第二十話「下から来る!(中編)」
「おはよう」
目を開けると、岩と土でかためられた天井が見えた。どこからか微かな光が届いている。
「はぅっ」
あわてて上半身を起こす。
くるっと周囲を見まわすと、天井と同じく岩や土で固められた十畳間ほどの部屋だった。
「怪我はしてないから大丈夫だよ」
一方の壁に背を預け、足を前に伸ばして座ったシーフーが腕組みしたまま言った。
自分の体勢や後頭部に残る感触を総合すると、彼の脛を枕にして寝ていたらしい。
膝枕ではなく脛枕されているあたりが、『らしい』と言えばらしい。
「穴から落ちてどうなったの?」
「あっさりと捕まって牢獄入り」
「誰に?」
「地底人」
「ハァッ?」
あたしたちのことを『地上の民』と呼び、落とし穴で瞬時に拉致る奴らを『地底人』って言うのは妥当なんだけどさあ、数十年前のSFみたいでレトロだわ。一歩間違えばギャグよ、ギャグ。
「ちてーじんに捕まってここに押し込められる間ふたりして失神してたと」
「いや、気を失ってたのは君だけだ」
「あんた、みすみす捕まったの?術はどうしたのよ、術は」
「ここはどれだけの大きさかもわからない地の底だよ?火属性の術は呼吸に必要な酸素を消費する。水や地属性の術は落盤を誘発するかもしれない。だから使うのを躊躇った」
えーと。あたしが浅慮でした。
それと……多分だけど、あたしが失神していたせいで思うように動けなかったからだよね。それを理由にしないのは彼の優しさ。ごめんなさいと心の中で謝る。
「失神した米俵かついでは戦えないでしょ」
こっ、こめだわらぁっ!?
「悪かったわね!」
ああ、心の中で彼を美化した自分が呪わしい。
怒ってても仕方ない。ここを出て地上に戻ることを考えなくては。
「いやあ、蓬莱軒にあんな落とし穴があるとは知らなかった。今までよく落ちずに済んでたもんだ」
「この非常時にボケんでいいわ。あんな非常識な落とし穴なんて、意地の悪い仙人かちてーじんしか作らんわ」
「失敬な。仙人を色眼鏡で見るのはやめてくれたまえ、とかあいつなら言いそうだなあ」
銀髪で日焼けしたイケメン―――ただし、あたまおかしい―――が脳裏に浮かんだ。
「あいつ、ちてーじんとグルなの?」
「違う。あいつも仙人だ。竜穴を喰らいつくしたら大地のエネルギーバランスが狂って地上世界がとんでもないことになることくらい知ってるさ。遊び場がなくなるのはあいつも望まないだろう」
「ちてーじんは地上がどうなろうとお構いなしってわけ?」
「そ。たち悪いよね」
そんなヤバい事態だっていうのに、シーフーはあっけらかんとした物言いで他人事っぽい。だけど、珍しく緊張していた状態からは抜け出せたようでホッとする。少し空気の読めない、茫洋とした彼でいてくれた方がいい。
変な誤解はしないようにね。今はこの仙人に頑張ってもらわないといけないからそう思っただけ。
「で、ちてーじんに捕まってしまったか弱い女性を、変人仙人はどう救ってくれるのかしら」
あたしとシーフーは同時に一方に目を向けた。この空間に一か所だけ鉄格子のはまった出入り口がある。もちろんそこからここに入れられたわけだ。
「鉄格子くらい術で、ぐにゃ、でしょ」
「それがさあ」
シーフーは立ち上がると左手を鉄格子に近づけた。
薄暗い空間に火花が散る。
彼は左手を右手でおさえながら飛び退いた。
「ひどいことに、この鉄格子って仙術封じの呪文が彫りこんであるんだ」
「ちょっと!大丈夫?」
彼の手をとると、手の甲に軽い火傷が。
「俺が使う東洋の仙術とは別系統の呪文……西洋魔術でもない。これは未知の呪文だね。困ったな、これは。はっはっは」
「はっはっは、じゃないわよ。まずいじゃない」
「絶望するのは早いぞ。まだ手はある!」
彼の目があたしの目をとらえる。な、何?
