第十部 二章 ー知人の血の臭いー

 翌朝になってカスコ支所の所長室よりもまず先に、私とレブはニクス様の部屋へと向かった。中に入るとニクス様とカルディナさんが同じベッドに腰掛け、トーロは二人から少し距離を置いて椅子に座っている。私達が部屋に入ってもカルディナさんは挨拶を返してくれただけで、なかなかこちらを見てくれない。

 「他の連中なら、先に来て一声かけてから朝食を摂っている。昨日は一番早かったが、今日は少し遅かったな」

 「寝付きが悪くって……」

 レブに休め、と言われて目は瞑っていたけどどうしても頭の中に浮かぶ光景が眠りに落としてくれなかった。カスコや、ニクス様とカルディナさん、そして私達はこれからどうなっていくのか。……どうすべきなのか。カルディナさんに代わって口を開いたトーロに苦しい返事をすると、彼はニクス様を見る。

 「話しておいた方が良いでしょう。我々もザナ達と朝食を摂ったら所長室に向かうのですから」

 「うむ」

 昨日の私達がした返事もチコやウーゴさん達も知っているのかな。昨日も、話す時間はあったけど敢えて会わなかったし。

 「それぞれに話を聞かせてもらい、召喚士育成機関カスコ支所を出発した我々は引き続き旅を続行。ムエルテ峡谷へ向かい、フエンテとの接触を試みる」

 戦闘でも、陽動でもない。ニクス様も、レブも、フジタカも、ライさんも、フエンテの誰を標的としているかは違う。バラバラの目的で共通の組織を目指すのだから、今回は接触。

 「てことは……」

 「あぁ。全員で行く」

 答えてくれたニクス様はもちろん、一拍を置いてトーロとも顔を見合わせる。皆が同じ結論に至るとはなんとなく思っていたけど、やっぱりどこかで本当に良かったのかと考えてしまう部分もあった。特に……。

 「カルディナさん」

 「っ!」

 私が名前を呼ぶとカルディナさんは肩を跳ねさせた。すると、隣に寄り添うように座っていたニクス様がそっと手を握る。自分の手を見下ろしてカルディナさんはやっと落ち着いたみたい。

 「あの」

 「はぁ……」

 私の声を掻き消す様に、カルディナさんの溜め息が部屋に広がる。ニクス様はそんな彼女の手を握ってじっと顔を見詰めていた。

 「私とトーロはカスコまで一緒に来た他の召喚士とインヴィタド達と比べて、誰よりもニクス様の傍にいました。これまでも……これからも」

 ニクス様の手に空いていた自分のもう片方の手をカルディナさんが重ねる。

 「たとえどんな場所でも、私はもう彼から離れたりしない。だから私はもう、大丈夫」

 しっかりと顔を上げてカルディナさんはニクス様の方を見て微笑んだ。昨日までの張り詰めた表情とは違い、とても穏やかで見ているこちらまで気が緩む。……と言うか、二人の世界を見せられて直視していて良いのか迷ってしまうくらいだった。

 「それなら良かった。よろしくお願いします」

 私が確認なんてしなくても、ニクス様が口にしたからには皆も決意は十分な筈だ。むしろ、疑う様な真似をして悪い気がしてくる。

 「任せて。でも、問題はチータ所長と……」

 「あの王子だな」

 ゆっくりとニクス様から手を離したカルディナさんの言葉を先読みしてトーロが拾う。大事なのは私達の熱意や気力だけではない。まだ私達はあって当然の物を再確認しただけだ。

 「縄張り意識を持つな、と副所長に話していた矢先に俺達に出張るなと来たもんだ」

 「境壊の一柱とも言うべきこの地を束ねる身としての矜持、その鼻っ柱をへし折られた。あれが素なのだろう」

 トーロが出会った当初のチータ所長を思い返して苦笑するが、レブはこんなものとでも言いたげに分析していた。

 「我慢してたって事?」

 「立場を弁えた人間と思っていたのだがな」

 カスコ支所の所長として、か。チータ所長はただの召喚士じゃない。皆が知る召喚術が発展する源となったカスコという町の召喚士、というだけでも肩書としては一目置く。加えてその召喚士達を育成する機関の頂点を一人で背負う……。私には想像もできない。だけど、召喚士として平等に接しようとしてくれたあの態度は本心ではなかったのかもしれない。だから、ロボに逃げられた時もフジタカに当たり散らして……。

 「さて、どちらの顔を見せるか……。この期に及んで突っぱねる様であれば厄介だぞ、あの手合いは」

 「今からそんな事言わないでよ、緊張しているんだから……」

 トーロからの忠告は分かっていたようでカルディナさんが肩を落とす。

 「自分が進言すれば無視はしまい」

 「仰る通りではありますが、まずは私から話してみます。頼り切りではいられませんから」

 ニクス様からの提案だったがカルディナさんは自発的に話す事に決めた様で微笑んだ。握っていた手を離すと二人はゆっくり立ち上がる。

 「まずは腹ごしらえしてから。行きましょう」

 カルディナさんとニクス様の後に続いて私達は食堂へと向かった。歩いている道中、そして食堂の中も時折鼻を突いたのは血の臭い。フエンテの襲撃で負傷した召喚士達もまだまだ癒えていなかった。

