第九部 二章 -軽はずみな重い一発-

 フジタカが言うにはフエンテの気配は全く感じない。だとすれば、多少のビアヘロ程度なら現れたところで私達でも十分に対処できる。だけど、カスコの結界を突破する程の強力なビアヘロであれば、その限りではない。しかし今度はカスコ中にいる召喚士をそのビアヘロは相手にしなくてはならない。だから連携さえ取る事ができれば、この召喚士が自然と集まる地が一番陥落しにくい場所と言える。

 「おい、そこのお前達!」

 しかし、私達が耳にした不穏な物音は爆発でも何かが溶解する音でもなかった。単なる人間の走る足音と、私達を呼ぶ男の声。

 「……はい?」

 足音にも先に気付いていたフジタカが私よりも早く反応した。

 「ようやく見付けた……!」

 速度を緩めて止まった目の前の男の人はチコよりも色素が薄く、明るい髪は今日の天気に相性が悪いが陽に透かせば眩しそう。背も鼻も高く血色の良い肌は寒さと走っていたせいか若干赤みを帯びていた。

 「あの、どなたでしょうか」

 端的に言えば一目見て容姿端麗だな、と印象の受ける男の人。運動後故の荒げた息に滲ませる汗を手の甲で拭う仕草もまた、男らしい。だけど、いきなり人をお前呼ばわりして見付けたと言われるのもまた、良い気分ではない。

 「俺か!俺はイサク!お前は?」

 年齢は私やチコよりも少し上。カルディナさんよりはたぶん若い……って、ごめんなさい。着ている服はやけに袖が広く、丈も大きい。通気性が良さそうと言うか、この時期にしては寒そうな恰好だった。走っていたから気にしなさそうだけど。

 「ザナ、です。ザナ・セリャド……」

 ふむ、と片眉をだけ上げてこちらを見るイサクさんの目は何かを見計らっている様だった。しかし私はイサクという名前に何か引っ掛かりを覚える。

 「では、隣の獣人がフジタカ・ロボだな。聞いていた話よりも間抜けな顔だ」

 顎に手を当てイサクさんは目線だけをフジタカに向け、率直な感想を送る。

 「は、はぁぁぁぁ!?」

 当然、間抜けと言われて不快に思わないわけがない。フジタカが大きく口を開けて鼻に皺を寄せる。私は咄嗟にフジタカの前に立った。

 「フジタカ、待った!」

 「う……」

 フジタカの性格ならいきなり噛み付いたり殴ったりはしないだろう。だけどまずは落ち着いてもらわないと。

 「躾はできているらしーな」

 一方、イサクさんは落ち着いていると言うか暢気にフジタカを見据えていた。……どこか、見下すような目で。

 「あの、何でしょうか。急に現れてフジタカの事を悪く言って」

 一旦気を静めたフジタカを背に、私は相手へと向き直る。まさかと思うが、フエンテの召喚士が一人で現れたとしたら。

私にはライさんの様にいきなり殺しにかかることはできない。だけど、レブはまだ近くにいる。こっちにも気付いていないわけがない。

 「気に障ったか。まぁ、自慢のインヴィタドらしいしな」

 しかしこの人……私に対してバカにした目を向けるのに敵意や殺意は感じない。飄々と笑っているだけ。

 ……あれ?さっきからこの人、フジタカの事を知っている……?

 「……フジタカは。彼は、私のインヴィタドではありません。向こうにいる召喚士、チコのインヴィタドです」

 気乗りしないけど、この程度の話ならしても大丈夫だろう。ましてフジタカの召喚士が誰か、というのはもう決まった事なのだから。この話はもう大手を振って堂々としても良い。それに、指差すついでに見たらレブは完全にこっちを見ていた。

 「じゃあ自分の召喚士を放ってお前は何をしているんだ?」

 目線だけでなく、身体も向けてイサクさんは腰に手を当てフジタカに尋ねる。

 「え、そ、それは……。食後に、ザナの食器洗いに付き合って汚れた口を拭いてて……」

 「は!口を拭いてただぁ?あっはっは!あーっはっはっは!」

 声を詰まらせたから、と言うよりはフジタカの話した内容を聞いてイサクさんは腹を抱えて笑い出す。その遠慮ない笑い声に周りの人々もイサクさんの存在に気が付いた。

 「あれは……」

 「まさか……?」

 「どうして?契約者……?」

 ざわつく周囲の声に私とフジタカも尋常じゃない雰囲気に身構える。その間にチコとレブもこちらへとやって来た。

 「なんだよ、この騒ぎ……」

 チコが気味悪そうに表情を曲げている間に人がじわじわとこちらに集まってくる。私達を中心に軽く円を描く様に集まったそれは、まるでセルヴァにニクス様が現れた時の様だった。

 「もう気付かれたか。やっぱりこの町は歩きにくい」

 イサクさんは言葉に反し今度はハハッと満更では無さそうに笑う。

 「アンタ、ザナとフジタカに何か用か?」

 「用があるのはそこの獣人だけだ。そっちの竜人にも興味はあるがね」

 やっぱりこの人、フジタカの事しか気にしてない。チコもすぐに怪訝そうに眉をひそめる。

 「まさか……」

 「そのインヴィタド、このイサク・フォーガ・オリソンが貰い受けてやろうと思ってな」

 一歩フジタカが身を引いた瞬間、イサクさんが自分の名を最後まで名乗る。聞いて私とチコは完全に身を固めた。

 「フォーガ……」

 「オリソン……!?」

 聞き返す様にもう一度声に出すとイサクさんはニヤリと笑った。聞き間違いでなければ、この人は……。

 「そ!オリソン王家第一子、イサク・フォーガ・オリソン。……知らなかった?」

 こうして目の前の男性は更に誇示する様に自分を指して名を宣言した。私なんて名乗られた時に心当たりも無かった。

 「まぁ、田舎者じゃ仕方ないか。うーん、俺もまだまだだなー」

 大して気にしていない様にイサクさんは私達から目を逸らしてしまう。その目にはフジタカが映っている。

 「……偉いの?」

 しかし動じずにフジタカは私の方を見た。その様子に王子は作った笑みを顔に貼り付ける。

 「最初に契約者から召喚術を授かった人の子孫だよ。召喚士の町であるカスコを築き上げた人達」

 「だから王家の第一子……王子様、か」

 王子を目の前にしてこんな雑な説明をして良いものかと思ったけど、フジタカは納得してくれた。イサク王子の方もうんうん頷いてくれている。

 「無知なインヴィタドだなぁ。田舎者だから俺の顔を知らないのは無理もないが、随分と勉強不足だ」

 「はぁ……。覚える事が他に多かったんで」

 レブが言ったら一気に言い返しそうな内容なのにフジタカは冷めた目で頭を掻くだけ。そりゃあそうだ、会う事も無い人の事よりもフジタカは自分の魔法や文字を理解する方が急務だったんだし。

 「……まぁ、口を回す知恵があるならこれから調教するのも悪くはないか」

 自分を知らなかった事に対しては割り切っているのか何も言われない。しかも、妙に前向きだ。

 「その……イサク王子、はどうしてフジタカを欲しがるのでしょうか。やっぱり力が珍しいからですか?」

 この人は少なくともフエンテ側ではない、と思う。フエンテだったら今更こんな遠回しな近付き方はしないし、カスコの人達の様子を見るにこの人がイサク・フォーガ・オリソン王子だというのも何となく伝わってきた。

 だからこそ、フエンテでもないのにフジタカを……他人のインヴィタドを求めるなんて妙だ。簡単に言うとは限らないが……。

 「ゆくゆくはこの俺がカスコの在り方を決めていく。その為の力が欲しいと思ってな」

 ……思ったよりも簡単に話してくれた。カスコの在り方、となれば召喚士やインヴィタドの立ち位置も左右されるという事だ。

 でも、イサク王子の言葉には誰かが話す時の様な重みが感じられない。強い使命感とか、義務を果たそうとする情熱と言うよりも……その場の勢いや単なる我儘に聞こえてしまう。出会ってまだ時間もほとんど経っていないせいもあるが、この直感は大きく外れていないという確信も持っていた。

