重ねる刃

第八部 一章 -じつは-

 信号弾が打ち上げられたと言われて、俺達は慌てて準備を始めた。その中身が、俺達にとっても放ってはおけなかったからだ。

 海竜を倒した。だが、怪我人がいる。信号の意味は分からなかったが教えられた内容まで把握できない程のバカじゃない。

 「……尾を苛つかせても、今の俺達は待つ事しかできないぞ」

 「でもさ!」

 夜明けと同時に俺達はレパラルに向けて出発している。ニクス様の羽を持った俺は甲板をうろうろしている事しかできなかった。

 それがとてつもなく悔しくて。本当だったら俺は、向こうの連中と一緒の方が戦力になったと思う。だって、俺はチコとは繋がっていないんだから近くに居る必要もないし。

 「落ち着け」

 誰が怪我をしたかも分からない。恐らくあのデブではないだろう。だったらあのツルツルのおっさんか、ウーゴさん。……前線に突っ込んで返り討ちにあったライさんが重傷を負っていたら?……もしも、もしも信号弾の意味する怪我人がザナだったら。トーロになだめられても俺は一息吐くのも嫌だった。この船の揺れと海の臭いに具合が悪くなる。

 「……寝てりゃ、着くかな」

 「君はその方が良いかもしれんな」

 剣の素振りという気分でもない。徐々に明るくなっていく空と海を眺めていると、トーロとは違う声が聞こえてきた。

 「ニクスさん……」

 「君が必要な時はこの後に必ず訪れる。それまで体力は残してもらいたい」

 「俺が……」

 自然に握っていたナイフを見下ろすと、先程までの気持ちの昂りが妙に静まった。

 「……チコの看病をしてます」

 「それがいい」

 予言めいた事を言ったニクスさんの横を通り抜けて俺はチコの眠る船室に向かった。結局寝ていようかと思ったけど、うとうとしている間に船はあっさりと着いてしまう。



 その後、レパラルに着くと俺の出番は本当にすぐ回ってきた。その場で見た光景はしばらく脳裏に焼き付いて離れなかった。

 もちろんライさんが一人でやった紅い港もそうだけど、あのデブが……竜人が苦しそうに寝込んでいたのだから。


 翌朝、陽が天頂に昇った頃に後続組が客船に乗って姿を現した。海竜は退治した後だからと他の乗客もいる。

 海竜と言えば、私はロルダンが破り捨てた海竜の召喚陣を回収していた。紙の端がマスラガルトの血を吸っていたけど、これならソニアさんに見せれば何か分かるかもしれない。

 フエンテと私達の違い。昨日はそれを思い知らされた気がする。

 「ウーゴさん、起きていて大丈夫ですか?魔力……まだ全快じゃ」

 「倒れているわけにはいきませんから。昨日頑張ってくれた、ライの分も……」

 昨日レブを運ぶのも手伝ってもらったし、海竜の召喚陣を回収がてら外に一緒に来てもらっておきながら言うのも難だけど。ウーゴさんは血の気が少し引いた顔で弱々しく笑った。

 「ライさんは……」

 「勝手な行動を取った様に見えたろ?違うよ……二人でやった事だ」

 ウーゴさんは疲れた顔に目だけが活き活き輝いていた。その差に私は二の句に詰まる。

 「契約者を……ココを殺した連中の真意を知った。あんな連中だったら……」

 「……ウーゴさん」

 許せない気持ちは私達の比じゃない。それを私に止める事も肯定する事もできなかった。

 異界の門の大元とも言える存在をフエンテが管理している。契約者が生んだ召喚士はその門を揺らがせる……かもしれない。だから、そんな召喚士を増やしてしまう契約者を殺してみた。それがベルトラン達の考えだったそうだ。納得できる答えでは、到底ない。

 「ライは夕方には起きると思う。君のインヴィタド……レブさん、は?」

 「レブは……」

 目力の入ったウーゴさんから聞かれてまた私は返事を躊躇した。

 「ザナ!おぉーい!ザナぁ!」

 「フジタカ!」

 船から降りてきた人狼の青年が、端に固まっていた私とウーゴさんの姿を見付けるとこちらに向かって駆け出す。話の途中ではあったがウーゴさんもニクス様やカルディナさん達の姿を見付けてそっちを向いた。

 「ザナ!」

 「……どうしたの?そんなに慌てて」

 フジタカの切迫した表情にこちらも身構える。私の周囲を回ってフジタカは鼻をひくひく動かした。

 「血の……臭い」

 何度か回って立ち止まったフジタカが私を見下ろす。……そうだ、直接浴びてはいないけど私だってあの場にしばらく晒されていたんだから。

 「怪我、したんじゃないのか?」

 「私じゃないよ」

 やっと私の目を見てくれたフジタカは落ち着いてきた様だった。そうか、信号弾で怪我したのが私じゃないかと思って心配してくれたんだ。

 「……フジタカ、お願いがあるの」

 「おう?」

 ウーゴさんはカルディナさんやトーロと話をしている。ニクス様も傍にいて、チコが後からふらふらと船から降りていた。熱、引いたのかな。

 だけど他の乗客がレパラルに入っていく前に。パストル所長が説明をしている裏を通り抜けて、私はフジタカと二人だけでレパラルの奥へと向かった。

 「……なんだ、これは」

 「……ライさんが戦ったの」

 マスラガルトやスパルトイの残骸が転がる血塗られた港町。壁は赤く染まり、建物は所々が焦げて地面は血を吸って黒く変色していた。人間でも、鼻の良い人ならこの血の香を感じ取っている人もいるかもしれない。

 「フエンテ?」

 「うん」

 私が短く頷くとフジタカはすぐにナイフを取り出した。

 「……教えてくれよ。何があったのか」

 フジタカがアルコイリスを緑色に変える。ナイフをそっと地面に触れさせると、徐々に地面の色が血を吸う以前の茶色に戻っていった。

 「フジタカ、それ……」

 「見える範囲の、指定した場所だけ消すナイフ……なんて。まだ練習段階なんだ」

 ナイフの切っ先を上げてフジタカはアルコイリスを灰色に戻した。

 「緑でやったら効率悪くて夜になる。……時間が無い、話しながら、一つ一つやってく」

 「うん、じゃあまずこっち!」

 また新しい力を取り入れようとしたフジタカだったが、まだ使いこなせてはいないらしい。だから確実な手段でこなしていく。私は取りこぼしが無いようにフジタカを案内しながら戦闘の痕跡をできるだけ消し始めた。

 切っ先を触れさせさえすれば良い。数を目の前でこなされるとフジタカには驚かされるばかりだった。あれだけライさんが暴れて作り出した死体の山を彼は瞬く間に消していく。血が染みた地面や壁面だけが痕跡となり、この場が少し前まで地獄だったと見た者に感じさせる光景を二人で眺める。