 「少し前も妙な空気だったけど、なんか更に気まずいよな……」

 食事を摂り終えていたフジタカは縮こまって肩身を狭そうにしている。彼の正面に座った私も、後ろを通る人の視線は気になっていた。

 皆がチラチラとこちらの様子を気にしている。しかし、私達がカスコに着いた時に向けられた好奇心旺盛な視線ではない。

 「うん。フジタカ、見られてる」

 「分かってるって」

 一度捕まえたフエンテ襲撃の犯人、ロボと同じ力を持つ同じ人狼の少年を食堂の利用者が様子を窺っている。それが逃げられた事も多分、知られているよね。でもどうやって逃げたかまでは違う噂も広がっていそう。

 「逃げ出したのをトロノの連中が知ってて取り逃がした、と思われてるっぽい」

 フジタカの折れた耳が一度だけ立って、すぐに畳まれる。実際に良からぬ噂が聞こえていたらしい。

 「あんなの、対処できるわけないよ」

 敵対勢力だし、能力の封印も兼ねて刃物は持たせなかった。それでもあんな風に体内に仕込まれていたなら簡単には防げない。……というのはこちらの言い分。知らない人からすれば逃げられたという事実が一番なんだ。

 「所長とニクスさんの手前だから表立っては言えないけどな、だってよ。……せめて余所の部屋で言ってくれよ」

 その所長に会う前からフジタカは気が滅入っている様だ。聞かれていないと思って聞こえてくる陰口で気が重くなるのもよく分かる。

 「怪我を治したければ、その回る口から出た唾でも付けて擦れば良い。他人のせいにして心根を腐らせ肥やすよりも余程、健康的だ」

 リッチさんから買ったブドウを静かにもいでいたと思えば、レブがよく通る声で言ってしまう。フジタカも口を少し開けて何か言いかけたが、その間に何人かがゲホゲホ咳き込みながら足早に食堂から出て行った。

 「……これで、少しは静かになろう」

 「お前なぁ……」

 わざと聞こえる様に言ったんだろうな。素知らぬ顔でレブは茎から外した実を一粒放る。フジタカが苦笑する横を通り過ぎた召喚士がレブを睨んだ。……本気でレブに睨み返されたら、しばらく立ち直れないんじゃないかな。

 「他責にすんのは簡単だ。……でも、別に俺やフジタカが怪我させたわけじゃねーんだし。お前が気にすんなよ」

 腕を枕代わりにして顎を乗せていたチコがぶつぶつと言った。

 「……だよな」

 フジタカの表情が和らぐ。その間に私やカルディナさんも食事を終えた。

 所長室へ向かう廊下でも私達の方を見る目は幾つもあった。でも一人で歩いていた召喚士は物言いたげな目でこっちを見るだけ。何か言っているのは二人以上で固まっている人達だけだ。カスコの召喚士だからって、反応はそこまで大きく変わらない。皆が今起きている不測の事態を不安に思っている。

 所長室に肝心のチータ所長はいなかった。人に聞こうにも、近寄ろうとするだけでするすると後ずさりされてしまってなかなか聞き出せない。しかし、窓の向こうで鎧姿の女性を見付けて私達はカスコ支所の玄関を開いた。

 「……勢揃いだな」

 扉を開けると同時に、音で気付いたチータ所長が振り返る。そこにいたのが私達だったもので、すぐに目を細めた。

 「む……」

 全員でぞろぞろと外に出終えると、所長はフジタカの姿を見てつかつかと歩を進める。

 「な、なんすか……」

 急に目を光らせて自分の前に立ったチータ所長にフジタカも口を曲げる。無言で詰め寄るには眼力が強い。

 「……いや」

 チータ所長は今にも昨日の様に掴み掛りそうだったけど、一線を越える前に自分から視線を外して首を横に振る。

 「……すまなかった。昨日は、取り乱して君達にもカスコ支所の所長としてみっともない姿を晒してしまった」

 口から出た謝罪の言葉。それが本心と言うよりも、上辺だけに聞こえてしまうのはレブの言っていた事が引っ掛かっているからかな。

 「頭は冷えたようだな」

 「お陰様でな」

 一言謝ったからか、レブに対しての所長の態度は初めて会った時の様に昂然としていた。拗れるのも覚悟していたけど、これなら話はできそう。レブもそう思ったからか、確認だけしてカルディナさんの方を見た。

 「所長」

 レブに話を促されてカルディナさんは意を決した様で前へ出る。チータ所長の目線もやっとレブとフジタカから外れた。

 「契約者ニクスとその護衛任務を遂行するトロノ支所の召喚士達ですが、全員でムエルテ峡谷へ向かいます」

 「そうか。ならば都合が良い。我々も召喚士部隊の何割かをフエンテへの追撃、およびイサク王子奪還の任でムエルテへ向かわせる。君達にも同行してもらいたい」

 所長がフジタカをじっと見る。

 「フエンテを裏切ったと言う人狼の言葉……。口惜しいが手掛かりはそれしかないからな。しかし、君の感応力は私が同行した時に見せてもらっている。フジタカ、君が我々の切り札になるかもしれない」

 「俺の力っつーか……」

 ライさんもだけど、一夜明けたらだいぶ落ち着いたみたいだけどフジタカはそんな所長を気味悪そうに見ている。まして、能力を発揮する道具の様にしか見られていないのだから。レブと違ってフジタカはインヴィタドとしての扱われ方に納得できていないと思う。

