第九部 三章 -横槍の唐竹割り-

 ミゲルさんの言った通り、カスコで行われた契約者の儀式で見付かった召喚士候補生は前回と前々回と数を減らしていた。カスコ内だけ見ると二年前が百八十六人、更に前回の今から数えて五年前は二百三十八人。……それより前は二百五十人前後が平均、かな。

 儀式に成功したその先、召喚士選定試験はそもそも腕に覚えがある人が受けるものだから、受験者は大半が合格している。だから恐らくこっちの数字はそこまで参考にならない。

 選定試験の仕組みも見直した方が良いのかもしれない。合格条件は基本的に一つだけ、他人の召喚陣を用いて異世界から何でも良いから召喚して見せる。それだけなら今の私だって別の場所でしらばっくれて受験すれば二重で合格してしまう事になる。この見極め方のせいでアマドルとレジェスはトロノ支所に入り込んだんだ。

 試験よりも問題は、十年後に数字がどうなっているか分からない事だ。今年や来年と続く召喚士選定試験には恐らくすぐに影響は出ない。今年の幼い成功者がすぐに挑む事は絶対に無いもの。

 「契約者との接触……効果を発揮するのはじわじわ数年経ってから、か」

 私とレブがミゲルさん達の所から戻り、一緒にカスコ支所の図書室に来てくれていたフジタカが記録を眺めて目を細めた。実際に数字を並べてみないと気付けないが、きっと他の召喚士達もこの事態は看過しない。

 「どう思う?どうしたらいいかな?」

 フジタカに尋ねると彼は資料から目線を外してこっちを見た。

 「新参者の俺に言うなってーの……。ビアヘロに対抗する力を呼べる人が減っていくってのは分かるんだけどさ」

 それもそうか……。意見を聞きたかったからこれも一つとしてあるかな。

 「うーん……」

 フジタカの隣でチコも唸って広げた資料を見ていた。

 「これってカスコだけか?」

 分析するにもまず集めたのはカスコという町だけ。あっちもこっちもと、オリソンティ・エラ中の資料はとても把握できないから一つに絞った。しかしチコの疑問も当然だと思う。

 「思えば……セルヴァでも受験者が減ってたんだよね」

 ニクス様が訪れ、レブやフジタカがやって来たあの日の試験……。その前に私達は契約者の儀式を受けている。その時も今年は合格者が減ったねと村の大人達が言っていた気がする。そこでまずは召喚士を目指すかどうかでふるいをかけられた。その後、選定試験で五人残ったうちの二人が私とチコ。選定試験の内容を見ていた大人達は喜んでくれていたけど、内心少ないとは思っていたのかもしれない。

 「世界規模で召喚士が減ってる……。あ、じゃあさ!」

 フジタカが別の資料を取り出して私に押し付ける。まだ文字を読むのがあまり早くないからだ。

 「ビアヘロはどうなんだ?召喚士が減っても、ビアヘロさえいなければこの世界の人だって困らないだろ?」

 「あぁ、うん……。ちょっと待ってね……」

 ぱらぱらと紙を捲って数字だけを拾い出していく。列挙してみるとビアヘロとの遭遇、退治の数に関してはそこまで数字に変化は見られなかった。ほとんど横ばい。

 「ビアヘロは減らないのに将来の召喚士は減ってくのか……」

 インヴィタドは一人一体しか召喚できないわけじゃない。だから召喚士一人で複数のビアヘロを同時に相手にする事もできる。勿論、どの召喚士もできるとまでは言わないし負担は大いに増えてしまう。フジタカはそれも気にしているみたい。

 「待て」

 一旦話を整理しようと、記帳だけ開いて資料を閉じようとした。しかしそこにレブの手が私の手と重なる。

 「な、なに……?」

 「いや、減っていると言うには早いかもしれん」

 言われて目を資料の方へ再び戻す。レブの手が退いて開かれた資料を今度は数字以外の部分も読んでみる。

 一つ、特記事項で気になる部分が私にもあった。しかも、それは毎年個別に分けて整理して記録されていた。

 「現出するビアヘロの数は変わらない。それは分かった。分かったけど……じゃあ、質の方はどうか、って事……?」

 私の疑問交じりの回答にレブは満足げに頷いた。それを見てフジタカもこっちを見る。

 「え?何?」

 「ええとね……」

 どう説明しようかと思いながら私は紙の端にペンを走らせる。その間に話の内容も少しずつまとまってきた。

 「数は変わらなくても、強さや規模はどうかなって話」

 ビアヘロとは召喚陣を介さずにこの世界へ現れた異形の全般を呼ぶ。しかし、だからと言って小悪魔のインペットやフジタカ、果ては巨人のアルゴスを同じ言葉で一括りにしてしまって良いものか。

 カスコ支所ではその辺りもきちんと記録されていた。見れば小型と中型、そして大型に特型の四項目に分類されている。更に格付けされた中でも、例えば小型でも危険度が高い要注意ビアヘロの数やそうでない個体の数が記載されている。どの種族かまでは別の資料を見ないといけないらしい。でも、六年前に地竜がガロテの近くにビアヘロとして出現し暴れ回ったみたい。

 「……それで?」

 チコもフジタカもレブの意見は分かってくれた。要はその通りなのかどうか。指で文字をなぞりながら資料を読み直して気付いてしまう。

 「……五年前、かな。前々回の儀式の後辺りから……増えてる。特に、大型のビアヘロが」

 特型と言うのは文字通り大型の中でも特に大きなビアヘロを指す。そこに、小型や中型の枠に納まらない力を持ったビアヘロも特型に分類されていた。

 そんな恐ろしいビアヘロはまだしも、巨人やワーム、アラクランの方で現れたタムズ級の大きさのビアヘロの数が五年前と去年では二倍近く撃退報告が入っていた。カスコ支所の召喚士……まして、あのチータ所長も気付いていない筈がない。

 「二倍近く増えてる……。召喚士一人じゃ倒せないくらいの、大型ビアヘロの数字は年々増えてるよ」

 この格付けが全部他の場所と同じかは分からないけど、トロノの方で見掛けていたジャルやインペットなんて踏み潰せる様なビアヘロが増えているのは……やっぱりこの地方だからなのかな。

 「契約者の儀式後って表現だとまるでニクスさんが怪しいみたいじゃねぇか」

 「そうは言わないよ……。それに、この時もニクス様が儀式をしてくださったかは分からないもん」

 基本的にニクス様がカスコに訪れるのは召喚士達に伝える事がある時だけ。今いるカスコを含め、ガラン大陸は広いが別の契約者が普段は一人で儀式を行っていると聞いた。今回は通り道だったししばらく儀式が行われていなかったらしいから途中でも儀式をしていた。

 「……ガランの契約者。その者にも会った方が良いか」

 「契約者って自分の情報を共有できるんでしょ?顔を合わせなくても……」

 レブは何を考えて契約者に会うべきだと考えたのかな。もしかして、レブも契約者に原因があると思った……?

 「……今は北の方にいるって話だよ。冬を越すまではこっちに戻れないみたい」

 ボルンタ大陸にあったピエドゥラと違い、ガランにはテレモトという山が大陸の中央を遮る様にそびえている。その向こうで今は生活をされているが、山道が整備されているとは言え危険な山に冬は入れないそうだ。

 「ふん……」

 彼なりの考えで言ってくれたのは分かる。だけど私が順を追って話したら分かってくれたのか鼻を鳴らして引き下がった。

 「……でもこれではっきりしたよね。召喚士はこれから減って、ビアヘロは今後……増えそう」

 増えた年と減る年が周期的に繰り返されているのではない。一方は確実に減り、もう一方も着実に増えていく。この図式は既に成立してしまっていた。

 「ビアヘロは異界の門が開いて迷い込んでくるんだろ?それは止められない……よな。勝手に開いちまうんだし」

 椅子を揺らしながらチコが天井を仰ぐ。その隣でフジタカが何か思い付いた様に指を一本立てた。

 「じゃあ召喚士増やそうぜ!」

 「だからぁ、どうやって」

 簡単に言うフジタカにチコは苛立ちを隠さずに唇を尖らせる。

 「やっぱり……手当たり次第新しい召喚士候補の赤ちゃん産んでもらう、とか……?」

 特に良い考えを閃いたわけじゃなかったのかフジタカの語気はたちまち弱まって尻すぼみになっていく。最終的には疑問形にして気まずそうにこっちを見てきた。

 「……三人では足りないかもしれないな」

 「何を前向きに考えたの!?」

 隣でレブが呟く。いつぞやロカの村で私が子どもは三人欲しい、なんて言ったのをしっかり覚えてたんだ。

 「別に召喚士ってのは本人次第で血筋とかは関係無いんだろ?」

 「だったら産みまくれば召喚士は増えるって考え方も安直だと思うけど?」

 軽率なフジタカの発言でレブが鼻息を荒くした。それに対して反省を求めて棘を混ぜて言うとフジタカは苦笑いして鼻を掻いた。

 「じゃーさ。出生率はどうなってるんだ?カスコで子どもの数が増えてるのに召喚士候補の子がいない。それは問題なんだろうけどさ……」

 「……ただ単に、赤ちゃんがいないとしたら……当然、って事?」

 笑うのを止めてフジタカは頷いた。手元の資料では儀式成功者と選定試験の受験、合格者の数しか見当たらない。

 「召喚士どころか子どもが減っている、か。いつだか不作の年があったよな?そういうのにも地味に左右されるんだよな」

 チコも数字は覚えていないみたいだったがカンポで採れていた作物が不足していた時期は確かにあった。町一つの召喚士が減っている話から大陸を跨いで随分と規模が大きくなっていく。

