コーヒーと下宿。
1、僕の家
「やあ、良く来てくれた。俺がコウジの兄のサワノダ・リューイチです」
「はじめまして。ハルノシマ・サエコです。どうぞよろしくお願いします」
「さあさあ、どうぞ中へ。とりあえず落ち着こう」
兄がサエコを案内して居間のほうへ歩いて行く。僕の婚約者がそれに従い、両手にトランクを持った僕が最後尾になった。
「どうぞ、ここで休んでいなさい」
兄に
「今コーヒーを
兄は、僕と違って
テーブルをはさんでサエコの正面に座った。僕はあらためて彼女を見た。可愛らしい顔を間近で見ているだけで何だか心地良い気持ちになった。
「さあ、どうぞ」
兄がコーヒーカップをサエコの前に差し出す。
「ありがとうございます」
「砂糖を使うようだったら、ここに有るよ」
テーブルの砂糖壺を引き寄せて少女の前に置く。
「ありがとうございます」
もう一度、サエコが言った。
僕の前にもマグカップが置かれた。
「ありがとう」
兄は
「さて……これからの予定だが……」
「兄貴、まずは彼女を部屋へ案内して、ひと休みしてもらったらどうだ? 長旅で疲れているんだから」
「その部屋の事なんだが……」
「何だよ、何か問題でもあったのか? とりあえず祖父さんの部屋を使ってもらう、って話になっていただろう」
「まあ、そうなんだが、な。よくよく考えたら一年以上経っているとはいえ死んだ年寄りの、それも男が使っていた部屋に若い女性を住まわせるというのも、どうかと思ってな」
「あ、あの、私のことなら気にしないでください。雨つゆをしのぐ事さえできれば……」
「兄貴、いきなり何を言い出すんだよ。今朝まではその予定だったじゃないか」
「本当のことを言うとな……実は、ちょっと気になって今朝お前が駅に向かったあとでマサテノ先生の所に電話をしたんだ」
マサテノ先生というのは、オッドヤクート町で開業している医師の事だ。
「ええ? 医者がどうしたって? サエコの部屋と医者と何の関係があるんだよ」
「他に相談する相手も居なかったからさ……良いか、よく聞けよ、コウジ……祖父さんが死んでから一年。俺は、お前の保護者として、お前の健全な成長に責任を感じながら日々を過ごしてきた」
「何だよ、いきなり。そりゃ感謝してるよ」
「しかし俺自身、まだ二十一歳の独身者であり、青少年の健全な育成に対して圧倒的に経験が足りていない。それも自覚している。そこで経験豊富かつ専門知識のある人生の先輩に教えを乞うた訳だ。我が弟の婚約者がやって来る前に、な」
「だから、何を……」
「マサテノ先生は、こうおっしゃった。『たしかに法律上、二人の婚約は認められているのかも知れない。しかし医学的見地から言わせてもらえば、生物学上の一大イベントを経験するのは、男女とも、もう少し肉体的な成熟が進んでからの方が好ましい』……と」
「どういう意味か分かんねぇよ。その『生物学上の一大イベント』って……あ」
兄が何を良いたいのか分かった。
「ば、ばか! な、なにを言い出すかと思えば、そんな……」
自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。
サエコの顔をまともに見る勇気は無かったが、横目でチラリと覗いたら、彼女も顔を真っ赤にして
「果たしてお前たち二人が肉体的にそれが可能な段階にあるのか、どうか……俺は知らない。知りたくもない。さらに言わせてもらえば、俺はまだ甥っ子も姪っ子も欲しくない」
「甥っ子姪っ子、て……だいたい俺はそんな事をしようなんて気はこれっぽちも
「いいや……そんな気が無くても、一つ屋根の下で暮らしていれば過ちを犯してしまうのが人間だ。ホルモン盛りの十代なら、なおの事だ」
「ホ、ホルモン盛り、って兄貴……」
「そこで俺は、はたと思い出した。そうだ、ヨネムスさん
「つまり……」
「そう。二人に社会的な責任能力がつくまでの間、サエコさんにはヨネムス家に住んでもらう。下宿代は俺が払う。ヨネムスさんには、もう電話して話を付けて置いた。これは決定事項だ。コウジの保護者……いや今日からは二人の保護者だな……である俺の判断に従ってもらう」
「ぐぬぬぬ」
どう言い返してやろうかと考えている僕の袖を少女が引っ張った。
「コウジ……私は、お兄さんのおっしゃる事はもっともだと思う」
そして兄の方を向いて、こう言った。
「お兄さんの決定に従います。余計な出費になりますが、それは良いのでしょうか」
「大丈夫、気にしないで。祖父さんが残してくれた農場は充分に広いし、土地が肥えていて生産性が高い。冬場の修理業も調子良いし、金銭的な余裕は有るよ。せいぜいコイツにも頑張ってもらって下宿代ぐらいは稼いでもらうさ」
そう言って、兄は僕を指さした。
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