第二章 邂逅

第6話 番人

 エンジンサウンドは未知なる世界の旅路を大いに盛り上げてくれるが、収拾したレトロミュージックも冒険心をときめかせるBGMとしてふさわしい。中でも、とびきりロックな曲が最高だ。

 シュノンは鼻歌混じりにプレミアムを運転させていた。ノリノリで、時に無意味なハンドル操作を行い、助手席のホープが眉を顰める。


「ヒャッホー! アハ、ハハハ!」

「節約はどうしたのですか、シュノン」


 窘めるように小言を言うが、シュノンは無視する。ホープは友人であり仲間であって、いちいち説教を垂れる保護者マミーではない。もちろん、クレイドルとも違う。


「こーゆー楽しみのためにも節約はするのさ」

「なら、私がエナジー缶を摂取してもよろしいのでは?」


 ホープが恨めしそうに言う。彼女はシュノンオリジナルフルコースを、いつも顔色を青くして食していた。妙なドロイドである。彼女は例え毒を食べたとしてもお腹を下したりはしないのに。


「エナジーはめっ! 用途はたくさんあるんだから。プレミアムの燃料、レーザーピストルの弾薬、そしてあなたを動かす源でもあるんだよ?」

「それはわかっていますが……正直、シュノンの料理は、その……」


 ホープが言い辛そうに顔を背ける。気難しいドロイドだ。シャイでもある。言いたいことがあるならハッキリ言えばいいのに。そう思って、シュノンはミュージックプレイヤーの音量を下げた。


「何? 言いたいことがあるなら言いなさいよ。水臭い。……臭い水って相当汚染されてるってことよね」

「それは無味無臭の水を、味気ない、よそよそしい態度になぞらえた言葉ですよ」


 と指摘しながら、ホープはため息を吐く。無駄に凝ったフェイスディティール。メカコッコの弟子は、それこそ人間というもの完璧に再現して彼女を作ったに違いない。意図はわからないが、男と女の匂いがする。と、何となく思えばクールに視えると映画で言っていた。

 シュノンがデジタルアーカイブで得た知識で自分をクールに彩っていると、ホープは観念したように自身の気持ちを打ち明けた。


「はっきり言いますと、その、あなたの料理は見た目が悪いのです」

「はぁっ!? 何それ!?」


 隣のホープに食いつく様に叫んだため、ハンドルが動いて石にタイヤが乗り上げた。うわぁっと! 悲鳴を上げて前方へと視線を戻す。そして、怒りをあらわにした。


「その文句はいただけないよ! せっかく人がおいしいものを食べさせてあげようと毎回毎回獲物を取ってるのに! 高級料理の数々を振る舞ってあげてるというのに!」

「あれのどこが高級ですか。シュノンの価値観はずれています」

「ずれてるのはあなた! カエル焼きとか最高だったでしょ!」

「あれはどうにかして記憶回路からデリートしたい食事ナンバーワンですよ……」


 ホープが沈痛な面持ちで嘆く。どうやら本気のようで、シュノンの心はプレミアムのエンジン音のように唸った。あれは一番のお気に入り料理だというのに。


「なんじゃそれ! やる気無くす! 今もこうしてあなたが言っていた座標に運転してあげてるのに! 運転もできないどっかの誰かさんの代わりにさ!」

「そ、それは関係ないでしょう! エアカーやビークルとは運転方法が違うのですから! それに、運転自体は感謝してます。私の示した座標に寄り道してくれているのも。そこははき違えないでください。ただ……」

「ただ?」


 シュノンの詰問に、ホープは眼を泳がせた。イライラブーストフルマックス。


「やはりシュノンの料理は見た目が……」

「うむむぅ……知らない!」


 シュノンはクラッチを踏み、ギアをチェンジ。一気にスピードを上げた。ボリュームも最大音量にし、爆音が響き渡る。


「わ、シュノン! スピードの出し過ぎです!」

「知らない知らない、しーらない!」


 猛スピードで荒れた道を走っていく。エンジンが唸りを上げて、加速に見合ったGが身体を座席に吸い寄せる。ホープが交通法がどうたら言っていたがシュノンは気にも留めなかった。今の世界では、人を縛る法律などないのだ。