 「よく気付いたね、フジタカ」

 内容が内容だっただけにフジタカは小さい声で話したが、着眼点はあながち的外れではないのかもしれない。さっき安直って言ってしまったからかフジタカは顔をぷいと背けてしまう。

 「少子高齢化が進んでた国から来たからな」

 ……うん?将士降霊化?何か分からない言葉が聞こえて私とチコが目を丸くする。

 「だー!子どもが減って、じーさんばーさん達老人が増えてたって言ってるんだよ!」

 フジタカの解説でやっと意味が分かった。大人ばかりが増えてる国だったんだ。言われてみれば今の状況と重ねて考えるには丁度良い。

 「……ともかくだ。見方次第では、召喚士は意外と減っていないのかもしれない」

 「今分かっているのは強大なビアヘロが増加しつつあるという事か」

 フジタカの締めにレブも続く。インヴィタド二人でこの地方を分析されてしまい、まるで私達には出番がなかった。だけど、異世界から来た人達だからこそこういう見解を示してくれるのかも。自力では単に増減の部分しか見て判断していないと思う。

 「じゃあ、ビアヘロが増える理由って……」

 「異界の門が意図的に開かれている。という考えは私達だから至る結論だ」

 次の議題に移るとすかさずにレブが述べる。そして聞いた内容と私達に結び付けるのはあまりにも簡単だった。

 「フエンテがわざとやってる?フジタカみたいにか」

 「知らん。可能性の一つを提示しただけだ」

 一番手っ取り早いのはフエンテがフジタカをビアヘロとして召喚した様に、彼らが大型のビアヘロを呼び出すという構図。全部あの連中のせいというのはあまりにも暴論だからかレブも強くは言わなかった。

 「でもそれじゃおかしいんじゃないのか」

 やっぱりフジタカもフエンテの仕業にするには決め手に欠けると思ったのか首を傾げる。

 「俺、まだこの世界に来て一年経ってないよな?だったら時期が合わないし」

 「お前を呼び出す為に色々試験してたんじゃねぇの。そんで、アイツらが狩って金儲け」

 チコの考えにフジタカは即座に首を横に振った。

 「それも駄目だろ。フエンテって記録に残る様な目立つ真似は基本的にしないよな?こうも大型が出たって書かれてたんじゃ儲けられるもんも無理だろ」

 ビアヘロが記録されているという事はある程度カスコ支所の召喚士達が処分したのは間違いない。仮にフエンテが異界の門からビアヘロを呼んでいる前提で考えた場合、彼らが自分の取り分以外を討ち果たせなかった分がカスコ支所に回る。……彼らのせいにするにも、数が多過ぎるかな。

 「そうだよな……」

 「でも少なからず試していそうだよね」

 フジタカに対して一回しか召喚陣を通さない召喚をしているとは思えない。でも、カスコ周りのビアヘロとどう関連しているのかまでは憶測の域を出なかった。

 「また、アイツに聞かなきゃならない事が増えちまった……」

 フジタカがまだ完全には読めていない資料を見て目を細める。見ているのは資料ではなくその向こうの影に潜む誰か。

 「カルディナさんに話しておこう。あの所長だって聞いて味方になってくれたら心強そうだしさ」

 「止めておけ」

 簡単に私達で纏められる範囲の話も終わりに近付いてきた。チコも次に移す行動内容を確認するがレブは腕を組んで首を横に振る。

 「なんでだよ……」

 「我々の目的はフエンテの情報の拡散だ。だが、不確定の情報で悪戯にこの町に住む召喚士の不安を煽るのは得策ではない」

 ぴしゃりと言われてチコは口を曲げた。

 「要はあの所長すら信用してないって事だろ」

 「当たり前だ。そう易々と心を開かないのが竜人らしいからな」

 チコの皮肉に倍返しする様にレブは断言した。本来なら一番頼りにされないといけない人なんだけど、レブにかかればそうでもないらしい。

 「じゃあ明日起きてからカルディナさん達に話をしようよ。カスコの人達にはまだしばらくは黙っていよう?」

 でも、私も同じだな。昨日今日会った人よりも断然カルディナさん達の方が任せられる。そのカルディナさんやニクス様が一刻も早くカスコの人々に伝えるべきだと判断されるのなら、私はそれも一つの手だとは思うし。

 レブやフジタカの同意も得た上で私達がカルディナさんに自分達の考えを資料と共に提示するとすぐにカスコ支所外にあった図書室へと連れて行かれた。当然ウーゴさんやニクス様にも声を掛けてある。

 「手持無沙汰よりもよっぽど有意義よね。しかも、面白い」

 カルディナさんが司書の人に通してもらった統計資料の本棚にはガラン大陸だけではなく、ボルンタ……それこそ、セルヴァの子ども達の数まで記されているものもあった。こういうのもインヴィタドを使って調べているだろうな。カルディナさんは案内されただけなのにすぐに本棚から一冊取り出して机の上で広げる。

 「……あった」

 取り出した分厚い本を手早く捲ってある一点を指差す。それはカスコ支所で私達が読んでいた資料とよく似た書式で纏められていた。

 「子ども達の数を五年前と比較……。数は変わらないわ、ね。去年も今年も……増えなければ、一気に減っているわけでもない」

 カルディナさんの一言に私も資料を覗き込む。そこには見れば、五百人前後の子どもが産まれている。それはこの十年間を比較しても五十人以上の振り幅は見当たらない。大差無く子ども達は増えている。

 「じゃあフジタカの言ってた少子化ってやつは違うのか」

 「……でも、それじゃ困るんじゃないのか」

 私が退くとチコとウーゴさんも資料を読んで唸る。その横でフジタカがトーロを見て言った。

 「子どもが少ないから召喚士も少ないんじゃない。本当に召喚士になれる子が減ってる」

 「だとしたら召喚士の高齢化が進むな。次世代が増えていかず、ビアヘロはこの世界で暴れ回る」

 ウーゴさんを退かして本を読んでいたライさんが顔を上げた。

 「だが、これではおかしいだろう」

 ライさんはカルディナさんとウーゴさんに資料を指差して見せる。

 「子どもは五百人。それに対して集まった子どもの少なさは何だ?」

 もっともな疑問に、私は昨日五年前ぐらいは儀式の成功者は二百三十八人と資料で読んだのを思い出す。すぐに自分の記帳を取り出して私は皆で読んでいた資料の隣に広げた。

 「五年前やそれ以前は二百五十人ぐらい合格者がいます。それって、たぶんもっと多くの子どもが儀式を受けたって事ですよね?」

 「そうだな」

 レブと一緒に机を挟んで向かい側に立っていたニクス様も肯定してくれた。合格率は平均して見ても、半分は切る。だとしたら五年前、それ以前の結果は数字を見ても分からないではない。

 だけど、ライさんが首を傾げた通り前回の儀式では百八十六人。今回に至っては百人にも届かぬ七十七人。明らかに少な過ぎる。だけど今回少ない理由は分かっていた。昨日までの儀式は、そもそも儀式に足を運んでくれた子ども達が百十六人。そうして見れば余所よりは合格率は高いのだろう。

 「生まれた子ども全てが儀式を受けていないのか」

 ライさんの辿り着いた結論に私達は顔を見合わせる。異論は無い。だけど、どうしてかが分からない。

 「貧困で儀式を受けられない子どもがいないではない。だが、それにしても生まれた子どもの半分も契約を求めなかった……。ウーゴ、どうだ?」

 「これだけの子が受けないのは有り得ない……と言いたいね。この世界で召喚術は使えて損は無い」

 契約金は親が子へ託す願掛けや軽い投資の様なものだ。召喚術が使えなくとも健康に育つように、召喚術が使える可能性を得れば子の未来は拓けるかもしれない。養育費の一部としては些細なものであり、支払いを渋る者はほぼいない。契約者とずっと同行していたウーゴさんとカルディナさん、二人の召喚士は揃って頷いた。