 「……気持ち悪い」

 作業工程の八割が済んだ頃、顔が潰れたマスラガルトをナイフで消してフジタカは呟いた。

 「仏に言う言葉じゃないんだがな」

 「……ホトケ?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げるとフジタカが振り向いた。

 「えーっと……。元は修行して煩悩に打ち勝って、この世の真理を知って悟りを開いた人の事かな……。でも、俺の住んでた国では単に死者を仏様って呼んでたんだ」

 生きた果てに煩悩から解き放たれる。確かに、ある意味で人生は修行で、周りは煩悩だらけ。死ぬことによってその先へ昇華する……のかな。

 「それじゃまるで死ぬのが偉いみたいだよ」

 「そうだな。人に依るのかも」

 一度止めた手をフジタカが再び動かし始める。もうほとんど死体は残っていない。ライさんが戦闘で飛び散らせた肉片の消去に移っていたフジタカは苦い表情をしていた。

 「一生懸命生きた人を、生き残ってる俺達が仏って呼ぶんだ。その人を惜しんで」

 「生きてる人じゃないと、ホトケって呼べないもんね」

 フジタカは家の屋根の端にこびり付いた肉片も投げナイフで消した。

 「……コイツらはどうだったのかな」

 「………」

 召喚士に命じられるままに戦って散ったマスラガルト達をロルダンが惜しむ素振りは見せなかった。カドモス以外は消費物としてしか見ていなかったのは明白。このレパラルに残った血痕だけが彼らがこの場に居た証だった。

 「……こんなもんかな」

 「え?……あぁ、もう時間も危ないしね」

 少しぼんやりしている間にフジタカがナイフを畳んだ。パチン、と聞こえて私も周りを見る。

 広がった血は洗い流すしかない。度合いは場所にもよるが奥に行くほど量も多い。……ライさんの魔力が尽きて、魔法ではなく腕力で剣を振るっていたからだ。

 「……ところでさ、デブは?今日一度も見てないんだけど」

 「れ、レブ……?」

 「うん」

 フジタカが頷いて空を見上げたり、建物の影を覗く。だけどそこに、彼はいない。

 「……戻ろうよ。たぶん、レブに会えるよ」

 「お?そうか……。その辺にいると思ってたんだけどな」

 私は詳しくフジタカに伝えないまま、レパラルの召喚士駐在所へと戻る。先に皆も話を聞いているだろうし。

 「……は?」

 「………」

 怪我人の話をフジタカは敢えてしなかった。片付けをしている間に誰に何が起きたのか、自分で想像したらしい。

 だからこそ、駐在所の一室に置かれたベッドで眠るレブの姿を見てフジタカは口をぽかんと開けて固まった。予想外の出来事だったのは私も同じだ。

 「で、デブ……?」

 「……カドモスとの戦いで、レブは勝った。だけど……」

 足を震わせながらフジタカはレブへと近付く。

 「怪我人がいるって聞いてたのに……怪我どころか……間に合わなかったのか」

 「どういう意味だ」

 レブが目を開けて腹筋で起き上がる。痛がる様子は……ない。

 「う、うぉぉぉ!?化けやがった!妖怪ムラサキジジイ!」

 「誰がジジイだ……!」

 いや、妖怪はいいの……?

 「レブ、そんな急に起き上がっちゃ……」

 「ふん、私を甘く見るな」

 ベッドから抜け出たレブは包帯を剥ぎ取ってニヤリと笑った。

 「……治、った……?」

 「貴様に休養を与えてもらったからな」

 私は朝になってからレブがまだ完治していない様子だったので、わざと迎えに行く時に残らせた。大いに不満そうだったがそこは私が意地でも寝かしつけたのだ。フジタカやトーロとすぐに合流するから、と。

 私の頼みを聞いて大人しく寝ていてくれたらしい。体の柔軟をするレブの動きに怪我を庇う素振りは見えなかった。

 「怪我、してたんじゃないのか……」

 「あばらがやられただけだ。半日以上休んで繋がらないわけがない」

 「いや、あるだろ!思いっきり!つーか、あばら!?」

 人間と獣人の治癒力がどれだけ違うかは分からないが、少なくとも半日で動けるどころか全快するなんて事は無いみたい。だけど私はそっとレブの胸に触れた。

 「本当に平気なんだね……?」

 「当たり前だ」

 迷いなくレブは断言する。だけどフジタカの表情は暗かった。

 「……どうしたの?フジタカ」

 「半日だけでも、デブを寝込ませるだけの戦闘だったんだよな……」

 否定はできない。カドモスとレブの戦い、そして海竜戦やライさんがやったマスラガルトとスパルトイへの炎舞。間違いなく、今までのどの戦いよりも激しかった。それをフジタカ達は見ていないんだ。

 「やっぱり俺も……行くんだった」

 「フジタカ……?」

 畳んだナイフを握り締めたフジタカは手を震わせていた。

 「ロルダンがいたんだろ?……親父も、どっかに隠れてたんじゃないのか」

 「それは……」

 私達の前で行われたロルダンの消え方は間違いなくフジタカと……フジタカのお父さんが見せた力と同じ物だった。あの場にいた可能性は高い。

 「姿は見ていない。……いや、あの時の私が言っても説得力は無いな」

 「私も、見てない」

 レブはあの時もう意識がもうろうとしていた筈だ。私もマスラガルト達とライさんの戦闘やロルダンに気を取られていた。……だとしても、ロルダンは気付いていたらしい。

 「……そうか」

 フジタカはナイフをしまうと部屋を出た。だが、すぐに足を止めてしまう。

 「お揃いじゃねぇか」

 「……どうも」

 頭を下げるフジタカの横に出るとパストル所長が立っていた。所長はすぐにフジタカの肩に手を置いた。

 「片付けを任せて悪かったな。だが、さっき見せてもらったがすげぇんだな、アンタ」

 「いや、俺は……まだまだです」

 背負った剣の位置を肩だけ揺らして直す。……今日は抜かなかったな、ニエブライリス。

 「早速で悪いが聞いてもらいたい話がある。……アンタの召喚士ももう広間に来てもらってる」

 「チコが……?」

 フジタカの顔色から察するに、まだチコは本調子じゃないらしい。だけど私はレブも連れて所長と一緒に広間へ向かった。

 「お疲れさん、全員無事……だな?」

 「その様だ」

 先に集まり座っていた全員の顔を見回して、最後に所長はレブの顔を見た。一番心配されていた人が真っ先に言うものだから所長は髭を持ち上げて笑う。

 「風邪気味の兄ちゃんも、か?」

 「頭がガンガンして吐きそうで寒いだけだ……」

 口は回るけど症状は重そうだ。それを聞いて所長も表情を引き締め直す。

 「……ふむ。そういうわけだ、どうだいニクス様。このままガランに行くのは延期にしてアスールへ戻らないか」

 パストル所長からの提案にフジタカが目を丸くする。カルディナさんとトーロ、そしてウーゴさんは静かにニクス様を見ていた。ライさんは座っているものの、俯いて話を聞いているのかも怪しい。

