二章 神は沈黙し、人は奔走する
崩壊の炎
翌日、放課後。
「――ンでさぁ、あいつアドオンの好みとか結構うるさいんだわ。なにが一番いいのかちゃんと知ってるっつーか」
「いやおめえの方がうるせえし! つかいい加減ウゼぇぞお前!」
俺は校門を抜けながら、久住のノロケ話に延々と付き合わされていた。
今日は朝からずっとこの調子だ。
あまりにもウザすぎて苛立ちを通り越して逆に笑えてくる。
どうしてこうなった。
「なんだよ心の狭いこと言いやがって。お前こそ雅比とはどうなんだよ」
「どうって、なにがだよ」
「なんだ、ってお前、自分のスマホにしか映らない女の子とかすげえシチュエーションじゃねえか。何とも思わねえのかよ?」
「俺は別に……」
瞬間、脳内で昨日の雅比の痴態がロードされかけるが、無理やり平静を装う。
あれは、……そう。コメディとかそういうジャンルに分類されるものだ。
「なんとも思わねえよ。つーか俺、火狐神の顔も見てねえんだぞ。そんなに美人だったのか?」
「いや、オレも見てねえけど。声と同じで、確固たる実体はないって本人も言ってたしな」
「マジかよお前!? それで萌えるとか言ってんのか!? どんだけ上級者なんだよ!」
「つかオレ、ぶっちゃけ見た目とかどうでもよくなってきたわ」
俺は久住をガン見した。
なんか今すげえこと言いませんでしたか?
「オレはあいつがいいやつだって知っている。あいつと話してると楽しい。それで十分だろ。顔や身体のあるなしなんて、どうでもいいや」
「ま、マジで言ってんのかお前!?」
ヤベぇ、なんか久住が輝いて見える……!
客観的にはブラウザをカスタマイズして喜んでるド変態なのに、悟りでも開いたような神々しさだ……!
「くそ、このヘンタイめっ! いい気になるなよ!」
しかし俺の言葉を聞いた久住はオーゥと外人みたいに大げさな仕草をしてみせる。
「悪いな朝田。オレには今、心の余裕ってもんがあるんだわ。お前の安い挑発には乗ってやれないぜ」
そこでこいつはなにを勘違いしたのか微笑ましいものを見るような顔をしてくる。
「まぁそうヤケになるなよ。そのうちお前にもいいことあるって」
不覚にも俺は目を逸らしてしまった。
くそっ、くそっ! なんだこの悔しさは!
理不尽だ! 変態のくせに!
そんなこともあって、前方を歩く追風の姿に気づいたのは久住が先だった。
「お。あれって追風さんじゃね。おーい、追風さん!」
追風が振り返る。
昨日に比べると調子はよさそうだ。
「久住に、朝田? どうしたの?」
「ああ。オレちょっと追風さんにお礼言っとかなきゃって思ってさ! 火狐神を紹介してくれてマジでありがとな!」
「ええ? ど、どういたしまして。あと追風でいいよ。……そんなに仲いいの、彼と?」
「ああ、もうサイコーだわ! まぁ、彼じゃなくて彼女になったけど」
「……は? なにそれどういうこと?」
目が点になった追風に、道すがら久住が事情を説明する。
話を聞き終えた追風は一言。
「……はぁ、神さまって何でもアリなのね」
『聞き捨てならんぞ追風の娘よ!』
奇しくも俺と同じ感想に至った追風に、雅比が速攻で異議申し立てする。
「で、朝田はなんでさっきから黙ってるの?」
「あー、なんかちょっとショックな事があったみたいなんだわ。よかったらなぐさめてやってくれよ」
「ウゼえ! さっきから本格的にウゼえぞお前! なんだよその上から目線は!」
「ふーん。なんかあったの? 事と次第によってはなぐさめてあげなくもないけど」
にやにやしながら絡んでくる追風。
絶対笑いものにするつもりだろコイツ……!