 「ミゲルさんとリッチさんも少ないって言ってました。これってどういう事なんでしょう……」

 あの人達はたぶん前回の状況と比較して言っているんだと思う。他の町だったらもっともっと成功者は少ないだろうし。だけど、召喚士が集まるカスコでこの状況はあまりにもおかしい。

 「じゃあさ、全員は受けさせてもらえなかったとか」

 フジタカが読めるのか読めないのか、資料を指先で弄びながら呟く。その一言に全員の視線が一斉に集まった。

 「え?なに?……俺、適当に言ったんだけど……」

 「いや。間違っていない可能性はあるぞ……」

 皆の視線を集めて居心地が悪そうなフジタカを置いて、トーロとライさんもうんうん頷きながら自分の召喚士達を見やる。困惑しながらもカルディナさんはウーゴさんの顔色を窺っていた。

 「カスコの誰かが選んだ子どもだけしか……契約者の儀式を受けられない?契約者にも告げずに?」

 「誰がそんな……」

 私よりもカルディナさんの方が動揺を隠せずに俯いた。ニクス様はカルディナさんを静かに見詰めている。

 選ばれた者しか召喚士は目指す事もできない。どこかで引っ掛かる表現だった。

 「あれぇ?おい、そこの!お前らだ!」

 考え始めたところで、先日聞いたばかりの声が静かだった図書館に響く。なるべく私達がぼそぼそ喋っていたのを全て無に帰す様に足音もカツンカツンと鳴らして彼は現れた。

 「よぉ!こんな場所で会うとは奇遇だな!」

 「……イサク王子」

 私達の前に余裕の笑顔を見せて立った王子は真っ先にレブを睨み、それからニクス様へ顔を向けた。ニクス様は静かに頭を下げて見せる。

 「契約者ニクス。知っているぞ、俺も小さい頃に一度だけ見た覚えがある」

 「左様で」

 後ろに険しい表情でローブ姿の男女がこちらを見ている。恐らく護衛の従者だと思う。彼ら二人はいないものの様にしてイサク王子は私達に馴れ馴れしく声を掛けてきた。

 「それで、こんな場所で何をしているんだ?そんなインヴィタド共を連れて」

 あぁ、まずい……。

 「そんなインヴィタド、に泣かされて逃げ帰った腰抜けは絵本でも読んでいろ」

 「なにぃ……!」

 売り言葉に買い言葉。レブより先に反応できなかった私の落ち度だ。すぐにイサク王子は眉間に皺を刻んでレブを睨み付ける。

 「………」

 「う……」

 その王子を気にするでもなくレブは肘を畳んで自分の手を見詰め、握り拳を作った。たったそれだけだったが、イサク王子の顔からは皺が消え、血の気がさっと引いた様に見える。

 「レブ……」

 「分かっている。振り上げ、振り下ろす価値も……」

 「レブ」

 口で言うのも駄目。念押しでもう一度言うとレブは手を下ろして代わりに顔を背けた。からかいたくなるんだろうな、ああいう人を見ると。

 「……へへ、ちゃんと調教したんだな」

 なのに、この方はそんな事を言う。レブもフジタカも、それにトーロとライさんも相手にはしない。

 「このカスコの図書館で契約者にインヴィタドまで総出にして何をしているんだ?」

 反応されないのが気に入らなかったのか、初めて会うカルディナさんとウーゴさんを向いてイサク王子は勝手に仕切り直す。他の利用者達も遠慮無い声量で話し掛ける王子を見て見ぬふりをしていた。

 「昨今、カスコでは契約者が行ってきた召喚術を使う為の魔力線解放儀式成功者が減っていると聞きました。その実態を統計資料で調査しておりました」

 「ふんふん、殊勝な心掛けだ」

 ウーゴさんの対応にイサク王子は満足そうに先程までレブに見せていた怯えた顔から満面の笑みを浮かべる。こちらからすればウーゴさんの恭しさは半分芝居がかった大袈裟なものだったけど、王子は知る由もない。

 「だが、そんなものはお前達が調査するまでもないぞ!」

 何度も頷いていたイサク王子の首が落ち着くと堂々と言い放つ。その声は三階建ての図書館中に響いてしまった。

 「王子、この場は他の利用者もおります故……」

 「あぁ。俺が目立っちまうもんな」

 従者の一人、男性の方が進言すると随分な曲解だが王子が初めて声を潜めた。

 「……それで、調査が不要とはどういう、事でしょうか」

 声量を絞ってくれたか確認する意味も込めてカルディナさんがイサク王子に尋ねる。

 「答えが分かり切っているからだ」

 左手の人差し指をニクス様に向けてイサク王子は言った。

 「そこの契約者。お前が儀式で手を抜いているからだ。だから新生児達は契約できず、召喚士にもなれない。どうだ、この俺の推理は?」

 何を言い出したかと思えば、王子は得意げに笑って見せる。さも自分の発言に間違いないんてないかの様に、やたら偉そうに。

 その笑みと発言に私は心臓が凍て付く様な悪寒を感じて肌が泡立った。肩から腕、胸を中心に頭や腰へも広がっていく。

 「ふざけるんじゃないっ!」

 直後に怒号と共にパン、と大きな音が図書館に響き渡る。そして、赤く腫れた頬を押さえてイサク王子は尻餅をついた。

 自分に何が起きたか分からない、と顔に書いて呆然とイサク王子は自分を張り倒した相手を見上げる。カスコの王族へ平手打ちを食らわせたカルディナさんは息を荒げ、ずっと走り回った後の様に肩を激しく上下させていた。歯ぎしりをしてカルディナさんが一歩前へ踏み込むとイサク王子は短く声を上げて腕力だけで後退る。

 「何をする、無礼者!」

 「誰を殴ったのか分かっているの!?」

 図書館で起きるとは思えぬまさかの事態に連れていた従者の二人がやっと王子とカルディナさんの間に割って入る。その間に王子は立とうとしたが衝撃が残っているのか途中で一度ふらついた。

 「撤回しなさい!」

 イサク王子の話し声よりもずっと大きな声が張り上がる。その怒鳴り声には周りの利用者すら肩を竦めさせた。従者二人も気圧され息を呑むだけだった。

 「契約者へ、貴方が言って良い言葉ではないわ!」

 「な、な……!」

 召喚術を用いてカスコを成した血族の末裔でも、その力を与えた者への侮蔑は許せない。契約者がいなければそもそも召喚術はこの世界に波及していなかったのだから。それを、あまりにも簡単に手抜きと言われたら堪ったものではない。

 「王子!この者は……」

 「ちっ!田舎者はどいつもこいつも俺の凄さを分かりやしねぇ……!」

 女性の従者がイサク王子の顔を覗き込む。真っ赤に腫らせて痛みの衝撃で目を潤ませた王子は従者を押し退けて辺りを見回す。多分、他の利用者の目を気にしているんだと思う。

 「あっ」

 そこで王子がある一点を見て動きを止める。私達が本を広げていた机だ。

 「良いもんあるじゃねーか……!」

 ずかずかと大股でイサク王子が掴んだのは私の記帳の端からはみ出ていた一枚の羊皮紙。……いや、一枚だったと言うべきか。広げて二つに裂かれた紙にはそれぞれに半円の陣が描かれている。

 紙の端を見ただけでそれを召喚陣と見抜いたのだから召喚術の心得は持っている。だけど、手に取ったそれは勝手に触って欲しくないものだった。

 「なんだこれ、破けてるし……。でも、見た事の無い図柄だな……。腕輪に入れてないし、そこのインヴィタドとは関係無いよな?」

 反省する素振りも見せずに王子は持ち上げた召喚陣をひらひら揺らす。さっきの契約者への侮辱を流そうと話を逸らしたがっている様に見えた。

 「それは私達が回収した海竜の召喚陣です。返してください」

 私が言った事に対して王子の表情が少し明るくなった。

 「へぇぇ……。海竜の召喚陣、か。面白そうじゃん。俺が持っていく」

 「な!勝手な事を言わないでください!」

 私が取り返そうと前に出るがイサク王子は召喚陣を抱え込んで従者の後ろに下がってしまう。

 「それは私達が描いた召喚陣じゃありません。貴方の手に負えるものでも、ない」

 取り戻そうにもあの二人が邪魔で通れない。そこにカルディナさんが再度口を開く。その口調はいつもの穏やかなものではない。彼女なりの脅しだった。イサク王子は舌打ちをしてこちらを睨む。

