三十六計、マジ大切
動きは小さく仕事は正確に。
俺はスマホを持ち上げ、追風たちが談笑しているところへそっとカメラを向けた。
G3Sは安定して動作中。
相手に気づかれないようすばやく被写体を画面内に収め、ピントが合ったところで撮影ボタンを押す。
一瞬の間を置いて画面が変化。
ターゲットの全身画像の上に幾つかの数字が表示される。
よし、カンペキだ。
だが、俺はターゲットのカンのよさを甘く見ていた。
一体いかなる力が働いたのか、追風がくるりと振り向いたのだ。
マズい。
スマホ越しに目が合った瞬間、追風の怒りゲージが一瞬で天井をブチ破った。
「なにしてんのよアンタらはあああああああああッ!」
飢えたライオンも逃げ出しそうな怒声をあげ、猛烈な勢いで突っ込んでくるのに、俺たちは大慌てで撤収する。
「やっべえ逃げろ!!」
「なんで今のがバレるんだよ!?」
荷物をつかんで階段へ逃げ込むが、陸上部の俊足が尋常ではない速さで距離を詰めてくる。
「こら待て逃げるな!」
「いや無理無理!」
二段飛ばしの全速力で駆け下りるも、背後からは機銃掃射めいた足音が凄まじい殺気を帯びて迫ってくる。
なんとか三階ロビーに辿り着いたところで、廊下を行くかこのまま下り続けるか一瞬迷った。そこに、
「あーもうめんどくさい!」
だっ、と床を蹴る音がしたかと思うと、だんっ、と真後ろからすげえ地響き。
「ちょ、おまえいま何段飛ばしたよ!?」
「……っくっく、陸部なめんじゃないわよ……?」
地獄の蓋を裏側からノックするような声に心臓が縮み上がる。
いやもう陸部とかゼンゼン関係ないっすよねソレ!?
階段はダメだ。
久住に目で合図し、追風の着地ディレイが続いているスキに最寄りの教室へ飛び込む。
家庭科実習室では調理部が活動中だった。
クッキーでも焼いているのか、部屋中に香ばしい匂いが満ちている。
しかしそれを楽しむだけの余裕は今はない。
突然の俺たちの乱入に戸惑いの声があがるが、かまわず奥へと進んでいく。
「失礼しまーす」来た!「この部屋に朝田と久住、来てますよね?」
視線が俺たちに集中した。
え、あの二人がウワサの? といったささやきも混じっている。
「どーもどーもぉ、お騒がせしてますー」追風は調理部の面々に愛想を振りまきながら部屋へ入ってくると、俺たちと彼女の間を隔てる
うわああやべええ目が超マジだ。一言ミスったら死ぬ配置……!
俺たちはじりじりと出口の方へ移動しながら弁明を試みた。
「いや誤解だって追風、俺たち別に変なことしてないぜ?」
「だったらどうして逃げたりするのよ! さっきのあれ、写真でも撮ってたんでしょ? あーいうの盗撮って言うんじゃない?」
盗撮という危険ワードに反応してこちらに注目していた女子たちのまなざしに殺意がこめられる。マズい。
「いやほんとそういうのじゃなくて、ちょっとアプリのテストをしてただけでさ、」
「だったらそれ、今すぐ見せなさいよ」
「そ、それはちょっとすぐにはできない事情がありまして……」
言葉尻を濁す俺に、追風のまなじりがギリギリと引き絞られる。
「まあ待てお前らちょっと落ち着けよ。みんなわかってねえなあ」
窮地に陥った俺を見かねたのか、久住が口を挟んでくる。
さすが頼りになる!
「隠れて撮るからスリルがあっていいんじゃねえか。隠密行動は男のロマンだぜ?」
部屋の空気が冷蔵庫並みに冷え込んだ。
わかってねえのはお前だよ! それじゃ完全に盗撮魔じゃねえか!
案の定、追風はぎゅっと目を細め、俺たちに判決を下す。
「……語るに落ちたわね。みんな、あいつら捕まえるの手伝って! 女子の敵よ!」
「「了解ッ!」」
じりじりと距離を詰めてくる調理部一同+一名。
くそ、仕方ねえ……!