「……別に大した話じゃねえよ。相手を好きになるのに顔や身体なんて関係ないとか久住が言い出すからちょっとビビってただけだ」
すると追風は目を丸くして、
「へええ! なんだ久住、かっこいい事言うじゃん! ちょっと見直したよ!」
「ああ? 別に思ったこと言っただけだよ。中身があれば見た目なんてなくていいだろ」
「そういうのが普通に言えちゃうのがすごいんだよ。ふーん、そうなんだー」
追風の中で、久住への評価が急上昇していく。
な、なんか言い方ミスったか俺……?
『おお、そうじゃ追風の娘よ。調査のことで相談があるんじゃが、今から少し時間を取れるかの?』
雅比に頼まれ、追風は首を傾げた。
「今からですか? 母と買い物の約束がありますけど……、少しなら大丈夫ですよ」
「ふーん、親御さんと仲いいんだな。オレんち共働きであんまりそういうのなかったからちょっと新鮮だわ」
「あーそうなんだ。久住も大変だね。まあ、うちお父さんいないから余計にだと思うよ」
いないから、という追風の言葉からは湿った匂いはしなかった。
当たり前だ。おじさんが死んでからもう何年も経っているのだから。
それでも俺は、でかい口を開けて笑うおじさんの顔を思い出す。
似合いの親子だな、といつも思ってたことも。
「命日って、夏だったっけか」
蝉鳴山のあだ名どおり、蝉がやかましく鳴いていたのを覚えている。
「――よく覚えてるね朝田。うん、そうだよ。七月」
「そっか。あーでも、神社だと命日はやらないんだっけか?」
「一応ね。でも大丈夫。うちはその辺りテキトーだから。……ありがと。覚えててくれて」
はにかみ笑いをした追風は、仕切り直すように明るい声を出した。
「で、相談でしたっけ。良いですよ。なんですか?」
『うむ。実はな――』
だが、言葉の続きは俺たちの予想とはまるで違うものとなった。
『スマホを前にかざせッ、朝田ッ!』
「は? なんだいきなりお前、」
『神通力じゃ! 早うせい、間に合わぬッ!』
切迫した声に慌てて従う。瞬間、
―――目も眩むような閃光。
激しい炸裂音と、そして衝撃。
わけもわからず音の方角を仰ぐ。
向かって右手。
歩道に立ち並ぶ街路樹のうちの一つが、幹の半ばから砕け、黒く焼け焦げていた。
落雷だ。
驚きから立ち直った理性が答えを導き出した時、
『――フン。やはり当たらぬか』
踏み潰したはずの蟻が生きていたとでも言いたげな声が、スマホから響く。
『貴殿は――!』
かざしたスマホには、平安時代の貴族みたいな姿の男がいつの間にか映っていた。
端正な顔から感情は窺えず、黒曜石のような瞳は無機質な光をたたえている。
『雷神建御党の調査官、火雷天神だ。短い付き合いとなろうが、知り置け』
「――なんのつもりですか! 話が違います!」
真っ先に眉を逆立てたのは、驚いたことに追風だった。
知己であるような振る舞いに、雅比が眉をひそめる。
『どういうことじゃ、追風の娘よ? かの神を知っておるのか?』
「……黙っててごめんなさい。その人から口止めされてたんです。――でも、どうして! 黙っていれば乱暴をしないって約束したじゃないですか!」
追風から糾弾され、男はわずかに眉を持ちあげる。
『不思議なことを言う。なぜ神である私が人間との約束などに縛られねばならんのだ。道理に合わん。そも、人間ごときが神を縛れるなどと自惚れるのが間違いというもの。よくよく覚えておくことだな』
「――っ」
絶句した追風に代わり、雅比が男を問いただす。
『火雷天神殿、ですか。……今の攻撃はいったい何のつもりですかな?』
『攻撃? いや、そのようなおおげさなものではないが。そこな人間どもを一網打尽とすれば、多少は貴様の動きを妨害できるかと考えただけのこと』
……つまり今の雷はこいつの仕業ってことか?
こいつ、俺たちに当てるつもりだったのか……!