 「その力を手に入れてどうすんのさ」

 フジタカはまだ口元を手で拭いながら重ねて問う。その態度にチコが肘でフジタカを突くが王子は気にしていない様だった。

 「ふふん、聞いて驚け。俺の代でこのオリソンティ・エラからビアヘロを一掃してやるのさ!俺のインヴィタドの力を使ってな!」

 大それた事を断言してのけるその様は確かに自信に満ちていた。説得力は欠片も無いのに、聞いた者に一度は受け止めさせるだけの圧はある。

「どうだ?俺の元に来る気になったか」

 「お断りします」

 しかし、私達が潜り抜けてきた修羅場はこんな甘言を勢いだけで押し切られる程度のヤワな状況ではなかった。故に当たり前の様にフジタカは答える。イサク王子は目を大きく見開いて顔を引き攣らせた。

 「……理由は」

 「まずは一つ。俺……チコと専属契約しちゃってるんで」

 出会い頭に鼻っ柱をへし折られた様な顔をしていた王子へフジタカは淡々と事実だけを述べる。相手にするのも面倒臭い、と顔にわざと書いている。

 「それは本当か?」

 「えぇ……。じゃない、はい……」

 チコが渋々言うとフジタカはわざとらしく左手の掌を見せる。そこに刻まれた火傷の契約痕。それを見てイサク王子は絶句した。

 「お前程度の召喚士がこんな珍しい力を持つインヴィタドと専属契約したのか?」

 「う……」

 初対面のチコに対しても容赦の無い一言。若いのに、と言われてしまうのは私を含めても仕方ないにしても、お前程度と言われる程この御方はチコの事を知らない筈なのに……。

 「アンタにチコの何が分かるんだよ」

 俯きかけるチコと、それを見下ろすイサク王子の間にフジタカが割って入った。

 「……なに?」

 へらへらと笑っていた王子の顔から表情が消える。

 「お前のインヴィタドにならない理由がもう一つ。俺はアンタみたいな上から目線でしか口を利けない男は嫌いだ」

 はっきりと口を動かしてフジタカに言われたのに、王子は口に笑みを浮かべる。それすらもどこか苦々しい。

 「お前の意思など聞いていない。レアンドロから聞いているぞ、変な召喚士に狙われているとな」

 情報の出所が分かった。カスコで私達の事情を知っているとすれば、確かにレアンドロ副所長が筆頭に挙がる。あと知っているとしてもミゲルさんとリッチさんか。これでフエンテ側ではない、とだけは知る事ができた。だとすれば……。

 私はずっと黙っていたレブに目配せして見せる。

 「俺の元に来れば俺のインヴィタドの力でお前を守ってやらないでもないぞ?そいつらも俺が蹴散ら……」

 「ふん」

 イサク王子が何か言っている途中で集会所周辺に突如ガン、と大きな音が響いた。レブが自分の拳を石畳の上に叩き付けたのだ。容易く石は砕けて拳は地面にまで届いたが、乾いた土と砕けた石は拳を離すとパラパラ風に乗って散っていく。

 「な……は……」

 問題があるとすれば、その振り下ろされた拳はあと指の爪一枚分ズレていたらイサク王子の足を貫いていた。いきなり動き出してレブを見て言葉を失ったイサク王子はなんとか声を洩らしたが数歩下がって尻餅をついてしまう。……そこまでしろとは言ってないんだけどな。言ってないからやっちゃったのか。

 「季節外れの虫がいると思ったものでな」

 「う、嘘をちゅくな!」

 呂律が回らないのは寒さのせいか、それとも別の理由があるのか。王子はレブとレブが穿った穴を交互に見て後ろに後退る。

 「さて、私が嘘を言っているのならインヴィタドが危機に陥る召喚士を守るだろうに」

 「そ、それは……」

 見たところ、王子はインヴィタドを連れている様子はない。召喚陣を携帯している様にも見えなかった。それどころか、護衛らしき人もいなさそう。遠巻きにこちらを見ている召喚士達も王子に手を差し伸べようとやって来る事もない。

 「……ちっ。折角城を抜け出して来てやったってのに!つまんねぇ連中だ」

 立ち上がったイサク王子の足は震えていた。

 「そんな言う事を聞かないインヴィタド、いずれはお前達も同じ事をされるんだからな。俺からの忠告、受け取っておいて損はないぜ」

 砂埃を叩き落として王子は背を向け歩き出す。振り返る事もなく、足早に集会場を後にして残されたのは私達に向けられる召喚士達の視線だった。

 「……何だって言うんだよ。いきなり現れて」

 フジタカが耳を畳んで肩を落とす。聞こえてくるどうしたかしたのか?アイツら、イサク王子に何をしてたんだ?という声に私も耳を塞ぎたくなった。

 「さぁね……」

 だけど誰も近付いては来ない。レブが腕を組んで威圧しているからだ。

 「私は嘘を吐いたつもりはないぞ。季節外れに目障りな五月蝿い虫を黙らせたのだからな」

 そういうの、敵を作る言い方だよ。……ちゃんと止めなかった私も悪いけど。

 「あの様な虫にも劣る小さな心臓の小童が、この世界の在り方をいずれ握ろうとは。貴様も難儀な世界に生まれたものだな」

 「レブに会えたからまだいいよ」

 言われている事は分かる。カスコの城に暮らしている召喚士の王家にいる人が、あんな人物だなんて知らなかった。山を、海を越えてようやくお会いできる様な御方だから関係無いとさえ少し思っていたんだ。だからカスコに着いた時も私は城にあまり関心も持たなかった。

 「………」

 「あれ?どうかした?」

 思い詰めない様に、と程々に切り上げて深呼吸する癖を身に付けられたのは自分でも良いと思っている。それを気付かせてくれたのはレブだが、彼は黙って私を見下ろしていた。

 「いや、自分が何を言ったのか自覚を持っていまいなと感じてな」

 「えっと……?」

 私、何か言ったっけ。えーと……レブが地面を殴った理由を聞いて、イサク王子への感想を聞きながら私は……。

 「あ!」

 言った。レブに会えたからどうとか!ぼーっとしてたからって変な事!

 「ち、違うの!」

 「違うのか……」

 レブが表情は変えずに声を低くする。……その様子を見て、堪らなかった。

 「……やっぱり違わない、かな」

 「……そうか」

 尾の先を微かに揺らして地面を叩いたレブに思わず表情が綻ぶ。難しい顔をしていても始まらない、かな。

 「お前達、天下のカスコにいる王子にケンカ売ったのによくのんびりしていられるな……」

 チコがしきりにキョロキョロと周りを見回しているので私とレブも改めて集会場に集まる召喚士達を見る。レブの拳を浴びて無事でいられる人間はいない。だけどあれだけさっさと帰ったのだから怪我はしていないとも分かっている筈。驚かせて転ばせた、ってだけでも良くはないんだけど敢えて問い質してくる人もいない。

