僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

青葉台旭

第一巻

もえもえで来た少女。

少女が町にやってきた。

1、汽車を降りた少女


 その朝、僕は駅のプラットフォームに立って、遠くの街からやってくる汽車を待っていた。

 冬場は曇りがちで雪の多いこの地方にしては珍しく、その日は朝から良く晴れて寒さもそれほどキツくはなかった。

 ポケットから懐中時計を出して見る。定刻どおりならそろそろのはずだ。

 遠く伸びる線路の先に、水素ボイラー式蒸気機関車が吐く白い湯気が見えた。

 独特の低い鼓動が聞こえる。最初は小さかった音が、機関車の姿が近づくにつれて大きくなっていく。

 駅のずっと手前から汽車が制動を掛け始めたのが分かった。フォーンと汽笛が鳴り、速度を落としながら黒い車体がホームに入ってくる。後に続く深緑色の客車の列。

 最後にしゅーっとシリンダーから蒸気を吐いて蒸気機関車が停まった。

 客車の扉が開く。この駅で降りた乗客は十人と少し。

 僕の相手はすぐに分かった。プラットフォームに降りた人のうち、同年代の少女は一人しかいなかったから。

 あわてて手に持ったスケッチブックを開き、予め「ハルノシマ・サエコ様」と書いておいたページを少女に向け、よく見えるように頭の上に掲げて、ゆっくりと少女の方へ歩いた。

 向こうも僕に気づいたようだ。革製のトランクを二つ、両手に一つずつ持って近づいてくる。

 荷物が少し重そうだった。僕は早足になった。

 お互い一メートル半の距離で足が止った。

「あ、あの、ハルノシマ・サエコさん、ですか?」

「は、はい」

「僕、サワノダ・コウジです。初めまして」

「は、初めまして。ハルノシマ・サエコです。こ、これからの人生、ど、どうぞよろしくお願いします」

 僕らは二人同時にペコリと頭を下げ、二人同時に頭を上げた。改めて少女の姿を見た。

 頭のてっぺんが僕のアゴと同じくらいの高さ。

 うなじの高さで切り揃えた黒髪。少し見上げる感じで僕を見ている大きな瞳。さくら色の頬。

 薄い緑色に染めたロングコートを着ている。華奢きゃしゃな体つきなのがコートの上からでも分かった。

 自分が一瞬で彼女を好きになってしまった事に、そのとき気づいた。


2、朝食


 話は二週間前にさかのぼる。

 その朝いつものように僕と兄は、兄の作った朝ご飯を食べた。

 祖父じいさんが死んで、僕ら兄弟二人だけの生活が一年以上も続いていた。

 炊き立てのご飯に、ジャガイモの味噌汁、キャベツの漬物と、目玉焼き。朝食としては定番中の定番だ。

 食い物に対して……というより、食うこと、食うという行為そのものに対して人一倍の愛情と神経を注ぐ兄が作る料理は、単純なのに、旨い。

「軍じゃ、ろくなもの食わせてもらえなかったからな」

 時々、料理をしながら兄は言った。

「その反動だろう」

 いつもどおり米粒ひとつ残さず食べ、箸を置いて兄に感謝の言葉を述べる。

「ごちそうさま」

「おう、おそまつ」

 言いながら兄は、釜の蓋を開け、自分のどんぶりに三杯目の白飯しろめしをよそった。

 全く、良く食う。

 今年二十一歳になる兄は、成長期まっ只中の十四歳の僕のよりも食う量が多い。

 それでいて体に余分な脂肪は付いていない。背が高くガッシリした体つきだが、肥満体ではなかった。

 祖父さんが一年前に亡くなり、この広い農場を兄が相続した。

 機械の支援があるとはいえ農業は肉体的にキツい仕事だ。僕も手伝っているが、どんなに頑張っても十四歳の少年ガキの労働力などが知れている。

 事実上、広い農場の管理はほとんど兄一人がやっていると言って良い。

 だから、いくら食っても太らないのか? 重労働に従事しているから?

 しかし今は冬。農作業は無い。

 それでも兄は夏場と同じように大飯おおめしを食らい、かつ、筋肉質の引き締まった体形を維持していた。

 ひょっとしたら僕の知らない所で訓練に励んでいるのかもしれない。

 冬場の農閑期、兄は機械の修理屋のような仕事をする。軍に居たころに一通り叩きこまれたとかで、ハードウェアの分解、組み立てから、ソフトウェアの書き直しまで何でもこなす。

