第2話

「人って、いっぱいいるね~」

 小鳩が途中ではぐれたのをいいことに、日和はのんびりと辺りを見回した。宴会も抜け出せたし、変な人間に呼び出されたし、今日は変わった日だ。

「ふらふらするな。社から出たこともないのか」

「あんまりないよ。人の世に用事なんてなかったし」

 大きな道の左右には、歩きだした当初は間口の小さな掘っ立て小屋が並んでいた。それが、少しずつ別の様相になる。現在は、塀があって屋根しか見えない。

 男が立ち止まった。

 塀がめぐらされた立派な屋敷だ。日和が男に続いて敷地内に一歩踏み込むと、

「どなたかな」

 重たく、誰かの声がかけられた。階(きざはし)に人が立っている。厳つい顔で、丈夫そうな織りの衣を着ている威丈夫だった。

 日和の前に立つ、黒衣の男は、滑らかに言葉を紡ぎ返した。

「一ノ瀬六葉(いちのせろくは)と申します。国に安寧をもたらすため、こたびの一件を任されております」

「陰陽師か」

 無言で、六葉は階に立つ男に一礼した。

「入れ。話をしよう」

「獅童(しどう)様は、これから参内される予定だったのでは」

 六葉が問うと、獅童と呼ばれた男は軽く頭を振った。

「いや。物忌みとでも言っておけば済む。どのみち、本来はそうだろう。直接遺骸を運んだのだからな」

「確かに。同僚が亡くなられ、大変な折りでしょう」

「あれはまだ若い……若かったのだ。あのように切り裂かれて打ち捨てられるなど、あってはならない」

 屋内に入らぬまま、獅童は続けた。

「葦野は殺されたのだ」

「葦野って? さっきも言ってたよね」

 こっそりと六葉に聞いてみる。黙っていろとばかりに、冷ややかな目で振り向かれた。

「男の人? 女の人?」

 懲りずに聞くと、六葉の代わりに、獅童が答えた。

「男だ。葦野は衛兵としての深夜番の折り、路上で殺された。おそらく不審者を追いかけていてやられたのではないか。他の同僚が見ていない隙に……」

 六葉が頷く。

「可能性はあります。ちなみに、わずかですが、呪いの痕跡がありました。彼が恨まれるような要因について、心当たりがございませんか?」

「いや……あまり喋らない奴だったからな。私が分かるのは、彼が勤勉だったことだけだ。他の者にも当たってみてくれ」

「分かりました。他に、いくつか整理したいことがあるのですが――」

 六葉は、葦野という者が数日前の何時頃どこにいたのか、獅童もどこにいたのかなどいろいろと聞いてから、丁寧に礼を述べて屋敷を出る。

 話が長くて暇だったため、日和は、庭で橘を観察していた。ぼんやりしていて置いていかれそうになり、慌てて六葉を追いかける。

「待ってよ六葉!」

 日和が門をくぐるのとすれ違いに、睫毛の長い女が門を通った。女の衣は色鮮やかだ。男のような袴だったが、それがかえって美しく、目を引く装いだった。

(何だろ?)

 一瞬目が合って微笑まれたが、何となく、身の内側を撫でられたような、不快感が残された。

「殺害現場周辺の物の怪等には、すでに話を聞いてある。葦野は元々あまり目立たず、物の怪等にはほぼ印象がなかったが……誰かに尾行されていたわけではないらしい。それほど普段と様子の違う者が通った形跡もないようだった」

 六葉は素早く歩いていく。歩幅が違いすぎて追いつけない。小走りについていっていると、六葉がちらりと日和を見た。

(あ、ゆっくりになった)

 ちょっとほっとして、少し後ろを歩いていく。

「普段と違う様子はなかった……とすると、通り魔というわけでもなさそうだ」

「じゃあ、何ですか?」

「人ではないとしたら……あるいは、その「人」が物の怪らを脅せるだけの力を持っていれば、これまでの証言がすべて偽物だった可能性もあるか」

 六葉は思案げに眉をひそめている。

 日和は思いきって挙手をした。

「あの! その何とかさんって、貴方の大事な知り合いですか」

「違う」

 何を言っている、と、うろんに見つめ返された。日和は怯む。

 間を置いて、六葉が小さくため息をついた。

「そういえば、お前は物の怪だったな。人の世界の道理を知らなくても仕方がない」

「物の怪じゃありませんけどね!」

「俺は、職場の者から仕事を頼まれた。葦野の死の周辺を調査すること。彼を殺した犯人がいれば確保するように。そういう指示を受けている」

「ふんふん」

 姉様達が、宴会の支度をするようなものか。彼女達は、たとえ来客が嫌いな相手でも、恋歌なんか歌って歓待している。楽しくてやっている者、仕事だからやっていて、たまに嫌気がさして大逃亡し、大捜索が行われる者もいる。