 「他の誰にも真似はできまい」

 そこへレブが後押しをする。何を言い出すのか、とフジタカは口を開きかけたが肩を竦めるだけに留めた。

 「だな……。俺が親父を探して先行する。その先にフエンテがいるとは思う。だからそっからは……」

 「あぁ。後は我々カスコ支所の召喚士が、このカスコへ汚泥を塗った代償を支払わせる」

 所長からは冷たく、そして奥底が見えない程の圧を言葉と同時に感じた。特段語気を荒げるでも、眉間に皺を寄せるでもなかったのに。ライさんが目を細めたけど、口は開かなかった。

 「時間を取り戻す為に今夜出立する。遠征の準備はこちらで進めているが、君達の備品も申請さえあれば手配しよう」

 「ありがとうございます」

 カルディナさんが深々と頭を下げるのに合わせて、私達召喚士も礼をする。チータ所長は私達には構わず、ニクス様の前へ立った。

 「奇襲とは言えカスコを破壊したのは、ビアへロではなく召喚士とインヴィタドです。ムエルテの厳しい環境と相まっては御身の安全も保障できかねる。……ニクス様、本当によろしいのですね?」

 背丈の関係もあるが、ニクス様を半ば睨む様にチータ所長は見上げている。でもニクス様も動じた様子はない。

 「無論。自分がここまで旅路を共にした信頼に足る彼らと進むのだ、貴殿らの援護を前提にせずとも不安はない」

 ニクス様にそう言ってもらえると、やっぱり私達も誇らしい。考えてみると、カスコ支所の人達がムエルテへ行かないとしたら私達だけで行くつもりだったんだ。

 「ふ……それは結構」

 皮肉を込めたと言うより、さっきの圧が吐息と共に吹き抜けた様な笑みだった。

 「しかし安心して頂きたい。派遣するカスコの召喚士も、この場にいる彼らと同等以上の働きをしてみせましょう」

 「頼もしい事だ」

 ……うん、レブのは皮肉だよね。

 「……。では、私はこれから捕らえたフエンテの召喚士達への尋問があるが、今晩までに出立の準備を進めてほしい。日暮れ前に一度集合をかける」

 最後にレブを一睨みしてからチータ所長は足早に出て行った。レブに失点を見せた自覚があるから言い返さなかったんだと思う。

 「これから一緒なのに仲悪くなりそうな事は言わないでよ」

 「そうよ、肝が冷えたわ……」

 「ダメだぞ、デブ」

 「……ふん」

 私に続いてカルディナさんとフジタカからのダメ出しにレブはそっぽを向いた。どの口が言うんだ、って思ってるんだろうけど見直す機会は必要だよ。

 「元から任せるつもりはないんでしょ?それは私も同じ気持ちだから」

 こちらに向き直ってレブは目を伏せ何度も頷いた。

 「その意気を私は買うが、言わせておけば良いと考えたか」

 「えっ」

 どこか楽しそうにレブの尻尾が床をするすると這った。カルディナさんとチコ、他の皆も苦い表情をしている。

 「口に出さないでいてくれるだけありがたいけど……」

 「だんだんデブに似てきたぞ、ザナ……」

 二人のダメ出しが今度は私に向いた。歯切れの悪い遠回しな指摘に私も発言を顧みて顔を青くする。

 「ち、違うの!カスコの人達が頼りないんじゃなくて、それ以上にレブ達なら安心って言うか……」

 「フォローになってないんだって……。ま、実際そうなんだろーけどさ」

 煙が立ち上るカスコで飛んでいた時にレブと話した事だ。他の人よりもこの場にいる仲間になら任せられるって。でも、それって持ち上げた分だけカスコの人達への評価を落としちゃってたって事なのかな……。

 出立までの時間に私はレブ、そしてカルディナさんとトーロと一緒にミゲルさんとリッチさんの店へと向かっていた。備品はカスコ支所で調達できたから、どちらかと言えば今回は別れの挨拶だった。

 だけど、着いた店の中が荒らされていて私達は挨拶どころではなく言葉に詰まってしまう。中に入ると奥は意外に綺麗だったが、入り口付近の棚は何かの爪や刃物による傷や焦げ跡だらけだった。潰れた野菜や果物の汁も店の床を汚してそのままの状態。掃除をしようにもどこから着手するべきか悩んでしまう。

 「買い物に来たんじゃないなら、のんびりされても困るぞ。冷やかしはお断りだ」

 開口一番にミゲルさんが私達に向けたのは、いつにない低い声だった。

 「私達は今夜、カスコを経ちます。……二人はその……どうするのかと思って」

 「…………」

 腕を押さえながら言葉を選ぶカルディナさんをしばらく見つめ、ミゲルさんは深い溜め息を吐き出す。頭をバリバリと掻いて背を向けると露骨に肩を落とした。

 「あー……。悪い、ちょっとらしくないな、今の俺」

 続いて何を思ったのか突然自分の頬を二度叩く。そして私達に向き直ったミゲルさんは頬を赤くしながらにっこり笑った。

 「リッチがこのゴタゴタで怪我してさぁ。正直ちょっと参ってる」

 「え!?」

 カルディナさんが口元を押さえて顔を青くしたけど、私は店の奥にあった扉の端から長い耳が覗いているのが見えてしまう。

 「……大丈夫なんですか?」

 「左腕をやられてな。……あぁ、たぶん平気だとは思う。こういうのは町の外じゃよくあるし」

 ひらひらと手を振るミゲルさんを見計らった様に耳だけ伸びた扉が開かれる。

 「もぉちょっと心配してくれてもええんちゃうっ!?」

 大きな声と共に現れたのは、三角布で添え木を当てた左腕を吊るしていたリッチさんだった。二の腕に巻かれた包帯は赤い染みを滲ませている。

 「リッチ!その怪我は……!」

 「やっちまったわなぁ!治そうにもミゲルは妖精とか召喚するの苦手だし、医者はもう僕の事なんか構ってる暇ないからって構ってくれないし!もう痛いのなんので騒ぐしかないよねぇ!」

