4 陰陽師の類縁
第16話
4 陰陽師の類縁
「ここで待っていろ」
真面目な顔をして言われると落ち着かない。
日和は普段着姿のまま、突っ立っていた。
「ここ、どこ? 近所を散歩するんじゃなかったの?」
「知る必要はない」
六葉の住んでいる屋敷もたいがい広いが、ここは輪をかけて大きかった。複数ある建物のうち、正門側は賑やかだ。華やかな楽曲と、男女の笑い声が聞こえている。
「六葉、仕事なの?」
「そうだ」
六葉はものすごく嫌そうな顔をしている。
ここは、屋敷の北庭らしい。裏門と思われるところから入って、橘の木の下に日和を立たせて、六葉は続けた。
「ここから離れるな。分かると思うが、この家は厄介だ」
「うん、裏門から入るときに、真冬みたいにびりってした。ぞわーっていうか」
「分かるなら、動くな」
「でも……私来ない方がよかったなら、家で留守番してたのに」
これまでだって、六葉のすべての仕事についていっているわけではないのだ。怪訝な気持ちを口に出してみると、
「家の方に見張りが来る……俺も来たくはないが、絡まれても面倒だから来た。式神を連れて来いと言われたが、お前をアレの前に出したくはない。かといって家に置いておけば勝手に引きずり出されかねない。苦肉の策として、ここにいろ」
「意味が分からないんですけど」
「あまり分からなくていい。俺の事情に巻き込んで悪いが、くれぐれも動かないように。この橘の下は魔除けになっている。なまじかなものは近づけない。……この屋敷には呪詛と呪詛返し、怨念が染み着いているから、悪い気にあてられて暴走するなよ?」
「私、悪い神になりませんってば!」
神であれ物の怪であれ、元は気のよい者であっても、他人の怨念に引きずられて、自分まで怨霊めいたものになることがあるのだ。そんなものになりたくない。
「神? 物の怪だろう」
「違います!」
騒いでいるうち、人が通った。六葉が慌てて、この場を離れる。
橘が魔除けというのは本当らしい、六葉がすぐに人に見つかったのと対照的に、日和はそのまま、誰からも見つかることがなかった。
(何か……これって……)
膝を抱えて座り込み、頬を膨らませる。
「つまんない、なー」
橘の葉は青々と茂っている。季節柄、黄色の実は生っていないようだ。実があったら食べてみたかったのだが。
他の庭木といったら、端の方にひょろりとした梅があるばかりである。
「あれっ」
梅の木の根元に、薄衣(うすぎぬ)をまとった女性が立っている。美しいが、体は半透明で、後ろの塀が透けて見えた。
見ていても、寒気もしないし、悪いものではなさそうだった。
(何だろ?)
やけに寂しそうな様子が、気になってくる。
「あのう、貴方は梅の精ですか?」
立ち上がって、橘の下から声をかけてみる。日和が魔除けの下にいるとはいえ、その声は届いたらしい。
女性は小首を傾げて、あら、という顔をした。どうもどうも、と挨拶をするそぶりであるが、声はない。
「貴方もそこから動けないんですよね? ごめんなさい、私もここから動くなって言われてて」
手を振り合ってから、日和はまた座る。
この距離では手遊びなどの暇つぶしもできない。
碁の代わりに、その辺の小石を拾って並べてみる。遊んでくれる物の怪を探したが、魔除けの木の下という立地のせいか、付近にそれらしいモノは見あたらない。
「誰か遊んでくれないかな~暇だな~」
「……あまり、そういうことは言わない方がよいですよ」
不意に、柔らかく窘める声が降ってくる。
日和はびっくりして、小石を蹴飛ばして飛び上がった。
「えっ!? 何? 誰?」
どこから聞こえたのか? ぐるぐる回って探していると、再び同じ声が答えた。
「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね」
至極丁寧な口調で、いたわりを込めて、誰かが言った。若い男のような声だ。六葉よりは年上かもしれない。
「私は、橘の後ろにある建物におります」
「あ」
橘の近くの建物は、どれも戸が立てられている。その割にははっきりと声が聞こえた――と思ったが、一番近い建物の横へ回ると、壁に明かり取りになる小窓が切られていた。
背伸びして、ふん、と顎を明かり取りの窓枠に乗せる。
「あの、貴方は人間ですか?」
真っ暗で何も見えない。
暗闇から返事があった。
「面白い呼びかけをなさいますね」
「えっと……私、何に見えますか?」
(物の怪って言ったら六葉みたいな人で、神って言ったら、ちゃんとした術者かな?)