俺はスマホを高く掲げ、爆弾のスイッチを握りしめた犯罪者のように声をあげた。
「いいかよく聞けお前ら! このアプリで写真を撮ると、服が全部透けてハダカの写真ができる!」
一同の表情に戦慄が走った。
スマホを向けた。
学校中を揺るがすほどの悲鳴が上がった。
阿鼻叫喚とはこの事だ。
部屋の出口へと殺到する女子たちからゾンビでも見るような眼差しを浴びせられる。
完全にヘンタイ扱いだが、逃げ出すなら今しかない。
女子たちの動きに巻き込まれて追風がもみくちゃにされているうちに、俺たちはもう片方の出入り口から脱出した。
前後ツードア方式の教室を設計した奴はマジで偉大だと思う。
そしてそのまま全力疾走。
早くも後ろから聞こえてきた怒声に追いつかれまいと逃げていると、横合いから俺たちを呼び止める声があった。
「お二人さん、こっちこっち」
一人の小柄な女子が放送室の中から手招きしていた。
放送委員会の
選択の余地もなく部屋の中へと飛び込む。
……あれ、これって袋のネズミじゃね?
泡を食う俺たちに、園村はニッと笑って口元で人差し指を立てた。
「だいじょーぶ。おまかせあれ」
閉じた扉の向こうで、だっだっだっという力の入った足音と、追風の声。
「あ、橋本くん。朝田たち、このあたりに来なかった?」
「朝田? ああ、あいつらなら向こうの方へすごい勢いで走っていったぜ。なんだ、またなんかやったのか?」
「あれ、向こう? おっかしいなぁそんなに足早かったっけあいつ、うんわかったありがと!」
だっだっだっだっ。
追風の気配が遠ざかっていくのに大きく息を吐いた。
「ほらね、大丈夫だったでしょ?」得意そうに胸を張る園村。
「サンキュ、助かったぜ園村」
「気にしなさんな、困ったときはお互いさまよ」園村は満面の笑みを浮かべて手を差しのべる。「じゃ、三千円ね」
「――――ハ?」
なにかの聞き間違いかと思った。
園村を見上げると、彼女は再度要求してくる。
「お助け代として三千円頂戴します。いやー、悪いね。学校からのシケた予算だけじゃとてもやってけなくてねー」
「おいマジかよ聞いてねえぞ!」
「しかもたけえよ!」
食ってかかる俺たちを、園村は指一本で押しとどめる。
「おぉっとあたしが誰だかお忘れかな? 放送委員ですよ放送委員。そしてここはあたしのお城だよ。いいのかなーそんな態度で。全校放送のゲリラライブで、誰かさんの隠れ場所をバラしちゃおっかなー?」言いながら園村は放送設備のスイッチを入れはじめる。「イエーイ、ゴーゴー!」
「クソが!」俺たちは部屋から脱出しようと扉を押す。だが開かない。「おい何だこれ!」
園村がくるりと振り返り、悪魔じみた笑みで言い放つ。
「あはーん。そうくると思って、委員会のメンバーに向こう側から押さえてもらってるの」
どんだけ気合入れた罠だよこれ! くそ、完全にはめられた。
仕方ねぇ……。
観念して財布を取り出し、大事な大事な野口さんたちを断腸の思いで園村へ引き渡す。
だが、園村は俺の千円札を優しい手つきで押し戻した。
「ヤダな、一人三千円だってば」
血も涙もない要求に俺たちは園村の顔をガン見した。
ヤクザかコイツ……!
園村は俺たちから巻き上げたカネを満ち足りた表情で懐にしまうと、意気揚々と部屋から引き揚げていく。
「毎度ー。それじゃごゆっくり~」
「くそ、犬にでも噛まれろ!」
扉が閉じ、部屋には俺たち二人が残される。
沈黙。
不意に久住が低い声で笑いはじめた。
気持ちは分かる。
たかだか写真一枚のために数十人の女子からヘンタイ扱いされて、あまつさえカネまで強請り取られ、
しかしそれでも俺たちは――、
「「勝ったッ!!」」
ハイタッチを決め、しばし床の上で笑い転げる。
いやー、一時はもうダメかと思ったが、なんとかなるもんだなあ!