『風神党の。今の与党に期待をかけた事など一度もないが、中でも貴様は気に食わん。そのような機械に己が現身を預けるばかりか、人間などを補佐におくとはな。見下げ果てたぞ』
火雷天神ははっきりと蔑みの視線を向けてくる。
それを受け止める雅比もまた、表情に力を込めて応じる。
『……聞き捨てなりませんな。政令指定都市は人間との協調を目指して掲げられたもの。貴殿の物言いは、その精神に真っ向から反しているように聞こえますが』
『くだらんな。神通力の問題があり、解決のための手立てを探る。ただそれだけの話だ。後付けの話にいちいち付き合うほど私は愚かでも暇でもない』
『……つまり貴殿は、人間との協調は最初から目指すつもりがない、と』
『最初からそう言っている。……良い機会だ。貴様ら与党の悠長なやり方との違いというものを教えてやろう』
サイレンが近づいてくるのに気付いたのは、その時だ。
数台の赤い消防車が大急ぎで目の前の道を走り過ぎていく。
その行く手、駅前を南北に抜ける大通りの方から黒い煙が上がっている。
『市中に火を放った。人間どもの畏れを呼び覚ますには、古来より大火と相場が決まっているからな』
「――このクソ野郎ッ! 澄ました顔で言いやがって!」
俺が叫ぶと、火雷天神はハエにたかられたように顔を歪める。
『騒々しいぞ、人間風情が。今の世には何十億という数の人間がいるのだろう。たかだか数百やそこら減ったところで大して違いはあるまい』
こいつ……っ!
『……先ほど貴殿は私を見下げ果てたと言ったが、それはこちらも同じこと。無辜の人間を苦しませて平然としているなど、神の風上にも置けぬ。――火雷天神よ、よく覚えておくといい。これ以上暴虐を重ねるつもりならば、ワシが貴殿を止める!』
雅比の見せた決意に、あろうことか火雷天神は呵呵大笑した。
『フッ――――ハハハハハハッ! 少々見直したぞ、風神党の! 与党にはびこる有象無象と同様、体面を優先するだけの輩と思っていたが、少しは骨があるらしい! 雅比と申したな。ならばその時を楽しみにしておこうか。……もっとも、貴様ごときに遅れを取るつもりはないがな』
背筋が凍りそうな笑みを残し、火雷天神の姿が掻き消える。
息を吐きだした雅比が俺たちへ何か言おうとし、しかしそれよりも早く久住が重大な情報をもたらした。
「おい、
「う、そ……っ!?」
地元の複合商業施設の名前に、追風の顔から血の気が引いた。
久住が示したスマホの画面へ、震える指を伸ばす。
「おかあさんと待ち合わせてた……っ」
――オイうそだろ!?
「……おかあさんっ!」
追風が駆けだした。急いで俺たちもそれに続く。
「追風、先におばさんに電話してみろッ! つながるかもしんねえ!」
後ろから声をかけると、追風は走りながらスマホを耳に当てる。
火事が起こる前にモールの外へ出ている可能性は十分あるはずだ。
もう避難できてる可能性だって同じくらいある。
だから頼む、つながってくれ……!
