第7話

 神(仮)又はヤモリ(仮)は、具合が優れなくて休んでいた小菊のところへ現れたらしい。

 その晩は、六葉と日和も、小菊の部屋で待機した。日和が丸くなって寝転がったら、小菊と六葉が掛け布を持ってきてくれた。

 翌朝、軽快に腹の虫が鳴り、小菊が持ってきてくれた椀で食事をとった。六葉がしみじみと呟いた。

「お前は、ものが食べられる種類なんだな。しかもかなり食べる」

「何、その評価?」

 食後、二人でさりげなく庭へ出て、そのまま外出する。

「どこへ行くの?」

「呪符をいくつか書いてくる」

「衛兵の仕事は?」

「それは本来の職務の者に戻らせる」

 昨日行った、大きな囲いの内側(大内裏)に踏み込んだ。六葉は衛兵の仮装のままだが、特にとがめ立てされなかった。

「今日は外で待つか?」

 六葉に聞かれて、日和は頷いた。

「あの、つるっとした人とか変な部屋とか、怖いから。ここに座ってる」

 動く飾りを見上げて待つ。

 入口の番をしている衛兵が、そわそわとこちらをうかがっている。目が合ったので、ちょこんと挨拶だけしておいた。ちょっと怯えられた。

(式神って、人に怯えられるものなのかな?)

 人間と目が合っただけで雷を落とす神もいるが、そういうのの積み重ねで、人間は人外をあぁして恐れるのだろうか。

 小鳩の姿はなく、辺りは静かだ。天気はよくて、日和はぼんやりと空を見る。

(あっ、父様に見つかったらまずいかも)

 日和は出入り口の段に腰掛けていたが、軒の内側に一段上る。衛兵がびくっとする。

(私が神って、分かるかな?)

 暇だし聞いてみるか、と身構えたとき、

「お前は、何を殺気立ってるんだ」

 ぽすりと頭部に何かが乗った。

 薄く黄色みがかった薄紙の巻物だ。受け取ろうとすると、取り上げられる。くれるわけではないらしい。

 さっきの衛兵は、畏まって一歩引いている。

「だって……私が何に見えるのか、聞いてみようかなって思って」

「陰陽師である俺が連れていて、これほどぞんざいに扱うなら式神だと思っているだろうな」

「式神って、物の怪?」

「以前説明しなかったか? 神でも物の怪でも、人間でも。家に置いていた、家事用の式神は、自立式で息を吹き込んである」

「息?」

「木の葉で人を化かす物の怪もあるが、それと似たようなものだな」

 六葉から、念のためと呪符を幾枚か、衣の中に突っ込まれた。赤ん坊が社にお参りに来るときみたいに、全身にお守りを縫いつけかねない勢いだった。

 そんなに危険なのだろうか。

 来た道を引き返しながら、日和は思う。

 危険って――ヤモリが? それとも。

 人間が。

 小菊を掴まえて、人のいない部屋に入る。日和は、六葉の後ろから小菊を覗き込んだ。

「貴方が、陰陽師である加西に呪符を……守り札を貰ったという話は聞いています」

 壁際に追いつめられた小菊は、びくりとする。

「見せていただけませんか。守り札があるのに何度も来るのは妙です。むしろ、守り札が原因でいっそう怪異が起きているのかもしれません」

「加西様が、私にこんな、恐ろしい目を見せていると……?」

「そこまでは申しません。証拠もまだ揃わず、不確実ですから」

 小菊はゆるゆると首を振った。

「お見せしたいのは山々ですが、ないのです」

「ない?」

「加西様が、持ち歩くのに一番安全だからと……紙札を、酒とともに、私の口へ……」

「飲んだのですか?」

 小菊は困惑しながら頷いた。

「そのときは悪いものではないと思ったので」

「では……役に立つか分かりませんが、念のためこれをお持ちください。人を引き寄せる術を無効化します。持って悪いものではない」

「あ、はい……」

「それがあったら、ヤモリは小菊のところには出てこないの?」

 日和の言葉に、六葉は首を振った。

「場所が分かっているから、しばらくは来る。だが、見つけづらいはずだ」

 六葉はうつむきがちな小菊を見やった。

「他には、まだ話していないことはありませんか」

「話していないこと……?」

 小菊はぼんやりと宙に視線をやった。

「分かりません、加西様のことも、今思い出したような気がします。なぜかしら、考えようとすると、全部、霧のようになる」

 小菊はひどく不安げに、六葉の渡した呪符を握りしめた。

 小菊がどこで立ち働くか、今日の予定をだいたい聞いてから、六葉と日和は庭へ出た。

 日は明るく、小鳩ではない鳥が飛んでいる。

(爺(じい)、元気かな?)

