彼女の事情
煙いような甘いような、どこか懐かしい匂い。
追風の家に上がらせてもらうなんて一体何年ぶりだろうか。
神棚に手を合わせてから居間に向かうと、おばさんは年代物のちゃぶ台の上に湯飲みを二つ置いてくれた。
「ごめんねぇ、せっかくきてくれたのにお茶ぐらいしか出せるものがなくって。つばさなら、もう少ししたら戻ってくるはずだから」
「いや、ほんと構わなくて大丈夫なんで」
「あら、そういうわけにもいかないわよ。一輝くん、本当に久しぶりじゃない。わざわざうちに来るなんて、何かつばさに大切な用事があるんでしょ?」
「あー、まぁ確かに大切と言えば大切かもしれないっすね」
大切という語は元々、大いに切迫するという意味らしいからな。
追風には是非とも筋の通った話を聞かせてほしいところだ。
「でしょう? こう、高校生らしい甘酸っぱぁぁぁい用事が今からあるわけでしょう?」
なんか誤解されてるぞ……!
おばさんの顔を見る。
一昔前の少女マンガみたいに目がキラキラしてる。
「――いや。全然そんなことないんで」
「やあだあもう一輝くんたら照れちゃってぇ! 大丈夫よ、おばさん邪魔なんかしませんから!」
「いや、もうほんと、照れてるわけじゃないんで」
「わかってるわかってる。あとは若い子たちに任せることにして、お邪魔虫さんは消えまーす」
うわー話全然聞いてくんねえし。
おばさんはニコニコ笑いながら立ち上がり、「一輝くん、ガンバ!」俺に向かってバチーンと濃いウインクを決め、部屋から出ていく。
――そうだったこういう人だったなぁ。
「……強烈なお母さんだなあ。追風とは違う意味で」圧倒されたような久住の反応。
「ああ。昔から男女とみるとくっつけたがる人だったわ。今思い出した」
「あー、そういやお前って追風さんと幼馴染なんだっけ」
「頼むからその話は勘弁してくれ。カネなら出す」
「そこまでかよ……」
久住は言葉を切って、畳敷きの居間をぐるりと見回す。
「ところで、親父さんは何してる人なんだ? やっぱり、神社だし神主さんだったりするのか?」
ああ、そうか。その話はしておかないとだった。
俺は少し声を低くして久住に答える。
「追風の親父さんはあいつが小さい頃に亡くなってるんだ。何かの事故だったって聞いてる。だからあいつの前でその話はナシな」
「え、マジで?」
「マジだ。俺も見舞いにきたからな」
ちょうどそのとき、廊下の向こう側から足音が近づいてきた。
ふすまが開く。
Tシャツにジーンズの私服姿で追風が立っていた。
眉の角度が危険な兆候を示している。
……なんだろう?
「あんたたち何のつもりよ。ていうか、さっきの今でよくも顔を出せたわね。もしかしてリベンジのつもり?」
……あー、そうだったそうだった。
そういやそんなこともあったな。
色々ありすぎて完全に忘れてたわ。
道理でここに来る途中、身体が痛いなーとか思ったわけだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、彼女の疑念を晴らすことにする。
「フハハハハよく分かったな! そうだ追風リベンジだ! ここで会ったが百年目、倍返しにしてくれる!」
「人のうちまでやってきてイイ空気吸ってんじゃないわよこの馬鹿! あんたたち今すぐ表に出ろ!」
「いや待て待てお前らナニ言ってんの!? ちげーだろ! そうじゃねーだろ! つか勝手にオレまで巻き込むんじゃねぇよ!」
久住が必死の形相で両手をぶんぶん振りまわし、全力で場の空気をリセットしにかかる。
「オレたちがここに来たのは、雅比とかいうやつが追風さんの名前を出したからだよ!」
「……雅比? それホント?」
追風の表情から強ばりが抜け落ちる。
「ああ。ほんとだ。ほら、これ見てみろ」
本来の目的を思い出した俺は追風にスマホの画面を見せる。画面を覗きこむ追風に、雅比が話しかけた。
『過日は世話になったな。追風の娘よ』
「……ホントだ。この前の人だ」
うんうん頷く追風。
「なぁ追風。なんかお前が俺たちのことを紹介したとかこいつから聞いたんだが、どういう事だよこれ」
仕切り直しの意味も含めて訊ねる。
「ああ、それね。……この前、境内を掃除してたら突然その人の声が聞こえてきたのよ。そういうことがまれにあるとは聞いてたから落ち着いて話を聞いてみたんだけど、」
「ちょっと待った。そういうことってなんだ?」
「神さまから話しかけられることよ。古くからある神社の家の子は、時々そういう経験があるの」
イギリスにホームステイした経験があるの、みたいなノリで言ってのける追風。
マジかよ、初めて知ったぞそんな話。
「それで、話を聞いてみたらスマートフォンの使い方に詳しい奴を探してるみたいだったから、朝田と久住のことを紹介したわけ」
まさかこんな事になってるとは思ってなかったけど、と追風は話を畳む。
なるほど、マジでこいつの紹介だったのか……。
「一応聞くけど、何で俺たちなんだよ?」
「そりゃ、私が知ってる中で一番スマホに詳しそうなのはあんたたちだからよ」
そこで追風は、ふふんとからかうように笑い、
「それに最近暴れっぷりが目に余るから、ちょっとぐらい面倒ごと押しつけてやろうかなー、とか? なにかあってもあんたたちなら夢見が悪くならないし」
「夢見が悪くならないって部分、もうちょっとちゃんと聞かせてもらってもいいっすかねぇ! つーか、スマホに詳しいヤツを探すって、どういう理由なんだよ?」
神通力がどうのとか言ってた気はするが、理解できてない。
というか追風の名前が出てきた時点で頭の中から全部ぶっ飛んでいる。
「その辺りの話はまだ聞いてなかったかな。改めて聞かせてもらってもいいですか、雅比さん?」
『うむ。それを話そうと思っておったのじゃ』
追風の促しに、少しばかり長くなるが、と前置きして雅比が語り始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます