第21話

 時は少し遡る。

 まだ宴が始まらぬ頃――女神達が面倒そうに、あるいはタダ酒に喜んで集まってきて、それぞれ支度にかかっていた。

 昼間の、けだるいくらいの、のどかな明るさ。

 しばらくして、裏口に、そっと鳩が舞い降りた。

「本当に、ここで合っているのか」

 鳩の後ろに、薄衣(うすぎぬ)をかぶった女が立つ。

「えぇもちろん。……本当に、なぜここまで来てしまったのか。忌々しい。どうせならば沼の主のところにでも出てやればよかった。そうすれば、こ奴など、ぼちゃんでぐちゃんでしたのに。なまじか美女だからどうにもこうにも」

 鳩はぶつくさ答える。女は、薄衣の下から、冷気の漂いそうな笑みですごんでみせた。

「さっさと案内しろ」

「あぁ嘆かわしい……」

「あらっ? 小鳩爺(こばとじい)ではなくて?」

 柔らかい女の声が、鳩を呼んだ。

「おやおや! これはこれは。阿智火様」

 途端に羽ばたいて、小鳩は女の側を離れて、戸口に現れた者の掌にちょんととまった。

「どうしたの? あの子の方が先に帰ってきたのよ。お前があの子から離れてふらふらしていたのはなぜ?」

 阿智火の、栗色の柔らかな髪に、明るい日差しが当たっている。

 しばし見とれてから、小鳩は一礼した。

「実は……こちらの楽人を、案内したいのです」

「あら。楽人はもうずいぶん前に着いて、離れで楽器の調整中だけれど。この方は、はぐれたの?」

「そちらへ合流するのではなくて、ちょっと個人的にですね……」

「あらあら……男の方? しかも神ではなく?」

 一発でばれた。

 硬直した小鳩に、うふふと阿智火が笑いかける。

「私、お化粧は得意なの。お化粧前の顔を当てるのも得意なのよ。お父様みたいに、女装男子でも可愛いからいいとか、お爺様みたいに女装男子に騙されて寝首をかかれそうになったとか、そういう逸話には縁がないの」