 ただし、良識や良心という類の想いは存在する。ちゃんとホープが寄って欲しいという場所には寄るつもりでいた。かっ飛ばすのは、時間短縮と少々の意地のためだ。


「やめ、やめて! 危険運転です! 危ないです! 人が飛び出して来たらどうするのですか……!」

「いないよ! いてもどうせ略奪者だけ! 奇声のバリエーション豊かな、雑魚たちが来るだけよ!」

「地面を走る感触はあまりいいものではないのです! お願いですから……!」

「むぅ!」


 ホープが癇に障ることを言ってくる。シュノンはさらにギアを一段階上げた。オマケにドリフトや片輪走行まで披露してあげる。


「ああ、あああ! エナジーコントロールが! バランサーが! 外部センサーが! ピント調節機能に異常! 聴覚サンプリングに不調!」

「ヒャッフウ! プレミアムは最高だぜ――!」


 節約の二文字を忘れて、プレミアムは荒野を駆ける。目的地はホープがマスターから託されたという、コールドスリープ用の設備が整った避難用大型シェルターだ。



「…………」

「お、怒らないでよ。ドライブハイになってただけ!」


 到着したシュノンがまず行ったのは、あからさまに不機嫌となったホープへの謝罪だった。少し調子に乗り過ぎた、とは思う。元々ホープはタイヤを使った乗り物が苦手なのに、あれほど荒い運転に付き合わされたのでは、頬の一つを膨らませてもしょうがない。


「前のさ、トライアルカウンセリング! あれやってよ、ねぇ。そうすれば、どちらに非があるか……」

「いいでしょう。トライアルカウンセリング開始。判定結果、九十九パーセントシュノンの責任です」

「絶対やってないよね? ねえ!」


 これは本気で怒ってらっしゃる。シュノンは苦笑しながらホープを見る。

 ようやく、彼女の性格が何となく掴めてきたところだ。ホープは滅多に怒らないが、怒ると非常に厄介。しばらくまともに口を聞いてくれなくなる。人と機械の中間点に位置する彼女は、人間的な対応と機械的応対を分けられるとメカコッコは説明していた。

 今は人の部分が多くを占めている。個性豊かなアンドロイド。


「下手な人間より人間っぽいんじゃないの?」


 それはホープとわかり合ってからというもの、シュノンがずっと感じる疑問だった。メカコッコはたまに聞いてもいないどうでも良さげなうんちくを得意げに語ることがある。そのうんちくの一つで、人格形成についてもどーたらこーたら言っていたことを思い出した。

 曰く、人の人格は環境で決まる。元より備わる遺伝子には、ほとんど左右されないのだという。遺伝子が優秀でも環境が悪ければアウト。遺伝子が劣悪でも環境が整っていればセーフ。

 それが事実なら、ホープの学習した環境は非常に整った場所だったということだ。愛されていた、ということなのかもしれない。

 ――クレイドルが、自分にしてくれていたように。


「悪かったって……だからさ」

「シュノン? どうかしましたか?」


 少しだけのしんみりをホープは目ざとく悟ってくる。こういう部分は敵わない。


「私じゃなくて、ホープでしょ?」

「哀しみを感じます。私で良ければ話を……」

「あー、いいからいいから。さっさと行くよ! こっちでいいの?」


 森へと続く道を差す。ホープは戸惑いながらも首肯した。


「ええ。そのはずです。マスターが残してくれた座標データでは」

「そこには何があるの?」


 先へ歩きながら、話題転換もかねて訊ねる。ホープはそのタイミングで絶対にしてはならないのに、首を横へ振ってくださった。


「ちょ、まさか、わからないとか……」


 気まずそうにホープは目を伏せる。なんてこった! シュノンは頭に手を当てた。


「うっそ……冗談でしょ?」

「でも、何かしらの手掛かりがあるはずです。人類救済のための。マスターは私に使命と希望を託しました。世界を救えるチャンスなんです。ですから、どうか……」

「いやまぁ、付き合うけど、付き合うけどさ。ああ、無駄足でないことを祈るよ」


 シュノンはため息を吐いて、ポンコツ疑惑のある相棒と共に進んで行く。



 ホープの誘導に従って森の中を進んでいくと、ちょっとした丘に出た。一目で違和感に気付く。ホープもスキャンを駆使して異変を悟ったようだ。


「誰か、いますね……」

「うん。近くにいる」


 この土地には誰かがいる。人間が生活する痕跡がある。人がいる場所といない場所では、明確に差異が存在する。獣道や不自然な草木がその違いだ。普通の人間には気付けないが、自然の中で数多の時間を過ごしていると、大地の声が聞こえるようになる――と映画で言っていた。


