第一部 エピローグ

 「何を、言っているの?」

 私はレブが言った事の意味が分からない。

 「レブ、消えてる……!透けてる!」

 「私自身の力を使い果たしただけのこと。こうなることは分かっていた」

 大怪我をしたのとは違う。手を掴んだが、やんわりとレブは私を振り解いた。

 「分かってやったの……。自分がビアヘロを倒したらこうなるって」

 「そうだ。全力の私は、私自身が維持できない」

 言い切ったレブを見上げて頬を涙が伝った。

 「泣く必要は無い。これは私が自ら選んだのだからな」

 貴様のせいではない、と付け加えたレブの表情は先程まで死闘を繰り広げていた戦士のものとは思えなかった。微笑んですらいる。

 「フフ……不思議なものだ。かつては災害と同じように畏怖されていた私が、異世界では別れを惜しまれている。それだけでも、このオリソンティ・エラへ顕現した甲斐はあるな」

 「レブ……」

 どうしよう、レブが消えちゃう。せっかく専属契約を結べたのに。頭の中がぐるぐる掻き混ぜられているようで、泣くことしかできない。

 「貴様は、良い召喚士だ。自分の力量を弁え、悩んだ事もあっただろう。向上に努めるその姿を見ていて私も感化された。貴様に何かしてやれる事は無いか、とな」

 「ひっく……うっ……!私だって、貴方に何かしたい!もっと!これからも!」

 止めどなく流れる涙を、血で汚れているのも構わずローブで拭う。そこでやっと鼻声だけど、声を出せた。

 ふむ、とレブは手で顎を揉んで、何かを思い付いた様に目を大きく開く。

 「またブドウが食べたい。用意してくれるか」

 「うん……!うん!帰ったら、一緒に食べようよ!」

 レブの姿がどんどん見えなくなる。それは、私の視界が涙でぼやけているからではない。

 「……楽しみにしている」

 「レブ!」

 レブは夜空を見上げると目を閉じる。同時に、その姿は闇に溶ける様に音も無く消えていった。風がふんわりと吹いて私の髪を揺らす。

 「あ、あぁ……」

 消えてしまった。夜空へ手を伸ばしても、届かない。指を曲げても、掴めない。

 「れ、れぶっ……!レブゥゥゥ!うわぁぁぁぁぁぁぁぁ………!」

 止まったと思った涙がまた溢れ出してきた。両手で顔を覆っても押さえ切れない。足に力が入らず、膝を擦っても他に何も感じない。

 初めて召喚したのは、口が悪くて偉そうな竜人。腕っぷしが強くて魔法も凄い、けれどスライムには何度もやられたブドウが好きだった私の相棒。

 いつも何だかんだで助けてくれた。困った時はぶっきらぼうな言葉で導いてくれていた彼に私は何も返せていない。それどころか、命を救ってもらうだけでむざむざ消してしまった。

 「いやだ……レブ……。もう……もう……」

 「……もうもう、となんだ。貴様は牛か」

 レブならきっと、私にそんな事を言って泣いている場合ではないと言うのだろう。だけど、もう彼は……えっ?

 「えっ?」

 顔から手を放すと、そこには見慣れた紫竜人が鼻を鳴らして立っていた。

 「………」

 「いきなり泣き崩れるからどうしたのかと冷や冷やしたぞ、まったく」

 そこにいたのは。

 「……おい貴様、何を呆けている」

 「レブ……?」

 「なんだ、さっきから」

 レブは苛立つ様子を隠そうともせず私を睨む。そうしている間に、ティラドルさんとフジタカだけがこちらに向かってきていた。

 「どうして……」

 だんだん、ぼうっとしていた頭の意識がはっきりとしてきた。どうして、消えた筈のレブがここにいるの?

