レイラの幽世

蛍烏賊美味

プロローグ

 あれは春先だったか。

 陽射しが弱いとも暑苦しいとも感じない、心地の良い季節のことだった。

 俺は、都会らしいビルの立ち並んだ街を抜け、そこから川に跨っている大きな橋を渡った先にある山へと来ていた。

 山というからには、登ってしまえば人目につかないくらい木々が茂っている。

 それでも、まだ中学一年生だった俺でさえ簡単に登ることの出来るような、急な斜面もなく危険な動物もいないような山だ。

 その山を登っていくと、頂上付近の平坦な場所に大きな一本杉が立っている。俺たちが幼い頃から秘密の場所として使っていた場所だ。

 誰かと喧嘩した時、両親に怒られた時、良いことがあった時。何もないときでもここへ来たりしたが、その中でもこの日は特別だった。

 ――そう、特別だった。

 先にこの場へ来ていた俺は、高鳴る鼓動を精一杯抑えていた。

 すると、突然にそれは現れた。

「みち君?」

 ポニーテールに結ばれた天然のブロンドヘアーと澄んだ青色の瞳。

 どこからどう見ても、俺とは人種の違う女の子だ。

「うわっ」

 不意打ちに驚いた俺は、意図せず体が跳ね上がった。そして、それが俺の待っていた人だとわかると、急に体が熱くなる。

「うわっ、だって。ひどーい」

「レイラ……? ご、ごめん。急に出てきたからさ……」

 入学式の後、一度家へ帰っていたらしい。

 レイラは袖の短いシャツに短パンといった、どう考えても家で着ているような格好をしていた。対して俺は、中学の入学式を終えてから、レイラに待っていることを告げるとすぐにここへ来た。だからまだ、新品な制服のままだった。

「急って、みち君から誘ってきたんだよ」

「うん、そうだけど……」

 俺は、レイラがここへ来た時、すぐに俺のことが見えるようにと、登ってきた方面へ向かって木に寄り掛かっていたのだ。それなのに、後ろから声をかけられては驚かずにはいられない。

