かみこい~光の神と陰陽師~

せらひかり

1 陰陽師と出会うこと

第1話

1 陰陽師と出会うこと


 ところどころもつれた髪をそのまま背に流して、白い石段を駆けていく。衣は灰茶、帯は桜色、細かな模様で美しいけれど、今の自分には合わない気がする。

 脱ぎ捨てて、平地におりて走っていく。

 その辺に放ってあった、洗濯済みの簡単な衣を引っ張って着る。右から三番目が自分の普段着だったから、ちょうどよかった。

「姫様~」

 のんきげに、後方から呼びかけ声が近づいてくる。

「どこです~? 姫様ー、日和(ひのわ)様~」

(返事なんてしないよ! 宴の途中で飛び出して来ちゃったし)

 内心で言い返し、藪に飛び込む。このままではいずれ見つかってしまうだろう。

(どうしよう、神世にいたら、連れ戻されちゃうかも……しばらく、人の世にでもおりちゃおうかな。いい考えかも)

 思わず、立ち止まって考えてしまった。

 もこもこした髪から、ぱらぱらと、先程突っ切った茂みからもぎとった枝葉がこぼれ落ちる。

 姉様達は優しくて、いつも可愛がってくれるけれど、こんなふうに走り回ったりするたびに、ついちょっとだけ比べて落ち込んでしまう。ちょっとだけだが。

「私にも、何かあればいいなーってたまに思うけど……」

「姫様、どこへ行かれます」

 羽音をさせて、小鳩が降りてくる。青緑の羽毛は柔らかいが、風切り羽はいくらかすり減っている。小鳩は、老人の声でため息をついた。

「皆、心配しておりますぞ!」

「嫌! 爺も、父様も、私に宴会芸を強要するから嫌い!」

「そんなにお怒りにならずとも」

「私だって、大したこともできないって笑われたら、やっぱり嫌だよ!」

 肩で息をする。自分の声があまりに必死で、いたたまれなくなった。

「姫様。日の神の末子、小さな、光の神。どうか怒りを静めてくださいませ、な?」

 小鳩に首を傾げながら、顔を覗き込んでくる。

「ちっちゃい子みたいに扱わないで!」

「ですが姫様。爺にとっては、姫様はいつまでも、可愛らしい方ですぞ」

 自分の方が大人げなかった。それは分かる、けれど、あの宴会場には戻りたくない。

「おや姫様。戻られぬのですか?」

 すたすたと歩き始めた少女に、小鳩が慌てる。

「うん。ちょっと散歩して、落ち着いたら戻るね。だから爺は、先に戻ってて」

「そうは参りません。どうか爺を安心させてくださいませ、戻りましょう」

「大丈夫だって。……あれ?」

 日和は小鳩を無視して歩こうとした。だが、体がぐらりと傾いた。

「爺、重くなった?」

「なっておりませぬ!」

 慌てて小鳩が空に飛び立つ。中空からこちらを見下ろして、大きな口を開けて、悲鳴をあげた。

「姫様あ!」

「あれっ?」

 体が――白い、綿みたいな地面に沈んでいる。神世は、ところどころ人の世みたいに建物があったり、森があるが、時々、雲の上のような場所がある。そこも、普段は駆け回っても容易には落ちたりしない、はずなのだが。