予想に反して、相手は涼しげに声を発した。
「貴方は、何、と呼んでほしいのですか?」
問いに問いを返されてしまった。
束の間、日和は思案する。
(何か、難しそう)
相手は優しそうだが、六葉みたいにはっきり言ってくれない。
いったん黙ったものの、辺りには梅の木とその精、橘の葉を揺らす風くらいしかない。
黙って窓を見つめてから、意を決して話しかけた。
「あの……暇ですか?」
「さぁ。暇といえば暇ですが」
「ここで、人を待ってないといけないの。でも暇なの。あの木の下から動いちゃいけなくて」
「……もう、動かれていますよ」
「あっ! しまった」
日和は慌てて、橘の下に駆け戻る。
相手の声が、少し笑う。
「慌てさせて申し訳ない。幸いと言うべきか、この付近には浄化の術をかけてあります。貴方も、少しくらいでしたら、橘を離れても問題ありませんよ。私はここから出ませんが、暇つぶしのお話はできましょう」
「そこ、出ないの? 出られないとか、閉じこめられてるんじゃなくて」
「出ません」
優しい声音の割に、頑(かたく)なな響きだった。
何となく気になる。
「そこ、明かりもないよね?」
窓から覗き込んだとき、中は見えなかった。
「明かりが切れてるの?」
「明かりなど必要ないのです……私に価値などありませんから」
(面倒くさいこと言い始めた!)
日和の父が、言っていたものだ――どんな美女でも、暗いところに引きこもると、外で笑い声がしただけでやっかんで大変なんだよ、と。大昔、父様の姉様だか何だかが逆切れして引きこもり、誰も迎えに来ないと言ってさらに暴れたという伝説を思い出した。
「明かりは、大事ですよ!」
叫んでから、辺りを見回す。相変わらず、橘の木と梅の精しかいない。今なら、橘を離れても、六葉にはばれないだろう。
日和は素早く建物に近づき、階(きざはし)を上って戸を開ける。鍵も閂もかけられておらず、あっさりと中に入り込めた。
「何で引きこもりたいんですか?」
暗闇は、相変わらず怖い。目も鼻も開いているのに、のっぺりと塗りつぶされたような心地がする。夜は、たいてい六葉がいて、日和は今では、夜がそれほど怖いものではないと知っているが――怖いものは怖いのだ。震えそうな足を前へ出した。
それに対して声が言う。ごく、穏やかに。
「好奇心は身を滅ぼしますよ」
「滅びませんよ! 貴方は、私をどうかするの?」
「それができるような力を、今は持っていません」
以前はあったようなことを、彼は言った。
(やっぱり、まずかったかな?)