 「また俺の事をバカにしやがったな。でも、だったら余計に興味も湧いてきた。アンタらが描いてないのに持ってきたって事は……あの連中の召喚陣って事だろ」

 気付かれた。自分が下手に海竜の召喚陣だと口にしなければ良かった。従者二人は訝し気に目を細めたが、イサク王子はさすがにフエンテの事を知っているらしい。鋭くした目付きから口元を曲げて白い歯を見せながら王子は笑う。

 「契約者は儀式、その取り巻きは準備で忙しいんだろ?だったらこの俺がこの召喚陣を解析しといてやるよ。この世界の民に力を貸してやるのも、オリソンの血筋としては当然だからな」

 「抽象的な指図しかできない癖に、物を偉そうに語るな」

 「ぐ……!」

 またレブが口走った。だけど、今回は私も止めようとしなかった。

 「もう一度言います。契約者への先程の発言を取り消して頂きたい。そして、その召喚陣をこちらへ」

 一歩も引かないカルディナさんの雰囲気に従者もイサク王子も口を閉ざす。それどころか、そのまま背中を向けた。

 「ふ、ふん。召喚士が減ってるんだったら無理矢理にでも契約者が魔力線をこじ開ければいいだけだろう!それに竜の召喚陣は俺みたいな召喚士に扱われてこそだ。価値ある物を俺が持つだけの事。………行くぞ、お前ら!」

 「はっ」

 「この件は上に報告致します。然る処分をご覚悟なさるべきかと」

 男性の従者の方が最後に捨て台詞を残し、三人はそそくさと図書館から出て行った。しばらく利用者はこちらを見ていたが、騒動が静まったと思ってくれたのか段々自分達の読書や調べものに意識を向けていく。

 「………」

 その中でカルディナさんは拳を震わせて一人、入口の方をずっと見ている。彼女の肩にそっと手を置いたのはニクス様だった。

 「もうあの者達はいないぞ」

 「……分かっております。ですが、あの王子の発言は……!」

 まだ気持ちが治まっていないのかカルディナさんはニクス様にも強張った表情で迫る。

 「あぁ、無茶苦茶だ。だが故に、理屈も破綻している」

 「……その通りですけど」

 他人事ではないにせよ、一人で感情的になっても始まらないとニクス様は落ち着いた様子だった。

 「あのさ……」

 フジタカがちょんちょん、と私の肩を指先で叩いて耳打ちしてくる。

 「どうかした?」

 「怒ってない?大丈夫?」

 人の顔色を恐る恐る窺うものだから張っていた気も少し緩められた。一呼吸置いて私は頷く。

 「うん。……私は、ね」

 カルディナさんはまだニクス様の前で俯いている。トーロも声を掛けにくそうに見ていた。

 「空気読まない様で悪いんだけどさ……。さっき王子が言ってた事ってできんの?契約者がその……無理矢理ってやつ」

 「あぁ……」

 そこまで話してなかったもんね。私はフジタカの質問に静かに首を横に振った。

 「魔力線を広げるって、やつでしょ?契約者は元あるものを大きくしてあげるだけ」

 ……そう言うと、ベルナルドがピエドゥラで私に対して行った事も契約の儀式に少し似ていたのかもしれない。……得体が知れないけど。

 「……だから、元から魔力線を持っていないなら広げる事はできない。一応言うと、魔力線を人に提供もできないよ。イサク王子が言っていたのは完全にただの無茶振りだから」

 思い返すと、カルディナさんの反応は変じゃない。こんなできもしない事を言う前にはやる事をやっていない、手を抜いているなんて言われたんだから。……でもあそこまで激しく自分を押さえられなかったのは言った対象が契約者じゃなくて、ニクス様だったからなのかな。私だってレブがあんな風に言われたら……。

 「民を知る王子が聞いて呆れるな」

 ……いや、レブなら自分で完膚無きまでに言い返してくれるかな。

 「あの……もう一個いい?」

 「どうぞ」

 聞かれなきゃ教えないってのも相手に悪いよな、と思いつつフジタカの質問を促す。

 「元から魔力線を持っているとかどうとかってのもだけどさ。召喚術って言うか……魔力線は子孫には受け継がれない、って事でいいのか?」

 「それはどちらかと言うと俺達の方だ」

 カルディナさんはニクス様の前で口を閉ざしている。少なくとも今は、と置いたのかトーロが私達に向き直った。

 「俺達の世界では魔力とは脈々と受け継がれ、代を重ねる度に少しずつ魔力が加算されていく。その結果、使える魔法も強力になるんだ」

 「だが、この世界の召喚士と呼ばれる魔法使い達はどうやら違うらしい。それは俺もこの世界に来てしばらく分からなかった」

 トーロに続いてライさんも話に加わった。……ライさんはイサク王子とは初対面だろうけど、どういう印象を持ったのかな。

 「……違う?」

 「俺達の場合でも、突然変異で魔力が極端に高い者も生まれる。だが、基本的に誰もが魔法を使えたんだ」

 私達からすると魔法や召喚術を後世に伝えるって考え方はあまりない。勿論、召喚陣の使い方や技術的な側面でなら分かる。でもトーロ達が言っているのは、私達からすればインヴィタドを家系で受け継ぐ様なものだ。

 「反面、このオリソンティ・エラの人間は魔力を持たない者も多い。そして逆に魔力を豊富に持っている者は、俺達の世界でも魔法使いとして大成できるだけ貯蔵していたりもする」

 ロルダンとかが良い例なんだろうな。……口には出したくなかったから声は発さない。

 「……どっちの言い分も俺にはイマイチ分からないんだけどさ、少なくともこの世界でイサク王子の立場ってどうなんだ?」

 この場面でフジタカがあの王子を話題に出したのはどうしてかな、と首を傾げる。

 「だからさ、この世界じゃ家系ってのは召喚術を使うのに有利じゃないんだろ?」

 その通りで私とトーロ、ライさんは頷いた。レブとチコはこっちを見ているだけ。

 「イサク王子の先祖は大層な召喚士だったのはいいさ。でも、子孫が召喚術を使えるのとは話が違うんだよな。だったら、召喚術の使えない王様とかもいたのかなって」

 「それはいないよ」

 私が答えるとフジタカは目を丸くした。

 「え?じゃあオリソン王家?ってのは……ずっと当たり?召喚士しか生まれない家系なのか」

 「そうではない」

 レブが目を伏せ、腕を組む。遅れてウーゴさんも頷いた。

 「……認められないんだ、召喚士として生まれなかった子どもはオリソン王家の者とは」

 「えぇ……?」

 フジタカが丸めた目を今度は露骨に怪訝そうに細める。

 「じゃあ何か……生まれた子どもを契約者に見せて召喚術の見込みが無いと分かれば……」

 「王家に認められた別の子どもの専属執事として教育されるらしいよ。最初は遊び相手とかから」

 本とか聞いた話だけでしか知らないけど。昔は三人続けて子どもに召喚術の才能が無くて、四人目で契約に成功して認められたその王子には三人の同年代執事がいたとか。

 「あ、なんだ……。不要だって処分するのかと思った……」

 「フジタカってたまに物騒な事言い出すよな……」

 チコが身構えるのも無理はないよ。フジタカは普段は平和主義っぽいのに。寧ろ、だから極端な考え方をしてしまうのかな。話を聞いて一人で胸を撫で下ろしているし。

 「じゃあ確実に召喚術自体は使えるんだな、あの王子は」

 魔法は継承されるものではない。だけど王家の血脈は後継者がいる。フジタカに指摘されるとその仕組みに違和感は覚える。親から召喚術を与えられる……それも私から見れば契約者か親からかの違いに過ぎないんだけど気持ちは変わるかも。しかも、異世界では代を重ねれば強力になるなんて言うんだし。

 「ただし、あの王子は見掛け倒しよ」

 フジタカが最終的に気にしていたのはあの王子も本当に召喚術が使えるのかどうか。答えが分かったところで納得してもらったところにカルディナさんがやっとこちらを向いた。

 「ロクに鍛錬はしていないと聞いています。本当に簡単な召喚の基礎しかできず、自分で召喚陣も描けないらしいわ」

 復活したカルディナさんはどこか棘のある言い方を並べる。

 「だから海竜の召喚陣を持っていったのか……」

 ライさんも鬣を掻いて呆れている様だった。自分で描いた方が使い易いと思うのだけど……。

 「恐らくね。あの従者達も腕の無い召喚士に海竜なんて渡さない。内心どうにかして取り上げたい筈……」

 あの二人もカスコの腕輪を巻いていたから召喚士。であれば、少なくともさっき話した王家の執事とはまた違うカスコ支所からの出向召喚士なんだろうな。

 召喚陣は描けないから人に描いてもらう、だけど自分の出したいインヴィタドは分不相応だから描いてもらえない。そんな不満に悶々としていたところに目に入った海竜の召喚陣。……食い付くにしても、あまりにも短絡的だ。

