2 奉り奉る
第9話
2 奉り奉る
「最近、大嵐が出てね」
その日、六葉が登庁すると、書簡を右から左へ受け流しながら、御手洗(みたらし)が眉をひそめた。
「すまないが、様子を見に行ってほしい」
「承知いたしました」
内容を確かめてから、といった、選択の余地などない。六葉は、書簡の隙間を通して御手洗から一枚の紙片を渡された。
受け取って戻る途中、きしむ板床がぐらりと傾ぐ。とっさに片手で印を結ぶ。術で宙に立つと、一拍遅れて、床はぐにゃりと曲がって落ちていった。
「かようないたずらをして、楽しむ者がおありですか」
「よいではないか! お前はちと頭が固すぎる」
「お前が緩すぎるんだ」
ゆがんだ空間に向かって、六葉はぼそりと吐き捨てる。
「ん? 何か聞こえた! 聞こえたな!」
子どものように、男が喚きたてる。この性格でいて、若い帝に取り入り、仏の慈悲とやらであちこちの災害を鎮めせしめる僧侶であるから、恐れ入る(無論これは嫌みである)。
「それで六葉殿。どちらへ行かれる? よもや嵐の主のところではあるまいな?」
「ほう。ご存じとは。東西参謀殿、さすが、御手洗様より上の位におられる」
「位以前に、身分の上下で言えば、自分の生まれは大したところではない。六葉殿のほうが生え抜きですなぁ」
情緒の安定を疑うほど、相手は自在に物言いを変える。彼と話すと面倒すぎて、六葉はいつも頭が痛くなる。
「……お前は、俺の幼少期を知らないくせに」
聞こえないように口の中で呟いた。東西は大仰な身振りで立ち上がり、袖を振った。
「ちーいさい頃から知り合いではないか! もっとも、お前が外へ出てきて術者として振る舞っていたのは七つかそこらの頃からか。我々が初めて出会ったのも、そのくらいだった。なあ?」
「さぁ。知りません」
「知りませんとは面妖な。可愛らしき我が妹が、お前の見た目に首っ丈であることを、この私はご存じなのだよ?」
見た目だけか。
「存じておりません」
やたらしつこい。御手洗が気づいてくれれば、この結界も――東西は、やたら部屋の「模様替え」をして遊ぶ――ほどいてくれるだろうか。いや、先程の忙しそうな様子では、気づいていても面倒で放置するだろう。自分で道を切り開くしかなさそうだった。
諦めて、六葉は一つため息をついた。
「……何のご用です。私を呼び止めて……いったい何が、世の栄華を極めうる権力を得つつある貴方の目に留まったと言うのです」
「他人行儀だなぁ」
「他人行儀にもなります。貴方が望んで得た権力でしょう」
「それはそうだ」
唇と目を釣り鐘のごとくへし曲げて、いかにも悪どく東西は答える。
「それでも人は容易にひざまずかぬ。お前とかな!」
「まぁ、術者としての腕比べで言えば、術の系統が違うので何とも言えませんが」
「そういうところがな。可愛くない。それでは妹はやれぬ」
いりません、と即答しかけて、我に返る。本人のいないところで勝手にいるいらぬと騒がれて、東西の妹も迷惑だろう。
「急いでおります。手短に」
「では端的に言おう。妹が、山嵐を押さえに出かけた」
「山嵐」
大嵐、という言葉は、先程御手洗からも聞いたばかりだ。
嫌な予感が、的中する。
「御手洗が人を手配すると言うから、妹にはそんなところに行かぬでよいと言ったのだがな。最明山の、下の社の入口神だけでもお慰めするのだと、今朝出かけていった」
「最明山の下の社というと、小さな花の神ですね」
「そうそう。小萩は美しいもの愛らしいもの、か弱き者の味方、いい子に育ったものだなあ」
「しかし……貴方と違って、小萩は一方的に神を改心させるわけではない。巫女は、手順を踏んで、しかるべき社にほぼ常駐して祈るべき者です。なぜあちこち勝手に出歩いているのですか」
「うちの小萩が昼間っから酒飲んで散歩して迷子になってる不良巫女みたいに言うな」
「そこまで言っていない。巫女は決まった社の神一人に仕えるか、仕事のときに決まった手順で祀りを行うもの。頼まれもしないでなぜ前線へ出ていくような真似を」
「知らん! だが、どうせお前か誰かが出かけるだろう。あれが無理をしているようであれば、無事連れ戻せ」
「連れ戻せと言われても。ご自分の意志で行かれたのであれば、ご自分で戻られるでしょう? 下の社であれば危険は少ないはず」
「あれは好奇心と矜持が高い。絶対に、上の社まで行く……暴れている大嵐を鎮めに行きかねん」
行ってうまく宥なだめてくれれば、六葉としては仕事が一つ、勝手に片づいてくれるのだが。
そうではないから御手洗は六葉を派遣したのだろう。
小萩では、鎮めきれないということか。あるいは。
「……御手洗様は、大嵐の話を誰から受けたのでしょう」
「ん? 俺かな」
「事情を理解しました」
神か何かはまだ分からないが、大嵐が荒れている。ただし、今のところ巨大な被害もなく、範囲も狭く、緊急性はないはずだ。
