風神のスマートフォン

ねめしす

序章

神さまたちの事情


 とある昼下がり。

 大勢の客で賑わう食堂の一角に、怒りの声が轟いた。


「まったく、近頃の人間どもときたら、携帯電話のマナーが悪すぎる!」


 声の主は頭から二本の角を生やした赤ら顔の大男だ。

 運ばれてきた塩焼きの秋刀魚をグサリと箸で突き刺しながら、盛んにつばをまき散らす。


「SNSだかなんだか知らんが、鬼ヶ島にやってきた時ぐらいちっとはわしに敬意を払って電源をオフにしようとか思わんのか!」


 秋刀魚を丼に乗せて八つ当たりのような勢いで飯をかきこむ大男に、向かいの席でとんかつにソースをかけていた緑色の肌の男が眉をひそめた。


「頼むからもうちょっと静かに食ってくれんかね。百歳や二百歳の小僧じゃないんだから」


 小麦色の衣に包まれた一切れを箸でつまみ、肉汁が滲む断面へ目利きするような視線を注いでからひと口。瞬間、表情が溶け崩れる。


「ああ旨い。やっぱりここのとんかつは最高だな。……まぁ、お前さんが荒れるのもわからんでもないがね」


 緑色の肌の男はコップの水で口の中をさっぱりさせると、眼鏡の奥のまなざしをやや真剣なものへと改める。


「四国の四万十川も似たようなものさ。最近じゃ誰も彼もがみんなスマホだ。これじゃあ神通力なんか使えっこないよ」


 赤ら顔の大男は鬼の一族。緑色の肌の男は河童の一族だ。

 平時はあまり見かけない組み合わせだが、神在月の出雲ではそう珍しい光景ではない。


「内閣がなにか対策を打ち立ててくれりゃあいいんだがなぁ」


 赤鬼は窓の外にそびえる議事堂を苦々しげに見やる。


「いやぁ……あんまり期待はできないんじゃないかねぇ……。今期の政権が立ち上がってもう十年以上だろう? やっこさんたち、現状維持ばっかりで何もしてないじゃないか」


 応じる河童の目にも、諦めが色濃く現れている。


「まぁなぁ。ああでもちょっと前になんか決めてなかったか? 新聞に出てたぞ。確か、せい、精霊……」


 難しい顔をして唸る赤鬼に、ああ、と河童が頷いた。


「精霊指定都市かい?」

「それそれ。精霊指定都市。なんでも人間不干渉の大原則を破って殴りこみをかけるんだってな」

「殴りこみは話を盛りすぎだよ。それじゃあ野党の過激な連中と言ってることが変わらないじゃないか」

 いかにも大げさな言いように笑いながら、

「確か人間と交渉の場を持つんだったかね。どこまで本気なのかはちょっとわからないが」

「はん。どっちだってかまやしねえよ。このうっとうしい状況さえどうにかしてくれるんならな」


 話を締めくくるように赤鬼が鼻を鳴らすと、河童は肩をすくめて同意した。


 + + +


「……やれやれ、耳が痛いのう」


 二人の愚痴に苦笑いを零したのは、離れた席で休憩していた一人の若い女性客だった。

 黒絹のような髪に縁取られた細面は眉目秀麗と評して差し支えなく、山伏にも似た白装束の豊かな胸元には、二重鳥居を象った鈍色の印章が飾られている。

 この印章は議事堂――正式には出雲八百万神議議事堂いずもやおよろずかむはかりぎじどうという――に出入りするための身分証明で、通称を議員バッジとも呼んだ。


 古来、出雲大社で中つ国なかつくに全ての神を集め、地に満ちる万事よろずごとの決を採るために催されたとされる「神議かむはかり」を原点とする神々のまつりごとは、紆余曲折を経て任期百年の議会制民主主義へと辿り着いていた。

 今期の政権がスタートを切ったのは西暦二〇〇〇年のことである。


 現政権の評判が悪いことは彼女も知ってはいたが、こうして改めて耳にすると当事者の一人として肩身が狭い。

 加えて今はもう一つ、悩みのタネが増えていた。


「全く、勝手なことを言いおるものよな……」


 苦笑を深めながらの文句は、先ほど彼女へ居丈高に辞令を発した党の上役たちへのものだ。


 精霊指定都市候補地の事前調査官への任命。

 平たく言えば神が人間と交わるにあたりその地が相応しいか事前に見極める仕事だが、正直なところ、面倒ごとを押しつけられた感がある。

 政党政治に血道をあげる老獪な長鼻ども曰く「これはお主にとっても成果を上げる機会と心得よ」とのことだったが、


「若い女性の視点で見れば新しい発見があるやもしれぬ、か」


 思い返すにがっくりきてしまう。一体どれだけ考え方が古いのか。

 精霊指定都市。

 地主神じぬしのかみの不在を良いことに大原則を曲げてまでの画期的な施策だが、おそらく彼らは政権への不満のガス抜きぐらいにしか考えていないのだろう。

 もっとも、与党第一党である狐神稲荷党こしんいなりとうの連中には、また別の考えがあるのかもしれないが。


「客寄せパンダに仕立てる思惑が透けてみえるが……確かに機会には違いない、か」


 食後のお茶をぐいと飲み干し、卓上の赤い面を掴んで立ち上がる。


「ならば、ワシも勝負に出てみるとしようかの」


 どの道普通にやったところで出自が低い己に栄達の道が開かれるとも思えない。

 ならばいっそ、思うがままにやってみた方が面白い。

 なにより、かねてからの腹案を実行に移すには絶好のタイミングだ。


 女性の唇にはわずかな微笑み。

 澄んだ瞳はまだ見ぬ未来を見据えて強い輝きを放っていた。


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