キヨシの封筒。

 夕方五時まで、僕ら二人は午後の作業を続けた。

 仕事を終えて僕と兄が母屋へ帰ってみると、敷地内に四輪駆動車が停まっていた。

 僕らが使っているヴァンやトラックみたいな実用車じゃなくて、洒落たデザインの高級四輪駆動車だ。

「ありゃ、シマサネさんのクルマじゃないか?」

 兄の言葉に、僕はうなづいた。

 僕ら兄弟の姿を見て、クルマの中から人が出て来た。老人が一人に、少年が二人。

「やあ、リューイチくん、コウジくん。久しぶりだね」

 老人が僕らに声を掛けた。

「こんばんは。シマサネさん。こんな町はずれにわざわざ来てもらうなんて……すいません、本来なら俺の方からご挨拶に伺うべきなのに」

「良いって、良いって」

 そう言いながら、大柄な老人は兄の背中を叩いた。

 ヨネムスさんと言い、このシマサネさんと言い、この町には元気な老人が多い。

「こんばんは。シマサネさん。キャンプに誘って頂いて、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 僕も老人に頭を下げた。

「ああ。よろしくな。キャンプの日程やら行き先やら相談しようと思って来たんだ。同じく参加予定の悪ガキ共も一緒だ」

 シマサネ老人が後ろを振り返った。

 僕も老人の後ろに視線を向けた。

 シマサネ・ユキオとサガミテ・キヨシが「ようっ」と手を挙げた。

 キヨシは小さなバックパックを背負っている。

「ここで立ち話というのも何ですから、中へどうぞ。ユキオ君とキヨシ君も」

 兄が客人たちに言った。

「じゃあ、遠慮なく」

 兄が玄関の鍵を開け、僕ら五人は母屋の中に入った。

 それから僕らは居間でインスタント・コーヒーをすすりながらキャンプの計画を練った。日程、行き先、用意する物……キャンプ用品やら釣り竿やらは全部シマサネさんが用意してくれるという話で、僕もキヨシもご隠居の提案に甘えさせてもらった。

 日程もすぐに決まり、あとは行き先だ。

「私だけの秘密のポイントだからな。誰にも言わんでくれよ」

 そう言いながら老人がテーブルの上に地図を広げる。オッドヤクート町を中心にした、そこそこ広域の地図だった。

 すでに赤鉛筆で町からのルートと目的地が書かれていた。目的地を示す×印の所には、少なくとも地図上では湖のようなものは確認できなかった。広域の地図に描けないほど小さな湖……あるいは池……という事か。

「なるほど……確かに少々町から遠いな」

 兄が考え込むようにして言った。多分、スカイハウンドで一直線に飛んだ場合の所要時間を計算しているんだ。

「距離もそうだが……」

 ご隠居が答える。

「何しろ森の中の狭い道をくねくねと蛇行して行かなくちゃならんからな。もちろん舗装もされていないし、見た目以上に時間が掛かる。地図にも記載されていないような場所だし、普通なら誰も寄り付かん……まあ、だからこその『穴場』な訳だが」

「この地図、複写しても良いですか?」

「それは構わんが……くれぐれも」

「口外無用でしょう? 分かっていますよ」

 兄は一旦いったん母屋の外に出て、ジーディーを連れて居間に戻って来た。

「ジーディー、この地図を記録しろ」

 ロボット犬がテーブルに広げられた地図をジッと見つめる。目の奥で「カシャ」というかすかな音が聞こえた。

「……ところで……」

 キャンプ計画の話が終わった所で、シマサネ老人が居間をキョロキョロと見回した。

「もう一人、ご家族が足りんようだが……」

 僕と兄が顔を見合わせる。

「家族? この家に住んでいるのは俺と、弟のコウジだけですが?」

「ほれ、もう一人、いるだろう? が……えーっと、名前は何と言ったか……」

 僕は危うく舌打ちしそうになるのをこらえた。

(このじいさん……わざわざ町はずれの家まで訪ねて来た本当の理由はか……)

 気が付くと、悪友二人も好奇心むき出しの目で僕を見ていた。

(お前らも、かよ)

 兄が「ごほんっ」と大きく一つ咳ばらいをして言った。

「ええっと、恐らくシマサネさんのおっしゃっているのは、我が不肖の弟サワノダ・コウジの婚約者、ハルノシマ・サエコ嬢の事だと思いますが……実は、事情がありまして、サエコ嬢は別の所に住んでいるのです」

 シマサネ老人、ユキオ、キヨシの三人がそろって「えっ」という声を上げる。

「君たち二人は、結婚する前から別居しているのか?」

 老人が僕を見て言った。

(結婚前だから別居してるんですよ)

 そう言おうと思ったけど、やめた。代わりに中途半端な笑い顔で「ええ、まあ」と答えた。

 老人と二人の友人が、いかにも残念そうな表情になる。

「さて、と」

 シマサネのご隠居さんが立ちあがりながら僕と兄に言った。

「日も暮れたし、そろそろ我々は失礼するよ……」

 ユキオとキヨシも立ち上がる。

(お目当てのサエコが居ないと分かったら、そそくさと退却かよ。まったく現金だな)

 そんな事を思いながら、僕は三人を玄関まで見送った。

 玄関からクルマに向かう途中、何かを思い出したようにキヨシだけが戻って来た。

「危うく忘れる所だった」

 僕に言ったあと、同じく玄関に見送りに来た兄をチラリと見て、少し離れた場所に歩いて行き、僕を手招きした。

 怪訝けげんな顔をする兄を置いて、僕はキヨシのいる場所に向かった。

 誰にも聞かれたくない話でもあるのか?

「俺からの婚約祝いだ」

 キヨシは持って来たバックパックの中から茶色の大型封筒を出して、僕に押し付けながら言った。

「今朝、兄貴の部屋から決死の覚悟で盗んできた」

「盗んできた?」

「大丈夫だ。分かりゃしないって。似たようなモンが部屋中に散乱しているからな。兄貴は、この清らかなオッドヤクートの空気と水を、生まれてから十七年のあいだくさい息とくさい大便で汚す事しか出来なかった人間のくずだ。その兄貴の持ち物を俺は親友であるお前のために盗んだんだ。こいつは善行ってもんだろ」

 キヨシは父親と十七歳の兄との三人暮らしで、父親は暴力癖のある飲んだくれで、兄は町で最低のグループと昼も夜も酒を飲んで町中をうろつき回って暮らしてるって話だった。変な薬の中毒って噂もある。

「いや、人から盗んだ物なんて受け取れないよ」

 僕は封筒をキヨシに突き返した。

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