「私のスピリチュアルな何かが疼くよ!」

「……何を言っているのです」


 ホープは呆れているが、シュノンは気にしない。念のためリボルバーを引き抜いて進もうとするが、ホープに制された。


「お待ちを。私が先に行きます」

「大丈夫なの?」

「疑いのプロセスは無意味です。私は多目的支援型アンドロイドですよ?」


 先日のチュートンとの戦闘で、彼女の強さはよくわかっている。だが、なぜか、この白いお嬢さんはどこかしらが抜けているのだ。長い時間眠っていたせいか、元からそうなのかは知らないが、変なところで天然ポンコツなのは否めない。


「ホントに、平気?」

「平気です、へっちゃらです」


 疑惑の眼差しを注ぐが、ホープは取り合わない。ソナーやらスキャンやらごちゃごちゃした多機能センサーを使って、周辺の生体反応を調査していく。

 シュノンはホープと別方向を捜索して、顔をしかめた。見ていて気持ちのいいものではない素敵な物質を発見してしまったからだ。


「うわぁ、犬のフンだ」


 まかり間違って踏まないように、危険物から退避する。こんなトラップがあるとは聞いていない。ここは危険地帯である。地雷原である。いつどこに、凶悪極まりない生物兵器が放置されているかわからない。


「デンジャーゾーンですぜ、キャプテン!」

「どうしたのです?」


 ホープはピンと来ていないようだ。泣けるね、とため息を吐く。これだからドロイドって奴は。シュノンは大声で警句を放った。


「ワンコウのフンがそこらかしこに落ちてるからきぃーつけて!」

「なんだ、フンですか。そんなもの、問題ではないでしょう」


 いいや、大問題だね! シュノンはそう言い返そうとして、ハッとした。

 がさり、と茂みが揺れる。前からいきなり何かが飛び出してきた。何の前触れもなく襲撃を受け、地面に転がってしまう。


「むきゃあ!」


 回避も防御もできずに飛び掛かられた。そして、乱暴される。暴徒は興奮した様子でシュノンの身体中に鼻息を掛け、舐めまわしていく。たまらず、シュノンは悲鳴を上げた。


「うひゃ、ひぃ! ちょっ、ホープ!」


 しかしホープは助けてくれない。シュノンはがしっと首を掴んで暴行を働く不届き者を黙らせる。


「止めろよ、ワン!」

「ウォウゥ?」


 意外と忠実な奴で、シュノンの言いつけ通り戦闘行動を停止してくれる。そいつはシュノンから少し距離を取ってお座りをした。どこかの誰かさんに見習って欲しいほどの謙虚さだ。


「流石だな、ワン上等兵」


 素晴らしき、ワン。こげ茶色の憎めない奴だ。シュノンが土埃を叩きながら体勢を整え、落としたリボルバーを拾おうとすると、


「動くんじゃないぞ。そのままだ」


 状況は目まぐるしく進展する。シュノンを襲った犬の飼い主と見られる老人が、いつの間にか散弾銃を構えて傍にいた。シュノンは両手を上げて、無抵抗アピールをするしかない。


「ちょ、ちょっ! 一息つかせてよじいさん!」

「こんなところにまで来るとはな、略奪者め。それもたったひとりで。だが、無駄足だ。ここには、俺の犬とコレしかない」


 かちゃり、と散弾銃の銃口が揺れる。上下二連の狩人御用達の銃だ。

 だが、危機的状況下であるシュノンの脳裏をよぎったのは、老人のたったひとりでという言葉だった。そんな発言に至るはずはない。自分には頼れる多目的支援型アンドロイドがいるのだから。彼女はどこへ行っちゃった?


