第2章パニーラ

アイリスは村を出ると村の側の森を抜け、なだらかな丘陵地帯を歩いて行った。空にはひばりのさえずりが聞こえ、地面には青々とした草花が咲き乱れている。普通の女の子だったらその美しい草花にうっとりするだけで終ってしまうのだが、アイリスの場合はそうはいかなかった。彼女の目は常にその草達に注がれていた。珍しい植物はないか。今まで見知った植物にも変わった薬効はないだろうか。乾燥して使うだけでなく、そのままの状態で草の液だけを抽出させて使ったらどうだろうかと頭の隅ではそんなことばかり考えていた。しかし目下の目的は自分の知らない植物を見つけ採取することだった。この辺りはまだアイリスも調べたことのある丘陵地帯だった。しかし見落としがある場合もある。そんなことがないようにアイリスは目を皿のようにして探した。こうしてアイリスは幾つかの丘を越え、小さなのどかな村々を通り、畑で農作業に明け暮れている農夫達を尻目に、南へ南へと歩いて行った。

 二、三日するとアイリスは自分が今まで行ったことのない見知らぬ地へ足を踏み入れていた。遠くには急峻な山がそそり立ち目の前には広大な深い森が広がっていた。この森を通って行かなくてはいけないけど、迷わないようにしなくては。森の奥深くまで続いている小さな小道をアイリスは慎重に歩いて行く。森の木々はまるで魔女でも棲んでいるかのように奇妙に折れ曲がり、しだれかかった木々が幾重にも重なっていた。アイリスは見知らぬ木を見つけるとナイフを手に取り、木の皮を剥いだ。木の皮にも薬効があったりするのだ。どのような木から採取したかアイリスは手帳に書き留めると、荷物の中にそれをしまった。


アイリスはわくわくしていた。見知らぬ木がこんなにあるなんて。秋になったらどんな実をつけるのだろうか。その実にも何かしらの薬効があるに違いない。秋になったらまた訪れないといけない。濃い緑の木々に行く手を阻まれ、日中でも日の光の射さない暗い森を不気味なものともせずアイリスは瞳を輝かせながら、木や草花を調べた。

 歩いて行くうちにアイリスは森の奥から黒い煙が巻き上がっていることに気がついた。火事なのだろうか。アイリスは驚いてその煙に向かって走り出した。


「ヒヒヒーン」

馬のいななく声が聞こえたかと思うと猛烈な勢いで突進してくる馬にアイリスは危うくぶつかりかけた。その馬だけでなく何頭かの馬が炎から逃げるためにあちこちに散らばって行く様子が見れた。ここは村のようだった。というのも村とおぼしき人家が火の海に包まれていたからだ。火から逃れられずに困っている人はいないだろうか。アイリスは村の中を駆けずり回ったが、人の声を聞くことはなかった。そして猛烈な炎だけが天高く舞い上がった。

 それからしばくして火の手は収まり、丸焦げになった家々が黒い墨になり骨組みだけが残っていた。村人は誰もいなかったのだろうか。まだ黒い煙が立ち上っている中をアイリスは一人で歩いた。すると異臭が鼻をついた。ものすごい臭いにアイリスは思わず鼻をおおうと、それは人の焼けた死体だった。やはり人はいたのだ。他にも逃げ遅れた人はいたのだろうか。


アイリスは真っ黒になった村の中をくまなく歩いた。どうやら何人者人が逃げ遅れたらしく、たくさんの遺体が家の中から見つかった。これはひどい。どうしてこんな火事が起こってしまったのだろうか。今の私にできることは村人達を葬ることしかないようだ。肩をがっくり落としていると、人の泣き声が聞こえてきた。

「うえーん、うえーん」

女の子の声だ。誰か生きてる。アイリスは慌ててその声のする方へと走った。

そこは村のはずれの人家だった。やはり他の人家同様真っ黒に焼け焦げているのだが、その家の真ん中でおさげの女の子が立って泣いているのが見えた。年の頃は五、六歳で火傷は負っていないようだった。アイリスは家の残骸の中に足を踏み入れると、その子の側へと近寄った。するとその女の子の側に人が倒れているのに気がついた。アイリスは駆けより、その人物に声をかけた。

「大丈夫ですか」

顔も皮膚も焼けただれ、女なのか、男なのかもよく分からない。しかし口から呼吸音が少し聞こえるのだ。アイリスの呼びかけにその人は一瞬意識をとり戻した。

「その子を、その子を連れて逃げて」

振り絞るような声でその人は言った。

「連れて逃げる?いったい何があったんですか」

アイリスは懸命に訊いた。その人はもうこと切れそうなのが、触った瞬間に分かった。

「王が聖女ジェラルダインを探しにきた。ジェラルダインに関わった者はすべて殺す。そう言って村に火を放った」

「王様が村に火を放ったですって。なんてひどいことを」

アイリスは信じられなといった様子で呟いた。

「その子を連れて逃げて」

その人は力なく側にいる女の子に目をやった。

「分かりました。私の旅に一緒に連れて行きます」

それを聞いたその人は安心したのか、目を再び閉じた。そうして彼女は意識を失い還らぬ人となった。アイリスはしばらく難しい表情を浮かべていたが、泣いている女の子の声でふと我に返った。

「おいで」

そう言うと女の子はアイリスの身体にしがみついてきた。

「この人はあなたのお母さんなの?」

今しがた亡くなった人を見やりながら、アイリスは尋ねた。すると女の子は首を大きく横に振った。

「そう。あなたのお名前は?」

「パニーラ」

女の子はぼそりと呟いた。

「パニーラって言うんだ。私はアイリス、よろしくね」

にっこり微笑みたいところだったが、このような悲惨な場所で笑みを浮かべる気はなかった。しかしその代わりパニーラがふっと笑った。今まで泣いていたのが嘘のように彼女は明るい表情をみせた。