 「破かれた召喚陣の再現ってできるんですかね……」

 「本人ならどこにどれだけ注力して描いたかも分かるから、まだ可能性はあるでしょうね」

 私も召喚陣を描けるか、と言われるとまだまだ基礎しかできていない。カルディナさんはその程度では無理だと言った。まして相手はフエンテの手練れが描いた竜の召喚陣……並の召喚士で理解するのは難しい。

 「じゃあ気にしなくて良いのかな?」

 「……だといいけど」

 チコの結論にカルディナさんが静かに頷く。そして改めて全員を見回した。

 「すっかり遅くなってしまったけど……ごめんなさい。今度は、私がやってしまった」

 胸に手を当て深々とカルディナさんは私達に頭を下げる。イサク王子に対して頬を張ったのは紛れも無い事実だし、あの王子も従者も見逃す理由はきっと無い。海竜の召喚陣を盗まれたと話したところで味方してくれる者はいないだろうし。

 「あの王子……本当にしょうもないよな……」

 普段なら契約者に暴言を吐いたのが一般人やそこらの召喚士であれば、育成機関から話を通して厳重注意なり処罰を下す事もあるのだろう。だけど、今回に限っては育成機関もその悪態を吐いた者の傘下に当たる。それに対して直接反撃を加えた私達の方が立場は危うかった。しかも今回はレブの威嚇じゃないし。

 「……調査はとりあえず明日からも引き続き皆で行って?今日は資料の位置を把握してから戻りましょう」

 自分の未来を予想したのかカルディナさんは早々に資料を畳む。

 「着眼点は悪くないと思うから。もう少し掘り下げられたら話を聞かせてもらえるかな?」

 「はい、それは勿論……」

 カルディナさんはその後、一度もニクス様の顔を見ないで図書館を後にしてカスコ支所に戻った。そして、その数刻後にレアンドロ副所長に連れて行かれてしまう。

 戻ってくると言い渡されたのは謹慎処分、今回は私の様にカスコ支所の図書室の利用も認められなかったそうだ。チータ所長が再び戻るまで部屋で待機。食事も部屋に運ばれるため一切の外出を禁じられた。カルディナさんのインヴィタドであるトーロも同様で、二人で一室に閉じ込められてしまう。

 「つまらない真似、を繰り返すか」

 話を聞いたレブが言ったのはたぶんチータ所長がレアンドロ副所長に言った言葉だ。私達の謹慎処分に所長は快く思っていなかった。

 「でも他にどうしようもないんだよ。立場がある人が危険人物を野放しにしておいちゃ示しもつかないし」

 私達も部屋のベッドに腰掛けて話をするくらいしかできない。面会も禁止されているからカルディナさんが今何をしているかも分からないし。報告書でも書かされているのかな。

 「威厳を見せる事と横暴な振る舞いは違う」

 レブもカルディナさんの行いは間違っていないと思っているからそう言うんだろうな。

 「さっきはありがとうね、イサク王子の前で自重してくれて」

 私が止めなかったら最後まで言ってしまった……というか、あの時もほとんど言っちゃってたけどね。少なくとも腕力に訴える事も無かったし。

 「その直後に貴様の気遣いは水泡に帰したがな」

 面会謝絶になっているカルディナさんが聞いたら落ち込むよね……。今回の処罰も決して重いとは言えない。理由があるとすれば、あの王子の日頃の行いと言ったところか。

 「それはそれだよ。資料を読んでいられたのは短い間だったけどどう思った?ずっと静かだったよね」

 「図書館では静かにするものだ」

 そういうとこは常識的なんだから。でもレブはふむ、と顎を押さえて座ったまま暖炉に灯る火へ視線を向けた。

 「最後に犬ころが言った儀式を受けさせてもらえなかった子どもという考えは面白い」

 やっぱりトーロやライさんと同じ。レブもフジタカがぽろっと何気なく言った一言が利いているいるみたい。

 「って事は……やっぱりカスコ支所の人達がやっているのかな」

 「もっと上の立場かもしれない。それこそ、今日引っ叩いたあの小童とかな」

 二人で話しても予測の域は出ないから、勝手に除外してしまうのも良くないがイサク王子でないと思う。

 「オリソン王家が……?」

 だけどもう少し大枠で話を考えれば例外にはできない。このカスコで、召喚士育成機関以上の権限を持っている目立つ存在が確かにある。窓の外を見れば城の灯りが遠くに見えた。冬空は見晴らしがとても良い。

 「王族が自分の地位を確立する為にキナ臭い根回しをする。いかにもありがちな話だろう」

 身近な王族なんていなかったんだからそこまで考えが回らないよ。だけど話なら見えてきた。

 「今のオリソン王が息子の為に召喚士を減らしている?」

 レブはこちらを向いて悪い微笑みを浮かべた。

 「もっともらしい理由になったな」

 「や、止めてよ……」

 思い付いたままに補足しただけなんだから。でも、自分の子どもが召喚士として力量不足だから他の召喚士も減らす。……そんなのは王の考えじゃないな。

 「でももう少し調べてみようよ、私達なりの方法でさ」

 「任せよう。私は貴様の歩む道に続き、切り拓く」

 大袈裟だな、と思って私は笑ってしまう。

 「そんな気構えしなくて良いんだよ。近所なんだから」

 「……ほぉ」

 レブも思い当たるところがあったのか目を光らせた。


 翌日、私はレブとニクス様と一緒にミゲルさん達の店へ再び足を運んでいた。資料に残る表面の数字だけではなくて、実際の世間を見た目の意見も取り入れたかったからだ。

 「いやぁ、契約者様にこんなところまで足を運んで頂けるなんて光栄だなぁ!」

 「自分は決して、貴方達に来訪を歓迎される様な存在ではない」

 ニクス様を紹介するとリッチさんは持ち前の笑顔であっという間にニクス様とがっちり握手を交わす。買い物の折に何度か顔合わせはしているだろうけど、カルディナさん抜きで会うのは今日が初めてだと来る途中に話していた。

 「なぁに言ってんだよ!契約者がミゲルに召喚術を与えてくれたから俺はミゲルに会えた!そんでもって今日までこの世界で生きてきて、こうしてニクス様と話せてる!それに感謝する事があっても良いんじゃないの?」

 「………」

 ニクス様が、笑った……?なんだか以前にもこんな話をした。私みたいに召喚士として大成する前からニクス様に感謝する者は珍しい。こういう感謝されるのは召喚士としてしばらく経ってからの話だと聞いた。

 だけど、リッチさんはどうだろう。インヴィタドの方から召喚士どころか契約者に感謝するなんて。

 「自分もブドウを一房頂こう」

 「毎度アリぃ!」

 ……こういうのを見ると、商売上手と思ってしまう。でもニクス様がそれに乗る、って事はちょっとは良い気持ちになってくれたのかな。

 「それでザナちん。この前の話をしに来てくれたのかな」

 ミゲルさんも満更ではなさそうにブドウをニクス様へ渡すリッチさんを見ながら聞いてきた。私もミゲルさんの方は見ないで答える。

 「あの、ミゲルさんはカスコで行われてきた契約者の儀式について何か知ってる事はありませんか?」

 向こうはこちらが話をするものだと思っていたのだろうけど、その前に私の方から聞かせてほしかった。予想外だったみたいでミゲルさんはリッチさんから視線を外してこちらを見る。

 「そっちじゃ何も分からなかったのか?」

 「いえ……。ただ、それを伝える前に変な印象を持ってほしくなくて。ミゲルさんの主観ではどう見えていたのかなって思ったんです」

 こちらの目論見まで隠すつもりはない。聞いてもらえるとすぐに頷いてくれた。

 「ザナちんの目を見るに、成果はあったってところか」

 「……まぁ」

 言葉を濁したくはないけど、あまり話したくない部分でもある。私達が導き出した結論はあまりにも乱暴だったし。

 「そうさなぁ……うーん……契約者……」

 赤髪を掻いてミゲルさんはしばらく困った様に唸っていた。契約者の儀式を普通の召喚士が目撃する機会はそうそうない。だって自分は既に召喚術を使えているのだから、特に契約者には用事ができたりもしないから。