「どうして後ろから?」

「そっちにも道あるんだよ。知らない?」

「知らない」

「ほら」

 レイラが来た道を少し戻っていく。それについて行くと、指を指してそこに道があると教えてくれた。

 しかしそこは、通れないこともないが、道というにはあまりにも草が茂りすぎている。

「こんなところを通ってきたのか……」

「ここから登ってくれば、みち君を驚かせられるかと思って」

 てへへ、なんて笑っている。

 よく見れば、服のあちこちに枝やら葉がくっついている。

 元々こうした気質を持っていたのだろうが、ここへ引っ越してきた頃なんて、風貌も相まって大人しいお嬢様のような感じだったのに。

 それが今は、完全に活発と言わざるを得ない女の子だ。

レイラもだいぶこの街の人間として染まったな、などと思う。

「それで?」

 なおもにこにこしながら、レイラは訊いてくる。

 俺がどうしてここへ呼んだか、ということについてだろう。

「えーと、それは……」

 言おう言おうと決めていたが、いざとなるとなかなか言い出す事が出来ない。

 少しの間を置いて、先に口を開いたのはレイラだった。

「落ち着いてから話してくれていいよ。私もみち君に話しておきたいことがあるから」

「話したいこと?」

 呼び出したのが俺からなだけに、レイラからも何かあると聞いて、この時点で俺は妙な落ち着きと、数秒前とはまた違った緊張感の両方を持っていたと思う。

 それは、これから俺が告白しようとしていることに関係するからだ。

 もしかするとレイラも俺のことを、なんて考えていたのだろう。

「座ろうよ」

 言われて、俺はレイラと隣り合って一本杉の下に腰を掛けた。

 するとすぐに、レイラは話し出す。

「今日、入学式だったね」

「そうだな」

 緊張感でもう忘れていたが、ついさっきまで俺たちは中学の入学式を行ったばかりだ。そういう意味でも、レイラをここへ呼んだ。

 何か記念日に想いを伝えることをしたい。

 そう考えたからだ。

「私がこの街に来てから、もうどのくらいかな。小学生の時だったよね?」

「一年生の時にはいたから、もっと前じゃないか?」

「そっかあ」

 うんうん、とレイラは頷いている。

「結局、同じクラスになれたのは六年生の時だけだったよね」

「噂によると、俺がレイラの面倒をよく見てるからじゃないのかって、親には言われた」

 あくまで人伝に聞いた噂程度だから、本当のことはわからない。けれど、思えば学校の先生たちはそういう配慮をしてくれていたんだろうな。

「たぶんそうだよね。私いじめられっこだったもんね?」

「うーん、まあ……」

 レイラがいじめられていた。

 それは否定できなかった。

 金髪に青い瞳。その外見で分かるように、レイラは俺たちから言えば外国人だ。それも、今現在俺たちの国と戦争をしている敵国の人間である。もちろん、人種的な意味で言うならば、レイラの父も敵国側の人間ということになる。

 だが、今はこちらの人間として暮らしている。

 しかし、レイラ自身、自分が向こうの人間だという自覚はない。

 それはもちろん、レイラがこの土地で暮らし育ったからだ。

 レイラの母は向こうの国で亡くなり、それから父と共にこちらへ越してきたのだという。俺も何度か見かけたことがあるが、今も父親と二人で暮らしている。

 だから、レイラ自身に自覚がなくとも、始めは敵国の人間というだけでレイラの家族は差別されていた。きっと、レイラが生まれてから俺と出会うまでの間も、レイラの父は差別を受け続けていたのだろう。

 そこで一つ疑問なのは、どうして戦時中にもかかわらずこの国へ越してきたのかということだ。また、何故そんなことが出来たのかも気になるが、今までにとてもそれを訊ける環境はなかった。

 まあ、レイラもその父も悪い人ではない。

 そもそも、そんな小さなことを気にするなんて失礼だと思った。

「あの時は学校に行くのも嫌だったなー」

 脳裏の片隅にも置いておきたくない思い出のはずだろうに、レイラは何故だか懐かしむような顔をしている。

「でも、みち君があの時助けてくれたんだよね」

「助けたってか。当たり前のことをしただけだよ」

 言った手前、本当にあれが当たり前の行動だったのかはわからない。

 確かに、俺はレイラをいじめから救ったとは思っている。だけど、俺が俺たちの国で良く生きていこうとするならば、敵国側のレイラたちを助けるなどという行為は、俺自身にとって自殺行為だったはずだ。村八分以上の扱いを受けてもおかしくはなかった。

 それでも、苦しんでいるレイラの顔を見ていたら、俺たちのやっていることこそ間違っているんじゃないかと思えていた。

 それで、まずはレイラと仲良くなろうと考えた。

初めはレイラも心を開いてくれなかったが、そう時間はかからなかった。レイラはこちらの生まれだったために言葉も通じる。俺たちのよくやる遊びなんかを教えてやった。

 すると、俺と仲良くしているのを見てか、次第にみんなもレイラが安全だとわかったんだろう。いや、始めからわかってはいたんだ。見た目が違うから物珍しく弄ってみる。力のある奴がいじめていれば、みんなもそれに乗っかる。子供なんてそんなものだろう。

 状況は次第に変わっていった。

 物珍しさが、却ってレイラに友達を作るきっかけともなっていた。

 小学校四年、五年を迎える頃には、俺が一緒にいなくともレイラは一人でやっていけるようになっていた。それでも、たまには俺から誘ったり、レイラから誘われたりしてこの山で二人きりで会ったりもした。

「いろんなことがあったね」

「そうだな。……で、でも、これからももっといろんなことがあると思うぞ!」

 その後に続く言葉を言えていたのなら、俺は男になれていただろうに。

「そうだね。……きっといろんなことが起こるよ」

 この時、レイラの目は何かを訴えていたのかもしれない。

 それに気が付けなかったのは、俺が自分の気持ちでいっぱいになってしまっていたからだろう。けど、気が付いていたところで何も変わらなかったんだと思う。

 レイラは立ち上がり、一歩前に出た。

 振り返ってはくれず、そのまま俺に言葉を投げかけてくる。

「私、これからはもうここに来ないかもしれない」

「……え?」

 この日、ここへ来てから俺は、そんな言葉を耳にするとは思いもしなかった。

「どうして……」

 理由を問おうとしたものの、それ以上は訊けなかった。いや、聞きたくなかった。

 気づいてしまったからだ。

 俺が考え過ぎなのかもしれない。思い違いかもしれない。でも、そうでもないかもしれない。

 仲良くなってから、俺はレイラにペンダントをあげたことがあった。この山の近くにある、駄菓子屋のガチャガチャで出た景品だ。

 ペンダントと言えば聞こえはいいが、単なる玩具。でも、あの時の俺が精一杯気持ちを込めたプレゼントだった。俺も同じ物を当てたから、二人で同じ物を持っていよう。そう言って、恥ずかしい自分の気持ちを誤魔化しつつも渡したんだ。

