できないこと。できること。

 秋も半ばとなれば日が落ちるのは早く、店を出る頃には空はずいぶん暗くなっていた。

 思ったよりも時間が経っていたという事実もさることながら、それ以上に一日の終わりを否応なく突きつけられるようで焦りを覚える。


 議会開催まであと二日。

 全力を尽くしているつもりではあるのだが、もしかしたらそれはただの「つもり」でしかないのでは、という疑いに何度も立ち尽くしてしまいそうになる。

 もちろん、焦ったところで何かが変わるわけじゃないと頭ではわかっているのだが。

 店の前で坂本兄たちと別れた俺、坂本、追風の三人は、駅前の買い物客で賑わうアーケード街をそれぞれの帰る場所へと歩きはじめる。


 途中、クローバーモールの前を通りかかった。

 立ち入り禁止の囲いで仕切られている大きな建物は焦げ跡も生々しく、暗闇の中に浮かび上がる曲線的なシルエットは傷ついた生き物が横たわっているようにも見える。

 誰かが献じていったのか、入り口の前には花束が置かれていた。

 もしかするとあの火事で亡くなった人もいるのかもしれない。

 追風の目に痛みの色が現れる。

 誰からともなく立ち止まり、黙祷。

 歩みを再開する。


「今日は来てくれてありがとな。二人とも」


 しばらく歩いてから坂本が切り出したのに、俺は後ろ頭をかいた。


「いや、あんまり大した話できなかったけどな」


 俺はほとんど横で聞いていただけだ。

 期待に応えられたとは言いがたい。

 しかし坂本はそんなことないってと唇の端を上げる。


「兄貴、今週ずっと悩んでたんだよ。何もできない自分が情けないって。だから今日朝田たちと話せてよかったと思う」


 ……そうだったのか。

 全然そんなふうに見えなかった。

 自分にできることを全力でやる、と言ったときの坂本兄の顔が脳裏をよぎる。


「でも、立派なお兄さんだよね。まじめそうで、仕事熱心で」


 追風に褒められ、しかし坂本はニヤリと笑う。


「今日の姿に騙されないでくれよ、追風さん。家じゃもっとだらしねえからさ」

「……そうなの?」


 意外そうな反応に、坂本のニヤニヤ笑いが深くなる。


「おう。部屋で服を脱ぎ散らかしてはしょっちゅう母親に怒られてるし。俺が貸したマンガも返せって言うまで絶対返してこねえからな」


 道中、色々な話をした。


 お互いの家族の話。

 住んでる場所の話。

 家で食べる飯の話。

 家族で出かけた旅行の話。


 いつも学校ではしないような話が多かったが、不思議と会話は途切れなかった。

 しばらく通りを進んでいき、太い交差点に出たところで坂本と行き先が分かれる。


「それじゃあ俺あっちだから。また明日、学校でな。追風さんもまた今度!」


 軽く片手をあげる坂本に、俺たちも手を振り返す。


「ああ、また明日な」

「暗いから気をつけてね、坂本くん」


 二人もなー、と声を残し坂本が遠ざかっていく。


「……追風は? 今日はこのまま帰るのか?」


 振り返りつつ尋ねると、坂本を見送っていた追風は小さく首を振る。


「ううん。病院寄ってく。だから途中までは一緒かな」

「そっか。つか、よくウチの方向わかるな。最後に来てから十年近く経ってねえ?」

「何度も遊びに行ったからねぇ」


 しみじみとした口調。


「それにしたってだろ。いま思うとうちってお前んちからすっげえ遠くなかった? よく遊びに来てたよな」

「お互いさまでしょ。朝田だって週に何度も遊びに来てたじゃん」

「そりゃあもう、親分に課せられたノルマがありましたからねえ」

「あー、そういえばそうだっけ。お互い、よく本気にしたよねえ」

「ほんとだよ。子供ってすげえ」

「うわぁ。朝田それオジサンくさい」

「うっわ、ひでぇ! すげえ傷つくんですけど!」