だが、権力者の妹が腕試し(かどうか分からないが)に出かけており、権力者から「あれを連れ戻せ」と指示されたのであれば話は別だ。
権力者もとい、目の前の、僧侶姿の男が、派手な飾りのついた道具をあれこれ弄びながらにやりと笑った。
「あぁ、一人でちゃんと行ってこい」
あまり分かりたくないような気もするが、念のため聞いてみた。
「家出の理由は?」
「知らん。まぁ、地方の神官のところへ降嫁させられるかもしれないと聞いて、腹は立てていたが。だが、巫女など、うっかり神の生け贄にでもなるぐらいなら、人間のところへ嫁に行けばよいのだ」
大方、それが理由だろう。
六葉は何度目かのため息をこらえて、大嵐の元へ行く算段を考えた。
*
「おーあらし?」
「何か知っているか?」
最明山の、現場の手前、下の社の近くで、ようやく六葉が立ち止まった。
日和はもさもさした頭を傾げながら、空を見上げて考える。
「ここ、嵐の神の社なの? それにしては、香りがよくって綺麗で、賑やかで華やかな空気だけど」
「下の社は、花の神だ」
「あっそれでこんななんだ~」
人気ひとけはほぼない。小鳥らが鳴き交わして飛び去っていく。
「爺に聞いたら分かるかも。一応毎日様子を見に来るから、そのとき聞いてみよっか」
「いつ飛んでくるのかも分からない鳩を待つより、上の社に辿り着く方が早い」
「それはそうなんだけど」
「社の由来から推定するに、ここには風神と、その風で舞う花達が奉られている」
社を囲む樹木は背高く、地面に大きな日陰を落としている。時折はみ出る己の影を踏みながら、日和はふうん、と気のない返事をする。
「その、風神が、大嵐を起こしてるの?」
「まったく無関係の別物かもしれないが、考えつきやすい仮定だな。お前が風神と顔見知りであれば、風神の性格などが分かって、類推が楽になると思ったのだが……さすがに知らなかったな。近くの社同士とはいえ、お前は単なる物の怪だ」
「だから! 物の怪じゃないったら」
慣れてきたやりとりをして、日和はふと前方の物音に気づいた。
「鈴?」
鈴、それから、鮮やかな歌声。
小山になっている敷地の、麓にある下の社――その目の前で、誰かが歌っている。歌にあわせて、鮮やかな緋色が舞った。鈴や薄布などがくるくると宙を回る。
長い黒髪をなびかせ、唇に笑みを浮かべて、美しい少女が舞っていた。
舞い終えた頃、辺りの空気はしんと静まっている。まるで周囲の色を塗り変えた後のように、木々も日差しも、彼女の方へ頭こうべを垂れているようだった。
「す、ごーい」
日和が思わず声をあげると、舞手は上気した頬をさらに染めた。視線の熱っぽさに、日和は、おや、と首を傾げる。
(これ、私じゃなくて……)
舞手の視線は、日和の後ろに向かっている。
「あら! 六葉様」
「……説明しておくが」
六葉が素早く口を切った。
「あれは幼なじみの家の娘だ」
「えっ私に説明してるの? 幼なじみ? えーと、陰陽師?」
「違う。巫女だ」
「六葉様! 私をそっちのけにして、なぜそんなちんちくりんと話しておられるのです?」
舞手が唇をとがらせて文句を言う。その睫毛は長く、霜でも降り積もりそうだった。
「すごく綺麗なひとだね」
日和が素直に呟くと、舞手は少しだけ眩しそうにこちらを見つめた。
「そういう貴方は……」
(あっ。巫女だったら分かるよね)
日和はちょっと居住まいを正したが、
「本当に、子狸めいていて。これが、六葉様が今回捕まえてきた物の怪ですの?」
「びっくりするくらい失礼だね! 綺麗なのに!」
「私、美しいのと正直なことが取り柄ですの」
「やかましく騒いでいると、せっかく鎮めたものが起きるぞ」
六葉が面倒さを隠さずに声を投げる。
「お前の兄が心配する。非常に邪魔で鬱陶しいので、家に戻ってやってくれ」
「小萩と呼んでくださいな」
人の話を聞かず、舞手の美少女、小萩は嬉しげに駆け寄ってきた。
「あーん、六葉様誉めてくださいまし! 私頑張りましたわ」
「あぁはいはい」
ぞんざいではあるが、六葉は小萩に袖にまとわりつかれても、拒否しなかった。
小萩が日和を見てにやりとする。
(何だろ?)
とても曰くありげな笑いだ。どういう意味か考えてみる。
(あれだよね、春先に一番最初に出た花の蜜で作ったお菓子を、妹達が勝手に食べちゃってて、私の分がなくてしょぼーんとしてたときに……姉様が、そんなにしょぼくれるなって言って。そうして私が怒られちゃったのを見てあの子達がしてた顔に似てる……)
違う気もするが、近い気もする。
(あの子達結構意地悪だったもんな~。ん? 意地悪? なのかな)
もう一度、確認してみる。
得意げな顔をして、六葉につきまとって、こちらを見やる、美少女の様子。
(合致した!)
「なるほど……!」
「何をぶつぶつ言っている?」
六葉が怪訝そうに振り返った。
「今ね、気づいたことがあって」
あのね、と普通に話そうとして、我に返る。六葉の袖に取りついたままの美少女が、呪わんばかりに目の下に皺まで刻んで、日和を睨んでいる。さっきまでの綺麗さはどこへ捨ててきたのだろう。
「い、いいです……」
日和は気後れして、引き下がった。
「何なんだ? とにかく、ここに用があるわけではないから行くぞ」
「あ、え」
六葉は自然な仕草で腕を引くと、小萩を簡単に振り払って石段の方へ歩きだした。
小萩は途端に顔色を変える。
「えっ六葉様、私のところにおいでになったのではなく?」
「お前の兄に、お前が戻ってくるよう何かしろとは言われているが。直接の上司ではないし、従う義理が今はない」
六葉は、そこでいったん、言葉を切った。
(さすがに、六葉、それは言い過ぎじゃないかな)
日和がうっすらと心配になったとき、
「私、知っていますのよ!」
己の衣の前を握りしめて、小萩が叫んだ。
「上の社! おそらく風神が、機嫌がお悪くて暴れていらっしゃる。私であれば、見事鎮めて見せますわ」
「いらないな。……いや」
一言で切って捨ててから、言い過ぎたと思ったのか、六葉が言葉を変えた。
「お前には、お前の仕事があるはずだ。頼まれもしていないことで、無闇に巫女の力を使う必要はない。帰りなさい」
「っ! 危ないから、帰れと、仰いますの? 六葉様は優しい人ですのね。ですがその子狸はどうです? 私よりもよほど、必要がなさそうなのに! 連れて行くのですか?」
「問題はない。これは俺の式神だ」
六葉はまったく取り合わない。地団太を踏んだ小萩が、日和を睨みつける。美少女だけあって、鬼気迫っていた。
「式神? その子狸が? いくら六葉様の選んだ式神とはいえ、そのようなみすぼらしい者に、私が負けるわけがありません!」
指さされて、日和はびくりとする。
「小萩、ひどいよ。私より、六葉に怒ってほしいんだけど!」
とんだとばっちりだ。日和の不満を意に介さず、小萩は高らかに宣言した。
「先にあの神を鎮めたほうが勝ちですわ! お前なぞ、負けてさっさと身を引いて故郷へ帰るがよいのです! この役立たず!」
「なっ」
熱烈な叫びに、日和は苛立つ。胸から腹から、声が吹きあがってきた。
「私のことなんて知らないくせに! そんな失礼な人に、負けたりしないもの!」
「では六葉様、後ほど」
六葉が止めようとしたが、小萩はあっと言う間に走り去った。六葉がため息混じりに振り返った。
「お前も真に受けるな」
「だって! あの人、失礼なんだもの」
「目が輝いている気がするんだが。お前がそれほど好戦的とは知らなかったな」
「私も!」
呆れた顔で、六葉は、先の方にある、神舞用の神殿へ向かった。
「六葉、小萩を追いかけないの?」
「小萩は周辺の山から様子を探るようだ。同じ場所を調査するより、別の方へ行って後で結果を持ち寄るほうが都合がいい」
「六葉、大嵐のことしか考えてないね」
つくづく仕事人間だった。
「姫様~」
不意に近くの松から、老人の声が降ってきた。日和は足を止めて手を振った。
「爺(じい)!」
青緑の羽をした小鳩が、ゆらゆらと舞い降りてくる。小鳩は日和の肩にとまって声を低めた。
「姫様。珍妙な約束なぞいたしましたな?」
「え?」
ぎくりとする。小鳩がふんと鼻息を吹く。
「爺は先程から、その辺で休んでおりましてな、すべて聞いておりました」
「隠れて聞いてたの?」
「隠れてなどいません。爺も歳を取ったので、よその神にご挨拶に行くにも、飛ぶのが休み休みなのですよ」
「私に用事があって来てくれたんじゃないの?」
「もちろん、姫様にもお会いしに参りましたよ! 姫様のお父上のお使いなども兼ねていただけです」
日和の頬に、小鳩の嘴と、柔らかな額が当たる。日和は小鳩の首筋を撫でてやった。
「あぁしかし、人間なんぞと遊んでおられはしますが、姫様嬉しそうですな?」
「え? そうかな」
「これまで姫様と、結果の見えているような間の抜けた賭けを試みる者は、おりませんでしたからなあ」
「爺、私のこともばかにされてる気がするけど」
小鳩はひらりと舞い上がった。
「さてさて。私は少し、南手の桜木の神に挨拶して参ります。くれぐれも無茶をなさいませぬように」
「分かってるよ!」
ここには危険がないと思っているのか――確かに、大嵐もなくて辺りは静かだ――小鳩は振り向かず、空へ吸い込まれて行ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます