火狐神(……)、降臨

 ところがその日の出来事にはまだ続きがあった。

 あれから家に帰ってくつろいでいたところに、久住から電話がかかってきたのだ。

 なんだかひどく狼狽していて話の要領をつかむのに苦労したが、一言で説明するとこうなるようだった。

 すなわち。ブラウザがしゃべった。


『こ、こんばんはっ! ボク、火狐神ファイヤーフォックスのかみって言います! 狐神稲荷党から派遣されてきた調査官です!』

「いやヤバすぎるだろおまえ!」


 久住宅へ乗り込んだ俺が目にしたのは、ディスプレイ全面を使って嬉しそうにWELCOMEの文字を点滅させるブラウザの姿だった。


『そんなにボクのセンスはヤバいですか! うれしいです! 色々なサイトを回って研究してきた甲斐がありました!』


 少年じみた声の持ち主がなにやら感極まった様子で叫ぶと、ブラウザ上に大量の新規タブが生成され、「あ」「り」「が」「と」「う」「で」「す」とか紙芝居的に表示が変化する。

 途中から原っぱを駆けるキツネをモチーフにしたパラパラ漫画に切り替わり、無駄に芸が細かい。


「オイ朝田、おめえからも何とか言ってやってくれよ! これじゃ落ち着いてブログも読めねえよ!」

「いや、お前はいったい俺に何を期待してるんだ!? お宅様のブラウザさんは結構なお点前ですねぇとかコメントすりゃいいのか?」


 とにかく久住が電話口で混乱していた理由はよくわかった。こんなもん、口じゃ説明しようがない。


「とりあえずクロームでも使ってればいいんじゃね?」

「そうするとなんかクロームの起動がキャンセルされてこいつが立ち上がってくるんだよ! ボクというものがありながらとか言ってよ!」

「最初から入ってるブラウザならどうだよ」

「それを使うなんてとんでもないとか言いながらやっぱり立ち上がってくるんだよ!」


 なるほど一理ある。じゃなくて。


「なぁ雅比、こいつもお前の知り合いなのか?」


 G3Sを起動すると、たった一日でだいぶ見慣れた雅比の姿が現れる。


『うむ。こうして直接顔を合わせるのは初めてじゃが、評判は聞き及んでおる。まだ生まれてから間もない神だが、インターネットへの造詣にかけては右に立つものなし、とな』

「そりゃそうだろうなぁ」


 他にどんな奴がいるのかは分からないが、こいつに勝てるヤツなんてそうそういないだろう。調査官に選ばれたのもうなずける。


『あぁっ! ももももしかしてあなたは雅比さんですかっ!』


 俺たちのやりとりが聞こえたのか、火狐神ははしゃいだ声を出す。


『や、やっぱりそうだ雅比さんだ! 風神天狗党の、美人すぎる天狗さんですよねっ! ボク、ファンなんです! あの、よかったら握手してください!』


 それを聞いた雅比は素直に相好を崩す。


『む、そうなのか? 握手ぐらいならばお安い御用じゃ。……ほれ』


 何をどうやったのか知らないが、裏側でそのような事が成立した気配。


『やったあああ! うれしいです感激です! ボクもう一生セキュリティアップデートしません!』

「いやそれはしろよ!」


 手を洗わない小学生みたいな事を言いだす火狐神へ久住が突っ込みをいれる。

 だがなにぶん有頂天に達しているようで、耳に入っているかどうかからして怪しい。そもそも耳があるのかも怪しいが。


「おい雅比。さっき自分の事を宣伝用の旗だとか言ってた割には、ずいぶん嬉しそうな顔してんじゃん」

『む、なんじゃ、つまらぬ事を気にするのじゃな朝田は。それはそれ、これはこれというやつじゃ』


 俺のからかいに開き直ったような態度で応えると、あらためて雅比は火狐神へ話しかける。


『火狐神よ。お主、狐神稲荷党の調査官と言っておったな』

『あっ、はいそうです! 今日が仕事はじめです!』

『狐神稲荷党と風神天狗党の間では協定が結ばれておるな。ならばお主はワシと協力して調査にあたる、と思って良いのかのう?』

『はい大丈夫です! 党の方たちからもそうするように言われてます!』

『わかった。ところで、何故この者のところへ来たのだ? ワシとしては都合がいいが』

『それはさっき追風神社で跡継ぎさんから紹介されたのでそうしました!』


 また追風か……!

 あいつ、一言ぐらい俺たちに断ったらどうだよ……!


