心の準備が……
「よろしい」
ヨネムス夫人は満足そうに言った。
「それから他に何の話をしていたかしら?」
「ええと、確か『前の出入り口』と『後ろの出入り口』について」
兄が答えた。
「俺は、前の入り口以外使わないなぁ、って話をしていました。構造上、それの方が都合が良いって」
「で、ですよねぇ! お兄さん!」
サエコが兄に
「や、やっぱり女の子の体の構造上、前からの方が……」
「女の子の体? サエコさん、
「僕は、後ろの入り口も使うべきだと思うな」
「ひいい!」
僕の言葉に、サエコは
「サエコ、何で、さっきから両手でお尻をガードするような真似をするの? どこか体の調子でも悪いの?」
「い、いいえ……そういう訳じゃあ……」
奥さんの問いかけに、サエコは曖昧な笑みを浮かべた。
そして上目づかいで僕を見た。
「あ、あの……コウジ……う、うしろの方は、どっちかって言うと『入り口』っていうより『出口』だと思うの……や、やっぱり、そこからコウジが入って来るのは無理がある、っていうか……」
「何言ってるんだよ、サエコ。『出たり入ったり』してみないと駄目なんだよ。
たまに『出たり入ったり』しないと、具合を確かめられないだろ」
「ぐ、具合って言われても……」
「開いたり閉じたりして、さ」
「ひ、開いたり閉じたりするの?」
「そう。それで動きが悪ければ、手入れをしなきゃ」
「け、結構です! お手入れぐらい、自分で出来ます!」
「まあ、そう言うなよ。こういう事は男の仕事だって。ちゃんと滑りが良くなるように油を塗って……」
「す、滑りが良くなるように、あ、油を塗って……」
「そう。機械油」
「き、機械油! ……あ、あの、コウジ……いくら何でも『機械油』は、無いんじゃないかなぁ……そ、その……いちばんデリケートな部分でもあるし……
そ、それに、私とコウジのどっちに塗るのかは知らないけど、コ、コウジの健康のためのも良くないと思うの……き、機械油なんて」
「だから、こういうのは男の仕事だって。僕が塗って滑りを良くしておくよ。それに機械油が駄目って言ったって、じゃあ他に何を塗れば良いんだよ」
「よ、良く分からないけど……せ、せめて天然成分百パーセントとかの……ローション? みたいな物を……」
「天然成分? ローション? サエコ、お前なにを言ってるんだ? ……まあ、何にせよ『後ろの出入り口』も、時々使って見なくちゃ駄目なんだよ。使わないと、汚れているかどうかも分からないだろ? ちゃんとキレイになっているかを確かめなくちゃ」
「そんなとこ確かめないで! ちゃんとキレイにしてます! 毎日お風呂で洗ってます!」
「お風呂? いま言っているのは、お風呂じゃなくて『後ろの出入り口』の事だろ」
「サエコさんは、きっと、お前の
兄が僕に向かって言った。
「さっきも言ったろう? 何事も度が過ぎるのは良くない、って。キレイ好きも程々にしろ、って事さ。……ねえ、そうですよね? ヨネムスさん」
「まあ、ね。キレイ好きも度が過ぎると、女としては重荷に感じるかもね」
「ああ、それなら大丈夫だよ。サエコが負担に思う必要は無いって」
僕はサエコを見て言った。
「もし汚れていたら、僕が黙ってキレイにしておくから」
「黙ってキレイにしないで下さい! せめて、ひとこと言って下さい! て言うより、恥ずかしいから
「遠慮するなって。夫婦になれば一緒に住むわけだし、
タワシでゴシゴシ磨いたりしてさ」
「
「どうぞ、どうぞ」
僕らが言うと、サエコは立ち上がって台所へ歩いて行った。
「大丈夫かな?」
兄が心配そうに言った。
「さあ……どうでしょう……もし本当に気分が悪そうだったら、
ヨネムス夫人が言った。
兄が頭を
「ヨネムスさんの地獄耳には
「何しに行くの?」
「フジカニさんの旦那さん、今度の戦争で戦死されたじゃないですか」
「ああ、戦前は機械修理工をしていた……」
「そうです。フジカニさん
「ああ、なるほど……」
「もちろん、亡くなった旦那さんは専門家だったし、俺は軍隊でちょっと
「ふうん……まあ、あの奥さん、旦那さんが亡くなってから体調崩しがちだからね。精神的にもまいっているみたいだし……家の事が滞りがちなのかもね」
その時、やっと落ち着いたのか、サエコが台所から帰って来た。
「サエコ、大丈夫?」
奥さんが聞いた。
「え、ええ。もう大丈夫です」
「そう……それなら良かった。……で、何の話だったかしら?」
「ときどき兄貴がフジカニさんの家に呼ばれるって話です」
「そうそう。サエコ、このあいだ会ったフジカニさんって覚えている?」
「えっと、ご主人を戦争で亡くされた方ですよね? 未亡人の……」
「そう。リューイチくん、そのフジカニ未亡人の家へ時々行ってるんですって。亡くなった旦那さんの代わりに」
「み、未亡人の家へ行って、旦那さんの代わりをする? ……へ、へええ……お、お兄さんって、そんなお仕事もされているんですか」
「まあ、
「そ、そうなんですか……」
「それで、このあいだリューイチくんがフジカニさん
「う、後ろから! お、お兄さん、それで、どうしたんですか?」
「もちろん入ったよ。言われた通り、後ろから。大変だったけどね」
「や、やっぱり大変なんですか? う、後ろからっていうのは」
「まあ、前より後ろの方が