「ひとりでって、え?」


 周囲をキョロキョロする。その挙動を不審がる老人。


「仲間がいるのか?」

「え、あー……はい。います。いるはずなんだけど」


 白を切っても隠し通せないと思い、素直に白状する。が、ホープは見当たらない。

 シュノンが疑問符を浮かべていると、忠実なるワンが突然走り出して、近くに生える木の下へ向かった。そして、木の上へと吠える。

 同時に聞こえてくる、少女らしい悲鳴。カワイイ。とても可愛らしい声だ。どうだろう、誰か彼女をお持ち帰りしないか? 代わりに、この程度ではびくともしない優秀なパーフェクトドロイドを私にくれ。


「何してんのさ!」


 思わず怒鳴ったシュノンに、頼れるドロイドは頼りがいのある震えた声で応える。


「け、獣! そのケダモノを私から引き剥がしてください!」

「嘘だ……犬にビビるアンドロイド……」


 愕然として、シュノンは手を上げることすら忘れる。ぼそりと呟いてしまった秘匿項目に、老人が訝しんだ。


「アンドロイドだと……?」


 老人は散弾銃を下ろして、木の真下へと歩み寄る。普通に考えれば今は逃走チャンスなのだが、ホープのあまりの不甲斐なさに、逃げる気はすっかり失せていた。老人も老人で、シュノンに対する警戒を完全に解いている。


「エイト、下がれ!」


 老人の指示にエイトという名の犬は即座に従う。最高なしもべだ。もし今交換を持ちかけたら、老人はホープとエイトをチェンジしてくれるだろうか。どうでもいいことを考えながら、シュノンもホープが隠れる木の元へ近づいていく。


「う、あ……犬、犬が……」

「下りてこい。下がらせたぞ」


 ホープを説得する老人。せめて散弾銃は下ろそうか、という常識的ツッコミをシュノンはする気になれない。老人に同調して、ホープに下降を促す。


「いないよ、ワンは。今なら平気。だから早く下りて来てよ。もうつかれちったよ」


 やさぐれたシュノンの発言に、ホープは恐る恐る問いかける。いませんか? 本当にいませんか? もはや答える気力が湧いてこない。


「十秒以内に来ないと、このじーさんが百一匹のワンを木の下に敷き詰めるってさ」

「ッ!? それはなりません! 治安維持法違反! プロメテウスエージェントとして……法の執行を行いますよ!」

「いーからさっさと下りてって」


 耳に指を突っ込んでテキトーに応じると、ホープは顔色を今までで一番悪くしておっかなびっくり降りてきた。

 老人が横でぶつぶつ独り言を言っているが気にしていられない。

 びくびくしているドロイドへ、シュノンはワンをけしかける。もう何が何だかよくわからない。とにかく、今は自分を見捨てて逃げたホープにフクシューを果たすのが先だ。


「行けっ、ワン!」

「なっ、シュノン!? 裏切ったのですか!?」

「そりゃこっちのセリフだって。はぁ……」


 シュノンの嘆息に呼応して叫ばれるホープの悲鳴。これがバトルサポートドロイドで、多目的支援型アンドロイドの高性能すぎる姿である。


「あ、来る、けだも、ケダモノっ! ひぃいいい!!」


 犬に飛び掛かられて本気で泣くホープ。ため息のフルオーケストラが響く中、隣の老人に変化があった。――なぜか、感極まった表情で犬に舐めたくられるホープを見ている。それこそ、希望の光を見出したように。


「ようやく来たのか。この時が」

「……へ?」

「エイト、離れろ。二人とも、俺について来い」


 唐突に老人は犬を引き剥がし、先導し始める。シュノンは涙目の、犬の唾液まみれのホープと目配せして、肩を竦ませた。



 ※※※



 アイカメラの定期クリーニング及び他者に精神不調を知らせる処理液を拭い、感情アルゴリズムの不調を知らせるエアーシステムの動悸を抑え、ホープはシュノンと共に老人とケダモノを追尾していった。

 老人は洞窟の中に入り、ホープも身体を硬質化させながら追いかける。

 極限の緊張感に苛まれ、義体の発熱を抑えるべく冷却液が額から流れる。アイカメラを四足歩行猛獣へと向けていたため、ホープは冷ややかな視線を注ぐシュノンに話しかけられたことに気付けなかった。


「ねえ、ねえったら!」

「ひぅ!? な、なんですか……?」

「冗談でしょう? 演技なんでしょ? 本当は。ほら、私を救うための策とかさ」


 おっかなびっくり答えるホープに、シュノンは縋るような瞳で訊いてくる。信じたいが信じ切れない。そんな目だ。ホープは相棒であり友達である彼女の信頼に応えるべく堂々と答える。