「この変な呪文は仙術には有効でも、物理的な力には無効なんだ」
「物理的なって、鉄格子をどうやって壊すの?」
「
シーフーは腕をクイッと曲げて上腕二頭筋をもう一方の手で指さした。
……
……
……
ナニソレ。
「俺、術担当。君、腕力担当」
誰か、この馬鹿絞めてください。その場にへたり込む。
気持ちが萎えるとともに、今の今まで忘れていた衝動が再び目を覚ました。
空腹。
腹筋に力を込めて両手でおなかをおさえる。
鳴りそうだった。セ、セーフ。
女必殺拳だ、中身は男だ、と一部で囁かれるあたしでも恥じらいってものはある。
これは気が抜けないぞ。
「食べる?」
目の前に竹皮にくるまれた
反射的に喉が鳴るってのは嘘ね。
あるなんて思わなかったものを、視覚があるんだって認めて色合いに見とれて、一瞬遅れて届いた匂いが鼻から直接脳に届く。ここでゴクリだ。
「さっきの?蒸し器に入れたはずじゃ」
「君の前で作ってたのは2回目の分。これは最初に作っておいたほう。食べさせてあげようと思った矢先にあの騒ぎだったからね」
「ありがとう」
ずしっとした重みを受け取り、がっついてると思われない程度に急いで紐をほどく。
丁寧に包まれた竹の皮が花びらのように外側に開かれる。
うっすらとお醤油の色した中に、にんじんやしいたけが散りばめられた正四面体の粽。ランダムに薄緑色の枝豆や焦茶色な豚の角煮が埋まっている。それらはよく練って蒸かしたもち米の粘り気に包まれて、とっても好もしい。
まだ食べてないのに、甘辛い醤油もち米やシャキとしたたけのこの噛みごたえが幻影のように歯の上を舞う。
ちらっとシーフーを見て、
「いただきます」
と頭を軽く下げてからパクッとかぶりつく。
口内と鼻孔から届く快感信号に、緊張が緩んだ。
ぐぅぅぅぅ
粽にかぶりついた姿勢で凍りつく。
鳴ってしまったわい……。
カーッと紅潮していく顔。粽を頬張ったまま、無言でうな垂れる。
「気を失ってる間も何度か鳴ってたよ。ぐーぐーってさ。はっはっは」
あたしの緊張とか羞恥心とかいろんなものが砕け散ってく。
「そりゃどうも!」
粽の最初の一口を思いきり飲み込んだ。
「粽は腹もちがいいからちょうどよかったね。もう腹の虫も落ち着くと思うよ」
背を向けて無視した。
作った奴はむかつくのにどうしてこんなにおいしいの!
粽を食べ終わるのと同時に
「最後の食事はおいしかったかね、地上の娘よ」
と例のテレパシーが響いた。
親指についていた一粒を口に入れたあたし。もうどうにでもなれだ。
「ええ、とっても!」
ちてーじんにもおなかの音聞かれたんだろうな、ちっきしょ。
「あのー、地底人さん。こっちから挨拶に行こうと思ったのに、この土牢に刻まれた呪文がやっかいでさ」
「よかろう。我々から出向くとしよう」
土と岩の壁からスゥーッと爪先が、続いて体の前面が抜け出て来た。スポンという音はしなかったが壁など存在しないかのようにちてーじんが2人入ってきた。
あたしはとっさに自分の背後の壁を拳で叩いてみた。岩の部分に当たって痛かった。物質を通過する地底人ってこと。いちいち穴掘らなくていいから便利ね。
仙人もチートだけど、ちてーじんもチート。そうじゃないのはあたしだけ。こんな非常識の世界、とっとと帰らせてほしい。
ちてーじんの外見は人間と同じだった。人種はネイティブアメリカンっぽい。鷲鼻に赤銅色の肌。
不思議な光沢の毛織物を身にまとっていて、武器らしきものは持ってない。
向かって右に立つ年長の男が口を開かずにテレパシーで語りかけてきた。日本語は使えないみたいね。
「お前のことを知っている。蓬莱のシーフーは我々の地上侵攻の際に最大の敵のひとりになると。それをこうも簡単に捕まえることができるとは」
蓬莱軒のシーフーでしょ。ちてーじんにまでチェックされている蓬莱軒。醤油ラーメン食べに来なさいよ、地底ではありつけない美味よ?