「なるほど。大変なんですね」

 六葉の機嫌が悪そうなのは、そろそろ逃亡したいくらい、面倒な気持ちになっているからに違いない。撫でたくなったので、よしよしと背中に触れると、すごい勢いで身を引かれた。日和は内心、傷ついた。顔に出ていたのだろう、六葉も、多少しまったという表情になった。

「……まぁ、仕事だからな」

「でも、殺された人も大変だね。ご家族もかわいそう」

「葦野は、都に家族はいなかった。両親が郷里にいるようだが、まだ文が届いていないだろう……さて」

 ふと六葉が足を止める。

 塀に囲まれた、大きな屋敷の前だった。

 立派だが裏門らしく、大っぴらに開いてない。

 物売りが入るのにあわせて入り込む。とても怪しい。

「ねぇ六葉、ここ、入っていいの?」

「しばらく黙っていろ」

 六葉は素早く、近くにいた女に話しかけた。

「先日来の件で、術司(じゅつのつかさ)より頼まれごとがあるのですが」

 見事な微笑みで、女を足止めする。

「きゃ、どなたですか……」

「一ノ瀬六葉と申します」

「一ノ瀬……術者の方?」

 女は、少し恐ろしげに、六葉と日和を見比べた。

「私達は、あまりそういったことと関わらないようにと、言われているんですが」

「内裏からも指示があって参りました。調べていることがあって、少しお話をお聞かせ願いたく」

「あの、でも、ここは……女性以外の立ち入りを禁じていますので」

「ここで話すのも、禁じられますか」

「はい」

 六葉がちらりと振り返る。目が合って、日和はわずかに首を傾げた。六葉はため息をついて呟いた。

「ないよりは、ましか……。改めて使者を立てます。女性であれば、ある程度自由をきかせてくださいますね」

「え、ええ……お上のご命令とあれば……」

「その答えを聞いて安心しました。ではまた半刻後に」

 六葉はにこやかに応対すると、あっさりと退出した。

 再び歩きだしてしばらくして、六葉の視線が日和のつむじに落ちてくる。

「そのなりを何とかしなくてはな」

「うえっ?」

「その格好では、とてもではないが、女官には見えない」

「女官、って……?」

 日和はじわりと冷や汗をかく。

「まさか、もしかして、私に、行ってこいって言ってるの?」

「そのまさかだ。葦野は、あの屋敷の外の通りで死んでいた。内部の調査もしておかなくてはならない」

「貴方が女装するんじゃなくて?」

「俺がしてどうする」

 確かにそうだ。けれど日和は抵抗する。

「だって、私、その殺された人のことも分かってないのに、どうやって何を調べるの?」

「お前を一人にはしない。俺もある程度はついていく。立ち入りを禁ずとは言われたが、方法はあるからな」

「だったら、私なんていなくたって」

「女官がいれば、何かあったとき都合がいい」

 いくらか通りを下ったところ、官僚らの家の狭間にある屋敷に、六葉が踏み込む。

 ひとりでに門が開き、二人が通り抜けるとまた閉められる。当たり前のように、六葉は気にもとめなかった。

「ふわー、すごい」

「そうか?」

 日和の感嘆には振り向きもせず、六葉が屋内に目をやった。物音一つ立てず、女達が現れる。皆、静かで美しいが、影が薄い。

「あれ、人間じゃないよね? 記憶も意識もない幽霊みたい」

「よく分かったな。あれは式神だ。式神と言っても、物の怪等と契約してこき使うものと、己の術力で呪符……紙の札を実体化させ手足として使う場合など、状態が複数ある。あれは後者だな」

「紙切れなの?」

 彼女達は、紙だけあってかなり儚い感じがする。だが、ちゃんと掃除したり立ち働いていて、実体がありそうに見えるのだった。

「あんなのができるなんて、六葉って、何なの?」

「陰陽師と先程言ったが」

 お前は寝ぼけているのか、と辛辣な言葉と視線が投げられた。

 主人に黙礼した女達は、四方へと散って行く。そしてまた一人ずつ戻ってくる。一人は桶、一人は衣、一人はその他何に使うか分からないような道具を詰めた箱を持参していた。

 それらが揃うのを漫然と眺めながら、六葉がふいに日和に聞いた。

「お前、いったい何ならできる?」

「え?」

「分かりやすく言うと……そもそもお前が神であるならば、何の神だ?」

「えっと……何に見えます?」

 ものすごい面倒そうに睨まれた。それが分かるなら苦労しない、とでも言いたげだ。

「技芸でもない、その辺の樹木や草花でもなさそうだ。どうにもふわふわして、毛玉のような光のような印象だな」

(それだ!)

