第44話 真相

 その時。

 ガシャン、と。

 何か――恐らくコーヒーカップだろうが、それが割れる音がした。

 明らかに、動揺している。

 それはもう、私が言ったことが正解だと言っているようなものだ。


「どうしたのですか? 篝人彦さん」

「……誰ですかそれは?」

「またまた。貴方のことじゃないですか。そうじゃないのなら、マスターの名前を教えてくださいよ」

「……」


 そこで押し黙る。どうやら知らないということで貫き通すつもりらしい。


「ならばいいでしょう。そういえばマスタ―、左腕にいつも巻いていた腕時計はどうしたのですか?」

「……ちょっと失くしてしまって……」


?」


 ようやく、そこで私は訊ねる。

 最初から気が付いていたが、敢えてこの時に訊く。

 右腕。

 身体の向きでうまく隠していたつもりだろうが、その動きの不自然さから判っていた。

 というよりも、ここに来る以前から、それは判っていた。

 判っていて、ここに来た。


「これは……ちょっと事故で……」

「事故? 自分で切ったのではないのですか?」

「……」


 ピクリと、一瞬だけだが頬を動かして反応する人彦。


「……そんなこと、ありえないでしょう」

「ありえたのですよ。現実」


 さて、と私は人彦を正面に見据える。


「前置きはこれくらいにしておいて――ではこれから貴方が行ってきたこと、つまりは事件の真相をお話しいたしましょう」

「……聞きましょう」


 彼は手を止め、荘厳な顔で私を見る。

 静かな空間が、そこに生まれた。

 ポタポタと、雫が滴る音が聞こえる。

 そういえば、雫で思い出したが、


「ああ、すみません。その前に水をくれませんか? 話は結構長くなると思うので、水を一応横に置いておきたいのです」

「構いませんよ。しかし、もう判っているようなので言いますが、私は片腕がないのでお客様にお出しするようなきれいな入れ方はできません。なので、申し訳ありませんが自分で入れてもらえますか?」


 ええと返事をして、私はカウンターに入る。やはり割れたのはコーヒーカップのようで、その破片が床に散らばっている。その一かけらを拾ってそう考察していると、マスターがすかさず、


「危ないので触らないでください。後で処理しますので」

「分かりました」


 そう返しながら、私はコップを手に取って水道水を並々に注ぐ。マスターが水道水じゃなくてもと言ってこっちに来るが、大丈夫ですよと真横を通って席に戻る。


「では早速お話しいたしますが……そうですね。まずは篝氷香さんを貴方がゴミ処理場で傷害した話からしましょう」


 篝氷香が、ゴミ処理場で『オネエチャン』に殴り倒された話。


「この事件はそこから始まっていたのでしょうね。動機は判りませんが、それが原因で、彼女は貴方に復讐しようと思ったようですね。そして、貴方は腕を噛み砕かれた。これが簡単な概要です」

「……後半部分は合っています」


 こちらを真っ直ぐに見ながら、彼は首を縦に動かす。


「この腕は私の娘、氷香に喰い千切られました。理由は判りませんが、あの篝の家で噛み砕かれ、意識が朦朧としましたが命からがら逃げてきたのです」

「だから警察にも言わずに黙っていると。まあ、そういうことにしましょうか」


 自分が氷香の父親、人彦であると密かに認めているが、敢えて触れずに先に進める。


「では次に、あの殺人事件について。腕を噛み砕かれた貴方は自分の腕を持って――いや、恐らくこの時にはまだ繋がっていたのでしょう。そして被害者がいる寝室に入り、壁に掛かっていたチェーンソーで自分の腕を左腕一本で切り落とした」


 想像するだけで痛々しい。チェーンソーの回転音が恐怖心を煽って、普通なら出来ないだろうが、彼は恐らくそれをやった。

 チェーンソーといえば――


「そういえば、どうしてチェーンソーが壁に掛かっていたのですか?」

「あのチェーンソーは私が漁師時代に使用していたもので、今はあの壁に飾る……というよりも、脅すためのものでした」

「脅す?」

「それがあの女の会社――カガリ製薬がここまで発展した理由です」

「ということは察しますが……恐らく、あの部屋は防音ですか?」

「ええ。貴方が想像した通りです。そのために、物置は中から開くことが出来ないようになっているのです」

「成程。やはりそうでしたか」


 一つの推測が確信に繋がった。


「そういう裏事情があったのですね。それが奥さんを殺した動機ですか?」

「……どうしてそこまで」


 彼は静かに首を振る。


「私を犯人にしたいのですか? 私は被害者なのですよ」

「被害者でもありますが、貴方が犯人です。というよりも、貴方が犯人でなくては、説明がつかないことが多いのです。例えば、密室の件」

「それが、私が犯人なら解決できるというのですか」


 人彦は、わざとであろう大きな溜め息を吐いて問い掛けてくる。


「では、私はどこに隠れたの言うのです? 先程私が話したように、妻の腹部ではないのなら――」



「貴方は隠れてなんかいませんよ。ただ――ドアの傍にいただけで」

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