 「あ、だったらアレはどうだよミゲル!あのーほら、アレ!」

 「アレじゃ分かんねぇって……」

 聞こえていたのかリッチさんが顔だけこちらへ向けて声を張る。私はリッチさんの向こうでブドウを黙々と食べているレブとニクス様、二人の絵面が気になって仕方がない。

 「アレだよほらぁ!契約者がいないのに子どもが集められてたんじゃん!」

 「え……?」

 リッチさんが何か聞き捨てならない一言を洩らした。レブとニクス様もブドウをもぎる手を止めて目線を向ける。

 「あぁー!あったなぁ、それ!思い出したわ」

 しかもミゲルさんの方も思い当たったみたいで手を打った。

 「何か知らないがカスコ支所の所長がカスコのちびっ子をあの集会場に集めてた時期があったんだよ。契約者はいないのにさ」

 そうそう!と言ってリッチさんが腕を組んで何度も頷いた。あんなに断片的な単語だけでよく思い出してくれたなぁ。やっぱり、同じものを見た経験を共有しているって大事なのかも。

 「それって……いつ頃ですか?」

 「うーんとな……」

 「ほらぁ、一昨年の儀式あったろ!その前の年だって!」

 ミゲルさんが首を捻るとすぐにリッチさんが教えてくれる。確認する様に見るとミゲルさんもあぁ、と答えた。

 「そうだ、儀式の前の年にその子ども達を見たから覚えてんだな。あれ、二年連続で子どもが集会場に集まってるじゃねぇかってさ」

 子どもを大人達が一か所に集める用事なんて私が住んでいたセルヴァでは一年に一度も無かった。子ども達自身が自発的に集まる事はあっても召喚士育成機関が子どもを集めるなんて……。

 「その子ども達って契約の儀式は済ませてました……?」

 「さぁ、そこまでは……。でも、まだ歩けないくらい小さな子はいたな」

 やっぱりその集会に参加はしていない、か。だけどその話を聞けただけでもかなり収穫はあったと思う。

 カスコ支所の召喚士は契約者の儀式前に子どもを集めていた。その事実に、私達の仮説を合わせれば……。

 「じゃ、そろそろザナちん達の話を聞かせてもらおうかな?」

 「……はい」

 私とニクス様で知り得た情報をミゲルさんとリッチさんに話し伝える。内容はあくまで事実とは限らないと念押しをすれば二人は笑った。心配せずとも言いふらしたりはしないと。

 「カスコ支所の連中が選んだ子どもだけを契約者の儀式に参列させた、ね」

 「僕とミゲルが見たのがその選定現場だったって事?うーん……」

 ミゲルさんはしみじみ頷いてくれたがリッチさんの方が今度は体を傾けて疑問を呈した。真っ先にきっとそうだ、と乗ってくれると思っていただけにちょっと意外。

 「どうかしたんですか?」

 「いやね、考えとか辻褄は合っていると思うよ?だけど僕達に告知とかがなかったからさ、そこに違和感があって!」

 一人が違和感を覚えてしまうという事は、他にも同じ感じ方をする者がいる。その側面は当時カスコにいなかった自分では気付けない違和感だった。

 「そう言えばアレ、なんだったんだろうなーって思っている内に忘れたんだよな」

 当人じゃないから印象に残らないのは無理もない。こうして思い出してくれただけでも有難いのだから。

 「アラさんはその辺どう思うよ?」

 リッチさんが話を振るとしばらく静かに商品が並ぶ棚の横に背を預けていたレブが身を起こした。

 「こじつけるのならば、契約者に知られたくなかった。だから下手に公式の記録を残さずに子らを集めた」

 それが私達にとってのご都合解釈。

 「知られたくなかった理由は?」

 「契約者の仕事を召喚士が奪った。それを理由に、ただでさえ根無し草の契約者がカスコから乖離するのを防ぎたかった」

 ふんふん、とミゲルさんとリッチさんはレブの推理を聞いていた。となれば、今度はニクス様の方から契約者本人の意見が求められる。レブもそのつもりでニクス様の方をじっと見ていた。

 「カスコ側が召喚士を減らす理由には足り得るのだろうか。そこに疑問が残る」

 「ふむ」

 この世界において契約者は召喚術を与えてくれる大変貴重な存在。カスコの様に召喚士が集まる町では余計に神格化されていると思っていた。でもレブの考え通りとしたらどこか違う。

 「契約者の仕事を奪ったというか……契約者の負担を減らしたかったっては考えられないかな?先に選定していたとか」

 レブの話を聞いていてなんとなく思った事を口に出してみる。でも、自分で言っておきながら突拍子が無いかも。

 「契約者の代行?それってどうやってやるんだろうな」

 ミゲルさんが天井を見上げる。そう、そこが分からない。

 「契約者の代わりに自分達が見込み有りだと判断した子どもだけを契約者の儀式に参列させる。しかし成功率はせいぜい半分を超える程度だ」

 「……あまりに乱暴だな」

 ニクス様はゆるゆると首を振った。

 「だとしたらだよ?選ばれなかった子ども達の中にも召喚士として有望な人材がいたかもしれない。だけどそれを……」

 あぁ、とレブはブドウを口に放ってから答えた。

 「みすみす見逃した事になるな」

 「そんな……」

 実際は次回に持ち越したのかもしれない。……そう考えたかったけど、参列した人数を考えればその気配は無かった。ニクス様も嘴を閉ざしてしまう。

 「……それが、ザナちん達の意見か」

 ミゲルさんはがっくりと肩を落とした。それとほとんど同時に、店の扉が開く。

 「はいらっしゃぁい!」

 すぐに切り替えてリッチさんは満面の笑みでお客さんの男性二人を迎え入れる。工具が置いてある棚の方へ向かって行くのを見送っているとミゲルさんが耳打ちした。

 「ごめんな、あんまり人に聞かす話じゃない」

 あの人達は育成機関内で見た事はないけど腕輪を巻いていたからカスコの召喚士だ。一目で見抜いたからミゲルさんは気遣ってくれたんだ。

 「いえ。じゃあ今日はこれで」

 だったら次は私達の番。せっかくの商売を私達が邪魔しては悪い。レブもニクス様もそそくさと店の出入り口へと向かう。

 「毎度!まった来ってねっ!」

 扉を開ける音を聞き付けすぐにリッチさんは壁の脇からこちらに顔を出して手を振ってくれた。私も手を振り返し、レブとニクス様は静かに頷く。この店、ミゲルさん達の店じゃないらしいが本当の持ち主ってどこに行ったのかな。

 外に出ると一気に外気の冷たさに身を震わせる。二人の店で気にならなかったのは、リッチさんの魔法で暖められていたのかな。見た事はないけど火は出せると聞いたし。

 「たまには果実も悪くないな」

 「頻度は多い方が良い。実りの果て、限られた隆盛の内に食されるから価値があるのだからな」

 歩きながら話すのはさっき食べていたブドウ。しかしこの二人が話題にすると妙に物々しい。

 「普通に美味しかった、また食べたいで良いんじゃないの?」

 先に歩いていた私が二人に振り返ると、顔を見合わせてから先にニクス様が口を開く。

 「そうだな……。また食べよう、今度は皆で」

 「……はいっ!」

 普通に敬語を使わないで、どっちかと言えばレブに話す様な口調だったのにニクス様の方が返事をしてくれる。しかも今度は皆でだって。私は笑顔で頷いた。チコとフジタカ、それにウーゴさんとライさんも。それにニクス様でさえ今は会えないカルディナさんやトーロも……。

 「どうかしたか?」

 「あ、いえ……」

 せっかく笑ったのに、急に表情を沈めて黙っていたらニクス様に心配されてしまう。でも、本当はカルディナさんと二人で食べたいんじゃないかな。ブドウに限らず、同じ物を一緒に。私だってレブと……。なんて考えていたら目が合ったから私は慌てて前を向いた。

 「カルディナさん、早く謹慎が解かれると良いですね。私の時よりも厳しいですし」

 「……あぁ」

 ちらり、とニクス様の表情を盗み見る。やっぱり明確な表情は無いが、いつもより視線が下を向いている様な気がする。

 「だが、あの施設に留まっていた方が安全かもしれないな」

 ニクス様からの意外な発言に私は目を丸くし、レブは片目を細めた。

 「身を警護される側の者が、それを生業にする者を心配してどうなる」

 カルディナさんの実力をニクス様が軽く見て言っているのではない。だけどニクス様をお守りするのがカルディナさんの仕事だ。それをしない方が安全と言うのは彼女の仕事を取り上げる事になってしまう。

 「分かっている」

 だけど、それでも戦い続けているから心配なんだろうな。ふとニクス様がカルディナさんの事をどの様に想っているのか垣間見えた気がした。

 私達の調査報告は更に三日待たされた。それはレアンドロ副所長ではなく、チータ所長に直接問い質したかったからだ。副所長だけにすぐ話しても正しく通じない気がするとは全員の意見が一致している。何もしない時間がただ過ぎてしまうのは口惜しかったが、それでも確実な一手をこちらからも投じたい。