 「ふん。先に売ってきたのは向こう。ならばあんな安モノを売り付けてくる悪徳商人には制裁を加えて然るべきだ」

 情けない、と言ってレブは目を瞑った。難義な、と言ってたしああいう人が上の立場にいるのが許せないのかな。

 「王子様に迫られてどんな気分だったよ、フジタカ」

 「からかうなよ。気色悪い」

 その言い方だとフジタカの立ち位置は物語で王子様が迎えに来たお姫様、かな。若しくは一目惚れされた町娘か。

 「……うん、無理あるよね」

 「さり気無く酷くね?」

 個人的な感想を呟くとフジタカの耳は当然聞き逃さない。

 「どっちかって言うとザナの方が王子様に興味あったんじゃないのか?」

 チコはなるべくこちらを見る召喚士達に背中を向けていた。気にしない風を装って私達は徐々に元々任されていた自分達の陣地に戻る。

 「知らない場所に住んでる知らない人だよ?名乗られても気付かなかったのに」

 名前は新聞とかで読む事はあっても顔を見る事なんてないしね。興味以前の問題だよ。カルディナさんに今の始終を見られていたら怒られただろうな……。

 ……それに、私には自分の元に来てくれた武王なんて存在が隣にいる。

 「………」

 「……別に」

 立ち止まったレブが目線を送ってきたから私は何も聞かれていないのに顔を背けてしまった。これではレブの事を考えていたのが丸分かりだ。

 「でも正直なところどうだったんだよ。王子の方に行けば毎日好きなもん食い放題だろ?」

 「お前の王子様像がどういうものなのかよーく分かったよ……」

 フジタカが苦笑する程にチコ描く王子の生活は極端に偏った想像だった。でも、私達一般市民の貧困な想像力じゃその辺りが妥当なのも頷けてしまうんだ。

 「きっと赤い絨毯が敷かれてて……」

 「フジタカみたいな毛皮が壁に飾られてるんだよな」

 「お前ら、全裸の俺が壁に貼り付いてたらどう思う?貼り付けられる側の方の身にもなってみろよ」

 そんなお城の優雅な暮らしに思いを馳せている間に時間は過ぎていく。イサク王子に出会って言われた内容を振り返ろうにもフジタカは完全に聞き流してしまった様だった。

 「大事は無かったか」

 ……しかし、それもニクス様達と合流するまでの話。まだ儀式を待つ子ども達はいたが、雪が思いの外降り積もってしまった為に翌日に残った数名は繰り越された。召喚士選定試験に関してはカスコ支所で時期毎に行っているらしい。私達の方で受け持つ分は特に無かった。

 「ええと……別に変わった事は特には!なぁ、フジタカ?」

 「俺に言うなよ!」

 集会場の小屋にぎゅうぎゅうに詰まって入った私達を前にニクス様が聞いてくださる。自分も魔力の消費でお疲れなのに気に掛けてくれるのは有難い。だから余計にチコも誤魔化そうとしてしどろもどろになっている。

 「はぁ。……ザナ」

 「はい」

 ニクス様の隣に立っていたトーロが代わりに口を開く。カルディナさんは急に私の名を呼んだトーロの顔を見上げる。

 「聞こえていた、と言ったら……後は分かるな?」

 トーロがチコを一睨み。私とレブは言い逃れはしない。

 「はい……」

 獣人の聴力を前に一発とは言え大きな音を立てた。その後集まった召喚士達もしばらくの間はざわついていた。それに気付かぬ契約者の護衛ではない。ライさんはわざと黙っているだけ。

 チコは無かった事にしたかったみたいだけどそうはいかなかった。結局リッチさんが持ってきてくれた鍋を洗っていたところにイサク王子が現れたところから全部話してしまう。カルディナさんは顔を真っ赤にするどころか最後の方は若干血の気を引かせて聞いていた。

 「イサク王子に……全力で殴り掛かったの」

 「人聞きを悪くするな。黙らせただけで傷は負わせていない。尻を擦り剥いたとしたら自分で転倒しただけだ」

 恐る恐る尋ねるカルディナさんにレブは当然の如く悪びれもしないで答える。

 「貴方、自分が何をしたか分かってるの!?この世界では契約者とはまた違った象徴の末裔を……!」

 「落ち着かないか、カルディナ……」

 最初に話を振ったトーロが落ち着く様になだめる。レブに感情的になるカルディナさんも初めて見たかも。

 「あの様な者を象徴と私は感じていない」

 「個人的な感想なのは分かるけど……あぁ、もう……」

 カルディナさんが頭を押さえて唸り出す。心労がどんどん溜まっているんだろうな。申し訳ないとは思うけど……。

 「フジタカを欲されても、渡すわけにはいきませんでした」

 やっと正式なインヴィタドとして迎えられたんだ。ある意味では間が悪かったのかもしれないけど、仮にビアヘロ状態でもフジタカは同じ答えを選ぶ。

 「やり方を考えてもらいたかった、って話よ」

 「はい……」

 レブは手っ取り早い方法を最優先にしてくれた。一撃で相手も骨身に染みたとは思う。それが最善だったかは、また別の話。

 「体目当てで言い寄られるとは、大変だったなフジタカ」

 「いや……別に」

 トーロが優しくフジタカの肩に手を乗せて撫でる。フジタカを気遣ってくれているけど当の本人はあまり気にしていないのか、その手をゆっくりと退かす。

 「なんなら今夜は話を聞くぞ?」

 「だから間に合ってるっての!」

 しかしトーロも引き下がらない。再び腰に手を回し、フジタカも強がっているのかその手を掴んで離すと声を荒げた。フジタカって身軽に見えて色々抱え込んでいるものはあるんだし、こういう時に甘えても良いと思うんだけどな。

 「……本当に珍しかっただけか?」

 ライさんの一言に全員の視線が一度集まった。

 「どういう意味?」

 カルディナさんが聞き返すとライさんは預けていた背を壁から離す。

 「その王子がフエンテではないと言い切れるのか、という話さ。とぼけていただけかもしれん」

 「残念だったな」

 しかしレブはライさんを軽く笑ってしまう。

 「あの小童に犬ころをどうこうする力は無い。こちらを慢心させるつもりだったとしても、それに何の利点がある」

 油断して足元を掬われる、なんて事態は絶対に起きてはならない。だけど、それにしてもあの王子は何というか……迂闊だった。

 「ライさん……疑っていたらキリがないですよ」

 「………」

 私を見下ろすライさんの視線はまだ何か言いたげだったが、目を伏せ一息吐くと頷いた。

 「……そうだな。俺は実際に会っていないし、カスコの召喚士と契約者の関係を悪化させるのが目的だったとしても……この世界の住人は契約者を切り離す事はできないだろうしな」

 もう一つのライさんの仮説は、そこまで考えられて行われたとしたら、とても恐ろしかった。普通の召喚士がやったとなれば即カスコからの追放にも繋がりかねない。ましてや牢屋に叩き込まれてもおかしくなかったのではないかとさえ今更思えてくる。インヴィタドを強制送還なんてされた日にはもう目も当てられない。

 「レブ……やっぱり次は気を付けてね」

 「……貴様がそう言うのならば、止むを得ないな」

 向こうも契約者同伴の召喚士とインヴィタドだったからというのが一番大きな理由で知っていたんだ。普通に出会っていなくて良かったと思う。

 「ライさん、すみません……」

 「いや。こちらこそその場で妙な気を起こさずに済んだ。次は気を付けてくれれば良い」

 俺も気に入らないだろうしな、と付け足してライさんも苦笑した。ウーゴさんもホッと胸を撫で下ろす。

 「問題があるとすればあの副所長……でしょうか」

 「副所長のお小言だけで済めば良いんですけどね……」

 ウーゴさんに対してカルディナさんは肩を竦めてみせる。

 「どういう事ですか?」

 「忘れちゃダメでしょ」

 私が聞くとカルディナさんがこちらに向き直る。

 「あの人は副所長。だったらその上に所長もいるじゃない」

 「あ……!」

 確かに、忘れたままにしておくにはあまりに大きな存在が残っていた。どんな人かはまだお会いしていないけど、もしもレアンドロ副所長以上に厄介な人物だとしたら。あまり楽観はできそうにない。あの王子が告げ口したか、目撃証言が通報されるか。レアンドロ副所長やその周辺の耳に入るまでの時間はそう長くは掛からないだろう。

 「……まずはご馳走になった鍋、リッチ達に返しておいてくれる?私達でできるだけの時間稼ぎはするから」

 カルディナさんの苦い表情に私とチコ、フジタカはただただ頭を下げる事しかできず、レブも連れてミゲルさんとリッチさんが間借りしている店へと向かった。それは私達に与えられた反省文を考える若干の猶予時間となってしまう。

 「どうすんだよ。デブのパンチで、俺達大騒ぎじゃねぇか」

 他にやりようはあった。それが炎を吐き出すか、魔法の雷を目の前に落とすか。若しくは穏便に話し合いで納得してもらうか。早々に処理するなら、やっぱりレブの取った方法が一番分かりやすいのだろう。だけどフジタカもカルディナさんも他の方法を選ぶべきだったと思っている。