 その頃から、俺はレイラのことが好きになっていたのだから。

 レイラはペンダントを大切にしてくれて、この歳になっても山へ来る時はいつも持って来てくれていた。もちろん、俺も同じように持ってきた。

 ここへ来て、二人で会い、それを見せ合うのが合図のようなものにもなっていた。

 それなのに……。

 今日はペンダントを持ってきていなかった。

 俺が勝手に考えすぎているだけなのかもしれない。

 でも、こんな事は今までなかった。

 俺は察してしまった。

 想いを告げることなくフラれたのだ、と。

 レイラはきっと、俺がこれから何を言いだすかわかっていたに違いない。優しいレイラのことだから、俺を傷つけまいとしているんだ。俺が言いだす前に、そして遠まわしに断ってくれたのだろう。

 せめて、そうなんだと思っておきたかった。

 しばらく、レイラは街の方を見つめたまま動かなかった。俺もそんなレイラの背をぼんやりと眺めたまま、何も考えられないでいた。

 思えば、今日のレイラはなんだか素っ気ない。いつもなら俺から話しかけなくとも、自分から話したり笑ったりしてくるのに。

「…………」

 何だか落ち込む。

 それ以外の感想はない。

 だが、その時だった。

 突然、頭の中を恐怖で支配するような音が辺りに響き渡った。

「な、なんだ!?」

 思わず立ち上がる。

 聞いたことのない音だが、それが何かしらのサイレンだということ、そして何か良くないことが起きる前兆ということだけは確かだった。

「みち君!」

 サイレンに怖さを感じたのか、レイラが抱き着いてきた。

 震えているのを肌身で感じる。

「みち君がいなかったら、今の私はなかったんだと思う……」

 いきなり言われたその言葉を、俺は理解できなかった。

「みち君は……どう? 私がいなくなったらどうなっちゃう……?」

 耳元でそんなことを言う。

 レイラの急な態度の変化に戸惑いはするが、いなくなるという言葉だけは理解し、否定したかった。

「そ、そんなの嫌に決まってるだろ!」

 俺はレイラに想いを伝えるつもりで言った。

 だが、何も返事は返ってこない。

「レイラ……?」

 何も言わず、ただ強く体を抱きしめてきていた。

 そんなレイラの肩の向こうには、真っ赤な夕日を背景に、街が吹き飛ばされていくのが見えた。

 爆発の威力は凄まじく、ドーム型の爆風が迫ってくる。逃げようと言い出そうとした時には、すでに遅かった。

 爆風が俺たちを包み込む。




「う…………!?」

 何が起きたのか全く分からなかった。

 しかし、こうして意識があるということは、どうにか無事だったのだろう。

 俺はゆっくりと目を開いた。するとそこで初めて気が付く。

レイラは俺の腕の中にはいなかった。

 振り払われたり、手離した記憶はない。

 一体、どこへ行ってしまったんだ。

「レイラ!」

 呼ぼうが返事はない。

 辺りはいつの間にか暗く、夜になっている。

 まさか、敵国が攻め込んでくるとは思わなかった。

 いや、そんなことよりも俺たちは爆発に巻き込まれたはず。どうしてこうも無事なのか。

 そうだ、街はどうなった。

 レイラがいなくなってしまったことも気掛かりだったが、俺たちの生まれ育った街の安否も気になった。

 あれだけの威力のミサイルを撃ち込まれたのだ。無事なはずがない。

しかし、そうとわかっていてもこの目で見るまで事実だとは思えなかった。

 ただ、俺の目は奇怪な真実を映し出していた。

「なんだ……あれは……?」

 街が焼け野原になった痕跡など微塵もなかった。山の手前には住宅街が広がり、橋の向こうには都会らしい夜景が煌々としている。いつもと何ら変わりない光景だった。

 ある一つの物体を除いて。

 そう――白く発光する巨大な化け物が、街の上空に立ってさえいなければ――。

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