ちょっと迷ったが、いくつか光の玉を作る。ころころと床に転がすと、そのうちの一つが、誰かの手に行き当たった。
行き止まりの壁に背を持たせかけて、誰かが足を投げ出して座っている。いましめられていない、自由な身だった。
相手はどうやら苦笑したようだった。
「変わった方ですね……。私は以前陰陽師でしたが、途中で力を失いました」
「それで、誰かが貴方にひどいことをしたの?」
「いえ……力のないことで、何の貢献もできなくなった。しかし命を絶つこともできない……部下を悲しませてしまう」
「部下も、貴方に引きこもられてて、すでに悲しいんじゃないの?」
「何もできない上、習い覚えた多くの術をそのまま継承せず持って死ねば、一ノ瀬の損失です……」
「何か、ややこしいんだ……? それと、それは食べない方がいいです」
彼が光の玉を拾い上げて、そのまま見つめているので、てっきり食べるつもりかと思ったが。
彼は笑って、
「食べませんよ。綺麗な光だなと、思ったのです。闇に慣れた目には、いくらか明るすぎますが」
「意図しない形で、そういう、人間じゃないものの切れ端の力なんて口にしたら、化け物になっちゃうかも……」
「そんな不安を抱かせてしまったのか……」
重いため息をついて、相手の手が玉を離す。
「術も使えぬ、残ったのは知識だけ……私の存在に意味などない。その上、若い、幼い神を苦しめて申し訳ないことをしました」
(! やっぱり、神って分かってるんだ)
彼は、力を失ったとは言うが――その力というのは、陰陽師だの僧侶だのが使う術の、源のことだろうか。それがなくても、神かどうかは分かるものなのか。
(私だって、ちょっと前までぼんやり悩んでた。何もできないって)
自分自身は、人の世に落っこちる前とは、それほど変わっていない。でも、人の世には、ここにいろと、仕事をさせてくれる人がいる。仕事しているのか、ついていっているだけなのか、よく分からないが。
「知識だけでも、命だけでも、残ってたらいいんじゃないのかな。だって知識があれば、えーと、誰かに提案とかできるっていうか……父様の友達も、普段は畑に立ってるだけなんだけど、夜になると道案内するいい人で、道に迷ったひと達が相談に来て笑顔で帰ってく、人気者なんだよね」
「かかしみたいなひとですね」
「そうなんですけど! いいひとですよ、今度行ってみるといいです」
「私は、ここから出るつもりはないよ……」
話が戻ってしまった。
(どうしたらいいのかな、この人)
自分だったら、どうだろう。考えてみる。引きこもりたくはないけれど、そのくらいの気分のときに、どうなったら出かけるだろう?
ちょっと気分が上向いたら。たとえば姉様が、いい匂いのするお茶をくれたり。季節の変わり目で、花の咲く草の種類が変わってきたり。日差しの角度が、昨日より違っていたり。
「やりたいことって、ないんですか。柑子が食べたいとか、自分でその辺を走ってきたいとか……力の有無とか、自分の意味とか考えるんじゃなくって。自分が、気になってることとか、会いたいものはないんですか」
「……会いたいもの……」
相手の声に、不意に真面目な響きが宿る。
「……この敷地内にある梅は、まだ元気にしているかな……」
(さっきの、梅かな。……梅の精かな?)
「梅のこと、大事ですか?」
「……とてもか細くて、普段は頼りない木でね。だけれど、春先にとてもよい香りをさせる。美しいひとだよ」
(ひと、って言った。そっか、術者だし、あの梅のことが見えるんだ)
この人も、引きこもる前は、あの梅の側で話をしたりしたのだろうか。
そういえば、あの梅の精は、寂しげにどこかを見つめていた。
(たぶん、梅は大声で話せないんだろうな。だから……自分の顔見知りがこんなところに引きこもっちゃって、でも話しかけられないし、気になって仕方ないんだ。きっと)
「梅がどうなってるのか、人に聞いちゃだめです。自分で、見に行ってね!」
日和は、宿題だ、と高らかに宣言してやる。
後で六葉に言っておかなくては。梅の様子を知りたいなら、自分で見なさいって、みんながこの人に言うように。
「そうだね……」
相手の声は、まだ力ない。
「いつまでもそこにあると、思ってちゃだめですからね!」
「……神の言葉には、真がありますね」
(もしかしたら、力がないって言うなら、あの梅の精のこと、見えないかもしれないけど)
少し、不安がかすめたけれど、あえて強気で、元気よく言ってやる。
「ちゃんと、自分で。確かめてね」
建物を出る。人はあまりいない。隙を見て、外へ駆け出す。橘の下に行けば、任務完了だ――。
「わっ!」
日和は途中で飛び上がった。橘の前に、生首が転がっていた。血は出ていないが、白目をむいている。
「何これー!?」
叫び声で驚いたのか、生首がぱちぱちと瞬きした。ごとりと起きあがって、
「はて?」
何か声がしたような、と左右に首を傾げたが、叫んだ者はすでにいない。全力で駆け去った後だった。
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