 トーロが心配そうに駆け寄るが、当のリッチさんはいつもの調子だった。

 「……無理すんなよ」

 「痛くてもお客さんを、お友達を前にして暗い顔なんてしてられんって!」

 その後ろでミゲルさんがリッチさんを見る目は息を呑んでいる様に張り詰めていた。もしかして、私が思っているよりも本当は深刻なのかもしれない。

 「だからってお前、昨日は丸一日起きなかったんだぞ!」

「え?じゃあ一日見張っててくれたん?そりゃあ悪かったなぁミゲル!」

 最初にミゲルさんが暗かったのはリッチさんが起きなかったのと、見張りで気詰まりしていたからかな。だとしたら……。

 「私達、すぐに行けなくてすみませんでした」

 「ザナちんやカルが気にする事じゃないよ!町の襲撃で契約者の護衛が身動きとれないってのは良く分かるしね!」

 怪我人に励まされてしまった。

 「はぁ……。人の気も知らないで」

 「お前が寝ずに看病してくれてたのは知ってるって!なんとなくだけど!」

 怪我をしていない右腕でリッチさんは何度も遠慮なくミゲルさんの肩を叩く。痛そうな音を立てているけど、ミゲルさんの表情はさっきよりも随分明るく見えた。

 「だったら、店のぶっ壊れた棚の修理とかよろしくな。俺はお前のお守りでくたくたなんだから、休憩させてもらうわ」

 「ちょっと!怪我人を粗末にして良いワケじゃないんだから!」

 「わーってるっての」

 ミゲルさんが倒れて転がっていた椅子を引っ張り出してリッチさんの方へと押しやった。リッチさんはすかさず尻尾を一度拭く様に椅子へ滑らせてから腰掛ける。二人ともいつもの調子で話してやっと落ち着けたみたい。

 「こっちの被害状況は見ての通りだ。奥の商品は俺とリッチで守ったから、怪我は気になるが商売自体ならすぐできる。でも自分達の事で手一杯で、周りの状況はほとんど分かってない」

 ちら、と見ただけで明らかに人間業じゃない荒らされ方と分かる。フエンテのインヴィタドが見境なしに暴れたんだ。

 「二人でよく追い払えたな」

 「いやいや、あんな殺気ムンムンの連中とか無理。カスコ支所の連中だよ、倒してくれたのは」

 トーロが訝しんだところでミゲルさんが首を振る。わざとらしく自分を抱く様にして震えて見せた。

 「インヴィタドをこのカスコで暴れさせるなんて、前からザナちん達が話していたやつぐらいだよな。フエンテ、って言ったっけ?」

 「えぇ。そのフエンテを追って、ムエルテ峡谷に向かう事になったの」

 カルディナさんが告げた行き先を聞いて目の前の二人は目を点に変える。そうか、最初に来た時点では言っていなかった。

 「契約者とフジタカを囮に、私達はフエンテを追ってカスコまで来たんです」

 本来であれば海に渡ってシタァやカスコに行く予定なんてなかった。西ボルンタ大陸の町をあちこち巡って契約の儀式を行い、一部で召喚士選定試験を行ってトロノに戻るだけ。それでも長い旅になったのは間違いけど、こんなにも遠くまで来たなんて今も実感はあまりない。

 「囮……?ブラス所長の考えか?」

 ミゲルさんの顔が険しくなるのと対照に、カルディナさんの表情は沈む。

 「いいえ。ニクス様が……私達が、決めた方針です」

 一存ではない、自分も合意したと言わせたのは私達だ。だからカルディナさんを見るミゲルさんの視線を遮る様に私は前に出る。

 「黙っていてすみませんでした。フエンテがこちらを追ってきたのも最初だけで、今では立場が逆転している様な状態ですけど……」

 「君らが来たから、カスコで連中が暴れたのかい?」

 「う……!」

 語気は強くないがミゲルさんの視線が私に向いたまま尋ねる。真っ直ぐな問いに私は声を詰まらせてただ頷いた。

 「……そうか」

 頬杖をついてミゲルさんは目線を外すと、深く息を吐いた。少なくとも、私達がいないカスコでフエンテがこんな風に表立って召喚士達を攻撃するなんて考えられない。だとしたらやっぱりこの被害は……。

 「まぁまぁ!そんなに暗くならないでよ!ザナちんやカルだけじゃなくて、ミゲルも!」

 重くなり始めた空気を払拭する様にリッチさんが声を張る。静かになりつつあった空間に突如生じた良く通る声は耳に痛いくらいだった。

 「……お前なぁ」

 気怠そうに手から顔を離したミゲルさんが睨む。リッチさんは気にせずにミゲルさんの赤い毛をわしわしと掻き回した。

 「ヨソはヨソ、って割り切っていたのはミゲルの方やん!僕がケガしても生きてればいいっしょーに!カルやザナちんに感じ悪くするのはスジ違いちゃう?」

 「それは……」

 リッチさんの言葉に気持ちが軽くなりかける。でも、その一言に甘えてはいけない。

 「はいはい!カルやニクス様が来た“せい”で怪我をした!フエンテが暴れた“せい”で怪我をした!言うのは簡単!でも、だったら僕が怪我をしたのはカスコにいた“せい”っても言えるやん?」