それを見たアイリスは胸をなでおろした。旅に一緒に連れて行くと言ったが、このまま心を開いてくれなかったらどうしようかと内心思っていたのだ。しかしその時アイリスは、この子とはうまくやっていけると、直感的に感じた。とにかく村人達の遺体を墓に埋葬しなければならない。全てはそれからだ。それにしても王様が村に火を放つなんて、いったいどういうことなんだろう。そもそもその聖女ジェラルダインとはどんな人物なのだろうか。そんなに危険人物なのだろうか。この子なら知っているのか、聖女ジェラルダインを。アイリスはちらりとパニーラを見た。パニーラは焼けた家の骨組をじっと見つめている。まずは仕事だ。それからだ。アイリスは頭の中から考えを閉めだすと村人達の遺体を片づける作業を黙々と始めた。

 

アイリスは二、三時間かかって村人達の遺体を葬った。こんもりと盛った土の上に木の枝をさし、墓標とした。村の側で咲いていた花を何本か置くと、アイリスは手を合わせ、村人達を弔った。パニーラにも同じように手を合わせさせると、彼女は熱心に小さな手を合わせ、何事かを呟いていた。それが済むと、アイリスとパニーラはその村から旅立つことにした。森の小道はまだまだ続いており、王の追手の気配はなさそうだったので、アイリスはそのままその道を行くことにした。こうしてアイリスとパニーラは一緒に旅をすることになった。


 しばらくの間二人は無言で歩いた。パニーラは道端に咲く花や草を摘みとったりしながら、アイリスよりも先に歩いて行く。沈んでいるようには見えない。むしろ未知なる道に対して興味を寄せているようだった。アイリスはまだよく知らないパニーラを観察した。金髪に透けるような白い肌、そしておさげ。それからはっとするような大きな青い瞳はとても印象的だ。大人になったらさぞや美人になるだろう、誰もがきっとそう思うに違いない。そこまで考えてアイリスは自分の思い通りにならない、いまいましい自分の髪の毛を思い出した。対してパニーラの髪はどうだろう。見るからに柔らかそうで意のままに動いてくれそうだ。


思わずため息をつきながら、アイリスはパニーラの胸元に視線を注ぐ。そこには水色のペンダントが吊るされていた。小さい子がするには高そうなペンダントに見える。何か意味のあるペンダントなのだろうか。試しにアイリスはパニーラに訊いてみた。

「パニーラ、そのペンダント見せてくれる」

先を行くパニーラはくるりと振り返ると素直に、うん、いいよと答え、すぐにそのペンダントを見せてくれた。そのペンダントは真ん中に星があり、その星は水色で、周りには螺旋になったわっかが渦を巻き、中の星を守っているような不思議な形状をしていた。

「きれいなペンダントだね。誰にもらったの」

アイリスが尋ねると、パニーラは口元に人差し指を立てて、そっと言った。

「内緒なの。誰にも言っちゃいけないの」

彼女は急に大人びた表情をした。無邪気に花を摘んでいた少女とは思えない、こちらをじっと見据えるような威圧感があった。アイリスは一瞬、ぞくぞくっとした。どうやら触れてはいけないことだったらしい。とっさにアイリスは

「そう、ごめんね。変なことを訊いちゃって」

と、パニーラに向かって謝った。パニーラは今度は子供の姿のパニーラに戻って

「ううん。パニーラ気にしない」

そう言って彼女は朗らかに笑った。それは焼き焦げた家の中で泣いていた小さな女の子と同じ人物だった。


アイリスは、ほっとするのと同時にそのペンダントに無闇に触ったり聞いたりするのは止めようと思った。自分だって大事なペンダントを持っているのだ。きっとパニーラにも自分と似たような形見のような何かがあるのだろう。そう言うものには立ち入らないに限る。


もちろん、パニーラが自ら話してくるのなら別だ。その前にまだ全然親しくない。話す方がどうかしている。けれどもこれから共に旅をする仲間だ。心を開く必要はあるような気がする。


自分のペンダントのことも薬草探しのことも話すべきではないか。アイリスはそう考えた。自らが大事なことを明かせば、パニーラもまた話してくれるかもしれない。アイリスはそう思うと先を行くパニーラに歩調を合わせると、分かりやすい言葉を選び、自分の出生のこと、ペンダントのこと、薬草探しのこと、今回の旅のことについて彼女に話した。歩きながらパニーラは黙って大人しくアイリスの言う言葉を聞いていた。先ほどまでは道端に咲く花や草に心を奪われていたが、今はアイリスの話に熱心に耳を傾けている。

「そういうことで私は旅に出ることになったの。だから私はどんな病気も治せる薬草を探さなくちゃいけないの。それがこの旅の目的なの。分かったかな、パニーラ?」

アイリスは全部を話し終えると、パニーラに訊いた。彼女は青い瞳をくるりと動かすと大きく頷いた。

「うん、分かったよ、アイリス。アイリスは薬草を探す。そのお手伝いパニーラもする」

パニーラの瞳に賢そうな光がぴかりと宿った。どうやら理解はしてくれたようだった。アイリスは、ほっとした。これで本当に旅の仲間ができたのだ。二人でがんばって旅をして行こう。アイリスは新たな気持ちで旅に向き合うこととなった。

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