、一般の人は中には入れないようにしているようです。
静かになり進みやすくなった進路を歩きます。
十メートル程前に、灰原さん達がいます。
話をしていないようで静かです。
聞こえるのは波の音と遠くの歓声。
「あいつら緊張してるんじゃないの?」
リンちゃんが意地の悪い笑みを浮かべています。
余裕ですね。
私も一緒に『小物め』とほくそ笑んでやりたいところですが……。
「ごめん、私も緊張してきた……」
『え?』という反応が三カ所から来た気がします。
逆にどうして三人ともそんなに余裕なの?
近づいてくる目の前にそびえる塔を見ていると、手に汗が滲んできました。
「あのさあ、巡礼者を倒してるんだから、入り口付近なんて余裕だろ?」
「でも、何が起こるか分からないし! っていうか、空気に呑まれてると言いますか……」
なんでしょう……この『いざゆかん!』な感じが駄目です。
本番前の舞台袖にいる心境です。
手のひらに『人』飲む、『人』飲む、『人』飲む。
「何を妙に気持ち悪いことしてるんだよ」
「失礼な、伝統的な緊張緩和魔法なんだから!」
「お前のいた世界、魔法ないんじゃなかったっけ?」
三人の可哀想な子を見ているような視線は気になりますが、話をしていると少し緊張が解れてきました。
「ルナ様、ステラ様」
巡礼者と戦った辺りで、ミラさんが兵士を引き連れ立っていました。
ビシッと立っている兵士たちを見ていると私の背筋も伸びます。
「ちょうど開くようです」
私達を見ていた視線を塔に戻しながらミラさんが呟きました。
それに続くように全員が空を見上げ、塔の全体に目を向けました。
「あ!」
あれは……オーロラ?
光の波が塔の外壁を伝いながら降りてきます。
「綺麗……」
夜に見るともっと綺麗だったのかもしれませんが、明るい今でも十分幻想的です。
光の波が通り過ぎた塔はそのままベールに包まれたように淡く輝き続けています。
暫く見ていると外壁に絡みついていた茨が消え、ヒビや汚れも消え、琥珀色と暗紅色の塔が姿を現しました。
「おお……」
その場にいた兵士達も圧倒されて声を漏らしていた。
私も口を開けてほえーっと眺めてしまった。
それにしても私達がこれから向かう暁闇の塔は綺麗だ。
琥珀色だが朝日のような輝きを放っているし、不穏な感じはしないです。
一方灰原さんと愉快な仲間達が向かう宵闇の塔は……。
「……」
さっきまでちやほやされ、浮かれていた灰原さんまで顔を強ばらせていた。
「綺麗だけど……迫力が凄いね」
宵闇の塔は深い闇が潜んでいるような暗紅色でした。
水晶のような輝きはあるが、その中には絶望を隠していると言っても納得してしまうほど得体の知れない恐怖を感じます。
「はっ! あっちはお気の毒様だな!」
「リンちゃん、聞こえるって!」
注意は遅かったようで、既にセイロンの鋭い視線がこちらに飛んできました。
私も内心では『頑張ってね』と半笑いですけどね!
「扉も繋がったようです」
「繋がる?」
ミラさんの声が聞こえたかと思うと、私と灰原さんがこちらに来た倒れていた場所に異様な気配がしました。
それは次第に目に見えるモノに変化を始め、二つの四角い枠になりました。
枠の中には太陽と月のような絵が描き込まれていて右が琥珀色、左が暗紅色です。
どうやらこれが塔に出入りするための扉のようです。
「ルナ様、ステラ様、騎士達も準備はよろしいですか?」
「はい!」
扉を見ると気合いが入ってきた私は元気よく返事をしました。
後ろにいる仲間の三人は『いつでもどうぞ』というような余裕の表情です。
灰原さん達は……どうでもいいや!
今は私達のことだけに集中しましょう!
「さあ、行こっか!」
暁闇の塔、攻略開始です。
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