「それで、さっきからなに悩んでるの?」


 ……………………かなわねえな、ほんと。


 俺はせめて情けない顔を見られないように前を見つめながら、口を開く。


「みんなすげえな、って思ってさ」


 久住は技術で。

 園村は経験で。

 雅比は覚悟で。

 火狐神は信念で。

 そして追風は知識で。


 それぞれが壁に挑み、壁を乗り越えようとしている。

 事態の解決に全力を尽くしている。

 それに引きかえ、俺はどうだろう。

 大目に見てもせいぜい立ち会うぐらいしかできていない。


 もちろんそれで誰かが俺を咎めるわけじゃない。

 だが、俺は果たしてみんなの役に立てているのかと自問したとき、素直にうなずくことができない自分がいるのだ。


「俺には、何ができるんだろうな」


 この緊急時にいつまでもつまらないことを気にしているとは自分でも思っているのだが。


「ね、朝田」

「ん?」

「とうっ!!」

「ぐおッ!?」


 わき腹に手刀を突き込まれた。


「なに!? なんなんですかいきなり!?」


 するとなぜだか追風は満面の笑み。


「してくれたじゃん」

「……は?」

「私とお母さんを逃がしてくれたじゃん」

「ああ、でもあれは、」


 雅比のおかげだ、と続けようとするのに追風が言葉をかぶせてくる。


「そういえばまだちゃんとあのときのお礼を言ってなかったよね」


 追風が足を止め、くるりと俺に向き直る。

 目を合わせると、少しだけ俺のほうが背が高いことに今さら気がつく。


「助けてくれてありがとう。朝田」


 街の灯りを浴びた追風の顔に浮かんだ柔らかな微笑みが不意にきらめいて見え、照れくさくなって目をそらす。


「あー……うん。でも、あれもまぁ俺だけの力じゃないからさ」


 すると追風の微笑みが一瞬にして般若のそれに転じる。


「なに? 私なんかの感謝じゃ不足だって言いたいワケ?」

「うええええッ!? いやいやいや滅相もないですハイ! とても嬉しいです!」


 やっべえいま超必殺技ランプ灯いてたんですけど……!

 おかしい……! 感謝されてたはずなのになんで脅迫されてるの俺……!?

 ふんと鼻を鳴らして歩き出す追風を慌てて追いかける俺。弱いよ俺。


「……ひとりでできないと絶対にダメなの?」

「うん?」

「みんなと相談したり、みんなと力を合わせることって別におかしなことでもなんでもないでしょ? 自分だけにしかできないことが見つからないといけないの?」

「いや、まぁ。そいつはそうなんだけど」


 たぶん、不安なのだ。

 俺の価値を保証してくれる確かなものが何も無いようで。

 俺はこれがあるから役に立てるのだと断言できないようで。

 あるいはもしかしたらこういうのは男子にしかない感情なのかもしれないが。

 こう、俺TUEEE的な意味で。


「朝田は、朝田だよ」


 ぽん、と追風の手が俺の背中に触れた。


「朝田ががんばってるの、私はちゃんと知ってるよ」


 触れられたところから暖かいものが伝わってくるようだった。

 ありがたいな、と素直に思った。

 だからだろうか、するりと本音が口から零れる。


「……怖いんだよ。自分のやってることが正しいのか。ちゃんとみんなの力になれてるのか。ていうか何をすればいいのかさえ本当はよくわかってないかもしれない」


 すると俺の吐露を受けとった追風は微笑み、


「きっと、みんな同じだよ」

「……同じ?」

「久住くんも園村さんも。ミヤビさんも火狐神さんも。坂本くんの兄弟も、狐神稲荷党の神さまたちも、放送委員会のみんなも。朝田も、もちろん私も。――もしかしたら火雷天神も。自分がやってることが正しいかなんてわからなくて、不安で不安で、だけど立ち止まるわけにもいかなくて。保証なんかなくたって前に進むしかなくて」


