狐神稲荷党との対話

 放課後。

 放送室に集まった俺たち四人と雅比を前に、火狐神は改めて事情を説明した。


『昨日の動画が予想を超えて大きく広まったため、精霊指定都市候補地の外の人間たちにも神の存在が知られたことが党内で問題視されてるみたいです。もしも私の権限が停止されたら、雅比さんもこの地に留まれないことになります』

「一難去って、ってやつか……」


 俺たちは久住のノートPCを見下ろしながら黙り込む。

 事態はかなり深刻らしい。


『……とはいえ、与党の調査官が両者ともに罷免というのはあまりにも体面が悪すぎるからのう。よほどのことがなければそこまで踏み切らぬとは思うが』


 雅比の意見に室内の雰囲気が少しだけ緩む。


「そういや急に呼び出しちまったけど、今日は病院とか大丈夫だったのか、追風?」


 そう訊ねると室内の注目が追風に集まる。


「あ、うん。そのことでみんなに報告があるんだ」


 追風は小さく微笑み、


「――お母さんが、目を覚ましました」


 その報告で一気に場が沸いた。


「マジか!」

「わあああ、よかったねえ!」


 皆から口々に祝福を受け、追風は嬉しそうに頷く。


「退院までにはまだ少しかかりそうだけどね。これからはもう少し手伝えるようになると思う」


 追風はそこで一度空気をリセットするように咳払いし、


「ええっと。それで話を聞いてて思ったんだけど、ちょっとおかしくない?」

「おかしい……って、なにがだ?」


 そう聞き返すと追風はうん、と頷き、


「もともと精霊指定都市の制度って特定の地域で人間と神さまの交流を許そうというのが趣旨でしょ? だけどいざ制度をスタートさせれば、そんな話はすぐにでも世界中に広まるよね。いくらなんでもそれぐらい考えてたと思うんだけど」

『……うむ。確かにそうした議論はこれまでにもあった』

「ですよね? だったらいくら事前調査とは言っても、動画が広まったからというのは火狐神さんを咎める理由にはならないと思うんですけど」

「んー? それってつまり、もしかしたらなにかもっと別の理由があるんじゃないかってこと? つばさっち」

「うーん。多分、だけどね」


 追風の意見に全員で理由を考えてみるが、納得のいく理屈を思いつくことができない。


『……ふむ。これ以上は、直接話を聞いてみないことにはわからぬか』

「だな。相手の土俵がどこにあるのか探る必要がありそうだ。……それで火狐神、召喚ってやつに答えるにはどうすりゃいいんだ? もしかして出雲まで行く必要があるのか?」

『いえ、ここで大丈夫です。私がブラウザを介して先方の会議室と繋ぎますので。ええっと……USBで接続できるカメラってどなたか持ってませんか? こちらの映像を向こう側へ送信したいんですけど』

「あ、カメラなら備品にあるよ。ジャストアモーメントプリーズ!」


 園村は放送室の棚から小型のUSBカメラを引っ張り出し、ほいっと久住に手渡す。

 久住がノートPCとつなぐと接続テストなのか画面上に俺たち四人が映し出され、一瞬後には雅比の姿が追加される。


『はい。それでは皆さま、準備はよろしいですか?』


 火狐神の確認に、俺たちはお互いに顔を見合わせてから頷く。

 すると全画面表示されていたブラウザが一瞬ブラックアウトし、直後、左右を無地の壁で仕切られた和室の映像が映し出された。

 正面、脚が短い長机の向こうには三匹――三人?――の狐が横並びで座っている。

 もちろんこんなところにいるからにはただの狐であるはずもない。

 おそらくは彼らが火狐神の仲間、狐神稲荷党の面々なのだろう。

 部屋の左右は無地の白い壁で、奥には障子戸が設けられている。


『――火狐神、召喚に応じて参りました』


 火狐神が名乗りをあげると、しかし狐たちは激しく動揺した。


『ど、どうしたんじゃ火狐神! その声、その姿はっ!?』


 一番右端に座っていた狐が大きく身を乗り出す。


「えーっと、知り合いか?」

『はい。私を狐神稲荷党に誘ってくれた方で、調査官に推薦してくれたのも宗旦さまです。――――宗旦さま。端的に申し上げますが、私、女になったんです』


 モロッコにでも行ってきたような回答に、宗旦はバタリと倒れる。

 なんともコメントし難い微妙な空気が漂う。

 数秒の後、気力を振り絞るようにして身を起こした宗旦は四本足でこちらに駆け寄ってくると、どういう位置関係なのか愕然とした顔をブラウザいっぱいに寄せてくる。


『バカなッ! 人間界で何があったというのじゃ!!』


 純度100%のケモノ顔なのにはっきりと青ざめているのがわかるのは相手が知性を備えているからか。

 ありえないものを目撃したようにがくがくと身を震わせる宗旦に、火狐神は責めるような声音。


『だって宗旦さまも他の皆さまも、私の話をちゃんと聞いてくれなかったじゃないですか。だから、女になれば聞いてもらえるんじゃないかって思って……』

『な、なんじゃと!? それしきのことでお主、そのような決心を……!?』

『宗旦さまの言うそれしきのことが、私にとってはとても大切なことだったんです』

『うおおおおああああああすまなんだああああ火狐神いいいい! まさかお前さんがそこまで思い悩んでおったとはついぞ見抜けずにいいいい! わしはっ、わしはああああ!』


 床の上でのた打ち回る宗旦。

 インターネットの話から距離を置こうとした結果がこの有様じゃ後悔してもしきれないだろうなぁ……。

 七転八倒する宗旦に火狐神は優しく話しかける。


『私の話、これからはちゃんと聞いてくれますか?』

『ううううう、聞くとも、いくらでも聞いてやるとも……!』


 厳粛な会議室が一転、老人の愁嘆場と化していた。

 画面の向こう側の惨状に俺たちは言葉を失っていたが、しかし火狐神は明るい声で、


『やりました久住さん! 久住さんの言ったとおり、女の子になった効果バッチリでした!』

「おう。オレの言うとおりだっただろ!」

『はい! 久住さんのアドバイスに従って正解でした!』


 いや、なにがオレの言うとおりだよ!