 「あの所長って普段何をしているから顔を見ないんだ?」

 「また城に戻されるって言っていたからお城にいたんだよね」

 初めて会った時と同じ応接室に通されてしばらく経ったが、所長含め誰の足音も聞こえてはこない。だから痺れを切らしたフジタカが服の袖を引っ張って話し掛けてきた。

 「そのお城ってあのでっかいのだろ?そこで何をしているかって事なんだけど……」

 時間はあったのだから見に行っても良かったのかも。でも近付けば城壁しか見えなくなる。レブに頼んで空から見下ろしたりなんてしたらまた変な探りを入れたと怒られたりして。

 「育成機関の更に上……そうね、召喚試験士が集まって大規模な異世界の門の形成やインヴィタドへの交渉を複数で行う儀式の場があるの。そこの監督が主……かな」

 答えてくれたのは、謹慎処分中のカルディナさんだった。今日の為にトーロと一緒に部屋から出してもらえた分、少し声の調子が低い。さっき会ったばかりで部屋で何をしていたかは聞いていない。ただ、部屋から出された時はニクス様を前にして深々と頭を下げていた。

 「専門はどちらかと言うとソニアさんの方なんですね」

 「あの胸の大きな女性か……。またお会いしたいが」

 カルディナさんが頷く奥でライさんもソニアさんの事を思い出していた。ちょっと口元が緩んでいたからトーロが横目で見ながら苦笑している。当の本人はティラドルさんに夢中だしね。

 「そんなのをお城でやってて良いのかよ?変なモン召喚しちまったら大惨事だろ」

 「危険も伴うが、このカスコ支所以上に最先端の召喚術が集まるのもまた事実なんだ」

 半端な悪魔が邪な考えから召喚に応じてから寝返っても、そこには力を持った試験士達が大勢集まっている。簡単に陥落する事は無いんだろうけど……なんだか妙な胸騒ぎがした。ウーゴさんに言われて納得したのかフジタカは鼻を鳴らした。

 「ふーん……。お城って言うよりはでっかい研究所なんだ」

 「あ、それは結構合ってるかもね」

 そう思えばあの頑丈な城壁も、お城ではなくカスコに暮らす人を守る為に用意された……なんて。

 「中で何をしているか知れたものではないな」

 「もう、レブ……」

 王家の城に対して怪しいなんて下手に言ったら……。でも、私達はそのキナ臭い部分を問い質そうとしているんだからそういう視点も必要なのかな。

 「今回は静かにしてるよね……?」

 「私達は堂々としていれば良い」

 腕を組んだレブの目付きはいつもよりも鋭い。

 「数日前、この場で宣言した筈だ。降り掛かる火の粉は払うと」

 まさかそれがレブじゃない部分に向いたと言うのが、ね。そこに苦笑していると足音が二つ、部屋の向こうからカツカツと聞こえてきた。

 「……分かっている。私が出張るつもりはない」

 「……ごめん、ありがとっ」

 扉が開く直前、私はレブに小声で謝った。

 「待たせたな」

 扉を開けて現れたのは私達の待ち人、チータ所長だった。先日会った時と同じ鎧姿の上に今日は毛皮のマントを身に付けている。耳が赤いところを見るに、どうやら外出後に直接この場に来たらしい。

 「少しは頭が冷えたましたか?」

 続いて入って来たレアンドロ所長も鼻の頭と耳が赤い。もしかすると二人で城から真っ直ぐこちらに来たのかな。……私達と話す為に。

 「この度は……大変申し訳ございませんでした」

 二人の入室と同時にカルディナさんは立ち上がり、着席と同時に頭を下げた。トーロも彼女のインヴィタドだからか頭を下げている。その様子を見てレアンドロ副所長は満足そうに笑みを浮かべた。

 「猛省した様ですね、それは結構」

 「席に着いてくれ」

 副所長の横で淡々とチータ所長はカルディナさんに席を勧めてくれた。断るわけにもいかずにカルディナさんは音も立てずに腰掛けると、俯いて所長の手元一点に視線を集中していた。

 「顔を上げてほしい」

 「はい」

 しかし所長も俯いているだけでは許してくれない。先程までフジタカ達と話していた場の空気は一気に冷やされていくのを肌で感じる。まるで冬の寒空に野ざらしに晒されている様な、気を抜くと震えそうなくらいに張り詰めた緊迫感がカルディナさんとチータ所長を中心に広がっていく。

 「レアンドロからの報告書で読んだ、君がカスコの図書館で会った王子の頬を張ったという部分は事実か」

 「はい。間違いありません」

 眉間に刻まれた皺を揉み解す所長の横でレアンドロ副所長は笑みを浮かべた。

 「認めましたね。それでは……」

 「レアンドロの報告書は最初の三行しか読んでいない。続きは君の口から聞きかせてくれ」

 何か言い欠けた副所長を遮ってチータ所長が二言。副所長からは笑顔が消えて大きく口を開いて言葉を失っていた。

 「え……?」

 「部下には下らん真似をするなと言ったつもりだったが……。すぐに戻れなくてすまなかった」

 チータ所長はそのまま、静かにカルディナさんへと頭を下げた。その姿に狼狽しているのはカルディナさんだけでなく、副所長も同様だった。

 「な、所長……!何故所長が」

 「お前は黙っていろっ!」

 視線と一喝でチータ所長が副所長の言葉を完全に奪った。

 「う、あ……」

 完全に委縮した副所長の姿は以前見た事がある。……イサク王子がレブの前で転んだ時と同じだった。

 「城の中から抜け出さぬ様に見張りはつけていた。だが、まさか許可されている出先で君達と遭遇するとは配慮していなかった」

 任務を遂行してあらゆる場面で王子と行動を共にしていれば、とチータ所長は言っていた。実際その通りしてくれていたのだろう。だけど、見張りを連れた上で図書館の一件だ。所長からすれば自分の落ち度もあると思っているみたい。

 「私が王子の頬を張ったのは事実です。改めて経緯を聞いて頂けますか。……お許しが出るのなら」

 「頼む」

 顔を上げた所長と、カルディナさんが同時にレアンドロ副所長の方を見る。副所長の方は何も言おうとしなかった。

 意味を成さなかった副所長の報告書代わりに再度カルディナさんの口から静々と語られる。あくまでもカルディナさんの主観を通じて話していたが、その報告に虚偽は無かった。単純に話せば、王子が放った契約者への発言に対してカルディナさんは激昂して頬を張った。そこは疑うまでもない。チータ所長が興味を持ったのは、王子が何と言ったか。それに対してカルディナさんがどう感じたか、という部分だった。何度もレアンドロ副所長はカルディナさんに対して口を開き欠けたがその度に所長が黙らせていた。

 「……良く分かった」

 最後に、チータ所長が言ってカルディナさんは頭を下げる。

 「重ね重ね、申し訳ございません」

 「私には謝らないでいい。……しかし、契約者が手抜きか。よくも回らない頭でそんな言葉を思い付く」

 当然、どうして私達が図書館に集まっていたのかという部分に関しても聞かれた。だから話の途中ではあったが資料も見せている。この話は後にしよう、と言われていただけにこちらも身構えていた。

 「一つ言えるのは、契約者に不手際はない。それに私は契約者の手腕も疑っていない」

 「こ、こちらもです!私とて召喚士!契約者への暴言にまで同意はしませぬ!」

 私は、と言ってチータ所長がレアンドロ副所長を睨む。それに対してすぐに続いた副所長も私だって疑っていない。副所長の言う通り、契約者へあんな発言ができる人なんて普通の召喚士じゃ有り得ない。……フエンテは別として。

 「ですが、だからと言って王子への……!」

 「黙れと言った筈だ」

 ぐ、と声を詰まらせてレアンドロ副所長は命令によってまだ口を閉ざされる。……根が真面目なんだろうな。

 「……王子を見張れと指示は出していたが、本人の言動までは制限できなかった。それこそ、私達の落度だ。本人が自ら君達を見て話し掛け、諸君の神経を逆撫でする……予想できない範囲ではなかっただろうに」