 納屋には軍の放出品の万能工作機が置いてあり、足りない部品を自分で作ってしまう事もあった。

 ごつい外見からは想像できないが、兄は几帳面な性格で手先が器用だったから、修理の精度の高さは町ではちょっとした評判になっていた。

「朝飯を食い終わったら町へ行ってくるが、何か買ってきて欲しい物は有るか?」

 食後のコーヒーを飲みながら兄が聞いてきた。

 僕自身、町に用事がある事を伝える。

「今日は来週分の学習薬がくしゅうやくの配給日なんだ。僕も一緒に町へ行くよ。乗せて行ってくれよ」

 僕の住んでいるオッドヤクート町の教育委員会は学習薬の飲用を認めていた。町の子供たちは個々に処方される薬を飲み続けるだけで義務教育を完了することが出来る。

 学習薬は必ず本人が受け取りに行かなくてはいけない決まりになっていた。

「よし。じゃあ、八時半に出発しよう」

「分かった」


2、町へ


 食べ終わった自分の食器を流しで洗ってカゴに入れ、いったん自分の部屋へ帰る。

 洗面所で歯を磨き、シャワーを浴びて下着を替え、シャツを着てジーンズをはく。

 上から中綿のハーフコートを羽織って、冬用のブーツを履き、玄関から外へ出た。

 戸を閉める前に大型ロボット犬のジーディーが走って来て外へ出た。

「何だ? お前も行くのか?」

 戦争が終わって軍から帰って来た兄が手土産に持って来た放出品の一つ。ロボット軍用犬だ。正式なシリアル番号はGD何とか何とかって三十二桁の英数文字で表されるらしいが、僕らは頭二文字を取ってジーディーと呼んでいる。

 ロボット犬は、雪で覆われた僕の家の……正確には一年前に死んだ僕の祖父さんの家の……前庭を嬉しそうに尻尾を振りながら走り回った。

 まったく、本当に軍用犬なのかと思う程、ジーディーに搭載された感情ソフトウェアの表現力は豊かだ。

 家にある二台のクルマのうち、大きい方……キャブオーバートラックを兄がガレージから出して来た。

 並列三人掛けのキャビンの運転席に兄、助手席に僕、真ん中にジーディーが乗り込む。ジーディーはいちいち言わなくても自分の居場所が分かっている。

 ジーディーの胸からデータリンク用のコードが蛇のように伸びて、トラックのコネクターを探し当て、接続。

 常温液体水素ディーゼルエンジンが、ぶるんっと一回大きな音を立てて目を覚まし、アイドリング状態になった。

「ジーディー。オッドヤクートの中央通りに向けて出発進行」

 ハンドルから手を放したまま兄がロボット犬に言った。誰も触れていないアクセル・ペダルが動き、クラッチが切れ、コラム・レバーが一速に入って、ハンドルが回り、キャブオーバートラックはゆっくりと敷地の外へ出た。

 約三十分の道のりを、オッドヤクートへ向けて走り出す。

 僕の家から町までの道は未舗装路だ。今は雪で覆われている。雪の上を四輪駆動のトラックが走る。

 道の両側には真っ白な雪原が広がっていた。

 春になれば雪の下から広大な農業用地が姿を現すが、今は見渡す限り白、白、白だ。

 十五分程走った所、ちょうど僕の家とオッドヤクート町の中間にポツンと一軒、農家が建っていた。

 農家の前に年老いた男が一人立っているのが見える。

「ヨネムスさんだ。挨拶をしよう……ジーディー、クルマを停めてくれ」

 僕らの乗るキャブオーバートラックは、ヨネムスさんの家の前で停車した。

「こんにちは」

 運転席の窓を開けて兄が声を掛けた。

「やあ、サワノダさんのリューイチ君じゃないか。それにコウジ君も。兄弟そろって町へ行くのかい?」

「はい。町の青年会館に用事がありまして」

「ははあ……嫁さがし、か」

「ええ、まあ……」

 兄が言葉をにごす。

「良い娘が見つかるといいね」

 そう言ったヨネムスさんの顔が少し寂しそうだった。

 ヨネムス家には一年前まで娘さんが二人いたけど、今は二人とも家には住んでない。彼女たちを思い出したのかもしれない。

「長いこと良い返事が無いから、今はもう、そんなに期待はしていません。形だけの登録です。ところでヨネムスさんは何をやっているんですか?」

「立て看板さ」

 兄の肩越しに覗くと「下宿人募集。女性希望」と書いてあった。

「へえ。下宿人探しているんですか」

 兄が老人にたずねた。

「アキナが遠くの都市まちへ行ってしまったからね。本当は帰省した時のために空けて置くつもりだったんだが、当の娘自身が、ぜひ誰かに貸して生活の足しにしてくれ、って言うものだから。帰省した時は居間のソファでも何処どこでも寝るから……もあるし、って……まあ、そこまで言うのなら、アキナの言うとおりにさせてもらおうかと思って、こうして看板を立ててみたのさ。どうせ冬場はひまを持て余してるし手作りの看板立ててみるのも悪くないと思ったんだ。もちろん町の不動産屋には登録済みだ」

「なるほど……」

 それから互いに挨拶を交わしてヨネムスさんと別れた。

 ジーディーに合図をして再びトラックを発車させる。

「女性の下宿人希望……ねえ」

 運転席の兄がボーッと窓の外を眺めながら言った。

「町から離れてポツンと建つ一軒家にわざわざ下宿したいって女が居るものかね」

「でも、あそこの奥さんの料理、美味しいよ」

「まあ、な……お呼ばれするたびに違った料理がテーブルに並んでいた所を見ると、手持ちのレシピも沢山ありそうだしな。家の中も小奇麗こぎれいだったし、住めば快適だろう。しかし、いかんせん立地が悪いよ」

「町からの距離で言ったら、僕らの家は、もっと遠いけど」

「そりゃそうだ。俺の嫁さんがなかなか見つからないのも、ひょっとしたらそれが原因か?」

「まさか」

 そんな無駄話をしているうちに、ジーディーの操るキャブオーバートラックはオッドヤクートの中央通りへ入って行った。

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