 「フエンテって目的は仮にもそこで大人しくしてる先陣組が俺と一緒に達成したろ。連れの具合も悪いんじゃ……」

 「俺なら平気です……」

 レブの強がりの比ではない弱々しさでチコは遮った。無理をしているのは一目瞭然だった。

 「声、ガラガラじゃねぇか」

 「でも俺が足を引っ張るなんて……駄目だ」

 チコは今にも吐きそうな顔をしながらもパストル所長を見上げている。目線を先に外したのは所長だった。

 「……そこまでして、ガランに行く理由があるのかい?」

 再度所長はニクス様を見て目を細める。所長はチコを心配してくれているんだ。

 「自分はフエンテからすれば存在自体が厄介らしい。だからこそ自分がボルンタを離れてできる事も生まれる」

 「………」

 私達が固まって旅をする理由は一つではない。契約者がその使命を全うするだけでなく、フエンテを誘い出す役目も持っていた。

 実際にその効果は行く先々で発揮している。完全に私達を標的にした彼らが、私達がガランに渡ったと知れば……きっと追ってくる。

 「それで良いのかい、ニクス様」

 「とうにその疑問は清算した」

 ニクス様の返答にパストル所長は肩を下ろす。

 「海竜の件はすまなかった。……ビアヘロではなかった以上、自分達に責任がある」

 「それは言いっこなしにしてくれ。その責任なら、自分で落とし前をつけてもらったから……なぁ?」

 所長はレブを見上げたが、本人はそんなつもりで戦ったのではない。

 「目の前の敵を倒したまでだ。ビアヘロか、インヴィタドかは関係無い」

 責任の果たし方はそれぞれあると思う。治すまでが責任か、倒すまでか、痕跡も残さない様にするか。レブもフジタカも私達が招いた災厄へ自分の力で対処はした。それでパストル所長はよしとしてくれている。

 「……思いの外、いるんだな。召喚術を悪用しようなんて考える輩が。俺はそんなん考える余裕も無いままこんなに老けちまったってのに」

 「老いるにはまだ早かろう」

 ……レブの一言はともかく、所長の言い分は私もずっと悩んでいた。こんな召喚術の使い方があるなんて、と驚くのは大抵が悪い場面だった。

 「異界の門の大元……それを管理していると言っていたのだったか」

 誰に聞いたのか、トーロはカドモスが私達に教えてくれたフエンテの存在理由をもう一度口にする。直後にライさんが音を鳴らして自分の籠手をぎゅっと握った。

 「大層な口を利いたが、無関係な召喚士を巻き込んだ時点で程度は知れている」

 「そうだ……!」

 レブにライさんが同意した。

 「奴らが何者だろうと……ココがいなくなって良い理由になんて、成り得ない……!」

 パストル所長は私達を見回したが、誰も状況は説明できない。所長だって、私達だって知っている事でも、その気持ちと考え方を持っているのはライさんしかいないのだから。

 「自分は過激派ではない、と言っていましたが……やっている事は同じ、若しくはもっと質が悪い。手段を選ばなくなり始めた」

 俯くカルディナさんの横でニクス様も目を伏せる。

 「ガランは規模が大きくて人も多いですが、その分人が住んでいない場所も多い。……戦う事になれば、今回の様に人を巻き込まずに済ませたい」

 「もう二度と……あってはならない」

 もちろんココを失ったから、という理由で行動している。でもライさんも根底ではココの様な被害者を増やしたくないんだ。だからあそこまで全力で……戦っている。

 「だったら情報を収集するだけじゃない。発信していくんだ。そんな秘密主義者の塊、広められたらまずい事ばっかりなんだからな」

 フエンテは自分を知る者の命を狙った事があった。でも、知る者はごく一部。だから口封じをしてしまえば広まる事は無い。

 だが、トロノの召喚士達だってそうだ。皆が知ってしまったからと言って皆殺しにされる事は今のところ無い。

 そうなれば、相手はこれ以上の情報拡散は嫌がる筈だ。だから私達は敢えてその道を進む。奴らとまた出会う為に。

 「妨害……してきますよね」

 「野放しにする理由はないんだろ?」

 パストル所長に聞き返されて私は思い返してその通りだと思う。だって、狙い狙われる理由はあっても、決着は何一つついていない。

 「放っておくってんなら、こっちから会いに行く」

 レパラルでの片付けを終えてからフジタカに落ち着きがない。あんな場面を見たから、かな。

 「……じゃ、予定通り明日の朝に出港だ。こっちの人員が少ないから積み込みで多少は遅れるかもしれねぇが……」

 私達を見回して所長は頭を掻いた。

 「……船で寝てるか?全員分の部屋はねぇな……」

 召喚士とインヴィタド、そして契約者。フジタカは厳密には違うけど……ともかく、九部屋なんてある建物じゃない。まして、所長も入れれば十人。席を外してはもらっているけどアスールから来た召喚士も何人かいる。今はフジタカと交代してオンディーナを呼んで血を洗い流しているんじゃないかな。

 私達は昨夜で休んだし、今日来た人達を優先させて休ませたい。だけど体調や体質からしてあまり船に乗りたくない者も数人。

 結果として、私とレブ、フジタカとニクス様、そしてチコとウーゴさんは駐在所で休ませてもらう事になった。カルディナさんとトーロ、ライさんは特別措置という事で既に乗船し休んでいる。ライさんを陸地で休ませたいとウーゴさんは言っていたが、本人から断られた。休息を優先させたいのなら船でも十分だと。

 「一人になりたかったのかな」

 「召喚士に気を遣える余裕を受け入れられていないのだ」

 窓の外を見れば海に浮かぶ船が一隻。レブはベッドに座って床の一点を見詰めている。

 「ウーゴさんの船酔いの話?」

 「私にも船酔い体質の召喚士がいてな」

 「悪かったね」

 ぼふん、とわざとらしく音を立ててレブの隣に腰掛けた。自然と尾の位置を座れる様にと動かしてくれたと思えば、座った途端に私の膝の上に移動する。

 「怪我、まだ痛む?」

 「船旅の間に治る」

 やっぱり、動けると言っても完治とは違うんだ。まだ本当は痛んでいるのかも。

 「……ライさんの余裕を受け入れられない、って何?」

 話を戻すとレブの目がこちらを向いた。

 「時の流れとは、人の悲しみを癒す最高の薬だ。特効性はそれぞれだろうが、時流に癒せぬ悲しみは……無い」

 カドモスに拳を叩き付けられた胸にレブが手を置いた。

 「あの獅子は癒して欲しいと願っていなかった。だが、生きている以上悲しみも怒りも冷めていく。望もうと、望むまいと時間が進む限りはな」

 「ライさん……。ココ以外の事を考えている自分に悩んでいるの?」

 「………」

 レブは目を伏せて頷く代わりとした。

 「そんなの……薄れていくのは当たり前だよ」

 「そうだ。だから悲しみが癒えぬ様に傷口には塩を塗っていた。わざと声を張り、暴れて、ずっと落ち込んでいたかったのだ」

 死にたがっているとレブが言っていたのはこの事だったんだ。その生き方を貫こうとする自分と、どうしても何かの拍子に笑って楽しみ、気を取られた瞬間にライさんは自分自身のズレに心が悲鳴を上げてしまう。