 「カスコでも犬ころは一躍有名人になれたな」

 「……それも?」

 トロノに居た時のフジタカは確かに有名人だった。しかしそれはあくまでもセルヴァの英雄とか、身を呈してエルフの集落アルパを襲った悪の召喚士を倒した勇者とか。かなり肯定的に捉えられていた。途中で寄ったガロテでも、小さな犬の怪我を治療して話題にされている。

 だからこそ今回はどうだろう。イサク王子がトロノの人狼インヴィタドを迎え入れようとしたところ、手痛い反撃を受けた。……この文脈だけであれば、反撃を行ったのはフジタカとしか受け取られまい。

 「あり得なくはない、のかな」

 「勘弁してくれよ……」

 イサク王子や周り次第、かな。きちんとレブの仕業と言えばフジタカには何の影響もないだろうし。

 「こんばんは。リッチさんいますか?」

 話をしているうちにミゲルさん達の店には着いてしまう。カスコで肩身が狭くなるのは間違いなさそうだよね。私は気付くと降り積もった雪を踏み締めてできた足跡を一度振り返ってから、店の扉をくぐった。

 「おうザナちん!いらっしゃい!」

 顔を先に出したのはミゲルさんだった。遅れてリッチさんも奥から顔を見せてくれる。

 「ヨォ!随分早く来てくれたんだな!」

 「借りっぱなしは悪いので。とっても美味しかったです。ご馳走さまでした」

 ミゲルさんの横を通り抜けてリッチさんが私の前に立つ。

 「はい、確かに!」

 返した鍋と食器を数えてリッチさんはニッコリ笑う。

 「カルディナさんやトーロも美味しいって言ってましたよ」

 「だろぉ?」

 根拠は無いけどリッチさんは料理得意そう、と言ったら怒るかな……。厨房でニコニコしながら鍋を掻き回していそうというか。

 「でも、カルは大変なんじゃないのか?」

 「えっ?」

 リッチさんの肩の後ろからミゲルさんが顔を覗かせる。

 「ほら、何かしたんだろ?アラさんがさ?」

 「………」

 リッチさんに言われてすぐに頭を引き戻す。寧ろ、この場で言われると思わなくて一気に目が覚めた。

 「知ってるんですか?もう?」

 「あっははは……まぁ、そういう噂はすぐに入ってくんのさ。まして、すぐ近所だったし」

 ミゲルさんが苦笑して教えてくれる。直接見たわけじゃないみたいだけど、儀式見学の帰り道に立ち寄った召喚士辺りから聞いたのだろう。

 「で?で?どうしてそんな事になったのさ!」

 「ええと……」

 今回の話、大変な事とミゲルさんは言った。それに私達だってやり過ぎたと思っている。……その割に、リッチさんは楽しそうに笑顔を見せていた。ココの時は神妙な面持ちで聞いてくれていたんだけど……。

 私達と向こうの温度差に戸惑いながら私達が経緯を話す。その間はミゲルさんも様子がおかしく、口元を手で覆い隠す様に押さえて時折震えていた。

 「フジタカ目当て、ね……分からなくはない。分からなくはないんだが……くく、プクク……!」

 「ク、ク……クハーッ!ブハ、ブハハハハ!」

 「アーッハッハッハ!」

 最後まで話すと、遂にミゲルさんとリッチさんは耐え切れずに吹き出した。リッチさんがゲラゲラ笑うとそれに連鎖してミゲルさんまでもが腹を抱えて笑い出す。

 「笑い過ぎでしょ、二人とも……」

 自分の事も含まれているからか笑うのを止める様、最初に口を開いたのはフジタカだった。それでようやくミゲルさんとリッチさんも落ち着きを徐々に取り戻していく。

 「いやさぁ、よくやってくれたなと思ってさ」

 「よくやった……?」

 フジタカが聞き返すとミゲルさんは頷いた。

 「あぁ、そうだよ。あの王子様はカスコの民を思って何かする様な器じゃないのさ。少なくとも、今はまだな」

 将来性のある様な含みある言い方をして、ミゲルさんは顔から笑みを消した。リッチさんはまだ口角が上がりっぱなし。

 「あのお坊ちゃんはな。自分の持っている力をさ、楽しんでいるんだ。言っておくがそれは召喚術の力じゃない。もっと単純に、カスコの王族故の権力だ」

 ミゲルさんからの細く説明はさっき直接会った私達にはすんなりと受け入れられてしまった。俺のインヴィタド、とは言っていたが連れている様子も無かったし、力を示すかと思えばそのまま帰ってしまったし。

 「威張り散らすだけなら可愛いものだ。あの小童に暴君は荷が重い」

 「流石、灸を据えただけあるな」

 ミゲルさんはレブや私達に対して責める様子は無い。しかしこの反応が世の全てではない。まして当たり前だが本人の気を損ねているのだから。依然、本人の気持ち次第で私達はどうにでもされかねない状況だ。

 だけど話を聞くにあまり評判の良い人ではないみたいだ。口だけの人、か。確かに聞いてもいないのによく喋っていた。

 「召喚士達だって誰もあのオージ様を助けには入らなかったろ?つまりはそういう事さ。本人だって分かってるんだ」

 ミゲルさんは一度後ろを見たがすぐに向き直る。

 「だから余計に見栄を張っちゃうのさ。自分は弱くないんだぞ、って」

 「そんなの、逆効果じゃないですか」

 強がって見せても周りには既知の事実としてとうに認識されている。だったら自分でも受け入れて……。

 そこまで考えて、私はチコの方を見た。

 「……なんだよ。こっち見んな」

 「お前と同じだって思ったんだろ、ザナは。俺もだし」

 チコが私の目線に口を尖らせ、フジタカの追撃に顔を真っ赤にした。

 「う、うるさいっての……!今は……」

 「あぁ、今は違うよ。それも分かってるって」

 前はチコもトロノの召喚士育成機関で特待生という立場にあってちょっとだけ調子に乗っていた部分があった。しかし自分がフジタカを召喚していないと告げられて自信喪失。その後はしばらく荒んでいた。あの頃のチコにちょっと似ているのかも。歳は向こうの方が上だけど。

 「先に大人になった様な顔をしやがって。今に見返してやるからな」

 「見返そう、なんて考えがガキっぽいんだよ」

 棘は出さずにフジタカがつつくと余計にチコの顔が赤くなる。もう、フジタカといいレブといい人を煽るのばかり上手いんだから。

 「はーいはい!そこまでにしてね!君達だって、帰ってこってりおしぼりされないといけないんでしょ?」

 「う……」

 そこにパン、と手を叩いて鳴らし注目を集めたのがリッチさん。徐々に薄れていた意識を引き戻されて私達は帰路に立つ。ある程度を大人達に任せるにしても、押し付けてはいけない。いつまでも油を売ってはいられなかった。