ひとしきり勝利の味に酔いしれたら、次は戦利品の確認だ。
スマホのスリープを解除すると、先ほど撮影した追風の全身画像が現れる。
「さあどうよどうよ!」
「OKちゃんと撮れてる。いいか読み上げるぞ。――84、62、80!」
全身画像の横に表示された推定スリーサイズを読み上げると、久住が快哉を上げた。
「おおおおおマジで! あいつスタイルいいなあ!」
「だな、ほらこれ」
スマホを渡すと、久住は再度歓声を上げる。
自分で組んだアプリが良い働きをするところを見るのは、開発者にとって興奮モノなんだろう。
「しっかしさあ。さっきの朝田のデタラメ、効き目ものすごかったなあ。みんなすげえ勢いで逃げてったぞ」
「それだけ俺たちが信用されてるってことだろ。悪い意味で」
「悪い意味でな」ひひひ、と久住が笑った。「透視機能なあ。実装できたらマジで神だけど」
「だな。でもま、これそろそろリリースしてもいいんじゃね?」
「かもな。有料で出してもいけるかもしんねえ」
「確かに。使ったときのドキドキ感半端ねえしなぁ」
最初に思いついたときは殆ど冗談だったが、まさかここまで形になるとは思わなかった。これも久住の技術力があってのことだな。
「売り上げ出たらどうする? 9:1でいいよな?」
「オレが9だろ? 文句ないぜ」久住が答える。
「馬鹿言え9は俺だ。1はお前」
「ハアありえなくね? これ作んのにどんだけ苦労したと思ってんだよ! 絶対オレが9だね」
「わかったよ俺が悪かった。じゃあ8:2で行こう。俺が8な。お前が2。さっきの倍なら満足だろ?」
「ふざけんなさっきの倍っつーならオレに9の二倍で18よこせよ!」
「18! マジうける! どんな数字のトリックだよそれ!」
「一個売れたら八割お前が補填してくれるんだろ。マジ太っ腹じゃね? いやぁ尊敬しちゃうわー。……ま、いいや。そろそろ大丈夫だろ。出ようぜ」
「だな。まーなんだかんだ言って楽勝だったなー」
放送室の扉を開ける。
――ずらりと並んだ女子一同の真ん中に追風が立っていた。
「用事はもういいの?」菩薩的な微笑み。
え、なにこれ? なにがおきてるの?
きょろきょろ見回す。
完全に包囲されている。
「いやー、めんごめんご。お二人さん」
ひょこっと首を出した園村の口から事情が説明される。
「さっき間違って機材の電源つけっぱなしで出てきちゃったよ。だからお二人さんの会話、全部校内に流れちゃった。ま、ドンマイ!」
ドンマイじゃねえよ馬鹿! カネ返せ!
だがそんな魂の叫びを口にするより先に、女子一同が軍隊よろしく一歩足を前に踏み出す。
俺は久住と顔を見合わせ、極力彼女たちを刺激しないよう恐る恐る切り出した。
「あー……その、なんといいますか。……放送中、不適切な発言がありましたことを深くお詫びします」
しかし追風はまるで笑顔を崩さずに首を振る。
「大丈夫だいじょーぶ、ぜーんぜんそんなことないよー。ねー、みんなー?」
そうそう私たちぜんぜん気にしてないよ心広いし。
うふふふふあはははは。
不気味なほど和やかに笑いあう女子一同。
俺たちもそれに合わせて無理やり笑ってみるが、ヤバい汗が止まらない。
やがて誰からともなく笑い声が収まり、和やかな雰囲気の残骸みたいなのが廊下の向こう側へ転がっていったあたりで、追風がひどく平べったい声を出した。
「――――――――じゃ、覚悟はいい?」
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