「リューイチくんが後ろから入ろうとしたら、中に色んなものが
「中に…色んなものが
「そうなんだよ」
「フジカニの奥さん、最近、体調を崩していたからねぇ……それでかな? て、話していたところ」
「そ、それで、どうしたんですか? そ、その、中に詰まっていたものを」
「もちろん、外に出したよ。外に出さないと俺が入れないからさ。これが、また大変な作業なんだよ。ちょっとずつ、ちょっとずつ外に出していくんだけど、もう、その量が半端ないんだわ。それこそ、次から次へと、どんどん出て来てね。いつまでたっても終わらないんだよ。……あの美人の奥さん、よくもこれだけ
「そ、それは大変でしたね……」
「しかも、する事したあとで、最後に出したものをぜんぶ中に戻さなきゃいけないだろ? もう、嫌になっちゃったよ」
「えー! な、中に戻したんですか? 出したものを? ぜんぶ?」
「そりゃ、そうさ。出しっ
「ふ、普通、トイレとかに流しませんか?」
「あはは。サエコさん、面白い冗談言うね。あんなに大量のものをトイレに流せるわけないじゃないか。それに未亡人に断りもなく捨てる訳にもいかないだろう?」
「断りもなく中に戻される方が嫌だと思うんですけど……」
「フジカニの奥さんも済まないと思ったんだろうね。帰り際に『こんど呼ぶときには、ちゃんとキレイにしておくから』とか言われちゃったよ」
「はああ……」
「まあ、フジカニの奥さんも旦那さんを亡くしてから体調を崩しがちだったっていうし『後ろの出入り口』に
「で、ですよねぇ。や、やっぱり女の人って体質的に
「いやいや、サエコ、その考えは、僕はどうかと思うぞ」
「コ、コウジ……そ、そんな……」
「やっぱり人間、『後ろの出入り口』であろうと常に清潔に保っておくべきだと思うんだ」
「で、でも、やっぱり体調とかもあるし、わ、私も、ど、どちらかっていうと溜まりやすい体質だし……」
「そうだぞ、コウジ。キレイ好きも良いが、その全ての責任を奥さんに押し付けるような考えだと、女性に嫌われるぞ」
「もちろん、僕の責任でもあるさ。サエコ、安心してくれよ。一緒に住むようになったら、ちゃんと『後ろの出入り口』も含めて僕が管理してあげるから。毎日チェックして、モノが
「ま、毎日チェックするつもり?」
「当りまえだろ! こういう事は一日でも
「な、なんか恥ずかしいよ。わ、私だって溜まっちゃうこともあるし……それをコウジに見られるなんて……」
「ちょっとでも溜まってたら僕が処理して置いてあげる」
「い、いやあ……そ、それは大変ありがたいんですが、むしろ、ありがた迷惑というか……」
「そんな、遠慮するなよ。キレイにした所から出たり入ったりするのって、
「さ、爽やか?」
「うん。そして、とても気持ちが良い」
「き、気持ち良いとか言われても……」
「サエコも試せば分かるって。絶対、サエコも気持ち良いって思うよ」
「で、でも、私には、ちょっと、そ、その勇気が……」
「大変なのは最初だけさ。慣れれば簡単だよ」
「そ、そうなのかも知れないけど」
サエコは何故かグッタリと疲れた
「さあ、私たちはそろそろ帰りましょうか」
ヨネムスの奥さんが言った。やっぱり今日のサエコは様子が変だと思ったのだろう。いままでの夕食会に比べて、ずいぶん早い帰宅だった。
「そうですね。それが良いかも知れない」
兄も賛成した。
僕たちはダイニング室の椅子から立ち上がって玄関に向かった。
兄は玄関口に立って見送ったけど、僕はサエコの様子が気になってクルマの所まで送って行った。
「あの……大丈夫?」
クルマに乗り込もうとするサエコに聞いた。
「う、うん……何ていうか……心の準備が出来てなかったものだから……混乱しちゃって」
「心の準備?」
「わ、私も、ね……コウジの希望は出来る限り叶えてあげたい気持ちはあるの。で、でも、やっぱり、何ていうか……その……まさかコウジがそんな事を望んでいるとは思いもよらなかったものだから……」
「サエコ、
「ゴメン! もう少しだけ、私に時間をちょうだい! き、気持ちの整理をつける時間が欲しいの!」
そう言って、サエコはヨネムス夫人の運転するクルマに乗り込み、クルマは僕らの家の敷地を出てヨムネス家へと帰って行った。
もやもやとしたものを抱えたまま玄関の扉を開け中に入ると、兄が例の参考書を読んでいた。
「なるほどなぁ……さっき、お前が言っていた『洞窟』がどうのこうのって話は、これの事か」
『いつもと違う穴』のページをパラパラめくりながら兄が言った。
「
「返せよ!」
あわてて兄から本を奪い返そうとしたが、特殊部隊出身の兄に僕が勝てる訳がなかった。
「まあ、でもこれはコウジには高等過ぎるかなぁ……例えていうなら、こりゃ『博士課程』クラスの参考書だよ。お前まだ十四歳なんだからさぁ。参考書を読むなとは言わないから、ちゃんと十四歳なりの初級コースから始めろよ。これは俺が
「そ、そんな……」
「俺はお前らの保護者だからな。お前とサエコさんの健全な育成に責任がある」
そう言って、兄は『いつもと違う穴』と『ハイヒール・ビッチとランジェリー・タフガイ』の二冊を抱えて自分の部屋に入ってしまった。
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