 「折り合いをつけられない、不器用な男だ」

 レブは一度自分の胸に指を滑らせる。気持ちの切り替えを行っているライさんは何度も見てきた。だけどそれも実際は一人で抱えて、できていなかったのかもしれない。

 「ウーゴさんじゃ、一緒に抱えられないと思う?」

 「召喚陣を破くという行為はインヴィタドへの解雇宣言だ。どういう理由があっても、インヴィタドの意思に関係無く行った時点で快くはあるまい。未遂だろうとな」

 決定的な亀裂はそこで生まれたんだ。二人がどういう経緯で再び立ち上がれたかを聞く事はできない。今の状態を二人が変えようとしない限り、外部にいる私達は動けない。

 「レブのは自分で破いちゃったんだもんね」

 「あれは意味の無い紙になっていたからだ」

 もう一つは健在だ、と言わんばかりにレブが左腕を上げる。私の座る位置とは反対側だったが、専属契約の時に直接描いた物とはすぐに分かった。

 「昨日は獅子の召喚士は消耗を換算しないで戦い尽くしていた。次も同じだけ戦える保証は無い」

 「……そうだね。でも、私達だって同じだよ」

 昨日は動けなくならなかったし、今日も無事に過ごせた。だけどレブのあの姿を維持させる事はやっぱりできていない。

 「貴様にはまだ余力を残していた。私側から魔力を汲み取るのを止めたのだから」

 「そうだったの?」

 腕を下ろしたレブの胸元を見て私は彼の顔を覗き込む。

 「あの姿でいた方が、もっと回復も早かったんじゃないの……?」

 幾らか勝手が分かってきたからと言って、残量把握や加減はまだまだ上手くない。レブが自らこちらの負担を考えてくれたのは有難かった。

 元の状態のレブは竜人として完成されている。少なくとも、未だに最盛期の頃に比べれば程遠い。私がもし数分でも踏ん張れば……。

 「私が倒れないまで保たせても、貴様の魔力が尽きれば私はいなくなる。本末転倒だ」

 「……うん」

 専属契約をしたレブはもうこの世界でも自力で魔力を生成できている。だけど最低限私の魔力は今も送っていた。インヴィタドが自力でできていても、召喚士からの魔力が無いとやっぱり消えちゃうんだよね……?

 「犬ころは最初から召喚陣や召喚士の魔力援助無しで生きている。フエンテがどの様な細工を施したかまでは知らんが、あれも随分奇妙な存在だ」

 お前に言われたくない、なんて言うんだろうな。でも、その通りでフジタカは別だ。

 「味方には違いないでしょ?」

 「敵対などさせるものか」

 口ではお互い悪く言ってても、気に入ってるんだろうな。だから敵になったらどうするなんて最初から考えてもいない。

 「ガランと言ったな。しばらくトロノには戻れそうになさそうだ」

 「うーん。アーンクラまでの便が出てるだろうから、帰る時は行きよりは時間が掛からないかな」

 「………」

 数秒だがレブは黙って辺りを見回す。

 「ティラにカドモスがこの世界に現れていた事を伝えておきたい。あれでも、同郷のよしみでな」

 「あ、じゃあカルディナさんに言って書いてもらうよ。多分今回の事も今頃書いてるだろうし……」

 立ち上がった私はカルディナさんが今は船に乗っている事を思い出して足を止める。

 「あ……船にいるんだった……」

 一筆書こうにも、筆記用具はこの部屋に置いていない。広間に置かせてもらっていた荷物から……。

 「……明日で構わない。今日はもう休め」

 「え?でも……」

 灯りを点けて書く事くらいならすぐにできる。詳細を事細かに書けと言われても、直接見ているのだからできるだけはしたい。

 「今から書いても、明日書いてもティラに届く日は変わるまい。ならば急がなくとも私は構わないぞ」

 「……うん、分かった」

 船で時間を持て余すよりは何かやりたい事を残していても良いのかな。私は床に敷いていた毛布に腰を下ろす。

 「ところで、私にベッドを使わせて貴様は床で寝るとはどういう了見だ」

 「怪我人は大人しく寝てください。言っておくけどこれは貴方の召喚士としていっているんだからね」

 いつもはこちらから頼んだり、自分で言うから納得してきたけどせめて今日は床や立って寝るなんて許さない。わざとらしく目付きを鋭くしたって、殺気が全く向いてこないもん。

 「立場を利用する事を覚えたな」

 「もっと命令してって言ってたじゃん?決め付けたりはしないけど、今日だけは駄目。それとも、また一晩中手を握ってようか」

 「む……」

 お、機嫌が悪くなった。我ながら意地悪な言い方をしちゃったな。

 「貴様の望みを叶えよう。明日は今日よりも体力をみなぎらせて、船旅中はずっとでも貴様を抱えて飛んでやる」

 「ニクス様の羽、新しいの貰ったから抱えてなくていいんだよ?」

 「却下だ」

 レブは毛布を広げて自分の鱗を覆い隠して倒れた。勢いが良かったからみし、とベッドの足が軋んだけど昨日も平気だったから壊れはしまい。

 勝手に決められたけど、お互いさまなのかな。レブに抱えられて飛ぶのも途中から苦じゃなかったし、向こうがその気なら抱えられてあげなくもない。

 なんて、少し素直じゃない言い方だったかな。


 陽がたっぷりと昇ってから私達は出立した。その際にティラドルさんへの手紙はカルディナさんがソニアさん宛てに送って届けてもらう話は済ませてある。

 結局一日中私は陽が沈むまではレブに抱えられて潮風に晒されてどことなく肌がべたついた。最初は珍しがってフジタカも鳥と一緒になって飛ぶレブと私を見ていたが、気付くと船内に戻ってしまう。チコが回復するまでに飛び回りながら骨折を治したと言うのが当たり前なんて信じられない。

 「波状攻撃ができる人材がいないのだ、押し切られる心配はないな」

 夜になれば風が冷たいから、と私が言ってやっと甲板に下ろしてくれた。見張る必要がない海をただ見下ろす。考える事は山ほどあった筈なのに自然と凝り固まった頭の中は晴れていった様に思えた。