 さらっと恐ろしげな話をしてから、阿智火は、小鳩の連れてきた女(仮)をまじまじと見やった。

「ふうん。貴方、なあに? 何のご用かしら。返答次第では、どうかしてよ?」

「……私をどうこうする前に、両手で押し潰している鳩を、いったん離してやっていただけませんか。美しい方」

 女(仮)が丁寧に言う。声を多少絞ってはいるが、女のふりは継続するらしい――阿智火はさらに、ふうんと笑う。

「何かしら? 横恋慕? 誰の情夫?」

「誰の情夫でもありません。私は一曲、ある者に聞かせたくこちらに参りました次第」

「それは誰?」

「我が姫様にございます」

 むぐむぐと阿智火の指をかいくぐって、小鳩が顔を出した。

「ま。この人間、子どもが好きなの? 変態なの?」

「違います。知り合いなのですが、どうしても会わなくてはならず」

「あぁ。阿智火様!」

 女(仮)の言葉に、小鳩が力強く叫びをかぶせた。

「阿智火様であればよい手がございましょう。どうかよろしく、」

「いやあよ。どうして私が間男の手引きをしなきゃならないの! あの子がおかしくなったのは、きっとこいつのせいなのよ? お前でしょう、六葉と言うのは」

 呼ばれた女(仮)は、にこ、と笑うだけで答えない。

 阿智火は、普段のもの柔らかな顔に、ちょっとだけ苛立ちを刻む。穏やかと言われて久しい彼女には、珍しい姿だった。

「知らない。勝手にして」

「あ~阿智火様~」

「ありがとうございます。勝手にしてよいと許可をいただきましたので、あがらせていただきます」

「! 私は、そんなつもりは、」

 阿智火は慌てて振り向き、足をひねって転びかけた。素早く、女(仮)が阿智火を抱き止めた。すぐにふわりと離して、自分で立たせる。紳士的で手慣れた優雅さだった。

「……ふうん……」

 阿智火は、己の、触れられた腕などを一撫でして、唇をとがらせた。

「……仕方ないか。あの子本人に会って、ぶん殴られて来なさい」

「女神のご寛恕、いたみいります」


「六葉殿」

 裏口から無事に侵入した後、小鳩が振り返った。

「阿智火様のことは、ちゃんと女神と分かっておられるのですなぁ」

 六葉は女の衣装のまま、真面目な顔で言い返した。

「当たり前だ。神気がある。それにしても……あんな女神の下にいなくてはならないとは、あいつも大変だな。物の怪のくせに、神の屋敷で下働きさせられているのか」

 小鳩は少しよろめいた。

「大いに間違った問題発言をされておりますが、もはや突っ込むのもばかばかしいですな」


 それからいろんなことがあった。

 六葉は小鳩とともに、男神に抱きつかれそうになったり、口説かれてうまいことはぐらかしたり、歌を詠みあって優雅に踊ってみたりしながら、廊下や宴の端の方を渡り歩いた。

 日が暮れかかる頃――それでも外はとても明るい。小鳩が言う。

「日の神が起きて遊んでおられるからですよ」

「そうなのか。神の世も大変だな」

 明るいとはいえ、長丁場に皆疲れているのだろう。廊下のあちこちで、眠りこけている神がいる。

 六葉は、足を捕まれたりわずかな暗がりに引きずり込まれそうになったりしたが、そのつど、一撃で相手を倒した。

「やれやれ。この調子であいつが見つかるのか? 糸は繋がっているが、絡まっていて見えづらい……」

「見つかりますよ。阿智火様がおられますから」

 あぁ見えて義理堅い。すぐに案内はしてくれなかったが、ある程度すればきっと助けるはずだと、小鳩は請け合った。

 六葉が、このまま無駄足になる覚悟を決めかけた頃――阿智火が、廊下の端で手を振っているのが見えた。急いで近づくと、

「網代がおびき出してくるから。お前はそこで、何か楽曲を弾いていて」

「手近にある道具は、笛くらいですが」

「笛か……琴をその辺からかっぱらって使いなさい。笛は距離が近くなる、琴だったら、万一の時は琴が邪魔になって、あの子がお前なんかに近づかなくて済むから」

「協力的なのかそうではないのか、女神の心は裏腹ですね」

「……」

 阿智火が、ちょっといらっとした顔をする。

「なまじか、麗しい感じの男子だからって、いい気にならないでくださるかしらね……」

「阿智火様……お気持ち、分かりますぞ」

 小鳩は翼で涙を拭う真似をした。

 可愛い妹神を人間側に引き落としたヤツなんて阿智火は嫌いだ。だが、六葉は器量も、問題が起きた際の切り抜け方もよくて、何というか、悪しざまに扱いづらい。

 神たる者、間の抜けた輩は手をかけて助けてやりたいし、賢い者についても、助けてやりたいものなのだ。

 小鳩は遠慮なく、小部屋に入る。ややあって、異常がないか確認してから、六葉が一礼して入室した。

 阿智火は廊下で吐き捨てる。

「あーいらいらするわ」

「阿智火が苛つくなんて、珍しいな」

 もう一人、女の声が聞こえてきた。さばさばした声の主に対して、阿智火が薄暗く呟いた。

「腹の立つ輩だけれど、なまじか可愛いから手加減しなくてはいけなくて、自分で自分にいらいらしているの」

「え、何。私は阿智火の頼みだから聞いてあげたのに、けなされてるの?」

「はいはい。網代(あじろ)はいい子」

 その間に、六葉は隣の部屋に置き去りにされていた小型の琴を、持ち上げて運んでくる。

 いくつかの節を弾いてみて、音があまり合っていないなとひとりごちた。

「まぁいい。ここから先、万が一女神に騙されていて戦闘になろうが、何とかしよう」

「信じておられぬのか!」

 小鳩が、六葉の衣の裾に潜り込んで身を隠しながら叫ぶ。

 そうしてもめながら、六葉が楽器を調律しているうちに、誰かの気配が近づいてくる。

 緊張の間の後――それなりの衣をかけられた、あの少女が現れたのだ。

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