 「じゃあねん!怒られて凹んだらまたおいで!たっぷり慰めてあげるから!」

 「カル達にはまた飲もうって伝えといてくれ」

 「はーい……。ありがとうございました」

 伝言を預かって外に出ると更に雪は積もっていた。深々と町を白く染め上げた氷の結晶を見るレブの鼻息は白い。

 「そんなに話していたつもりはないのに……」

 「うー、寒ぃ。さっさと帰ろ……うぇ、靴に雪入った!気持ち悪ぃ!」

 雪の有無で町の景観は随分と印象を変える。その横でフジタカはすっかり静かになっていた町で一人声を張り上げた。

 「お前は楽しそうだな……。こっちはどう言い訳したもんかずっと考えてるって言うのによ……」

 そんなフジタカをチコは恨めし気に見ている。指で雪を掻き出したフジタカは腰に手を当てて胸を張った。

 「だって、俺はそういう時に大抵何も言わせてもらえないじゃん。お前はインヴィタドだからって」

 「お前の話をしてんだからお前が黙ってどうすんだよ!」

 フジタカの言い分も分かるが、今回はチコの言う通りだ。必ずフジタカに話題の矛先が向く場面が現れる。その時も黙っていられるとは思えない。

 「やべ……」

 自分でも気付いたのかフジタカは口の端を痙攣させた。こちらを向かれても、模範解答は与えられない。私はレブの顔を見上げる。

 「犬は雪を見ると我を忘れる、というのは本当らしいな」

 「レブは忘れてない?」

 王子の足元ぶん殴った張本人も同じなんだからね?と私が視線に籠めるとレブは鼻を鳴らした。

 「ふん、弁明する理由は無い。向こうが勝手に騒ぐのなら、受けて立つまでの話だ」

 こっちはもう最初から喧嘩腰だし……。あの副所長、なんて言うのかな……。

 雪道を歩いてカスコ支所へと戻ると、なんと玄関にニクス様が一人で立っていた。

 「もう少し掛かると思ったが」

 「ニクス様……どうして?」

 カスコの召喚士達が通り抜けはしているものの、カルディナさん達はもちろんトーロやライさんもいない。

 「帰りを待っていた。そして、戻り次第部屋へ連れてくるようにも言われている」

 「えっ……」

 説教部屋への案内人としてニクス様に私達を待たせていた……?ちょっとトロノじゃ考えられない待遇だ。しかも召喚士は建物中にいるとは言え、一人で立たせていたなんて。気にせずニクス様は先に廊下を歩き始めてしまうので、私達も何も言えずに続くしかなかった。

 「失礼する」

 以前と同じ部屋へニクス様に連れられ入室する。そこにいたのは俯くカルディナさんとウーゴさん。その後ろにトーロとライさんが控えていた。

 対して向かいに座っているのは血管を浮かび上がらせて明らかに険しい表情のレアンドロ副所長。その隣に、初めて見る顔の女の人がいた。

 綺麗に真っ直ぐ伸びた黒髪は後ろで編んで留めている。肌はさっき通った雪道を連想させる程に透き通って白く、薄い桃色の唇は厚めで目付きは少し鋭い。こちらを捉えた目も、一瞬で身を引き締めさせられる圧を持っていた。

 「君達が、不敬を働いた張本人か」

 口を開いた女性に口を閉じかけた。ただでさえ迫力のある女性だが、何より私の目を引いたのは彼女が包む銀色に輝く鎧姿だった。立ち上がっていないので全身は見えないが胸と肩はしっかりと金属に包まれており、屋内だが籠手も外していない。

 「ザナ・セリャドです……。こっちはレブです」

 「チコ・ロブレスです。人狼の方が俺のインヴィタドのフジタカです」

 咄嗟に、こういう人は口を閉ざすと怒鳴りそうだと思って私は先に口を開いた。チコも続いて私と同じ様にフジタカを紹介する。

 「チータ・プロテク。私がこの召喚士育成機関カスコ支所を統括する者だ」

 私達が名乗ったからか、女性は自分の名前を教えてくれた。しかも、自分がカスコ支所の所長だと言った。どんな人かなんて聞いた事がなかったけど、まさか召喚士の町で所長を務める人が女性とは思っていなかった。しかも、かなり若い。ウーゴさんよりも歳は下かもしれない。

 「話は聞かせてもらいましたよ。また貴女ですか、ザナ・セリャド」

 チータ所長から目を離せないでいると、レアンドロ副所長の声がして肩が跳ねる。私達はまず部屋に入って扉を閉めた。

 「見た目の穏やかさに対し、随分と行いは派手な様ですね」

 「……すみませんでした」

 ミゲルさん達は笑っていたけど、こうなるのは誰の目から見ても明らかだった。私はレアンドロ副所長と隣のチータ所長へ謝る。

 「待て」

 しかし、頭を下げようとするとレブに肩を掴まれた。

 「そこのインヴィタド。何をしている」

 「この召喚士が、お前に謝る理由は無い」

 レブの宣言にその場にいた者達の顔色が変わる。特に表情が変わったのはその言葉を投げられた副所長だった

 「な、な……!」

 「気に入らない小童を相手に手を出したのは私だ。だったら、責める相手を間違えるのは止めろ」

 自分から名乗り出てレブが私の前に立つ。だけど、そうじゃないよ。

 「待ってよ、そういうのは……」

 「あの御方の行動に対しての不敬、それは気に入る気に入らぬの問題ではあるまいっ!」

 私が止める前にレアンドロ副所長が噴火した。唾を散らしながら怒鳴るその顔は気持ちの昂りからか汗まで滲ませている。それを見てレブは笑っているんだ。

 「その言い方では、暗に自分も気に入っていないと宣言していると同義だぞ。カスコの召喚士」

 「ぐうぅぅぅぅ!」

 血管を切って噴き出るのではないかと思うくらいに副所長の顔色が変わって私は心配になってしまう。初めて会った時はあんなに取り乱す様な人ではなかったし。

 ……それに、副所長もレブの言った自分も気に入っていないという部分は否定しない。

 「そこまでにして頂こう、お客人インヴィタド。お前もだ、レアンドロ」

 静かに、しかしよく通る声でチータ所長が言った。レブも笑うのは止めて相手を見据える。

 「しかし所長……この余所者達は……」

 「契約者を前にしてその軽口もまた、不敬だぞ」

 何かを言い欠けるレアンドロ副所長もぴしゃりと断じてチータ所長が一睨み。目線を浴びただけで副所長は短く声を洩らして姿勢を正した。

 「まして私達は同じ召喚士だ。余所者などと言って見下すなど、このカスコで召喚術を使う者の発言ではない」

 「は……はっ!申し訳、ございません……」

 入室した時と空気の重さは変わらないのに、雰囲気は少しずつ動いていた。

 「座られてはどうか。ニクス様も」

 「……うむ」

 この場で一番動じていないのは話題の中心にいるレブとチータ所長だった。着席を勧められて、最初に動いたのはニクス様だった。ニクス様も表情や言葉には出さないけど、挙動の遅れから少し戸惑っている様に見えた。

 「君達もだ」

 「は、はい……」

 威圧するつもりはないのだろうけど、所長の言い方は誰に対しても変わらない。だから私やチコにとっては少し強めに感じてしまうんだ。レブとフジタカも、促された私達の後ろに続いて扉の前からは退いた。

 私とチコ、ニクス様が座ったのを確認するとチータ所長は顔の前で指を組んで口元を隠した。

 「すまない。評判が悪いのは知っているがあれでも私達からすれば護衛対象でな」

 会話の流れからして、あれとは王子の事だ。私が言えた事ではないけどその呼び方は問題無いのかな。レアンドロ副所長は何か言いたそうに所長を見ていた。

 「予想はついているだろうが、あの王子は短気でな。君達の騒ぎで、城から抜け出した事もすぐに気付かれた。おかげで連れ戻されたのも大層不服らしい」

 レブが鼻を鳴らして笑う。

 「護衛対象に逃げられたのがそもそもの問題ではないか」

 「その通り。しかも一度や二度ではないからな。面目ない事この上ない。そしていつもの事だとこちらも軽んじていたところに、集会場の一件だ。これだけ肝を冷やしたのはいつ以来かも分からない」

 下手に言い返さずにチータ所長は目を伏せる。隣の副所長の方がそわそわしているので私もレブの方を見た。

 「どうだろう。君達が敵意や殺意を以て王子と接触したのではない事は分かっている。こちらも今回は厳重注意で留め、君達には我々の失態を見逃してもらいたい」

 向こうからの意外な提案に私は目を丸くした。どうやら私達の経緯についてはカルディナさんとウーゴさんが必死に説得してくれていたらしい。チータ所長の方から下手に出て話してくれている以上、私達も……。