「も、もちろん当然で――」

「あ、後ろに犬」

「ひぃい!! うぐぁ!?」


 狭い通路の中でジャンプジェットを作動させ、頭を思いっきり天井に激突させる。危険を知らせる痛覚コントロールが頭部パーツに集中。痛みのあまり、呻き声を漏らした。


「うぅ、痛い……シュノン! また私を騙しましたね!」

「私も泣きそうだよ。あなたがこれほど頼れる相棒だとは思わなかった」


 皮肉を飛ばして、シュノンは俯く。ホープは反論しようとしたが、量子演算をもってしても、今掛けるべき言葉が見当たらない。

 二人揃ってどんよりとして、老人の導きのまま洞窟内を進む。そして、開けた空間へと出た。こじんまりとした居住用スペースだ。人が二、三人過ごせる程度の広さだった。


「エイト、哨戒へ戻れ」

「ワン!」


 エイトがホープの脇を駆けて来た道を逆走していく。思わずシュノンに飛びついてしまい、人の心の闇を垣間見た。人間がこれほど他者を氷結させる視線を返せるとは。


「怒らないでください、シュノン。私はどうしても、犬が苦手なのです……」

「いいよ、別に……」


 と音声では気にしていない風を装っているが、ホープの多次元共感機能はシュノンの怒りと呆れと失望を測定している。気まずそうに老人へ視線を移すと、彼はテーブルへボロボロの椅子を運んでいるところだった。


「座れ。話がある」

「はぁ」


 ホープは困惑しながらも椅子に座る。シュノンも戸惑いながら倣った。

 老人も対面席に着き、ホープとシュノンを交互に見比べながら言葉を放つ。


「治安維持軍、プロメテウス、プロジェクトノア、黄金の種族、エインヘルヤル」

「っ」


 ホープはアイカメラを拡大する。老人が諳んじたのは共和国時代の用語ばかりだった。老人はホープとシュノンのリアクションを確認した後、反応が大きかったホープへと語りかけた。


「お前はアンドロイドなのだな?」

「はい……そうですが、あなたは?」

「ヘイムダル。あえて名乗るならな」

「ヘイムダル……?」


 その名に覚えがないシュノンは怪訝を顔に張り付けているが、ホープはすぐさま理解できた。データベースにアクセスする必要もない。


「警告者であり番人ですよ」

「見張りってこと?」

「そうです」


 ホープの首肯に老人は頷き、携帯型の端末を取り出した。ボタンを操作するとホログラムが浮かび上がる。そこには、巨大な施設が映っていた。


「俺の祖先は番人を買って出た。人々を守る偉大な仕事だ。近くにある退避シェルターを時が来るまで守護するのが、俺の一族の使命だった」

「時が来るまで……」

「そうだ。そうして今、役目を終えた」


 ヘイムダルは感慨深く呟く。じっとホープのことを見つめていた。彼のコートには治安維持軍のエンブレムである地球が描かれている。


「ずっとこの時を待ち望んでいた。俺の一族は技術屋じゃない。コールドスリープの解除ができなかったんだ。氷の棺桶を、長きに渡って守り続けることしかできなかった。正直、半ば諦めかけていたところだ。そこへ希望が現われた。予想とは違い、少し頼りなかったが」

「う、それは……」


 ホープが発声プロセスにエラーを起こす。ヘイムダルは気にするな、と笑いかけて

ホログラムの画像を棺へと移した。コールドスリープ用の棺が無数に並んでいる。

 感情アルゴリズムが嬉を選択。フェイスモーションも歓喜のそれになる。


「これほどの数の市民が……!」

「これだけじゃない。断言はできないが、俺と同じように人々を守る番人が他にもいるはずだ。そいつらは世界各地に散らばっている。最後に座標データは送信したが、中枢拠点であるユグドラシルが崩壊したせいで、然るべき人間に情報が渡らなかった。そう先祖は推測していた。だが、こうしてお前が現われたのを見ると、きちんと渡ってはいたようだ」