 「すっかり治ったんだもんね」

 一か月が一週間まで短くなったなんてものではない。あのレブが怪我をした……それだけでも衝撃だったけど治るのも人間からすれば尋常ではない。

 フエンテに狙われていると言っても一気に襲ってきたのはせいぜい三人の召喚士。各個撃破を狙われた事は今のところない。だって、最初から私達は固まって動いていたから。

 レブが弱っているところに再度フエンテが……例えば、ベルナルドが襲ってきたら。恐らく私の力ではレブを守れない。だけど、そんな事態に陥る気配は無い。海の天気は穏やかなままだった。

 私ですら思い付く内容を相手が考えていないわけはない。なのに実行しない。その理由をレブは先に言ってしまったのだと思う。

 「門の管理が忙しいのかもしれんぞ」

 「少数精鋭、って言うのかな……」

 新しい顔を幾つか見た。それにしても私達はフエンテの全貌をあまりに知らない。わざとロルダンとベルナルドだけが出てきて、裏ではもうあちこちにフエンテがいるとか。

 「自分が世界を管理しているなどと自惚れるおめでたい連中だ。数は多くあるまい」

 「こっちからすれば好都合だけどね」

 フエンテは契約者無しでも召喚士としての素養を持った人間。その目的は異世界と繋がる門の管理。契約者に魔力線を解放されようが、その素養は左右されないのかな。私は間違いなく契約者に……ニクス様に儀式を行ってもらったのだから。

 「あのさ、カドモス……に何をしたの?」

 船縁に座って足を海上に向けて揺らしているレブの顔を覗き込む。星明りだけでも彼の鱗は反射して輝いていた。

 「腹に拳を叩き込み、雷を流した。それでも気絶しかさせられなかった」

 それがレブにできた加減の限界だったのだろう。殺したくない、と言ったレブの姿が脳裏をかすめた。

 「じゃあ今頃……」

 「とうに回復している。動けないとすれば、あの召喚士だ」

 ロルダンは消え際にライさんが投げたナイフに刺された。致命傷にはならないだろうけど老人は治癒が遅い。

 「魔力の回復って……」

 「肉体と同じだ。鍛錬次第ではあるが老いてくる。筋力よりもその流れは緩やかだが」

 召喚士が大成するのはやっぱり才能もだろうけど普通は身体が思う様に動かない年齢に差し掛かった人が多い。ロルダンも年齢は分からないがあの状態になるまで召喚術を高め続けていたとすれば……。

 「あれだけのトカゲ男を用意して維持するのは骨が折れただろう。しかも、器用に命令まで出していたのだから消耗は著しい」

 「それに怪我までしたから……?」

 レブは水平線を見ながら頷いた。

 「賢いのは、足りない戦力をスパルトイで補っていたところだ。だから一人であの数を用意できた」

 「どっちも多かったよね……」

 様々な要因が私達にとって有利に働いたけど、一歩間違えたらライさんもやられていた。もう数匹いただけでも、ライさんは動けなくなっていたかもしれない。最初にレブが脅しで倒していた分がいただけ違っていたのかな。

 「………」

 「カドモスの事、気になるの?」

 顔をこちらに向けたレブに表情は無い。

 「スパルトイをあれだけ用意して自由に使わせていた。あの光景に酷く抵抗を覚えた」

 「フエンテだからって全部を知ってるわけじゃなかったよね」

 一度レブが退けたと言ってもあの気迫を間近で浴びたのだから、簡単には忘れられない。話の通じる相手だった分だけ、敵意を向けられるのがこんなにも堪えるなんて。

 「人を騙す嘘を見抜けぬ男ではない。単に知らなかっただけだな」

 「レブの事、知られたらまずいと知ってた……のかな」

 思い付きで言ってみたけど、だとしたらレブとカドモスが同じ世界の出身と知っている人がいた……?それとも同じ竜人だから伏せていただけ……?

 「門を管理しているのだ、向こうを観る術ぐらいはあったのかもしれんな」

 オリソンティ・エラでは対抗できない事象に立ち向かう為に私達はインヴィタドを呼び出していた。だけど、その自分と違う世界を私達は見た事が無い。契約者は異世界を渡る術を持っているそうだが、私達はこの世界に魔力を対価に引き込むだけ。

 「レブの住んでた世界か……。どう見えるんだろう。いつか、行ってみたいな」

 溜め息を吐いたレブは頬杖をついて私を見た。

 「私はその時、貴様と共にいないぞ」

 「ど、どうしてさ。色んな場所があるんでしょ……?」

 どういう場所でレブが生まれて、育って、何を見ていたのか。そんな空気に触れる事もレブは許さないつもり?ブドウ程じゃないにしても美味しい食べ物とか……。

 「忘れるな。私は貴様と専属契約を結んだのだぞ。もうこの世界に体が縛られている」

 「あ……」

 そりゃあそうだ、カドモスにまで言われてたし。これでは私がレブを置いて行ってしまう。

 「まして、ただの人間ではあの世界に留まれないぞ」

 「……レブの召喚士って事で通してくれないかな」

 やっぱり好奇心というか、どうしたらレブみたいな育ち方をするんだろうって思っちゃうし。しかしレブは目を大きく開いてから大きな声で笑った。

 「クク……フハハ!ハハハハハ!」

 「笑い過ぎじゃないの!?」

 レブにしては派手過ぎる。そんな大口を開けてゲラゲラ笑う人じゃなかった筈だ。

 「いや……その通り、貴様はただの人間ではないな。この私を召喚して魅了し続けているのだから。ハハ……ハハハ」

 「……もう」

 まだ笑ってるし。でも、その姿にさっきまで真剣に思い詰めていたのがふっと軽くなった。

 「だったら、いつかもっと遠くまで行ってみようよ」

 「まだ食い下がるか。私は構わないがな」

 やっと笑い止んでくれたレブに改めて。そう言うけど、当たり前だよ。

 「だって、レブと一緒がいいな」

 ピタリとレブの垂らしていた足の動きが止まった。

 「もっと同じ景色をレブと見たい。レブと一緒に飛んでそう思ったんだ」

 「………」

 フジタカやトーロじゃ真似できない。ううん、仮にニクス様やティラドルさんに抱えられたってこんな風には思えなかった。

 「同じ物を見て、違う感想なんて言ったりしてさ。そうやって……もっと一緒にいたい。そんな事を考えてた」

 「私は常日頃から考えている。だが……」

 今日は妙にレブの方が言葉を選んでいる様に見えた。

 「だが……何?」

 「いつになく積極的だな」

 こういう時に限って冷静に私を見ているんだから……!レブの指摘に私は夜風の冷たさを忘れる程に顔を熱くした。

 「ふ……ふん!」

 「ふん」

 私が顔を背けるとレブは鼻を鳴らしながら笑った。そのまま会話は終わってしまったが沈黙は訪れない。

 「ふん……ふふ……ふふんふ……」

 レブが鼻歌を夜の海へと漂わせる。いつの頃か、前に聴いた時と同じ歌だったとすぐに気付いた。

 「ふんふふ、ふん……」

 同じ様にレブは音を奏でて首を微かに揺らしている。何の歌?と疑問を呑み込んで私は船縁に腕を乗せた。

 「ふんふ……」

 「ふふふんふふ……」

 閉じていたレブの片目が開き、続いて歌い出した私を見る。どんな歌か、意味は知らずともそんなのは大事じゃない。私はその歌を聴いて、あのひと時で覚えてしまったのだから。