……五秒。
…………十秒。
………………十五秒。
だが、電話がつながった様子はない。
追風はスマホを固く握りしめたまま、さらに足を速める。
二つ目の交差点で赤信号に捕まり、先を行く追風と分断された。
信号無視するには車が多すぎる。追風の背中がみるみる遠ざかっていく。
目で追い続けるのもやるせなく、代わりに俺は雅比へ問いをぶつける。
「オイ雅比、さっきのクソ野郎は一体なんなんだよ!?」
『――噂には聞いたことがある。かの者は人間の畏れから生まれ落ちた、災厄を司る神だ、と。朝田よ、お主、菅原道真の名は知っておるか?』
「知らねえよ誰だよそれ!」
どこかで聞いた気もするが、正直それどころじゃない。
『知らぬとも差し支えはない。かつて菅原道真が非業の死を遂げたとき、彼を陥れた者らに次々と災厄が降りかかった。その災厄を彼の恨みと呼び、畏れはじめた者らがおった。その畏れからきた信仰がかの神の由来じゃと、そのように聞いておる。かの神にとって、人々の畏れを自らの力の源とするのは、自然なことなのかもしれぬ』
「なんだよ畏れって! お前そんなこと一度も言ってなかったじゃねえか!」
『……すまぬ。わざわざ話すようなことでもないと思い、あえて言わずにいた』
「なんだよそりゃ……!」
信号が青になり、疾走を再開。
通い慣れた道を駆け抜け、大通りに出る。
なにかが焼け焦げる、いがらっぽい臭い。
ひっきりなしに響き渡るサイレン。
人々の怒声や悲鳴。
俺はクローバーモールの方向を見やり――そこで言葉を失った。
この町のランドマークのひとつでもある地上五階建ての巨大な建物が激しく燃え上がっている光景は、これまで俺が見たどんな映像よりも遥かに破滅的なものだった。
その足元に幾台もの消防車が集まっているが、何しろサイズ差がありすぎる。
焼け石に水、という不吉な言葉が脳裏をよぎる。
「ちっくしょ、なんだよあれ!」
悪態をついた久住もまた、俺と同じように足を止めてしまう。
萎えた背中を押したのは、雅比の声だ。
『朝田よ。あの建物の前までワシを連れてゆけ。力を貸そう』
「なんとかできるのか?」
画面を見つめると、雅比は任せろ、とうなずいた。
『仮にも火伏せの大天狗にあやかっておるのじゃ。ここで力を振るわずしてなんとする!』
「――わかった、頼む!」
野次馬たちの間をすり抜け、クローバーモールの正面、消防車の列のすぐ外側まで移動する。
押し寄せる熱気。何かが崩れる不吉な音。
素早く左右を見回すが、人が多すぎて追風を見つけることはできない。
防火服に身を包んだ消防隊員たちが消火活動を続けているが、進捗は良くない。
雅比は無言で動作に入った。
画面の中、いつかのように羽団扇を手に取り、炎上するクローバーモールへ一閃。
瞬間、迸った薫風が消防車と消防隊員の間を通り抜けて建物へ到達、ろうそくの火でも吹き消すように一帯の炎を消し飛ばす。
完全に消しとめるには及ばないが、それでも目に見えて火勢が衰えた。
自然ならざる現象に消防隊員の間から戸惑いの声が上がるが、消火活動が効果を上げはじめる。
クローバーモールの中から、消防隊員に先導されて人々が脱出してくる。
五体満足で出てくる者。
身体を支えてもらいながら歩く者。
明らかに意識がないとわかる者。
一人一人注意しながら見ていくが、おばさんの姿は見つからない。
もしかして、既に脱出できていたのだろうか。
電話がつながらなかったのは何かの偶然で。
――――だが、そんな甘い期待はただの一瞬で砕かれた。
「おかあさん! 目を開けて、おかあさんっ!」
様々な雑音が溢れる中、その悲痛な声は真っ直ぐに耳の中へ飛び込んできた。
一台のストレッチャーが救急隊員に押されて救急車へ運び込まれていく。
ストレッチャーに横たえられた女性にすがりついて泣き叫んでいるのは、十年来の付き合いの幼なじみだ。
猛然と身体が前に進んだ。
救急車の目前まで来たとき、青い影が視界を遮る。
「なんだキミは! 邪魔をするな!」
救急隊員の剣幕に怯みかけるが、追風を指しながら声を張り上げる。
「――そいつ、追風んちは母子家庭なんです! 一人じゃほっとけないッ!」
厳めしい顔に、逡巡の色が浮かんだのは一瞬。
「付き添い一名追加! ――早く乗りなさい!」
「ありがとうございます!」
頭を下げて救急車へ乗り込む。
タラップを上がる時に近くの隊員が手を貸してくれる。
車内では追風が目を閉じたおばさんの手をきつく握りながら声をかけ続けている。
彼女の隣へ腰を下ろしたところで重い響きと共に背後の扉が閉じられる。
耳が痛くなるようなサイレンを鳴らして救急車がゆっくりと発進する。
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