 「善処はしよう」

 答えてしまったのはレブだった。

 「だが、降り掛かる火の粉は払う。私も召喚士は大事だからな」

 そこで遂にレアンドロ副所長が大きな音を鳴らし、机を叩いて立ち上がった。

 「王子が近付けば、再びその拳を振り下ろすと言ったのか!」

 「止めないか、レアンドロ」

 机を叩き、怒鳴った事にもまるで動じないで所長は静かに言った。

 「しかし所長!こちらの譲歩に対してあの不遜な態度!我々の領分での振る舞いとは思えま……」

 「レアンドロ」

 再び名前を呼んで所長は立ち上がった副所長を見上げた。その視線は人間の放つ威圧感とは思えぬ迫力を帯びてレアンドロ副所長を射貫いた。

 「ひ……」

 言葉は繰り返さずに副所長は静かに椅子に座る。その様子はどちらかと言うと座るというよりは腰を抜かしたと言う方が近いかもしれない。

 「彼は言ったぞ。降り掛かる火の粉は払うと。私達は彼の為に行動はしない。だが私達が任務を遂行し、あらゆる場面で王子と行動を共にしていれば火の粉とは成り得ん。違うか?」

 「仰る通りで……ございます」

 副所長は目を合わせないで所長に答えた。返答に満足したのか、とりあえず納得したらしくチータ所長が次に見たのは私の方だった。

 「しかし、見事だ。竜人はインヴィタドの中でも特に人間の話に耳を貸さない。それをよくぞそこまで手懐けたな。君はどうやら、随分と優れた召喚士らしい」

 「え……」

 私がレブを手懐けた……?その表現に違和感を覚えて私は咄嗟に首を横に振っていた。

 「そんな事……」

 「それで、か……」

 私が否定するとレアンドロ副所長がぽつりと呟いた。そう、そもそもレブが人の話をよく聞くかだなんて。私は最初から何もしていない。扱いにくい部分はあるけどこれは最初から。レブは私の話した内容は聞いてくれている。

 「謙遜する事はない。どうだ?今夜はこの場に集まった者で一緒に食事でも……」

 「所長。この後の予定をお忘れですか」

 私に構わず話を続けようとしたチータ所長を副所長が止める。そう言えば、この人に会うのも今回の目的の一つだった。

 「……そうだったな。また城に戻されるのか」

 辟易した様子で所長は肩を回して立ち上がった。鳴った金属音と見せた全身はやはり鎧に包まれている。部分的に肉抜きされているから軽そうだが、腰も脛も完全武装。剣は提げていないがライさんと似た様な装備だった。

 「こちらの話をするだけして去るのも心引けるが許してほしい。レアンドロからの報告は聞いている。改めて話す機会を今しばらく待ってもらいたい。では」

 私が気にしていた部分についても最後に言及して所長は副所長を伴い部屋の扉から出て行った。足音が消えてしばらく、ようやく私達は肩から力が抜ける。

 「な、なんだあの所長……おっかねぇ……」

 「でも、最後までフジタカの話はしなかったね」

 注意はフジタカではなく、完全に私とレブを狙い撃ちしていた気がする。

 「それは、私達の方で済ませておいたからです」

 やっとカルディナさんが口を開くと、続いてウーゴさんやトーロ達の表情からも強張りが消えていく。

 「あ、通りで……」

 何も言われなかったのだから、少なくとも現状維持よりも悪い話にはなっていないよね。それを聞いて安心したのかチコは椅子に背を預けて体を大きく伸ばした。

 「フエンテよりもあの王子のお守りの方が大事だって言うのかよ、あの所長……」

 個人的に雰囲気はあるが話の分かる人、の様に思ったけどチコにとってはフジタカの進展を左右する事柄を後回しにされた。フエンテの話ができなかったけど、その辺りはフジタカの説明をカルディナさんがした時に多少は触れていると思う。

 「あの召喚士には立場もある。何も押し通すだけが交渉ではない」

 しかも、チータ所長の肩を持ったのは意外にもレブだった。チコはレブの一言に目を細める。

 「あの人、お前の事をちょっと見下してたぞ」

 「あの者にどう思われていようと、私には些末事だ。私は自身の立場を弁えているからな」

 インヴィタドとして、って事かな。チコも本人が気にしていない様を察してか口を閉ざした。

 「ではとりあえず明日も契約の儀式……。それでまたチータ所長待ちで別命あるまではカスコに待機ですか?」

 当面の予定を確認するとウーゴさんが頷いてくれる。

 「明日は子ども達も少ないので午前中には終わると思います。午後からは各々で行動して頂いてよろしいかと」

 「それでザナさん」

 ウーゴさんの言葉を引き取る様にカルディナさんが続く。

 「貴女の謹慎処分がとりあえずは完全に解除されました。明日からは設備も自由に使って良いそうです」

 「え……」

 レアンドロ副所長からはまた、って言われたからもうしばらくは出歩けないと覚悟もしていたんだけど。思ってもいない枷からの解放に私はレブを見上げた。

 「分かっている。壊さぬ程度にな」

 分かってくれたレブに思わず笑みが浮かぶ。またレブと一緒に力を使えるんだもん。

 「良かったじゃない。あの所長に気に入られたのかもよ?」

 「そうは見えなかった……」

 でもあの人、豪胆と言うか実力主義な雰囲気を全身に漂わせていた。もし私の印象が外れていないのなら、気に入られたのはレブの方だ。……でも、レブの力はそのまま私の力として評価されたって事かな?

 「副所長は不機嫌だったでしょう?貴女達が戻ってくる少し前も所長に叱られていたの。謹慎処分なんてつまらない真似をしていたな、って」

 それでも私に怒鳴ったのだから、叱られても納得してはくれていないみたいだ。あまりあちこちうろついていたら嫌味の一つでも言われそう。

 「君は気にしなくていい。何か言われたら俺も庇う」

 「ありがとうございます、ライさん」

 ライさんもずっと話を聞いていて、レアンドロ副所長はあまり肌に合わないらしい。さっきも副所長が喋っている間はずっと組んだ腕の隙間から指を苛立たせていたし。

 ひとまずの明日集合する時刻だけ決めて、食事を皆で摂ってから私はレブと部屋に戻った。冷え切った部屋の暖炉にレブが口から炎を吐いて火を点けてくれる。

 「流石にレブも、ちょっと疲れているんじゃないの?」

 まさか契約者の儀式を初めて二日連続でこんな事が起きるなんて。昨日の一件に比べたら、今日はまだ可愛いもの……なのかな?

 「私の体力を見誤ってもらっては困るぞ」

 そんな感じで言い返すとは分かっているけど、気になるんだよ。手を軽く暖炉の火で温めてから私はベッドに腰掛けた。冷たい毛布にあっという間に熱を吸われるが、それも座っている間にじんわりと温まるだろう。

 「こう……気疲れとかさ」

 肉体的な疲労なんて、レブが見せたのはレパラルで寝ていた間くらい。しかもあれはどちらかと言うと疲れではなく怪我だ。今回の様に、体を動かさずとも疲れる要素は世の中に幾らでも転がっている。

 「ふむ……貴様が疲れているのは分かるぞ。身分の違う者に会って背筋と表情が強張るその感覚、ティラに何度味わわせた事か」

 レブが圧迫した……若しくは、ティラドルさんが怒らせたか。どちらの様子も容易に思い浮かべられる自分がいる。

 「……そうか。思えばレブも凄い人、なんだよね」

 そもそもこの世界で竜人のインヴィタドを見掛けたのはティラドルさんとカドモスだけ。竜人ではないが海竜を含めても極めて珍しい。様々な要因が重なったから私には他の心当たりがあるけど、普通の召喚士は周りの召喚士の力を借りても竜人を見るなんて機会はほぼ無い。

 その中でも紫竜人に分類されるレブはどうやら珍しさで言えば最上級らしい。加えて武王なんて緑竜から慕われ、契約者に認知された存在だ。明らかに規格外な要素が詰め込まれている。

 「今更だな」

 多分私がそれをどこかでまだ理解し切れていないのは、レブが私よりも背丈が低い時期を知っているからだ。彼もあの姿に慣れず、スライムに手も足も出ないで攻撃されていた事もある。どこかであの頃のレブを引き摺っているんだ。あの頃は良かった、なんて気持ちではないけど不思議と懐かしく思えてくる。