 言い方の問題だけどミゲルさんの表情は少しだけ強張らなくなった。

 「……だな」

 「でっしょー?もー堪忍な、ザナちん?おっさんが怖い顔して。後で僕がよーく叱っとくからな!」

 「い、いえ……」

 リッチさんだけが変わらないで接してくれる。普段の調子に私がおろおろしてしまった。

 「ま、リッチを怪我させた召喚士とインヴィタドはカスコ支所で対処してくれたし。……まして、本人がこう言ってるんじゃな。ごめんな、ザナちん。俺は君達の“せい”にしかけていた」

 「謝るのはこちらの方です。お二人がそう言ってくれるのはありがたいですが……イサク王子含め、私達の失態も多いですし……」

 チコも他責にするのは簡単と言っていた。だけど私達はこの場に立つ責任を果たさなければならない。

 「うにゅ?あの王子、どうかしたの?」

 リッチさんの耳がピンと立った。ミゲルさんも口をぽかんと開けている。

 「フエンテに誘拐された」

 それは、完全に私達の“せい”だ。レブも分かって口に出している。

 「は、はぁぁぁぁ!?あの王子、あんな時にまた城抜け出してたのか!」

 ミゲルさんが言っていた通り、本当に外の状況は知らなかったんだ。だけどその予想は当てっている。

 「かぁ……。あんな王子でも人質くらいにはなるだろうから連れてかれたんだろうな。自業自得って言ったら俺らもだけどよ」

 目的は私達だったのに、王子は居合わせたところをベルナルドに拉致された。向こうからすれば予想外の儲け物だったと思う。

 「ムエルテ峡谷にフエンテの拠点があるらしくて、そこに捕らわれている可能性が一番高いんです。だからそこへカスコ支所の所長達と同行します」

 「あのおっかない所長とか……」

 チータ所長とも会った事があるのかな。だけど、ミゲルさんの顔を見るにあまり話したくはなさそう。

 「かなり頭に来てたんじゃないのか?カスコをよくもー!って」

 「その心配は無い。一晩で頭を冷やした様だからな」

 その頭に冷水をかける様な事を言ったのはしれっと答えたレブだ。

 「はっはっは、だったら安心だな」

 あまり力は無いけどミゲルさんが笑う。そこでやっとカルディナさんの前から退いた。

 「今夜には出発するわ。だから今のうちに顔を見ておきたかったの。だけどこんなになっているなんて……」

 カルディナさんが改めて店内を見回す。だけどミゲルさんとリッチさんは顔を見合わせてから、暗い雰囲気を打ち消す様に固まった表情から笑顔を作って見せた。

 ミゲルさんがポン、と突き出たお腹を右手で叩くと痛む左腕まで響いたようで少しだけ呻く。しかし堪える様に笑ってくれた。

 「無理しちゃって。じゃあ……お大事にね」

 カルディナさんは最後に優しく血が滲んでいない包帯部分を擦った。リッチさんはにっこりと笑って私達を見送ってくれる。

 「無事で無傷とまでは思っていなかったけど……もどかしいわね」

 店を後にして角を曲がってから、開口一番にカルディナさんが呟いた。店の二人へ見せた笑顔はすっかり曇っている。無理して笑ったのはお互い様だった。

 「避難する余裕もなかった、って事ですよね」

 弱いビアへロなら結界が侵入を拒む。結界を破るだけのビアへロならカスコ支所の召喚士も感知する。だけど、結界は易々と突破して町中で召喚士がインヴィタドを呼び出したらどうなるか。誰もがそんな想定まではしていなかった結果だ。

 「…………」

 「トーロ?」

 途中からずっと喋っていなかったのも気になったけど、目線もどこか今を見ていない様に感じて声をかけた。名前を呼んでようやくトーロの目に光が宿る。

 「あ、あぁ。すまん……どうした?」

 「いや、なんかこう……」

 私から言い出すのもどうかと思って、カルディナさんへ目線を送る。すぐに気付いてくれたみたいでトーロの横に並んだ。

 「トーロ、もしかしてニクス様の護衛の事……。本当は不本意だった?」

 カルディナさんなら私が考えていた事よりも的確にトーロが抱えるつっかえを聞き出せるとは思う。でも、口から出た言葉は予想を遥かに超えて深い部分を突いていた。

 「な、なにぃ!?」

 唐突な質問にトーロが目を丸くする。私だって同じだ。

 「そ、そうですよカルディナさん!トーロが……トーロがニクス様の護衛を嫌がるわけないじゃないですか!」

 「その牛はお前よりもとうの昔に心を決めている。今の発言はその覚悟への冒涜と知れ」

 レブも私を庇う様にしてカルディナさんの前へ立つ。私達二人で言うものだからカルディナさんも困惑してこちらを交互に見る。

 「ふふ……はは、ぶわっはっは!」

 「トーロ……?」

 顔を押さえながらも歯を見せて、堪えていたトーロだったが急に腹を抱えて笑い出す。怒鳴りはしないまでも、てっきり気まずい雰囲気にされると思っていたけどその反応には私とレブも顔を見合わせる。