 「ふふんふふふ……」

 「ふふんふっふふ……」

 二人の鼻歌が重なって夜に溶け込み更けていく。初めて聴いた時は静かに聴き惚れるので精一杯だった。だけど今は少しだけ変われたかな。

 レブの鼻歌を聴けたのはその晩だけだったけど航海は続く。その間にライさんの傷の様子も見ていたが、縫合はされながらも傷痕は残るだろうとトーロに言われていた。

 気を取り戻そうとしたのかフジタカは文字の勉強や、レブの足にしがみ付いて滑空して遊んでいた日もあったが、確実に心身に刻まれている。取り繕ってもふとした時に綻びは姿を現してしまう。

 一週間半の航海を終える頃には一日中あまり具合が悪くない日も出てきた。慣れと言えれば良いが、やはりカンポに向かう時とは比較的海が穏やかなままでいてくれたのが大きい。なんとこれだけの航海で私は一度も吐いていなかった。頭痛はしていたがニクス様の羽の効果は私達には絶大だったと思う。羽が無ければどんな事態になっていたかなんて想像もしたくない。

 ニクス様は自らガランに渡ると提案していただけあって、ずっと部屋でカルディナさんと打ち合わせをしていた。部屋から出てくるのは食事の時間ぐらいで陽もほとんど浴びていなかったんじゃないのかな。

 ガラン大陸の入り口にあたる港町、シタァは私達が上陸する前からその賑わいを感じさせていた。活気に溢れている、と言えば聞こえがいいがコラルやアーンクラ、アスールみたいな船乗りや商人の出す雰囲気とはまた違う。

 「なんか、さぁ……」

 上陸して今日の宿を確保。シタァの安い地図を買って、それを別の紙にそれぞれ写す。買い物を手分けして行うためだ。

 外に出た途端、フジタカは町の違和感に気付いたらしい。だいぶ回復したチコやウーゴさんも少々落ち着きがなかった。

 町を行き交う人々が漂わせる賑わい。それは町自体の活気ではない。周りにいるのは大半が観光客。しかも、男女二人で一組みが基本。

 「シター……シタァ、だっけ?この町、何なんだ?」

 「うーん……」

 宿の前でぽかんと口を開けながらフジタカは仲睦まじそうに腕を組んで歩いている男女の背中を見送り、私を見た。あまり気が進まないけど、聞かれたからには答えないと悪い。

 「シタァは岬に大きな結婚式場があるんだ。そこ自体が愛し合う二人に幸せを呼ぶ観光名所になっていて、式を挙げなくても夫婦で二人の幸せを願いに来たりするの。砂浜で拾える貝殻は恋人達の絆を包み込むお守り……なんだって」

 「あぁ……オーケー、もういい。察したっつーか……うん」

 フジタカは手を挙げて私の説明を中断させた。大まかな部分は聞いてもらったが、恐らく今目に入る男女達の八割はシタァの式場目当てで間違いない。

 「どこの世界でもそういう場所ってあるんだなぁ……」

 敢えてじっと見る事はしないでフジタカは周りをぐるりと見回した。私も逆の動きでシタァの街並みを眺めたけど……うん、不思議な光景だった。

 老若男女あれどどの人達も二人で行動している。その中にインヴィタドみたいな異世界の存在がほとんど見当たらない。私達がとても浮いた集団に見えた。

 「女の子にとってこの町は誰もが憧れる場所なのよ」

 カルディナさんが地図を書き写し終えて私とチコ、ウーゴさんに渡してくれた。

 「それをそんな呆れた目で見ないでもらいたいわ。ねぇ?」

 「え……」

 カルディナさんは私の顔を見て言ったけど、私はちょっと……共感できなかった。

 「ガランに来る事があるとまでは思ってなかったので……どうでしょう」

 このオリソンティ・エラの中でも有名度で言えばこのシタァはかなり上位に入る、とは知っている。地図帳でどんな場所か分かっていたから。

 だけど私がなりたかったのは召喚士。こういうのに興味が湧く以前の問題だった。どちらかと言うとセルヴァからも行けない距離ではない都会、トロノでの暮らしに憧れてた、かな。旅は地図帳で終えて、現実は現実で受け止める。我ながら寂しい考え方だったかも。

 「確かに、そうよね……。今の状況を考えたら……」

 カルディナさんも岬の方を見てから肩を落とした。当面は首都のカスコを目指し、必要度合いを見ながら契約の儀式を行っていく。シタァは子どもを成しそうな人々は多くても、定住者がそこまで多くないからどうだろう。

 それを知る為にもまずは自分達の目的を果たさなばならない。観光地で浮かれたり、幸せそうな二人を妬んでいる場合じゃない。

 「それじゃあ手分けして。あまり遅い時間にはならない様に」

 「何かあれば魔法でも何でも使って位置を知らせろ。騒ぎになっても、何か起きてからでは遅いからな」

 最後の注意をカルディナさんとトーロから受けて私達は解散する。召喚士とそれぞれのインヴィタドが一組で買い出し。ニクス様はカルディナさん達と同行した。

 「ねぇ見て……」

 「あぁ、召喚士らしいな」

 「凄いの連れてるね。何か催しとかやるのかな?」

 「だったら見たいな!聞いてみようか?」

 ……町を歩くとレブを見た人達が次々と物珍し気に反応してくる。前、アスールに向かう途中で立ち寄ったファーリャでも同じ事があったけどあの時とは数も違う。あちこちから飛んでくる視線は気にならなくなったけど……。

 「でも近くにビアヘロが出たのかな?」

 「うへぇ、だとしたら嫌だな。しかもあんなの連れてるんだぞ?すげー凶暴なビアヘロが出たのかも」

 「えぇ、やだぁ……」

 「大丈夫だって。そんなのビアヘロが出ても、お前だけは俺が守ってみせるからさ。この命に代えても」

 「そんなの駄目!私を置いていかないで!」

 ……聞こえてくる中身の傾向が違う。こちらは何もしていないのに、二人の絆を深める材料やネタにされている様な気がした。一人だったら黙っているんだろうけど、二人以上でいるからつい目についたモノを話題にしちゃうんだよね。