 「敬われたい?」

 「止せ。何を言っている貴様は」

 心底嫌そうに私の一言に対してレブは首を何度も横に振った。

 「勘違いするな。貴様は私にとって唯一無二の主だ。向こうでの実績は関係無い。貴様が召喚と契約を私に持ち掛け、応じたのは私自身の決定だ。貴様はこれまで通りで構わない」

 「う、うん……分かった」

 こうまで否定というか力説されるとは思っていなかった。レブがそれで良いなら、私もこれ以上はその部分に関しては触れない。これまで通り私はレブと接していればいいんだよね。

 「……でも、あの所長や王子の話がちょっと引っ掛かってるんだ」

 レブも大きいベッドの方に腰を据える。尻尾も落ち着けて話の続きを促してくれる。

 「あの人達……インヴィタドを何だと思っているのかな。王子様はフジタカを寄越せなんて言うし、レブにはよく手懐けたなんて言うし」

 小さく溜め息交じりにレブが呟いた。

 「あの者達は間違っていない」

 「え……?」

 パチ、と音がして薪が燃える。レブは暖炉の方を向いて続けた。

 「いつぞやも話した筈だ。召喚士と客人インヴィタドはあくまでも魔力の供給をする側の立場が上。言う事ぐらい聞くのが当たり前だと」

 「覚えてるよ。カンポに行く時だよね」

 カルディナさんが言ってた。この世界の召喚士は、自分が召喚したモノに対して不当な扱いをしているかもしれないって。それが今日の王子やチータ所長にも……。

 「私はそれを間違っているとは思っていない。だから言ったのだ」

 レブが重ねて言った。

 「いや。間違っていたとしても……私には関係が無いと言う方が正しいな」

 「関係無い……」

 暖炉から視線を戻したレブは私を真っ直ぐに見詰める。

 「何故なら、貴様は私に対しあの女召喚士や小童と同じ考え方を持っていないからだ」

 「だってレブは私の大切な……相棒だもん」

 一瞬レブ側のベッドが軋んだ音を立てたが、私が最後まで言うと止んでしまった。

 「……。私の言いたい事は」

 「分かってる。この世界の一般的な考え方を王子様と所長はしていた。だけど私達は違うって事だよね」

 レブは腕を組んでしばし目を伏せた。

 「あれ?違った?」

 「……間違ってはいない」

 何か含みの言い方をされた。まだあるのかな。

 「……おおよそはそういう事だな。私は人目なんてものを気にするつもりはない」

 しかしレブは私の疑問を余所に話を進めた。

 「貴様は私に対してインヴィタドとしての役割だけを求めていない。その是非は問うまいが、恐らくこの世界の常識に当て嵌めれば異端だ」

 そう言えば、私は最初からレブみたいに人語を操るインヴィタドと接した。それが長い間続いているから他の召喚士よりもインヴィタドに対する思い入れが強いのかも、ってカルディナさんが気付いてくれたっけ。

 「うん……」

 自分の中で話が繋がっていく。だからチータ所長や王子の話を受け入れにくかった、か。

 「魔力をより多く蓄えた召喚士に乗り換える。その方がインヴィタドも活用できる魔法の幅が広がるのは確かだ。合理的な意見だが、あの小童に言われても説得力は無いな。財力なら蓄えがあるのだろうが」

 「どうかな……」

 財力と魔力、どちらに対して言ったかは敢えて触れない。召喚士の乗り換えという事例はあまり聞かない。やるとすれば、召喚陣を上書きして魔力の繋がりを切り替えて譲渡されないといけない筈だ。ビアヘロだったフジタカと専属契約をしたチコともまたちょっと違う話になってくる。

 「そして、あの女召喚士の言った事も事実だ。竜人が人間の言う事を聞く理由は本来ならばそうそう無い。カドモスが良い例だな」

 ロルダンに対してのカドモス、またカドモスに対してのロルダンの接し方は少なくとも私達とは大きく違っていた。思い返せばソニアさんとティラドルさんともまた異なる。

 あの二組、特にロルダンとカドモスの方は主導を竜人の方が握っていた。命令すると言うよりは頼んでいたし、魔力と助言を与えているだけで受け取るかは竜人次第と言うか。

 「自分達の力で考えて戦えるんだし、強いインヴィタドを連れている他の人も似た様な悩みを持っているんだろうね」

 この例えで身近な人と言えば、ウーゴさんとライさんだ。何も召喚士に従わないのは竜人だけに限った話ではない。理知的で感情も併せ持っている分だけその制御も難しくなってくる。単純に落とし込めば、好き嫌いで戦力が上下してしまう事も考えられた。

 それに対して、私はレブを押さえ込もうと思っていない部分がある。言い換えてしまえば、レブに頼り切りと同じ事。

 「やっぱり私、ちょっとは間違ってるんだろうな」

 「………」

 レブはいざとなれば私を助けてくれる。それだけの力を持ったインヴィタドだ。だけど、彼を扱う私が未熟では救える者も救えない。あの時、ベルトランとの戦いで知った筈だったのに。

 「私はどちらの貴様も受け入れるぞ」

 後悔しても時は戻らない。まだ明日も前を見て進むには……。暗い部屋に灯りが一つ浮かんだ様に温かいレブの声が届いて私は顔を上げる。

 「レブ……?」

 「貴様の思うままに振る舞え。私は心の底から貴様を信じているのだからな」

 ひたすらに真っ直ぐ、飾らずにレブは言った。あぁ、私はなんて恵まれた召喚士なのだろう。彼の言葉で胸がじんわりと脈打ち冷えた体を奥から熱してくれる。

 「……うん。万が一、レブに何かあったら私が貴方を止めてみせるよ」

 もしも、レブが何らかの理由で憎しみや怒りに囚われてしまったら。その時はカドモスの腕力でも、ティラドルさんや皆の魔法でもない。私が……彼を止める。それが、私を信じると宣言してくれたインヴィタドに対してできる召喚士として最大の責務だ。

 私の決意を余所にレブはふ、と短く息を洩らして笑う。

 「頼もしいな。だが、私がそう容易く感情に流されるものか」

 「どうだか」

 その笑い方や自信は体が小さかった時と何も変わっていない。だから私は安心し、同時に少し不安も覚えた。


 翌日は外に出ると足首まで雪が降り積もっていた。雪は夜の内に振り止んでくれたらしい。夕方までの日照でどの程度溶けてくれるか。残念ながらチコは鼻の頭を真っ赤にして冷たい息を吐いては震えていた。

 しかし、これと言って滞る事もなく儀式は進む。雪の有無は関係無く、昨日の内に予約していた親子連れは集まり早々に儀式を執り行った。午前中の内に済ませた子ども達の中にも成功した者と失敗した者はだいたい半々。

 午前中の内に契約の儀式は全て終わり、私達はその場で解散となった。あとは招集されるまではカスコで自由行動を許される。私とレブは真っ先にミゲルさんとリッチさんが間借りしている店を目指した。とりあえず儀式の終了を祝してのブドウを買いに。

 「なぁアラさん、ルナさんとこで仕入れてるブドウとどっちが美味しい?」

 「ブドウはそれぞれに違った魅力を持っている。一概に比較するのはブドウに失礼と言うものだ」

 レブがブドウに敬意を表している。でもその発言でブドウを女の子に置き換えたら八方美人というか優柔不断に思われるよ。……ブドウって白黒ハッキリしているレブを優柔不断にしちゃうんだ。

 「ハッハァ!面白いな!でも、それって味の違いを分かってないんじゃないのか?」

 リッチさんはレブなりに持っているブドウへの接し作法に対して物申す。

 「む……」

 レブの味覚なら教えればブドウの食べ比べなんて簡単にできてしまうと思う。だけど自分の世界に無かった果実の違いを問われてもレブだって答えようが無い。ルナおばさんだって特に品種の解説をしてくれたわけじゃないし。強いて言うなら、白ブドウとブドウなら目隠ししても分かるんじゃないかな。