 「いや、カルディナの間抜けさもだが……お前達がそこまで俺を買ってると思わなくてな……。他人事の様に笑ってしまった……くく……」

 まだ笑い足りないのかトーロは腹を押さえずにニヤニヤとこちらを見ている。

 「別にお前の為に異を唱えたわけではない」

 ほら、レブはすぐに拗ねるし。

 「……少し空気を吸うか」

 トーロが親指で差したのは、先日契約者の儀式を行った集会場のある広場だった。準備はほぼ終わっているし、カスコ支所ではどちらかと言えば肩身は狭い。

 それに、トーロがこんな風に寄り道を提案するなんて珍しかった。普段らしくない彼の姿が気になったのは私だけじゃないみたいで、レブとカルディナさんも静かに続いてくれる。

 「さて、と……」

 集会場の建物内までは入らない。カスコ支所の召喚士達が復興の打ち合わせで慌ただしく出入りしている様子を遠目に眺められるだけ離れて私とカルディナさんは長椅子に座る。腰を落ち着けた私達を見て、ようやく気を静めたトーロも口を開く。だけど中身は纏まっていないみたい。

 「誘ったのは貴方よ。何か言ってもらわないと」

 「分かっている。……そうだな、まずはお前の質問へ答えるか」

 トーロを急かすカルディナさん、って構図は貴重だと隣で思っていた。レブも立ったまま私の隣で腕を組む。

 「俺はお前のインヴィタドなんだ。お前がニクス様を守らずとも必要とされる限り、お前は俺が守る。そして同時に、俺はお前が守りたいニクス様を守る術でもある」

 「うん……」

 かじかむ手を握ってカルディナさんが俯いた。

 「決意したのだろう?俺を言い訳にして考え直そうとするな。逃げ道を作るのは悪い事ではないが……芯は通せ」

 「……ごめんなさい。彼の言う通り、貴方も生半可な気持ちで今日まで一緒に来てくれたんじゃないもの。それは私が一番知っておき、汲み取らないといけないところだったわ」

 ニクス様と相談されての決断。レブだって指摘はするけど、そこまでぴしゃりと言えるのはトーロとカルディナさんの間柄だからだ。

 「それで?ザナはカルディナとは違う目で見ていたんだろ?何か言いかけていたよな?」

 「あぁ、うん……。」

 フジタカがビアへロと気付いた時といい、トーロは見逃してくれない。多分、それが彼を悩ませている部分でもあると思う。

 「カルディナさんとは違うんだろうけど、トーロがどこか心在らずで。何か悩んでいない?できれば、解消したいなって」

 契約者の警護をずっとしてきたトーロは私達以上に全体を見てくれている。だけど、私達が他に注力し過ぎてトーロを見てあげられていなかった。今回話を聞いたくらいじゃ足りないだろうけど、この先にはフエンテとそのインヴィタドもいる。何が起きるか分からない状況に突っ込む前に不安材料は取り除いておきたい。

 「気を遣わせたな」

 「ううん。こっちこそ、いつもありがとう」

 トーロの口元がふ、と綻ぶ。

 「少し言いにくいが……。最近、どうもライが気になってな」

 やや間を置いてからトーロは教えてくれる。だけどカルディナさんは首を傾げた。

 「貴方が気にしていたのはフジタカだったじゃない」

 「アイツとは別の件だ。そういう意味じゃない」

 フジタカの事も気にしている様だけど、それはカルディナさんとの間で解決しているみたい。体術とかニエブライリスの能力の事かな。

 「じゃあ、どういう意味?」

 「………」

 カルディナさんが重ねて聞くとトーロは口を詰まらせた。

 「思い出したくない連中の眼によく似ているんだ。俺が、カルディナに召喚される前に見た、な」

 「私にも話した事の無い話ね。……貴方の過去にはあまり詮索しなかったもの」

 召喚した当初は細身で生き様を見失っていた、とはカンポへ向かう船で聞いた事がある。だけどどうしてそんな状態だったかまでは分からない。……あの時は船酔いでふらふらしてたし。でも、カルディナさんでさえ知らなかったんだ。

 「お前があの世界から俺を切り離し、仕事を与えてくれた。それには感謝しているんだ」

 困った様に笑うトーロだったが表情が途中で張り付く。

 「してるんだが……そこで、ライだ。あの男を見ていると昔を思い出してしまう」

 胸に手を当てて深呼吸する。静かに吐いた息だが凍て付いて細く白い蒸気がしばらく伸びた。

 「俺の親は俺の眼前で殺された。親を殺した奴らは、どうやら俺の親を恨んでいたらしい」

 復讐でトーロの親は殺された。その殺人者の眼がライさんと同じ。ライさんも……フエンテに復讐しようとしているから。頭の中では色々な言葉が浮かんでは口を開く前に沈んでいく。今必要な一言ではないかもしれない、と。

 「俺は親が誰かに恨まれ、報復される様な存在だと思っていなかったんだ。だが、実際は違ったのかもしれない。……当時はそんな事も分からずに逃げ、追われ、隠れて怯えていた」

 トーロがゆっくりと近付いてきたので私は席を譲った。強張らせていた顔をほんの少しだけ緩めてトーロは座ってくれる。

 「そんな時に異界の門が開いて、俺は藁にも縋る気持ちで飛び込んだ。……それがカルディナの召喚陣の中だったのさ」

 「トーロ……」

 かろうじてカルディナさんが名前を呼ぶと、トーロは手をひらひらと振った。

 「過去の話だ、暗くなるのは止せ。お前が俺の心に平穏を与えてくれたんだぞ?体の生傷は絶えないがな。ぶわっはっはっはっ!」

 言ってトーロは冗談めかしてさっきみたいに大きな声で笑う。その声に通行人やカスコの召喚士も何人かこちらを見た。笑える状況ではないんだけど、だから無理に笑ったのかな。ミゲルさんやリッチさん達みたいに。