「ふっふっふ、実はこういう者です」

 うんと集中して、ふわり、と光を掌に集める。父親と違って、世をあまねく照らすほどではないけれど。今は昼間で外だから、あまり明るくならないが、ほの暖かい光は確かにそこにあるのだった。

 自慢げに胸を張ると、六葉が、ついと紙切れを出す。それが燃え上がると、人魂みたいなものができた。

「そのくらいなら、誰にでもできる」

「そ、そういうんじゃないです!」

「夜道を照らす程度の……、そんな神が、いるわけがない」

「何その発言! ひどい!」

「お前は夜道を照らして、その礼に人間から毛でも奪う妖怪か?」

「それもひどい! そういう物の怪がいるの?」

「いや。田舎にはいそうだが」

「何なの! 六葉、失礼だよ!」

 自分の冗談がおかしかったのか、ひとしきり笑って、六葉がこちらを見やる。

「悪かった。そうむくれるな」

「謝った……」

 日和はぽかんとした。これまで冷たかった人が、ちょっと謝っただけだが、驚きだった。

「ま、まぁ、許さないこともないですけど!」

 日和の気を知らないで、六葉が、道具を一瞥する。女達は皆揃っている。

「では始めるか」

「え、何」

 六葉の指が、少女の髪に触れる。もこもこで、うまくとかせなくて、ばさばさになっている髪。

「う」

 何だか肩身が狭くて、日和は下がろうとする。だが、六葉の足が踏み出して、少女の退路を軽々と塞いだ。

「ち、近い……!」

「まぁ、何とかなるだろう。後は任せる」

 主の言葉に、女達が、すっと立ち上がる。

「わっ、えっ? 何……何!?」

 あっと言う間に少女はひっくり返され、湯で頭を洗濯される。全身も拭かれてしまう。

 六葉は時間つぶしなのか、物の怪とはいえ(物の怪ではないが)女性相手で気を遣う余地があったのか、屋敷に入ってしまって姿が見えない。

「おっ、お姉さん達、あの、これはちょっと、」

 日和は必死で文句を言おうとした。だが、静かになさいませと、柔らかな視線だけで窘められる。

 観念して目を閉じると、草花の香りもするし温かい手でもまれるし、意外と気分がよいものだ。じわじわと眠たくなってくる。

(何だろ、これ。洗濯されてる衣ってこんな気持ちなのかな)

 うとうとしていると、羽音がした。

「姫様! ぎゃっ何をしている!」

「あれっ、爺(じい)! どこ行ってたの」

 灰みを帯びた青緑の小鳩が、羽を打ち鳴らして中空を旋回している。

「姫様! 今お助けしますぞ!」

 小鳩が、日和を洗濯していた女達をつつこうとした。

「やめて、やめて、別にひどいことされてないから! それと爺は伝令の神なんだから、無理な喧嘩はしないで!」

「しかし! 野菜でも洗うかのようなこの仕打ち! 許されますまい! 呪ってくれる!」

 小鳩の叫びが屋敷にこだまする。

 女達は小鳩にはお構いなしに、日和を洗濯し続けた。

 女達の代わりに、じゃり、と地面を踏む足音とともに、重たい気配が近づいてくる。

「ほう……術者の屋敷で、呪うとは聞き捨てならんな」

「ひっ」

 階(きざはし)に、六葉がおりてきている。

 日和は小鳩を掴み、口を塞いだ。

「これには、訳があって! 冗談だから、ねっ」

 せっかくごまかそうとしたのだが、暴れて日和の掌から嘴を取り戻した小鳩は、その苦労など考えもしなかった。

「冗談ではございませんぞ! 神は怒るものでもあるのです!」

「礼儀のなっていない物の怪達だな」

「ものっ、物の怪ですと!? この麗しい私が」

 小鳩がよろめく。

「爺が麗しいかどうかは知らないけど」

「姫様までそのようなことを!」

「でもまぁ、呪ったりしないほうがいいよ。今は特にややこしいし」

「ふん! 鳥の糞でも頭にかぶっておしまいなさい!」

「爺、それもしかして自分がやるやつじゃないよね……」

 もめている二人をそっちのけで、女達は道具を片づけ始める。日和の、濡れていた髪は、布の幾枚かで綺麗に拭われていた。

「ふむ、これなら何とかなるだろう」

 六葉に、毛先を指で拾われた。日和の心臓が跳ねあがる。

(髪って呪いに使うんだよね!?)

 姉様達が言っていたことがある。髪はできるだけ、利用されないように気をつけるのよ、と。人間はちょっと変態だから、とも言っていたが。

 日和の硬直には気づかず、六葉は再び女を呼びつけた。彼女達によって、日和の髪が、素早くきっちりと結われていく。

「あの、これ、何、」

 頭皮が痛い。簪も突き刺される。

「あの姿では、子どもとはいえ男に間違われてもおかしくない。これくらいやれば、女だと分かるだろう」

「うっ!?」

 さっき女に追い出されたのは、姿形が少年っぽかったからだ、という意味か。

「あれっ、でも六葉は、私が女の子って分かってたんですよね?」

「さぁ? 物の怪に雌雄の区別がある場合もあるが、空気が柔らかかったからな、どちらかというと女の側と見ただけだが」

 何となく落ち込んでいると、六葉が軽く肩を叩いた。

「心配するな。今なら、どこへ出しても問題ない」

 落ち込みの原因が自分でもよく分からなくて、もやもやして、日和は投げやりにそうですねと応答した。

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