 「力を使い果たした。だからあの姿を維持できなくなっただけの事だ」

 事も無げに言うレブはふんぞり返った。

 「き、消えたんじゃないの?」

 「私が消える訳が無い。貴様と専属契約を行い、魔力は現在も滞りなく供給されている」

 言って腕を上げると脇の下の部分には私が刻んだ陣がある。レブが縮んだ事で陣も同様に縮小されているが、間違い無い。

 「……それに、婚姻の誓いも立てたのだぞ。手放す筈が無かろう」

 「……えっ?」

 フジタカはレブの言葉が聞こえていたみたいで足を止める。ティラドルさんはまだよろよろと私達に近付いていた。

 「婚姻の意味が分からないか?貴様と添い遂げると宣言しただろうに」

 「へ……」

 添い遂げる……って、専属契約の時の?でも、あれって契約のためであって……。

 「まだ分からない……とな。妻、女房、連れ合い、家内、番い、細君、奥さん……。他に何か適当な表現がこの世界にはあるのか?」

 いや、違うの。私が言いたいのはそこじゃなくて……。

 「貴女はそのつもりではなかったのですか?」

 ティラドルさんを見上げて私は首を傾げた。

 「なんで……レブが、私と?」

 言っている意味はとうに分かっている。分からないのは、どうして専属契約でこんな事を言われないといけないのか、だ。

 「アラサーテ様がこの世界に来た理由。それは……婚活です」

 気付けばティラドルさんはレブではなく、私に敬語を使っている。

 「婚活……?」

 痺れる頭で鼻を啜りながら尋ねるのが精一杯だった。

 「嫁といい婚活といい、オリソンティ・エラの言語はそこまで複雑ですか?寧ろ短絡で原始的なのか」

 呆れて物も言えないと言わんばかりにティラドルさんは溜め息を洩らした。私だって意味くらいは分かる。

 「つまり、お嫁さん探しに来た、ってこと……?」

 「その通り。そして我はそんなアラサーテ様を追ってきました」

 私へ軽く拍手を送ると、レブが咳払いをした。

 「確かに、貴様の言い分も分かる。一方的だということだろう?」

 「えっと……」

 そこまで反論する段階にも達していないのは、私が悪いのかな。目がヒリヒリするんだけどもうどうでも良くなってきた。

 「あの時は時間も無いままに誓わせてしまった。かと言って、こういうのは……時間を掛ければ良いというものでもない。違うか?」

 いつもこちらの目をじっと見て話すレブが気まずそうに目を逸らした。

 「分かんないよ。……お嫁さんになりたいなんて思った事、ないもん……」

 「だとしても、聞いてくれないか」

 レブが目をこちらへ向けた。でも、少し揺らいでいる。

 「私は一目惚れ……してしまったのだ。セルヴァで出会った、あの瞬間から」

 自分の胸に手を置いて気持ちを伝えるレブに私は衝撃を受けた。初めての出会いと言えば……。


 「貴様が、私の召喚士か」


 「夢ではない。誇れ、この私を召喚したのだからな」


 ……雷に怯む私の前に現れた紫の異形。彼を見て、胸が熱くなった。あの時の気持ちは感謝だったか、達成感だったか、もっと別の物だったのか。

 「美しい髪に揺れる瞳……。無論、姿だけではない。見ていれば見ている程、健気な貴様に惹かれていった。……だからこそ、私は自身の力の至らなさに腹が立った」

 レブは自分の手を見下ろす。そのごつごつした手に私は何度も助けられている。

 「……知らなかった」

 「言えなかったのだ」

 自嘲気味に言ったレブと顔を見合わせる。不思議と、同時に口元が綻んだ。

 「意外にシャイですからね」

 そこにティラドルさんが調子良く加わる。レブは途端に顔を歪めた。

 「滅ぼすぞ」

 「ひっ!」

 ぼろぼろのティラドルさんとレブが並ぶと勝負は分からないように見えた。それだけ、今の姿をしたレブが頼もしく見える。

 「しかし、至らなさもやっと今回で報いることができた」

 レブが手を広げ、こちらに差し出す。

 「だ、だから……私の花嫁に、なってほしい」

 「………」

 言ってしまってから、レブは尻尾と腰をくねらせた。こんな事を言われたのは初めてで、どう返して良いのか分からない。

 それでも、レブが伝えてくれた気持ちに自分なりの答えをぶつけないといけない。

 「私で、良いの……」

 率直に思った。一目惚れして、花嫁になってほしいと言われたが、私はレブの隣に居ても良いのかと。

 レブは一度目を丸くした。

 「勘違いするなよ」

 言って、その目を鋭くし、ぎらぎらと光らせた。

 「貴様で良いのではない。……私は君が良いんだよ、ザナ」

 その声は、自分が知るレブではないと思う程に穏やかで優しげだった。