 「……ぶほん。話を戻すと、あのライの眼は若干俺の気持ちを昔に戻すんだ。俺に向けられているわけじゃない事は分かっているんだがな」

 「うーん……」

 暗くしない様にとトーロは努めて気にしない様にさせてくれたけど、今日まで随分悩んでいたんじゃないのかな。ライさんの事だってピエドゥラで気付いたにしてもそれなりに時間が経っている。

 「できれば、あんな顔をしないで済む様になんとかできないかと思っている。そうするには物騒な手段しか思いつかない自分が情けない」

 ライさんの望み通りにフエンテを根絶やしにするか。それとも、ライさんが最期まで戦い抜くのか。……私だって似た様なものだ。武器を取り上げるだけじゃライさんは屈しない。レブに一人で挑んだのを見た時にそれは思い知っている。

 「あのまま戦えば、あの獅子はそう遠からず倒れるだろう。だが、それが望みである以上は止まらぬぞ」

 レブが本人にも話していた事だ。

 「牛よ。お前が気にする事ではない。復讐は済んでいるのだ、あの男が掲げる次の願い……。覆すのはそう難しくはないぞ」

 ライさんに剣の刀身が折れるだけの一撃を浴びせられた後でもレブは涼し気な顔で意外な事を言った。

 「どういう事?」

 「あの獅子が新たな生き甲斐を見据えれば良い。死ねない理由だ」

 言うのは簡単だけど……。私の表情から読み取ったのかレブはあからさまに咳払いをする。

 「気付いているだろう。今の獅子は一本芯が通っていない。死にたがって生き急いでいる様に見え、その実殺す気の無い私に挑んで無意味に剣を折った」

 「だからって止めて欲しがっていたわけじゃない、よね」

 カルディナさんとトーロは私達のやり取りの意味が分からずに首を傾げていた。レブは構わずに頷いて話を続ける。

 「あの獅子は自分なりに立ち上がろうとしている。欲しかったのは否定でも肯定でも良かったのだ。自力で足掻く限界で疲れていたからな」

 自分の気持ちを貫くにしても、挫けてしまうにしても、ライさん自身では決定できなかったんだ。カスコが壊されてフエンテにも逃げられて、挙句にはレブに気絶させられて。私達に壁を作ってるから発散もできなかった。追い詰めたのは……私も同じなんだ。

 「改めてあの獅子はフエンテを狙うだろう。だが、一人にしなければ自ずと答えを見つけ出す。牛が気にするのならば離れぬ事だ。あとは時間との勝負だろう」

 「時間はないのか……?」

 レブの言い回しでトーロもだけど、私もすぐに思い至るには難しかった。

 だけど、ライさんを一人にしないだけならきっとできる。

 「獅子とは群れる獣だ。孤立した状態でも力を発揮するには背を預けられる存在、或いは眼前の敵を突破させないだけ守りたい存在が要る」

 あとは孤立せずに素直に仲間と一緒に戦うか。この町が襲撃された時、レブは一方をライさんに任せていた。……もしかして、そういう事かな。

 「ライさんが、私達の事をもう少し……もう少しだけ、仲間だと思ってくれたら無茶しないでくれる、って事かな?」

 「それを我々は強要できないがな」

 レブは素直に言わないよね、絶対。でも、カルディナさんもトーロもさっきよりは納得してくれたみたい。

 「……以前の彼なら、そうかもしれないわね」

 カンポで会った頃のライさんも、今のライさんも同じ人物だ。変わってしまったからと、無責任に戻ってくれとは言えない。だからレブは答えを見つける、時間との勝負と言ったんだ。