 狐の爺さん、今にもポックリいっちまいそうじゃねえか!

 ツッコミどころしかないやりとりで、宗旦には可愛がっていた後輩をアレな方向に導いてしまった罪深き人物が誰なのかわかったらしい。


『き、貴様が元凶かあ! 貴様が純粋な火狐神を誑かしおったのかあ! おのれええええええッ!』


 過剰なほどの憎しみを画面越しにぶつけてくる宗旦に、しかし久住はしれっと言い放つ。


「ハァ? なに一人で勘違いしてんだよ。オレはちょっと火狐神に手を貸してやっただけだぜ?」

『手を貸した、じゃと……!?』

「火狐神はようやく本当の自分ってやつを見つけることができたんだぜ? それなのにお祝いのひと言もねえのかよ。全く、信じらんねえヤツだなあ」

『本当の自分じゃとお!? 祝いの言葉じゃとお!? 貴様あ! 言うに事欠いて貴様あああ!』


 血管が切れそうな勢いで吠え掛かる宗旦を、火狐神の声がひっぱたく。


『宗旦さま。久住さんは私の大切な人です。それ以上久住さんのことを悪く言うようでしたらいくら宗旦さまでも許しませんよ』


 その時の宗旦の顔の変化を一体なんと言い表せばいいのだろうか。

 たとえるなら、手塩にかけて育てた孫娘が都会で引っかかったろくでもない男を連れてきたときのような顔。

 正直、気の毒を通り越して申しわけない気分になってくる。

 しかし、このまま黙ってみていても話は進まない。

 どう収拾をつけたものかと思っていると、


『宗旦どの、その辺りで――』


 どうやら宗旦よりも上の地位にあるのか中央に座っていた狐が声をあげ、それで宗旦はようやく己を取り戻す。

 鼻息も荒く久住をにらみつけると、渋々といった様子で元の席へと戻っていく。


『……なんだか悪者になった気分じゃのう』


 雅比が苦笑ぎみに独り言。同感だ。

 場が静まったのを見届けると、中央の狐が改めて口を開く。


『――火狐神よ。貴君を呼び立てた理由は承知しておるな?』

『昨日の動画のことと伺っておりますが……、しかしながら精霊指定都市の制度を考えれば、候補地の外の人間に話が伝わるのは自然なことではないでしょうか?』


 火狐神が先ほど話し合ったときの結論を伝えると中央の狐は渋い顔。


『……ふむ。確かに貴君の言うとおりなのだがな……』


 言葉を濁して黙り込む。何かあるのだろうか。


『……ワシのこと、ですかな?』


 狐が躊躇った話の続きを引き取ったのは、意外なことに雅比だった。


「どういうことだ?」


 すると雅比は諦めたような笑みで、


『ワシが火狐神の補佐をしているのが気に食わない者がいる。そういうことじゃろう』


 かすかに動いた部屋の空気が、彼女の推測の正しさを物語っていた。

 それで俺にも薄々事情が読めてきた。火雷天神……ではないだろう。

 おそらくは――、


『風神天狗党、ですな?』

『……雅比殿に非がないことは承知しております。ですが今はデリケートな時期でして、ご理解いただければ……』


 狐が深々と頭を下げる。


「なんだ? つまり、どういう話だよ?」


 久住の問いに答えようとしない画面の中の住人たちに代わり、俺は胸くそ悪い想像を口にする。


「雅比を調査官から罷免したのに、候補地に留まって仕事をしてるんじゃ示しがつかないってケチつけられたんだろ。風神天狗党と狐神稲荷党は連立与党だから立場上断りにくいんだよ。……そういうことだろ?」


 返事が無言であることが想像の正しさを物語っている。

 腐ってやがるな、と久住が吐き捨てる。


 どこまで足を引っ張れば気が済むんだ、あいつら……!


『……ワシが退けば委細問題はないのですな?』

『仰るとおりです』

「おい、雅比!?」


 しかし雅比は詫びるように目尻を下げ、


『火雷天神の人間界での振る舞いについては聞き及んでおりましょう。私が去った後も引き続き対応を願えますかな?』

『……雷神建御党に政権を譲り渡すわけにはいきませんからな。後任として相応の者を当てることを約束しましょう』

「いや待てよ早まるなって! もう少しみんなで方法を考えようぜ!」

「そうだよ雅比ちゃん! せっかく盛り上がってきたのにここで降りちゃうなんて大損だよ!」

「……あの話の準備は今も進めてます。諦めるのは早いんじゃないですか?」


 久住たちが口々に引き止めるのに、だが雅比は静かに首を振ってみせる。


『――確実性がない以上、その話に頼るわけにもいかぬじゃろう。今ここで風神天狗党までをも敵に回すことはできぬ』


 くそ、ふざけやがって!

 あいつらの都合で党を抜けさせられたのにこの上最後に残された道まで奪おうなんて、そんな馬鹿げた話があってたまるか!

 絶対なにか別の方法があるに決まってる!

 なんとか雅比を思いとどまらせようと口を開けたとき、


『――――お断り申し上げます』


 火狐神が、凛、と空気を震わせた。

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