 「それで、今回の儀式はどうだったんだ?ザナちん」

 レブがリッチさんとブドウ談議に花を咲かせる傍ら、ミゲルさんが私に耳打ちしてきた。

 「この三日で儀式を行った子ども達は百十六人。その内、儀式を成功したのが七十七人でした」

 「ふーん……」

 あ、聞かれたから咄嗟に答えちゃった……。

 「あの、これって私……勝手に話したら……」

 「あぁ、その辺は大丈夫」

 「どうせ明日には新聞で数がしっかり記載されてるんだからさ!知るのが早いか遅いかってだけだよ!」

 そうか……。って、リッチさんもしっかり聞いてたんだ。レブも何も言わずに横目でこちらを見ている。

 「選定試験の方は私達では今回触っていないので分からないです。すみません」

 「いいんだよ、そんな情報屋でもやってるわけじゃないんだし。畏まらないで」

 商人ってこういう世間話から情報を拾ってるんだなぁ。得た情報は他の客との話題で足掛かりにして広げて更に別の話を得る。

 「でもリッチ、この七十七人って数字をどう見る?」

 情報までは売ってないと言いつつ分析はしっかりとしている。リッチさんも頭を掻きながら一言。

 「少ないな!」

 率直な見解に興味を持ったのかレブもリッチさんの後頭部を黙って見ている。

 「前に儀式したのっていつだっけ?」

 「一昨年じゃなかったか。百八十人くらいだったろ」

 前回の儀式を思い出しながらミゲルさんが言った。百八十という数字は確かに今回よりは多い。

 「そうそう!成功したのがそんくらいだったな!」

 「え?儀式を受けた子どもじゃなくて……?」

 聞き間違いかと思ったけど、ミゲルさんとリッチさんは二人で顔を見合わせてから首を振る。

 「違う違う。受けたのはもっともっと大勢の子どもだったよ」

 「何日も儀式してたよな!ガロテの召喚士も見学に来てたし!」

 当時の事を知っている二人が揃って言うのなら間違いないのだろう。その時はガロテでは儀式をしなかったのかな?

 「……召喚士が減ってる?」

 カンポや別の町を巡っていても感じる事はあったけど、まさかカスコでも同じ様な感想を持つとは思ってもいなかった。レブの方を見れば、彼も同じ事を考えていたのか静かに頷く。

 「今回は召喚士を目指す目指さないの話ではない。そもそも素養を持たずに生まれた者が多いという話だな」

 「そうらしいな……」

 ミゲルさんもレブの考えにそのまま同意した。カンポ地方に行った時に聞いた、才能は契約者に開花されても召喚士になろうと志さない人達ではない。なりたくてもなれない人が今回の儀式では多かったって事だ。

 「なぁ、この世界の人間って契約者に頼らないと本当に契約者になれないのか?」

 深刻そうなミゲルさんの顔を覗き込んでリッチさんが尋ねる。その質問に答えたのはレブだった。

 「稀にいるらしいが、この世界は契約者に頼り切っている。契約者無しで力を覚醒させようとすら思うまい」

 その通りだ。召喚術を授けてくれるのは契約者だと私達は疑ってもいなかった。……フエンテに会うまでは。

 「やっぱりできるんじゃん!だったらそれも知っておくべきなんじゃないのかなぁ?」

 「うーん……そうだなぁ……」

 リッチさんのもっともな意見にミゲルさんは苦笑する。今まで契約者に頼り切りで生きてきた私達に今更言われてもすぐには変えられない。

 「契約者は儀式で才を見付ければ確実に火種はもたらしてきた。召喚術を学ぶ上で、その有無は確実な差を生む」

 フエンテ達は全員が契約者に頼らずに力を得たのかな。だとしたら、どうやって目覚めて集団化したの?どちらかと言うと、フエンテ側にも契約者がいると考えた方が辻褄は合いそう。

 「あ、でもそんなに簡単に召喚術できたら契約者は商売上がったりか!アッハッハァ!」

 自分で納得してしまったのかリッチさんは笑い出す。高額ではないが契約者も無償で奉仕活動しているわけじゃない。単純な話だけど、それも大事だよね。

 「……ま、俺達だってそうやって生きてるしな」

 契約者は金儲けの為に儀式を行っているわけじゃない。……って話を聞かせたらひっくり返るんじゃないかな。でもミゲルさん達の中では商売だから、というの理由で決着したみたい。召喚士育成機関の微々たる補助を受けながらではあるが、商売として成立しているのだから普通はそう思われるかな。

 「子どもの数はそんなに減ってない。だが、成功者の数は気になるな」

 「私、ちょっと調べてみます。何か分かったらまた来ますね」

 カスコ支所ならミゲルさんの言っていた前回の儀式で何人が成功したかもすぐに分かる。それに最近の選定試験の様子は私も気になっていたからどうせ調べるつもりだった。

 「頼むよ。こっちのツテにも聞いとくし」

 「何か無くてもまた来てよ!アラさんにはブドウ用意しとくからさ!」

 既にレブは話していた間に今日の分を食べ終えていた。

 「その言葉に報いよう」

 ……ブドウを与えてくれる人、ってレブからしたらどんな存在なんだろう。私にとってのニクス様くらいなんかこう、美化というか神格化してないかな?ルナおばさんの事も何だかんだ気にしているみたいだし。

 外の雪はまだ溶け切っていない。半端に残る黒ずんだ雪を踏むと足がべちゃりと沈み込む。

 「召喚士になれない子達、か……」

 契約者は人間の中に眠る力を見抜く。その契約者に見込みがないと言われたら諦めるしかないのが実情。告げられた者は早々に折り合いをつけて自分の違う生き方を見付けなければならなくなってしまう。

 でも、本当にそうなのかな。私には召喚士の才能をニクス様に見出して頂いた。だからひたむきに召喚士を目指すだけで良かった。

 一方、是が非でも召喚士になりたかったのになれなかった子ども達もいた筈だ。契約できなかった子や、最初は目指していたが道を半ばに挫折した子だってきっといる。

 「私は力を求めて生きてきた。そして、いざ得た力を前にして……私は正しく力を使えているかな?」

 「他人の夢まで背負うな」

 見抜かれて私は声を詰まらせた。

 「この世界で召喚士に与えられた役割は私とてこの目で見てきた。その羨望を一心に集めて尚、召喚士はビアヘロから世界を守る。異世界の知恵でオリソンティ・エラに豊穣をもたらさねばならない」

 そう。だからフエンテの様な召喚士は信じられなかった。彼らは……自分達の為だけに人を蹴落としてその強大な力を使っている。

 「貴様の力は正しいと思った事に対して振るわれる。だから見紛うな」

 「………」

 認めたくはないが私だって、選択肢を誤ればフエンテになっていたかもしれない。もしくは自分の力を発揮できずに潰れていたかもしれない。

 今私がこの場に立っているのは、たくさんの人の力を借りてきたからだ。別の誰かの力なら、また違う場所に立っていたのかもしれない。そこに良し悪しなんてないと思う。

 「うん」

 だって、今この場に立っているのが現実であり最善だ。彼の隣で胸を張って召喚士で在り続ける。それが私にとって、他の可能性から自分を押し通した事への向き合い方だと思うから。


 「よぉし!」

 グッと拳を握り締めて、私は一歩前へ出る。召喚士への夢に差す陰りを契約者の身近にいる私達で調べる。すぐに解決できずとも糸口だけでも見付けてあげたい。一人でも多くの可能性を広げてあげたかった。

 「じゃあレブ!早く戻って召……きゃぁっ!」

 駆け出して数歩、レブとカスコ支所に戻る為に声を掛けようと後ろを向いた。直後、私の足は雪に取られてずる、と盛大に滑る。世界が一気に角度を変えた。

 「力は貸すが、世話を焼かせるな」

 「ごめぇん……」

 しかし、石畳に打ち付ける前に私の頭と腰をレブの手が支えてくれる。がっしりと抱き留められた私は謝った。魔力切れでもなく、単に滑って転んで助けられた。

 「……もういい。このまま戻るぞ」

 「はーい」

 呆れ顔のレブの背後で翼が広がった。慣れてしまったもので、私は大人しく彼の身体に身を預ける。飛び上がりながら頬を当てた彼の胸板はすっかり外気に晒されて、ちょっと冷たかった。

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