「はい。マスターは私にデータを遺していました。解除コードもインストールされています。シェルターの場所を教えてください」


 ヘイムダルはホログラムを消して、紙に地図を書き記した。彼が仕掛けた罠と、それを避けるためのルート。期待を寄せて、幸福指数が極端に跳ね上がる。


「こんなに早く、マスターの使命を全うできるとは……!」

「良かったね、ホープ」


 シュノンは皮肉ではなく純粋に喜んでくれた。大事な時には、きちんと親身になってくれる。この感情統制はホープが持ち得ない優れた素質だ。こういう部分は敵わない。


「はい!」

「さっさと起動させに行こう」


 シュノンは地図を受け取ってそそくさと洞穴を後にしようとする。だが、ホープにはまだ心残りがあった。ヘイムダルだ。


「あなたもいっしょに……」

「いや、ここが俺の家だ。何もないが、それがいいところでもある」


 ヘイムダルは二人を見送るべく立ち上がり、手狭な部屋を見渡した。


「贅沢とは無縁だが、こうして使命を果たせた。希望が君のようなドロイドで良かったよ」

「でも、先程は頼りないと……」


 会話履歴を参照しながら諳んじて、はたと気づく。そう言えば、彼はホープの言葉をすんなりと信じた。不透明な、混沌の支配するこの世の中で。

 質疑応答プロセスが、ホープの口から問いを投げた。どうして、私を信用してくれたのですか? と。ヘイムダルは笑って答えた。


「犬に怯えていた。それは人の心を持つ何よりの証拠だ。もしお前が無骨なバトルドロイドのように冷えた心の持ち主だったら、トントン拍子で事は進まなかっただろうがな」

「う、それは……」


 恥ずかしさで顔はレッドカラーに。トマトのように真っ赤になった彼女に、シュノンは肘でドスドス突いた。


「やりぃ、ホープ! 犬嫌いで良かったね!」

「そう、そこのガキも要因だったな」

「私? そりゃあ、私は誰がどう見ても世界の救世主だけど」


 と調子に乗るシュノンに、ヘイムダルは真実を述べる。


「調子づいたガキと、情けないアンドロイド。これほど間抜けな組み合わせの略奪者は見たことがない。もしこれが演技だっていうのなら、俺はまんまとしてやられたことになるな」

「はーっ! 誰が調子づいたガキなの! ホープは確かに情けないけど!」

「私は犬が嫌いなだけで情けなくはありませんよ!」


 ホープとシュノンは言い合いを始める。そのやり取りを見て、ヘイムダルは確信したように二人の肩へ手を置いた。


「……お前たちは喧嘩をしながらも共に生活できている。これがどれだけすごいことなのかわかるか? 俺は先祖代々受け継がれる様々な記録で、過去の世界と今の世界がどれだけ乖離しているのか知っている。お前たちは互いに不満を抱きながらも、この先ずっと共存することができるだろう。だから、俺は信用した」

「そりゃあ、まぁ、パートナーだし」

「シュノン……」


 シュノンが少し気恥ずかしそうに言い、ホープは幸福を得る。二人は歩調を合わせて、洞窟の出口へと向かい始めた。


「では、ヘイムダル。またの機会に」

「ああ。またな、希望の少女たち」

「ばいならー」


 ヘイムダルと別れを交わしたホープとシュノンは狭い通路を進む。と、不意に嫌な予感がしてホープは立ち止まった。


「先程のケダモノ……犬がいたりはしませんよね?」

「さーってね」


 シュノンは頭の後ろに両手を当てて、余裕を振りまき洞窟を進む。ホープは脅威判定がSクラスの猛獣とのエンカウントを避けるべく、急いでその背中を追いかけた。


「待ってください、シュノン!」

「やだよーだ。犬はかあいいのに」

「犬の可愛さは理解できます。ですが、トラウマがあって……」

「トラウマ? 何々? 聞かせてよ」

「言いたくないからトラウマなのです!」


 他愛もない会話を繰り広げて、洞窟の外へと出る。犬に遭遇しないように、天然地雷を踏み抜かないように気を付けながら、シェルターへの道を進んで行った。



 ※※※



「足跡はこちらに続いています」


 銃を構える人のカタチをしたソレは、淡々と主に報告をした。角ばったパーツで構成されたバトルドロイド。頭部パーツは四角形のアーマーに保護されるだけの簡易な作りであり、最低限の戦闘を行うためだけの義体でしかない。

 そのドロイドたちが頭部スキャナーを向けるのは、漆黒の鎧に身を包む男だ。刀を腰に差すガスマスクを被った男は、ドロイドたちに指示を出した。


「行け。お前たちが存命できるかは、この任務での働きに懸かっている」

「ハッ!」


 機械の兵士たちは人間的な動きをみせて、森の中を進んでいく。


「H232……お前はここで斃れ、希望の光は潰えるのだ」


 男は先遣隊に追従し、ゆっくりと歩を進めた。死を振りまく足音が、刻々と希望へ切迫していく。

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