 それで俺にも、追風の言っている意味がわかった。

 雅比も、久住も、坂本兄も。

 用いた言葉はそれぞれ違っていても俺に伝えようとしてくれたことは確かに同じだった。

 俺だけじゃない。

 みんな同じ不安を抱えながら、それでも前を目指して歩いているのだ。


「……なーんて、私が偉そうに言えないけど、ね」


 声のトーンが落ちる。

 追風の横顔には後悔が満ちていた。


「最初から火雷天神のことをみんなに話してればこんな大変なことにならなかったかもしれない。私のは、間違いだった」

「追風……」


 声の裏に秘められていた痛みに、俺はようやく気がつく。

 当時の彼女にとっては多分最善手に違いなくて。

 だけど、その最善手の先に広がっていたのは最悪としか言いようがない状況で。

 きっと今の今に至るまで、何度も自分のことを責めていたのだ。


「……私のせいだよね。私が隠してたりしなければ、クローバーモールの人だってさ……」


 懺悔するような呟きを最後に、追風は口を閉ざしてしまう。


「追風、違う」


 自然に声をかけていた。

 放ってはおけなかった。


「あいつは雅比たちより格上で、最初から実力行使を躊躇わなかった。あの時点であいつを止められるやつはどこにもいなくて、だから早いか遅いかの違いでしかなかった。つーか、俺が初めて園村から小火騒ぎのことを聞いたのは雅比と会った翌日だぞ。あいつはそもそも約束を守ってすらいなかった。最初からお前を踏み台にする気だったんだ」


 情報がない状態で火雷天神から持ちかけられただろう取引の内容を考えれば、俺だって同じ選択を取ったはずだ。

 そもそも街を破壊しているのは追風じゃなくて火雷天神なのだ。

 こいつが責任を感じる必要なんか、どこにもない。


「お前は別にみんなに迷惑かけようとか考えたわけじゃないだろ。それが一番いい方法だって思ったんだろ」

「――――うん」

「だったら誰もお前のことを責めたりしねえよ。仮にいたとしたって、そいつは当事者じゃないからそんなことが言えるんだ」


 人生にやり直し機能がついてないのはバグだと久住と言い合ったことを思い出す。

 人間は生身で生きているからどうあがいたって一度に二つの道は選べない。

 その事実はきっと、喜びよりも悲しみを、楽しみよりも苦しみを、幸せよりも不幸を、多く生みだしている。

 人生はクソゲーだ。

 取れる選択肢さえ限られている中、確信を持って選んだ道だって歩いたあとで後悔することがしばしばだ。


 ――――そしてそれでも、それでさえも、何もしないよりは絶対にいいはずなのだ。

 何もできないことと、何もしないことは確実に違う。

 だからこそ答えがわからなくとも前に進もうとするのだ。

 今、俺たちがこうしているように。


「お前はできることをやったんだ。一人で責任を感じる必要なんかない。俺が――俺たちが一緒にいるだろ?」

「……………………ありがと、朝田」


 ようやく追風は顔を上げた。

 間近から微笑みを向けられているとなんだか落ち着かない気分になり、俺は追風が何か言うよりも先に考えていたことを頼む。


「あー、その。雅比から頼まれていた調べもののことなんだけど、やっぱ俺ひとりじゃ無理みたいだ。協力してくれないか?」


 すると追風はにこりとうなずき、


「いいよ。こっちの準備はもう終わってるからね。時間もないし、今晩からやっちゃおう」


 その時、スマホに着信が入った。

 発信者は久住。

 なんだ、坂本兄と一緒にいるんじゃなかったのか?


「悪い。久住からだ」


 一言追風に断り、電話に出る。


「なんだよ久住、いったい――」

『朝田、テレビ見ろ! 今すぐだ!』


 スマホから迸った叫び声に、眉を潜める。


「テレビ? そんなこと言われたって……」

「朝田、あれ!」


 追風が鋭い声をあげ、電気店のショーウインドウに置かれたテレビを指さす。


 画面に注目していたのは彼女だけではない。

 偶然近くを通りかかったような人々までもが何故かテレビの前で足を止め、口々に驚きの声をあげている。

 俺はスマホを握り締めたまま吸い寄せられるようにテレビを見つめ、


 ――――そして俺たちは、「それ」を目撃した。

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