 「放っておいたら変わらないとは、俺でも想像はつく。だったら、こうしてはいられんな」

 トーロが膝を叩いて立ち上がる。だけどカルディナさんはそんなトーロのズボンの端を掴んだ。

 「……どうした?」

 「いつもごめんなさい、トーロ。貴方は、負わなくて良い負担まで背負ってくれていた。私が召喚してから、そして……召喚する前すら。私はそれに気付けなかった」

 俯いたままカルディナさんが立ち上がり、ゆっくりとだけど深々頭を下げる。

 「おい止せ。こんな人目のあるところで。それこそ迷惑だ」

 心底嫌そうにトーロは口を歪めてカルディナさんの肩に手を乗せ、顔を上げさせた。カルディナさんはそのトーロの手をじっと見て言葉を詰まらせている。

 「だって貴方は……」

 「そういう役回りだったというだけだ。今更謝られたところで、気にしていないとしか言えんぞ」

 レブとは違うけど、どこか納得か達観した様子でトーロは答える。

 「理不尽に慣れてマヒしていない?」

 「慣れたわけじゃない。苦しい事もあったが、それ以上に……」

 言葉を区切ったトーロはちら、と私とレブを見た。二人で顔を見合わせたけど、もしかして聞かれたくないのかな。

 「……俺は今ある暮らしを守りたいんだ。だからこのオリソンティ・エラをより良くしてくれる契約者が大切で、召喚士も大事なんだ。……抜けたところも含めてな」

 ふ、と笑ってからトーロはカルディナさんを見た。カルディナさんもそれを聞いて顔を赤くしている。

 「……ま、お前らにまで聞かす事じゃなかったな」

 カルディナさんにあてられたのかトーロは頬を掻いてやっとこっちを見た。

 「ザナにまで心配させていたのは俺も悪かった。今後はもう少し……」

 「いいんだよ、トーロ。気を遣うんじゃなくて、カルディナさんや私達にはもう少し溜め込まなくても良いんじゃない?」

 配慮が必要なのは何もライさんだけではない。トーロだってそうだし、本当はレブだって。

 「レブだってそうだよ?」

 「ふん」

 ……こういう人もいるけど。ぷいと顔を背けたレブからすれば、一緒にされたくはないのかな。

 「お前も大変だな」

 「どうなのかな……」

 レブに顔を背けられるのはいつもの事って思ってしまう部分もあるんだけど、そのままにしてちゃダメだったかな。彼なりに何か主張したかった態度の表れなのかも、と少し反省してしまう。言わないからって何も考えていないわけないんだしね。

 「話はこれまでにしておくか。今夜の出発まで、俺も休んでおきたいしな」

 トーロがゆっくりと立ち上がる。さっきまでの上の空ではなく、ちゃんと前を向いてくれていた。解決は出来なくても、共有できただけマシだと思う。

 「うう、すっかり冷えちゃったわね」

 カスコ支所へと向かいながらカルディナさんは自分を抱く様にしてぶるりと震えた。

 「そうですね……」

 頬が強張っている。指先で触れてみても冷たい、と感じないのは手まで既に同じくらいに冷え切ってしまったからだ。

 「夜はもっと冷えるんだぞ。風呂で体を温めても良いかもな」

 トーロの鼻息がもくもくと空へ上がっていく。寒気が強まっているんだし、その提案もアリかも。また冷えてしまうにしても冷えて動けないよりは良い。

 「防寒着の支給もあるそうだから早めに戻りましょうか」

 カルディナさんの足が少しだけ早まる。私も遅れないように続いた。その間に通る道も所々が崩れていて、足をもつれさせたけど何とか転ばずに踏み留まる。実はピク、とレブの手が動いてくれたのを見て私は静かに笑顔を作った。

 「トーロの分もあるんですか?」

 レブのさり気ない仕草だったけど気付かれたくなかったみたいで口を曲げる。それか、足元も油断するなとでも言いたかったか。私は少しだけ目線を下げてカルディナさんに話の続きを求める。

 「この寒さだとやっぱり今の服装じゃ厳しいわよね……」

 カスコだったらインヴィタド用の防寒着だって充実していそう。それに、トーロだけじゃない。

 「レブは」

 「不要だ……」

 侮るな、と言わんばかりに溜め息交じりに返されてしまう。今まで着てないのに、何を今更って事だよね……。気遣うなら別の事にしよう。

 「そこの竜人の様に寒くないとまでは言わん。だが、俺は動きやすさ重視だ。毛皮がある分な」

 そこが私達人間にはない強みだよね。少し肩に積もった雪をトーロが手で払う。あの毛皮のおかげで自分は直接濡れずに済むんだ。

 「だからカルディナ、俺も要らんぞ。足りない暖気はフジタカに温めてもらうさ」

 「そっか。フジタカも薄着が好きそうだけど、ちょっとは冷えちゃうだろうしね」

 毛皮の上着を常に羽織っているんだもの、暑い時期は辛そうだけど今は強みになる。

 「フジタカ君って温かそうよね。毛の厚みが違うというか……」

 「元から寒いのは得意って言ってましたもん」

 でも、だからいつもヘソ出しの丈が短い服装をしているかと言えば、元々着ていた服装からして違う。あれは後から聞いたらチコがフジタカに合うくらいに裾まで大きい服をあげなかったからだったらしい。フジタカは背も高いし、毛皮がなくとも胸も厚い方だった。……確かに、チコの服をあげただけじゃ足りないと思う。本人も困っていなかったし、それが当たり前と思って新しく手に入れた服も短めにしていたそうだ。


 カスコ支所に戻ると私達はリッチさんの怪我だけ皆に報告してから準備を再開した。こんな理不尽な目に遭う人を増やさないために私は召喚士になった。決して人を傷付けるために使う召喚術ではない。

陽が暮れて程なくして、輝かしい紫の鱗を持つ竜人の隣に立って私は星空の下を歩く。新たな旅の始まりだったけど、周りに聞こえる物音は召喚士になってから一度も経験がない物だった。

 あちこちで燃える松明と数え切れないだけの足音に、どこからか微かに聞こえる誰かの話し声。風に漂うシルフの声は聞こえない。

 フジタカのお父さん、ロボはもうムエルテ峡谷に着いているのか。フエンテは本当にいるのか。そこに、イサク王子は囚われているのか。そして……助け出せるのか。それぞれの思惑が渦巻く中で私達トロノ支所の召喚士とウーゴさんとライさん、ニクス様は他の召喚士達と違いあまり口を開かなかった。皆の覚悟は既に知っている。今更、道中で確認する事なんてない。


 こんな大勢で行進したこの道を、後になってまた来る事になるとこの時の私は思っていなかった。

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ドラゴ・インヴォカシオン-アラサーツンデレ竜人と新米召喚士- 琥河原一輝 @kazuki-kogawara

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