 体が、雲を突き抜けた。

「わー!? どうしちゃったの!?」

「姫様ー!」

 目眩がした。辺りが真白く染めあげられる。風音はしない、ただひたすらに静かだった。

 落下の後、急に一瞬止まって、すぐに尻餅をついた。

「いったーい……! 何なのこれ」

 青白く、光の輪が足下に展開する。光はすぐに収まった。

 ぶつけたところをさすっていると、視線を感じた。

「?」

 日和は顔をあげた。黒い衣、冠、きちんとした格好の男が一人、こちらを見ている。

「あの……えーと」

 何を言ったものか思いつかない。日和は辺りを見回してみた。こぢんまりとした社、小さな藪。見覚えがある。

「あー……ここ、いつも降りて遊んでたところか。父様が奉(まつ)られてるから、出入りしやすいんだよね」

 まったく知らない場所ではなかったので、ほっとした。

「……一つ確認する。お前は何だ?」

「え?」

 男に声をかけられ、振り返る。

 男はまだ若かった。眉間に皺を寄せているが、それなりに容姿は貴公子然としている。

 低めた声で、男は言った。

「俺は、この社(やしろ)に住まうもの、神の類を、呼び出した。そのはずだ」

「はぁ」

 意味がよく分からない。

 とりあえず立ち上がって、土をはたいた。自己紹介しなくては、と考える。

「えっと、私は神です」

 間があった。まだ爺も追いついていないらしく、辺りは小鳥も鳴かないくらい、静かだった。

「ふ」

 男が笑った。嘲笑を感じて、むっとする。

「神、です。この社のじゃないけど、ここに、何度も来てるの」

「は。その格好で、か。確かに、神気に近い清さはあるが、物の怪(もののけ)だろう」

「もっ、物の怪!」

 何て失礼な。言い返そうとすると、先んじて男が口を開いた。

「この国に、かような間の抜けた物の怪がいるとはな」

 ため息混じりだ。日和は相手を睨み返した。

「私は、そりゃ見た目はこんなだけど! 神ですから!」

「分かった分かった」

 雑な扱いを受けて、日和は唇をねじ曲げる。

「姫様~」

 小鳩がようやく降りてきた。日和の肩にとまり、「何ですこの若造は」と、やたらと偉そうに胸を張った。男が眉をひそめたままで応じる。

「陰陽師だ」

「陰陽師?」

 比奈国(ひなこく)の職業に、そんなものあっただろうか。首を傾げていると、小鳩が羽を震わせた。

「陰陽師とは術者のこと。神を奉る神官とは別の、特異な術を使うと言います。昨今の職能とはいえ、それなりに我々が接しうる類の人間ですぞ。本来ならば知っていて当然」

「うっ」

「姫様。ご自分が降りる国くらい、ご存じであらねば」

 日和は顔をしかめて、自分の両手で耳を塞いだ。

「あーあー、聞こえません」

「姫様!」

 男が無言でやりとりを見つめている。

 居心地が悪くなって、日和は相手を睨み返した。

「あの、聞いてもいいですか? どうやって私を呼び出したのか」

「……」

(また変な顔する)

 少女はむっとした。

 この男、面は整っているし、すらりとして身のこなしもよいが、好感が持てない。人を小馬鹿にするところがあるからだ。

「見ろ」

「?」

 男の視線を追いかける。ほぼ正面に、社の戸がどんと立てられている。格子戸になっていて、見ようと思えば中が見えた。

「神を奉ってある」

「それは分かるよ」

 少女は頷く。うんと集中しないと見えづらいが、社の奥の方に、小さい光が鎮座していた。

「置いてあるのは、鏡だよね?」

「形代(かたしろ)は鏡だな。俺は、この社の祭神を呼び出したつもりだったんだが」

(ん?)

 日和は一拍遅れて気がついた。

「えっ? 私を呼んだんじゃなくて? ここの祭神を呼び出そうとしてたの?」

「やはり、お前はここの祭神ではないのか」

 確認が取れてよかったと、男は徒労感溢れるため息をこぼした。

 小鳩が少女に耳打ちをする。

「姫様。お忘れですか、ここは日の神、天に属する神の社ですぞ。この人間はどうかして、姫様の父君ではなくて、それに繋がる血筋を引っ張ってきたわけでしょう」

「なーんだ、完全な人違いってわけじゃないのか」

「完全に間違っております。男神様ではなく姫様を召喚するなど」

「何をこそこそしている」

 日和は小鳩と抱き合った。この見知らぬ人間から、ちょっと力を込めて睨まれたりしただけでも、やけに怖い。

「間違えたんでしょ? そっちが悪いんじゃないの……」

 涙目で言い返すと、さらに睨まれる。

 男は日和に目を据えたまま、厳しげに言った。

「やむを得ない……お前に聞きたいことがある」

「何ですかっ?」

 喧嘩腰で言い返すと、相手がいくらか神妙になった。

「数日前に殺された、葦野(あしの)について話がしたい」

「あしの?」

「……その様子だと、知らないな」

「知らないっていうか、何の話か分からないから。説明してください!」

 一方的にこちらの落ち度みたいに扱われるのは心外だ。

 男はつと目を細めた。思案の後、口を開く。

「追々、説明する。召喚は手違いだったが、仕事はしなくてはならない。式神として、しばらく手伝え」

「式神って何?」

「術者の手足となって、働く者だ。要は使い走りだな」

「……使い走り?」

「姫様っむぐ」

 小鳩が嘴を動かすので、日和は懸命に黙らせた。喋らせておくと話が進まない。

 男が軽く眉をあげた。

「そういえば、お前の名を聞いていなかった」

「私? 阿智日留間神(あちひるまのかみ)と尾乃栄江売根女神(おのさかえのうねめのかみ)の娘、日和(ひのわ)」

「そうか」

 思わず、素直に名を答えてしまった。相手が背を翻すので、日和はついつい、追いかける。

「待って、待って。どこ行くの」

「仕事に戻る」

「姫様。かような無礼者は放って、戻りましょうぞ」

 小鳩がぷんすかしている。日和だって気に入らない。気に入らないが、気になるのだ。

「いったい何が起きてるの? あしのって何? 貴方の名前は?」

 日和は、自分を物の怪扱いした人間の、肩辺りに手を伸ばした。手が届く寸前に、男が素早く振り向いた。疎まれたみたいで、日和はわずかに傷ついた。

「いずれ分かる」

 一瞥くれてそう答えると、男は石段を下っていく。

「ついてこい。遅れるな」

「ついていくのが当たり前みたいな言い方だね」

「当たり前だ。お前は式神。召喚した術者との「縁」が切れて、はぐれ神のようになっても知らないぞ。先月、市で暴れた物の怪のことを、知らぬわけではあるまい」

「知らないよ!」

 慌てて石段を下りながら、日和は男の背に向かって叫ぶ。男は足を止めないまま、説明をした。

「そういう事件もあったのだ。神は、人の世におりて神位を見失うことがある」

「盥(たらい)が盥ってことを忘れちゃったら、わーって頭がおかしくなっちゃうみたいなものだよね?」

「何だそのたとえは……お前は盥の物の怪なのか?」

「盥じゃないし、物の怪でもないです!」

 人の通る、無舗装の道へ飛び降りて、日和は思いきり叫んでやる。

 はいはいと適当にいなして、男はさっさと行ってしまった。日和はしばらくむくれたが、陰陽師とか、いろいろと気になって、結局ついていくことにする。小鳩に宴会場に連れ戻されるのはまっぴらだった。

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