 体から力が抜けていく。もっと彼になら自分の気持ちを伝えられる。

 「急に言われても困るよ。さっきはそれどころじゃなかったし」

 「……そうだな」

 もっともだ、と言ってレブは下を向いた。

 「報いるって言ってたけど、それは違うんだよ。私、レブに支えられていた」

 レブから差し出されていた手をそっと握る。掌はつるつるとしていて、心地好い柔らかさだった。

 「……だから、答えを出すのに時間が欲しい」

 レブの手を引き、彼の頬に唇を寄せる。ちゅ、と短い水音を立てて鱗から放す。

 「今のはお礼。……必ず返事をします。それまで、私と一緒に居てくれないかな?」

 これが私の答えだった。こんな事、異性にするのは初めてだったから、私だって顔が熱い。だけど、レブは口をひくひくさせてもっと大変そうだった。

 「き、きききっき貴様がそういうのだ、仕方ない。私の専属召喚士でもあるの、だからな。……待ってやらなくも、ないぞ?……私の寿命が尽きる前まで、だがな」

 だったら、ずっと待っていてくれるって事だよね。

 「ありがとう。きっと……」

 「……あぁ」

 そこで、私はレブの手を借りて再び自分の足で立ち上がった。




 「行くよ、レブ!」

 「任せろ」

 今日のビアヘロ退治は初めてのチコと私、新米召喚士とそのインヴィタドのみで行う事になっていた。期限は三日。アラクランの村人達は不安そうだったけど、一人前の召喚士として認められるかどうか、今回の案件も査定に含まれる。私もチコも最初から全力だった。

 「アイツ、変わったか?」

 「どうかな。でも、俺達も遅れちゃいられない」

 チコとフジタカは顔を見合わせて剣を構えた。

 「そうだな。行くぞフジタカ!お前の一撃でビアヘロなんて消し去れ!」

 「背中は預けるぜ」

 ナイフを抜いて、フジタカが歩き出す。チコも続いてくるが、私は二人に声を張る。

 「二人とも、早く!」

 「「おう!」」


 タムズの退治からひと月が経った。トーロの怪我はしばらく長引いたけど、今は完治してカルディナさんと一緒に私達と別の任に就いている。チコも、今はリハビリしている段階だけど調子は良さそうだった。皆で快気祝いをしてから分かった事が幾つかあった。

 まず、本来のアラクランで退治しようとしていたビアヘロはフジタカが道中消してしまっていた。故に、タムズを退治してレブやフジタカといった元気な者で見回りをしても何も見付からなかった。今回は別のビアヘロが相手なので、アラクランには異界に通じやすい何かがあるのかも。

 フジタカのナイフはやはり、何でも消すナイフだった。だけど、やはり夜に使うとその効果は無くなってしまう。「やっとこのナイフでリンゴを剥ける」とフジタカは言っていたけど、消毒はしておかないといけないんじゃないかな……。

 「………」

 「どうした」

 肝心のレブだが、彼は専属契約する前に元の姿に戻っていた。その理由はレブの血にあった。

 レブの血が私に治癒力だけでなく、魔力も分け与えていたらしい。普段の私がレブの血を浴びていたら、魔力の増幅や精力がたちまち溢れ返って爆散すると言っていた。瀕死の人間だったから辛うじて活力を全快まで漲らせるまでに留めた。零れてしまう魔力はレブが本来の姿になって、私の膨れて爆発しそうな魔力分を吸い取って維持していたらしい。意識を取り戻し、レブの始終を見ていたティラドルさんは無茶をする、と肝を冷やしたそうだ。

 「ううん、なんでも!」

 「夜の献立なら、ブドウを忘れるなよ」

 血が体に馴染むまでの魔力増幅。それでも、私は専属契約を行えた。今まで勉強してきた召喚陣を見習って描いたが、今思うともっと工夫を凝らした意匠にできたのではないだろうか。


 やっぱり、まだ足りない。レブと釣り合うだけになれていない。


 「今日中に退治できたらね!できなきゃ……次の次の訓練が終わるまでブドウ抜き!」

 「貴様!私を馬車馬の様にタダでこき使う気か!」

 「それが嫌なら、頑張ろう!」

 「当たり前だ!」


 でも、きっと立派な召喚士になるから。猛々しく雷を操り吼える貴方に恥じない、堂々と胸を張れるような召喚士に。だから少しだけ甘えさせて欲しい。口が悪くても、優しくて強い、私にとって大切な貴方に。



                                 

                                                                          了

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