 「………」

 「………」

 話もせずに歩いている男女って私達くらいかな。いや、話はしたいんだけど何を話せば良いのか分からない。

 そもそも、私達は周りに召喚士とインヴィタドとしてしか見られていまい。ならばその通りに振る舞うのが自然か。

 「あの小僧や獅子の召喚士に落ち着きが無かった理由がこの観光地か」

 私達の担当は保存食の補給。定規で引かれた綺麗な線と案内の書かれたカルディナさんお手製の地図を頼りに私とレブは歩いていた。買い物も半分程回ったところでようやくレブはシタァを観察し終えたみたい。フジタカへの説明を聞いていたからこの町がどういう観光地かも知っている。

 「レブはあんまり興味無さそうだね」

 「そうだな」

 レブはすれ違った恋人達を横目に見てから短く息を吐いた。

 「して、あの岬に行けば挙式できるのだな」

 「言ってるそばからやる気出さないでよ!」

 って、シタァ名物来てみたもののしょうもない喧嘩をして破局する恋人みたいに見えてないかな……。周りを見ると幾つか視線がこちらを向いていた。

 「……あのね、挙式は予約も詰まってるしお金だっていっぱい必要なんだよ?」

 あの岬で結婚式なんてできるなら今頃こんな固くて保存に良いパンなんて買っていない。毎日歩きながら豪勢なお肉と高級ブドウ酒を煽っていられるよ。

 「そこまでしてこの地に拘る理由があるらしいな」

 言われて思い出すと私はこめかみに指を当てた。ええと……。

 「大昔の話。この町の砂浜に、遭難して沈没した船から運よく脱出した二人の男女が漂着したの。その二人は船では面識が無かったけど、近くにいたからって理由で互いの手を取っていた。シタァで療養しているうちに二人は惹かれ合って、あの岬で男の人が結婚を申し込んで女の人は快諾。末永く幸せに暮らす二人を見て真似した人がいた」

 「成功例を模倣し、結果が積み重なってしまった、か」

 「そういうこと」

 自分でも印象に残っていたのはセルヴァでも昔話で村の大人達に聞かされたからだ。今でも思い出せたという事は私にとっても引っ掛かる部分はあったらしい。

 話の続きをレブは気付いたが、どうやら求婚して断られた例はしばらく無かったらしい。しかも円満な家庭を皆が築いたとあれば自然に海を越えて噂は伝播し、今では愛し合う者達の聖域にまで上り詰めている。他にも契約者がその二人を祝福したとか、二人は鳥になって飛んで行ったとか地方によっては亜種も存在する。私が知っている話だって正しいか怪しい物だ。

 「だが、実際に地脈は存在する。この地がオリソンティ・エラの縁を集わせ、結ぶのに適しているのかもしれない」

 「そういうのは強制的に集める物じゃないよ。大事な人って言うのは気付いたらそんな存在になっているんじゃないかな」

 私にとっての誰かさんや、誰かさんにとっての私みたいに。

 「気持ちを高めるだけであり、基は前から在るのだな。無から有が成せぬ様に」

 回りくどい表現しちゃって。でも、そういう気分になる状況を作るのならシタァは良い町なのかもね。

 「出会いを求めて歩いてる人もいるみたいだけど……あっ」

 わざとこの地で出会いから恋に落ちて結ばれるまでを実践しようとする人もいるらしい。だけどその成功確率はグン、と下がるらしい。

 そんな中で私にも出会い発見。買い物を分担したトーロが路地に立っている。

 「トーロ!」

 「おぉ、ザナか」

 トーロが片手に持っていた鞄はカルディナさんの物だ。しかし持ち主の姿は無い。

 「……あれ、一人?」

 「いや、二人もいる」

 二人?あぁ、そうだ。トーロ達とはニクス様も一緒に来てたんだっけ。

 「もう……」

 「まだ少し……」

 雑踏の中、二人の声がトーロの背後から聞こえた。私はヒョイ、とトーロの横をすり抜ける。

 「あ、おい……!」

 「カルディ……」

 何故かトーロが声をひっくり返したが構わず一歩奥に。私はカルディナさんを呼んで途中経過の報告でもしようと思った。

 「ナ……さ、ん?」

 しかし、それはできそうにない。路地裏の影で、カルディナさんがニクス様を抱き締めていた。ニクス様も、同じ様にカルディナさんの背中へ腕を回している。力強く、愛おしそうに。

 「むふぐっ……!」

 どんな表情をしているか捉える前に無音で急に私の口が紫の大きな手に塞がれる。レブの手だと気付いた瞬間にはグッと引き寄せられて数秒と保たずに私は路地から姿を消し、大通りに戻っていた。

 「……向こうは気付いていない、な」

 トーロが胸を撫で下ろす。私は息が詰まり始めて、レブの手を軽く叩くと退かす様に促した。

 「まったく」

 「ぷは……!ちょ、ちょっと!なに、アレ……!?」

 トーロは顔を押さえて首を横に振った。

 「随分と耳が良いんだな、ザナ」

 こういう騒がしい場所に長い時間いると耳が痛くなるのは当然。耳掃除もそれなりにしてたけど、少しカルディナさんの声が高く……艶っぽかった。

 「は、話を逸らさないでよ。二人は……」

 「あの二人なら、お前が召喚士になる以前から交際している。……ほとんどの人には話していないが気付いている者もいるだろう」

 見てしまったからには分かり切った答え。だけど、あまりにも不意の光景に私は頭が回らない。

 「なん、で……?」

 「カルディナの男の趣味まで俺は把握していない。ニクス様の好みもだが……」

 私の漠然とした質問にトーロが気まずそうに角の埃を取り除く。……こうしている間にも二人は抱き合っているのかな。レブもトーロと並んで私に路地の方を向かせない。

 「最初はザナ、お前と同じだ。誰よりも契約者に憧れていたカルディナは、ふとした任務でニクス様と同行する事になった。その時にはもう、俺も召喚されていた」

 だとしたらカルディナさんが浄戒召喚士にはなる前後くらい、かな。

 「あの頃は俺以外に魔法を使える戦士が少なかった。で、その後何が起きたとは言わんが……二人は段々と距離を縮めた。それが今に至る訳だ」

 詮索するのが野暮なのは分かっている。だけど、肝心の部分を大胆に端折られていて伝わらない。

 「そんなの……」

 「大事なのはこれまでじゃない。今の二人にある互いの気持ちだ。……シタァの宣伝文句らしい」

 「う……」

 変な言葉の濁し方。でも、これ以上トーロの口から教えてくれる気は無いみたい。

 「あの二人のおかげで俺は大変なんだぞ?契約者の護衛任務を引き受け続ける為に、何度体を張って死にかけたか」

 「あぁ……」

 セルヴァに来るまでだって、相当苦労したんだろうなぁ。思い返せばトーロは生傷の絶えない戦いの日々に身を投じていた。

 「ビアヘロだけじゃないぞ。契約者の護衛には本人からの信頼と、力を勝ち得なければならない。信頼はともかく、力を見せ付けるのがな……」

 ニクス様に愛されているカルディナさんが信頼されているのは分かる。トーロは今度は他の召喚士が出すインヴィタド達よりも契約者に自分が相応しいと示さないといけなかった、か。だったらティラドルさんやライさんみたいな、元から強い種族や契約者護衛任務の経験者は障害だったのかな。