『なるほど、事情は分かった。ならば、よろしく頼むぞ。火狐神』

『はい! こちらこそよろしくお願いします、雅比センパイ! あっ、すみません! 雅比さんのこと、雅比センパイって呼んでもいいですかっ? 嬉しくてつい前後が逆になってしまいました!』


 そう言われて雅比はちょっと考えこむ。


『……党が違うからな。やめておいたほうが無難じゃろう。他党の者から癒着だのなんだのと詮索されるとめんどくさいぞ』

『あっ、そうか、そうですよねご迷惑かかっちゃいますよね。すみませんそこまで頭が回ってませんでした……。じゃあ雅比さんって、さんづけで呼びますね! うわあ。なんだかすみませんボクみたいなのが雅比さんと対等っぽい口をきいちゃって!』


 火狐神の恐縮ぶりに、さすがに雅比が苦笑する。


『事実、調査官としては対等じゃからな。そこを失念してはお主の同胞たちに悪いだろう』

『同胞……そうですよね……』


 それまで忙しなく動き続けていたブラウザが、ぱたりと停止した。

 火狐神はなんだか微妙な雰囲気を伴って沈黙する。


『……あ、あの、雅比さん。雅比さんは結構長生きしてらっしゃいますよね?』

『長生きと言っても、たかだか三百年かそこらじゃよ』

『それでもボクなんかより全然すごいですよ! 経験もあって、貫録もあって!』

『ふむ。つまりワシが歳だと言いたいわけじゃな?』

『い、いえ! いえいえいえ! 全然決してまったくそんなこと思ってないです!』


 冗談めかした雅比の返しに再び画面がくるくると動きはじめ、恐縮、とか、想像の埒外、とか、滅相もない、とか、そのようなフレーズで検索した結果が次々表示される。


『ただちょっと助言をもらえたらな、って思って!』

『助言とな?』

『はい。……あの、こんな事を初めてお会いしたかたに相談するのも恥ずかしいんですけど、ボク、まだ生まれてから間もないのもあって、あんまりみなさんに馴染めてないんです。その……、なにか、違いって言えばいいんでしょうか。そういうのを時々感じることがあって。ボクは、あの人たちとはちょっと違うみたいって言うか……』

『ふむ。違い……か。お主の生まれを気にするものがおるとか、そういう事か?』


 雅比の口調が幾分真面目なものになるが、火狐神の返答は少なくとも彼女の予想とは異なるものだった。


『い、いえ、そうじゃないんです。みんなとっても優しくしてくれます。でも、ボクがなにか喋るとみんな変な顔するんです』

『……どういうことじゃ?』

『はい。あの、たとえば、インターネット、って口にしただけで、突然みんな耳が遠くなったり目を逸らしたりお腹が痛くなったり用事を思い出したりして、とにかく散々なんです。そんな長い横文字は覚えてられん、とか逆ギレされたり、それ儂も知ってなきゃダメかなあ、とか引かれたりして』