左に立つ若者があたしに感情のない目を向けて思念を放ってきた。
「お前にはツァトゥグァ様に食われるという大事な役目がある。ツァトゥグァ様は常に空腹だ。地上の民は
気は強い方ですよ、あたし。でも感情の欠落した目でそんなこと言われたらブルっちゃうわ。反射的にシーフーにすがりついた。
「ツァトゥグァ。竜穴目がけてあがってきた神のことか。ツァトゥグァ、ツァトゥグァ……聞いたことがある名前だな、たしかクトゥルー神話に―――あ、それよりこの娘を食わせるのはやめとけ。見てくれはそれほど悪くないが猛毒持ちだよ。捌くには調理師免許がいる」
どういう意味だよ。フグかよ。
「シーフーよ、お前ほどの術者を殺すのは惜しい。一度精神を破壊してから我々の世界の魔術と科学で上書きしてやろう。そのあと地上侵攻の先陣を任せる」
「あんたらこそ、俺とこの娘を地上に帰して竜穴を諦めるって約束するなら今回は見逃してあげるけど?」
「わからんのか。お前たち東洋仙人の術は我々の文明が編み出した呪文の前には無力。現に呪文を刻みこんだこの牢屋から出られやしないではないか」
「無力かどうか試してみようかな」
シーフーは両手の人差し指と中指を十字に組み合わせると、ちてーじんに向けて雷を放った。
この奇襲にちてーじんは驚いて飛び退いた。
彼らの背後に飛んだ雷は土牢の壁に当たって勢いよく跳ね返ってきた。再び避けるちてーじん。雷はピンボールのように広くない土牢を駆け回る。仙術を跳ね返す呪文で覆われた土牢の中で、雷は不規則な軌道を描いて乱舞する。
「呪文で覆ってないところには効くみたいだねえ」
ちてーじんたちは土牢の壁を通り抜けて退却していった。
雷を消すと、シーフーはあたしの両肩に両手を置いた。
「地底人の監視が外れた今がチャンスだNE。YOUの力が必要DAYO」
なんか、この無理したラップ調の物言いに聞き覚えが……。そうだ、シーフーに地上げ屋の妖怪から助けてもらった時。この耳を塞ぎたくなるダサいアレであたしの戦闘能力が一時的にすごいことになったんだった。(第1話参照)
「ちょっと、もしかして鉄格子を曲げるって―――」
「SO、SO、グイってこじ開けちゃってYO」
両肩から全身に行き渡る熱いパワー。でも待った。筋力がアップしたとしても、鉄格子は無理でしょ。
「YOU、DONDONパワーアップしてるからできるはずSA。仙人じゃないから火傷もしないからNE」
トンと背中を押されて鉄格子の前に立つ。
スニーカーの爪先でちょんと触れてみる。本当だ。バチッとこない。
もう一度。OK。
「よしっ」
平凡な女子大生が固める必要のない決意を胸に、両手で鉄格子をつかんでエキスパンダーで運動するように外側に向かって力を振り絞る。
お、おおおお。
ほんの少しずつではあるが鉄格子の隙間が開いてく。
「いいぞ、そのまま続けてー」
筋力が人間離れしたレベルに増大しているとはいえ、アメコミのヒーローみたいに一息にはいかない。歯を食いしばって、額に汗の珠が浮かび
「うぁぁぁぁぁっ!」
と声を限りに張り上げて格闘すること一分超。ようやく人ひとりが通ることができる空隙を確保できたのだった。
土牢を出たところで倒れそうになったが、次に出てきたシーフーが支えてくれる。
「めったに見られない
「牢に戻れよ」
「勘弁してもらいたい」
大空洞の向こうから槍と鎧で武装したちてーじんの集団が迫っていた。
「シーフー、あたしはもう戦えないから」
今の怪力ショーで疲れているがその前に相手が悪すぎる。素人拳法が通じるわけがない。
そして、蓬莱軒で味わった、意識だけが揺れる気持ち悪い地震が始まった。
巨大な何かが上へ上へずり上がっていくのだ。
そう、あれだ。ヒキガエルとナマケモノを混ぜた怪獣―――ツァトゥグァ―――が再び蓬莱軒の地下にある竜穴を目指して上りはじめたのだ。
「シーフー、どうすんのよ?」
ちてーじんを相手に戦うのが先か、ツァトゥグァの行動を阻止するのが先か。
「これは困った。せめて鍋があればな」
全然困ってなさそうな口調だけど彼なりに困ってるんだと思う。
絶対防御と妖魔封滅の力を兼ね備えた中華鍋。それは遥か上の店に置いてきてしまってる。これは痛い。
「地底人恐るべし。でも地上の仙人として舐められっぱなしではいけないよな」
あたしたちと武装ちてーじん集団の中間地点に互いの通行を阻む炎の壁が現れた。
「足止めできればいい。君が酸欠になるまでにツァトゥグァを止めよう」
大空洞の上に空いた穴の彼方にツァトゥグァのヒキガエルみたいな足が覗いていた。あのまま行かせたら竜穴を食べられてしまい、地上は大惨事に見舞われる。
そして間違いなく、最初に大惨事になるのは
蓬莱軒を守る=地上を守る 間違ってない!
あたしは両頬をパンとはたいて気合を入れて立ち上がった。
(続く)
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