 「まだまだ、力が足りないと焦りはある。今も事が事だけに、こんなに大所帯だしな」

 「でも今日まで一緒だったんでしょ?」

 あぁ、と言ってトーロは腕を曲げて力こぶを膨らませる。

 「カルディナはニクス様と愛し合っている。そこに身売りして取り入ったなんて言った連中はこの腕で黙らせた」

 「逆効果じゃないの、それ……」

 それだけ二人は本気だし、トーロも二人を信じているんだろうな。

 「……問題はカルディナだ。きっと今の行為を悔いるぞ」

 「どうして?」

 何度目かの質問にトーロは腕を下ろしてこちらを向いた。

 「言っただろう。今の俺達には使命がある。それを忘れていなくとも、観光地で浮ついた行いをした」

 「そんなの気にしないのに。ねぇ?」

 「他人が誰と番おうと私には関係が無い」

 レブの言い方は乱暴過ぎる。私だったら素直に祝福する。それに、せっかく来たのならちょっとなら遊ぶ時間があったって良い……と思うのは甘え、なのかな?

 「あの二人は煮え切らないからな。俺も買い物の折に少し見て見ぬフリをしたが……カルディナから頑張ったらしい」

 「わぁ、大胆!」

 この町なら少し裏に入れば皆が抱き合っていそう。あの二人……今までずっとひた隠しにしてきたのなら、とても抑圧されていたんだろうな。

 「人目や体裁も気にならなくなる何かがあれば良いのだろうに……」

 「そう上手くはいかないんだ……?」

 契約者は見ての通り、人間ではない。この世界の役割を担う契約者とただの人間が愛し合うなんて、普通では考えられないんだろうな。

 「こうなれば既成事実……できちゃった婚だな」

 「レブ」

 なんて言葉遣いをするの……!トーロは咳払いをすると路地へ目を向け、軽く手を払った。

 「戻って来た。……すまんが」

 「分かってる。他の人には内緒、だよね」

 トーロは無言が無言で頷いたので私とレブは背中を向けて歩き出した。すぐに背後でカルディナさんの声が聞こえた。

 「ごめんトーロ。その……」

 「はぐれなければそれで良い。次の店は向こうだ」

 カルディナさんに何かについて謝らせる前にトーロが話を遮った。彼も見なかったフリを貫いてくれるらしい。だったら下手に私達だって出てこない方が良い。どうせ後で会うんだしね。

 勿体無いと節約するよりは多めに買っておいた方が困る事は少ない。腹を空かせた年頃の男や、育ち盛りの私達が余った食べ物を残す事は無いしね。

 「はぁ……」

 買い物は指定された分は済ませた。あとは宿屋に戻って荷物を纏めればそれでお使いはおしまい。

 だけど私の足取りは妙に重かった。船での生活が続いて足腰を使っていなかったからかと思っていたけど、どうやら違うらしい。

 「契約者の事を考えていたのか」

 「……ううん。あの二人、だよ」

 レブにはこの足の重さが伝わっていたみたい。荷物も持ってもらって私は身軽なままの筈なのに、これじゃレブに悪いな。

 「それと、フジタカの事も」

 「色気と無縁のわんころが出てくる理由など無かろう」

 どうして私がフジタカの名前を出したのか気付いていないレブは荷物の位置を変えると、私の少し後ろから隣に移動した。

 「そうじゃなくて。カルディナさんはニクス様とその……恋人、だったのを黙っていたでしょ?フジタカと言うか……私達だって黙ってる事があるじゃない」

 「ビアヘロだと言う話か」

 小出しに話してもレブはすぐに察してくれた。私は頷いて路地を左に曲がった。建物の影で抱き合っていた恋人達がレブの姿に気付いて慌てて離れる。別に通り過ぎるだけだから続けていても構わないんだけど……もう少し隠れてやれば良いんじゃないのかな。

 「今更だな。だが、これだけ遠くに来たら伝えるには好機か」

 「……どうなんだろう」

 フジタカは召喚された当初から自分の立ち位置を気にしていた。トロノに居ればトロノ支所に所属しているチコ共々、何かしら扱いが変わるだろうからと黙っていた。

 今はもうガランに入っている。これだけトロノから離れたのなら、ブラス所長の耳に即座に入る事は無い。フジタカがビアヘロだという真実を……知らない人達に知ってもらった方が良いのかも。少なくとも、今は共に戦ってくれているんだし。

 「対価にあの二人の関係を暴露するのはお門違いと思っているのだな」

 「そういう事」

 今、フジタカの秘密を話したらもしかしたらカルディナさんとニクス様の関係を私達に教える様に強要してしまうかもしれない。それとこれとは違う、けど連想してしまう。

 「自分の気持ちを伝えるって難しいんだね」

 「そうだ。それぞれが考えを持つからこそ、衝突も避けられない」

 カドモスの事をレブも考えているのかな。

 「だからこそ、通じ合えた時に代えがたい力となる」

 「………」

 前を見ていたレブの目がこちらを向く。

 「なんか、意外。レブって自分一人でも力強く生きていく!みたいな考えしてそうだったから」

 「無論、自分を裏切れない唯一の存在は自分自身だ。だが忘れるな。今の私を成しているのは私だけではなく、私と貴様だ。貴様失くして私は無い」

 私とレブは同じ方向を向いて歩いて進めている。レブにとって、こうして横に並んでいられる人はあまり多くなかったのかも。

 「……あの二人、幸せになれると良いな」

 「自分の事を置いて、他人の幸せを願えるとは大した器だな」

 うん、と私はレブに頷いてみせた。

 「だって私はレブに幸せにしてもらえば良いんでしょ?それなら任せておけば心配無さそうじゃん」

 「………」

 私がレブに悪戯っぽく笑うと彼は口を曲げた。

 「その選択を選ばざるを得ない状況、私が必ず用意する。だから覚悟は済ませておけ」

 「はいはい」


 恋人達が互いにこれからの幸せを願うシタァの町に潮風が通り抜け、式場の鐘が鳴り響く。その音色に紛れる様に私とレブは街路を歩く。背丈も種族も違う私達が、二人寄り添い並んで。

 焦げる様にとか、燃え上がる様になんて表現は私達には合わない。しかし、恋人達の町に着いて浮かれてしまったのは私も、そしてレブも同様らしかった。

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