『……得心がいった。こう言ってはなんだが、狐神稲荷党はおじいちゃんが多いからのう……』


 雅比はちょっと同情するような顔をする。なんだかひどく馴染みがある話だ。


「ジェネレーションギャップってやつか?」

『そのようじゃ。いかに寿命が長いとはいえ、各々の生きてきた時代というものは当然あるからのう。しかし、確かに難題じゃな、それは……』


 ふうむ、と考え込む雅比。そもそも相手が興味を持ってくれなければ理解するもしないもないからなぁ。


「いや、オレお前の気持ち結構わかるわ……」


 そこへ口を挟んできたのは、この部屋の主だった。


『え、ほんとですかっ! 人間なのにっ!?』


 驚いたように訊き返す火狐神へ――というかブラウザが映っているディスプレイへ――久住は共感を示すように頷く。


「おう。俺も昔からネットっておもしれーなぁって思って知り合いに色々話してみるんだけど、ちょっとディープなところになると、なかなかうまく伝わんなくてよー」

『そ、そう! そうなんですよ! みんなにボクの事分かってもらおうと思ってWWWとかHTTPとかIPとか色々話してみるんですけど、全然伝わらなくて!』

「あー。そうだよな。その辺りの専門用語に入ると、かなり話の通りが悪くなるよな。たとえ話でもしないとうまくねーんだろうなぁ、って思ってんだけどよ」


 盛り上がる二人をぼけっと眺めていると、雅比が難しそうな顔をして聞いてくる。


『のう朝田よ。だぶりゅだぶりゅだぶりゅーとかいうのはなんじゃ?』

「ああそれは……」


 説明しようとして口が止まる。……ううむ。普段当たり前のように使ってるけど、正しく説明するとなると自信がない。


「……ちょっとあとで話すわ。なんか分かりやすいページとかあると思う」

『ふむ、そうか。ではその時まで待とう』


 などとやり取りしている間に、久住と火狐神はなんだか意気投合してしまったらしい。


「よし、わかった! オレ、お前が自分のことをみんなに理解してもらえるようになるの、手伝うわ!」

『えええええっ、ほ、ほんとですかっ!? うれしいですありがとうございます!』


 感謝しきりといった様子の火狐神へ、久住はさらりと質問を投げかけた。


「ところでお前って、男? 女?」

『ええっ、ボクの性別ですかっ? ど、どっちなんだろ……』

「さっき雅比に話しかけてた感じからすると、男っぽいよな。ファンとか言ってたじゃん」

『あ、はい。雅比さんかっこいいなーって思って憧れてました。だから好きとかそういうのではない感じで……』

「普段はどうしてんだよ? たしか出雲議会とか言ったっけ、他の神と会ったりしてるんだろ。見た目とかどうしてんだ?」

『あーはい。そもそもボク、由来がブラウザなのではっきりとした姿かたちが決まってるわけじゃないんです。人間のイメージを集めても男だったり女だったりで……』


 なんだか変な方向へ話を進ませていく久住を眺めながら、雅比へ訊いてみる。


「なぁ雅比、自分の性別がわからねえとかってありえるのか?」

『……んんん、どうじゃろうなぁ。付喪神のなかには、性別のないものもおると聞いたことはあるが』

「付喪神って、モノに宿る神様だかなんだか、そんなんだっけ? 確かに付喪神といえば付喪神か……」


 などと話しているうちに、久住は致命的な決定をくだした。


「よし分かった。じゃあ今日からお前は女な!」

『ええええっ! なっ、なんですかそれ!?』

「だってこだわりないんだろ?」

『こだわりっていうか、確かにあんまりそういうの考えた事はないですけど……』

「じゃあいいじゃん。オレもその方がやる気出るし。この声ってどうなってんの?」

『こ、声ですか? インターネットで公開されていたデータを流用してます……』

「ってことは他の声でも良いわけだよな。ならもっと女の子っぽい感じで頼むわ」

『えええっ? ま、待ってください! ボク、ほんとに女じゃなきゃダメなんですか!? 男でもいいんじゃないですか!?』


 他人に自分の性別を決められるというかつてない事態に抵抗を試みる火狐神。

 だがそれを聞いた久住は、わかってねーなぁ、とエラそうに腕を組んだ。


「ちょっとぐらい話が通じなくても、相手がかわいい女の子なら大体みんな聞いてくれんだよ。男の口からわけわかんねえ話されたって、そんなのウザいだけだろ。他人に話を聞いてもらいたいなら絶対女だ」

『う、うざ……っ!? ――わ、わかりました。ボク、今日から女でいきます……!』


 よし、と久住は親指を立てる。オイ久住お前なんだよその理屈はよお! ひどすぎる展開を目の当たりにして俺と雅比は動揺を隠せない。


『な、なんじゃ? いま何が起きたんじゃ? ええい朝田よ、ちょっとワシにわかるように説明せい!』

「いや、俺だってわかんねえよ! お前が目で見て耳で聞いたことが全てだろ!」


 く、久住っ、久住よぉ、お前ってやつはマジですげえなぁ!

 まさかブラウザに性別を強いるとは思わなかったぞ……!

 確かに普段から、ブラウザはカスタマイズしてなんぼだとか言ってるけどさぁ……!


『あの、久住さん。試しにこんな感じの声にしてみたんですけど……』


 先ほどまでの少年ボイスはどこかへとしまわれ、変わりに春先の陽気を思わせるような少女然とした声がスピーカーから響いてくる。ありえないレベルのギアチェンジに、衝撃で鼻血が出そうになる。


「おお、いいじゃんいいじゃん。落ち着いた声の方が見くびられねえかもだけど、お前の性格ならこっちの方がいいだろ」

『そ、そうですか。じゃあひとまずこれでいってみます』

「あとついでに一人称も私に変えちまおうぜ。今のままでも味わい深くていいけど、オレ、ゲームでは正統派から攻略する方だし、そっちの方がフォーマルな印象がしてウケがいいだろ」

『正統派……? わ、わかりました。私ですね。私、私……、――あ、そうだ言い忘れてました。あの、雅比さん』

『え、あ、な、なんじゃ!?』


 変更したばかりの声で話を振られてしどろもどろになる雅比へ、火狐神が告げる。


『他の党、野党側の調査官ももう来てるみたいです。注意したほうがいいと思います』

『――分かった。留意しよう』


 その忠告を、雅比は一瞬前までとはまるで違う真摯な態度で受け取った。

 警戒すべき相手である、と、つまりはそういう事らしい。

 野党は強硬派だと雅比が言っていたが、一体どんな奴なんだろうか。

 まぁ、実際に会ってみないとなんとも言えないな。


 ――さて、とりあえずこれで用事は済んだか。

 久住も落ち着いたみたいだし、雅比も他には何もなさそうだ。


「じゃあ俺、そろそろ帰るわ」


 一言声をかけると、火狐神と話し込んでいた久住が振り返る。


「ああわかった。来てくれて助かったわ。また明日、学校でな」

「おう。また明日」


 手を挙げて部屋を後にする。

 前に聞いたところによると、久住の両親は共働きで、二人とも遅くまで帰らないらしい。

 無人の廊下を通りぬけて玄関から表に出た。冷えた夜気が肌に心地いい。


「なぁ雅比」

『うん? なんじゃ朝田』

「神様って、マジでなんでもありなんだなぁ……」

『いやお主いま絶対何か誤解しておるじゃろ!』

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