 唇を噛み締める所長に誰も何も言わない。こういう時に一番口を開きたがる人物はまだ黙っている。

 「私はそこの竜人にも嘘を吐いた事になるな。……これでは人間への不信を買わせてしまったか」

 その人物へチータ所長も自嘲気味に話し掛けた。それでも彼、レブは何も言おうとしない。

 「あ……」

 所長達が来る前に言っていた事を思い出す。……こういうのは真面目じゃなくて、頑固って言うんだよ。

 「……思う所があるんでしょ?言ってよ、レブ」

 静かにしてと言った私に対して出張るつもりはないと答えてくれたレブ。肩を落として私に対してレブは待ってましたと言わんばかりに頷いた。

 「元々期待はしていない。会う機会があれば同じ事になるとは分かっていた。ただ単に訪れた再会がお前達にとって、遅かったか早かったかの違いだ」

 「相変わらず口の減らない……!」

 レアンドロ副所長が呟いてレブを睨む。チータ所長も同じく睨むかと思えば、その吊り上がった目付きを伏せてしまう。

 「いや……。私達は大口を叩いてこのザマだ。何を言っても今の私達では言い訳をさえずる小者に過ぎない」

 レブはチータ所長に追い打ちを掛ける事はしなかった。しかし、その様子はどこかおかしい。

 「所長、この様な者達の前でお止めください」

 「……事実だ」

 目上相手だからか副所長は静かに言った。所長も先程までの厳しさをレアンドロ副所長へ向ける事はなかった。

 「そもそもの発端は王子の脱走癖を私達が未だに掌握していない事にある」

 額に指先を当てて俯く所長に皆で顔を見合わせる。

 「イサク王子は……」

 「カスコには地下通路が多く設けられている。それを抜けて出て行くのだ」

 ウーゴさんが何を尋ねようとしたのかをいち早く察知してレアンドロ副所長が答えた。チータ所長も頷いて顔を上げる。

 「あれは地下水路の整備も兼ねている。しかも出口も至る所に設けられていてな」

 「先回りしても途中で包囲網をすり抜ける様に一度地上へ出る。更に追い詰められればもう一度地下へ隠れてこちらを巻いてしまうのだ」

 カスコ支所を纏める二人が本気で溜め息を洩らす姿を見るに、何度も出し抜かれているらしい。

 「知ってたのか?」

 「ううん……」

 フジタカがこっそり呟くので私は短く答えた。カスコ程大きな町なら整備されているのは不思議ではない。ガロテにも噴水があったし、カスコの集会場にあった井戸も水は豊富だった。ガラン大陸の町は水周りの環境はかなり恵まれているんだと思う。だからってそんな人があちこち逃げ回るだけの地下空間が広がっているなんて……。

 「その地下……半異界化しているのだな」

 「察しの良さには恐れ入る」

 レブが言うとすぐに所長は認めた。ただの水路や通路どころか、カスコ支所の部屋みたいな場所がカスコの地下にもあるって事……?やっぱり、私が思っている以上に普通の町じゃないんだ。

 「王子は我々すら把握していない通路も駆使して城から抜け出すのだ。……如何せん、歴代オリソン王家の中でもイサク王子はその通路を用いるのがいち早かった。今では一手間増やすだけで容易く私達を出し抜けるとさえ豪語している」

 王のご機嫌取りに大人しくしているだけ、と所長が補足すると副所長は苦い表情を見せる。

 「なんでそんなもんを……あ……」

 フジタカが口を開いてから押さえる。しかし、特に気にした様子も無く所長は答えてくれた。

 「非常時に王家のみが使える避難経路にもなっている。しかも、そこは半異界化されていて急に町の端に一方通行できる地もあるらしい」

 そこを突かれては所長達でも対処したくともできない、という事らしい。

 「王家しか知らないのでは、有事になってから護衛を王が先導するとでも?護衛とは脅威を先んじて潰す存在だ。わざわざ後手に回るのでは?」

 「………」

 ライさんの責める様な口調に所長は籠手の金具を鳴らして拳を握った。そこにレブが私の肩に手を置いたので、そのまま喋ってもらう。

 「平和である事に慣れ過ぎだ。だから今回の様に穏やかでない事案が続いてから後回しにしていた問題に頭を抱えてしまう」

 「インヴィタド風情が……!」

 レアンドロ副所長が遂に立ち上がった。所長は無言で彼の腕を掴んだがそれすらも今回は振り払ってしまう。

 「止せ」

 「余所者の、事情も知らぬ者にこれ程までに好きに言わせて構わないと!?」

 副所長の表情は先日も見た。

 「それでは、契約者への暴言に短慮を起こしたそこのカルディナ・サフラとお前は同じだぞ?同じ者として何日も謹慎処分にしてやろうか」

 それを冷たく見上げてチータ所長は淡々と言った。

 「ぐ、う……うぐ……!」

 自分の対処がそのまま返って来ようとしてレアンドロ副所長は顔を真っ赤にして唸る。それもしばらくすると落ち着き、深呼吸を一度して再び席に着いた。

 「何も考えずに罰するからこうなるのだ。肝に銘じておけ、今お前が外れてはこちらにも不都合が多い」

 「……はっ。失礼しました」

 失礼、と言うのはレブに対してではない。所長に対してのみ向けられた言葉だった。

 「それに、あの竜人は余所者……異世界から来た客人インヴィタドだからこそ客観的に私達の世界、状況を見て発言している。無碍にするのは簡単だが、それでは私達に変化は訪れない」

 レブが言っていた平和に慣れ過ぎた、って言った事を所長も内心では気にしているのかな。刺さる部分があったから率先して聞こうとしてくれた気がする。

 「短慮と言ったが、君への侮蔑で言ったつもりではない。気を悪くしないでくれ」

 「……はい」

 これ以上副所長にレブとカルディナさんが悪く言われない様に気遣ってわざと言ったんだ、この所長……。

 「……うん?」

 そこに後ろでフジタカが小さく声を洩らした。気にした様子もなく所長は話を続ける。

 「しかし……短慮具合で言えば私達に分があるな。またしても王子の行方を掴めていないのだから」

 王子が今もいない、と聞いて私は隣に座るチコと顔を見合わせた。

 「今もかよ、あの王子……」

 「その気になればいつでも逃げられるんだ……」

 うんざりした様子のチコに頷く。どの程度入り組んでいるかも分からないが、チータ所長ですら全貌を未だに掴めていないところを見るに相当複雑な造りになっているらしい。水路と通路を悪戯に繋げて通行できる様にしたのが仇になっているんだろうな。抜け道としては正しいんだろうけど。

 「腹を空かせれば出てきそうなものだがな」

 「違いない」

 レブの皮肉をそのまま肯定して所長は頷いた。そもそも、王子がカスコ内で行方不明になっているのなら所長だって普通はこの場で私達と話をしていないだろうし。

 「この町は召喚士が集まる。他所から来て帰着する者もいれば、このカスコ支所で次世代の育成に従事したいと望む者も多い」

 育成について、儀式に参列した子ども達の話はまだできそうにない。

 「私はそれを把握し切れていない。故に私自身が彼らを教育できていない。だから王子が逃げた際に追撃ができていなかった」

 落ち込んだ様子で追撃なんて物騒な言葉が出るなんて、気にはしているんだ。しかし改善されていかない。だから余計に気になるという悪循環。王子に注力したくても、立場上その間で他にできる事も数多い。天秤にかけて王子が優先される事案はきっと少ないんだ。

 「断っておきますが、捜索班は毎回交代で出動させております。ただ……」

 「逃げられ、戯れに走り回ったと思えばおめおめと戻ってくるだけ……。これではな」

 副所長がなんとか補足しようとしても、所長の口から語られるのはそれを悉く叩き落とすものだった。もしかしたら、レアンドロ副所長達は王子を探して外に出ていたのかな。

 「スライムの様なインヴィタドを常に貼り付けておいては?どこにいるか把握できる様に」

 専属契約したインヴィタドは刻まれた陣と術士が魔力で繋がっている。だったらスライムを行使する召喚士には悪いけど片割れを王子に付着させておけば……。

 「真似事はした。それも王子が異界へ一時的に移動するとその反応は追跡できなくなる。試して以降は向こうも目ざとく気付く様になって仕掛ける事もできなくなった」

 私からの提案にチータ所長は首を横に振った。……そうだよね、ありとあらゆる手はもう尽くされた上での現状だろうし。


 「じゃあ……足で、探すしかないのか?」

 口を急に開いたフジタカに皆の視線が集まる。しかし、当の本人はそんなの知らない様子で扉の向こうを見詰めている。

 「……そうなるが、急にどうした?人狼の少年」

 不思議そうに見ながらも、チータ所長はフジタカの次の言葉を促した。

 「だったら今日だけでも早くした方が良いと思う」

 「その理由は?」

 所長とフジタカの話に遅れてしまったが、チコの血の気が引いて顔色が青ざめているのに今気が付いた。

 「多分……来てる。親父が……!」

 ざわ、と部屋の空気が一変する。フジタカとトーロ、ライさんら獣人の毛皮は逆立つ。

 そして、カスコ支所の外から岩壁の様な何かが弾け飛ぶ爆音が聞こえたのはほとんど同時だった。

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