「お前は他の女官に見つかりすぎぬようにして、時々小菊の様子を見に行け」

「時々でいいの? ずーっと張り付いてなくていい?」

「百歩譲って、お前に女官の仕事ができるとしても、小菊のことを忘れて見失うだろうから、やめておけ。今回は、標的には呪符を持たせたから、神(仮)が接触する直前に感知できる」

 日和は瞬きする。自分の、もつれがちな髪を手で払いながら(小菊が今朝といてくれたが、すでにもつれ始めた)首を傾げた。

「六葉、小菊は嘘をついてるの?」

「どうかな。守り札だと思って飲んだ代物が、加西等のことを忘れるように作用しているのかもしれない。神(仮)を捕獲すれば、多少事態は進展するだろう。そいつが葦野を引き裂いたのか、加西がやったのか。あるいは……加西が神(仮)に手を貸していて、何らかの見返りを貰うつもりなのか」

 六葉の様子では、ヤモリ(仮)は神(仮)ということになっているようだ。

(神力があるみたいだったけど)

「ねぇ、六葉は、神かどうかってどうやって見分けてるの?」

「物の怪のくせに、違いも分からないのか」

「物の怪じゃないったら」

 そんなことも分からない人間に聞いたのは、間違いだっただろうか。

 むくれていると、気配の清浄さかな、と遅れて答えが返ってくる。

「威厳の有無という場合もある。社に祀られていれば神という場合も」

「ふーん。私は清浄じゃないのかな!」

 どうせそうに違いない。半眼で六葉を見やると、

「いや」

 否定されたので、日和は驚いた。

「え?」

「お前はそういえば汚れてはいないな。人を食う者でもないだろう、人間に対しては危険が少ない種類に見受けられる。俺が騙されているだけかもしれないが……騙すほど賢い感じもしない」

「うわっ、誉められてない!」

「少しは気をつけないと、お前が騙されて、人間にいいように利用されるぞ」

「今、利用されてるんですけど」

 六葉が不意に真顔になった。凛々しくて、何だかずるい。

「利用できるほど役に立ったか?」

「うわーん」

「まぁ、多少は役立ったのか……」

 思い返しているらしい。六葉を見ていて、日和も気づいた。

(私、連れ回されて、女官の格好もして、働いてたけど……)

 いてもいなくても、あんまり事態が変わらなかった気がする。

 六葉が、涙ぐんだ日和の肩を叩く。

「まぁ、多少面白かった」

「面白っ……?」

「それに、神(仮)がここへ侵入するとき、真っ先に気づいただろう。役には立っている」

「それは……ありましたけど」

 何だか面白くない気分だ。

(人間なんて、六葉なんて、ぎゃふんと言わせてやりたいな……!)

 日和は奮起した。勢いよく顔を上げて、つるりと足が滑ってそのまま頭から外壁に激突した。

 何をやっているのだ、と六葉の呆れた視線が背中に刺さる。

 涙目で起きあがったとき、ころん、と壁からヤモリが転がり落ちた。

「あー。ヤモリ、ごめんねー」

 日和は拾おうとした。瞬きしたヤモリは身を翻す。彼は口を開け、「あわわ!」と慌てて叫んで逃げ出した。

「あれっ、喋ったよ!?」

「あれは神だな」

「えっ!? あれヤモリでやっぱり神なの?」

 間近に見れば、神力の影響からか、ヤモリの気配は物の怪とは違うようだ。

「柑子みかんでたとえると、おいしいのが神で、ちょっとくずれかけてるのが物の怪で、腐ってるのが大妖っていうか。確かに神の方がちょっと清浄かも!」

「なぜ柑子でたとえた」

 六葉がぼんやりと突っ込みを入れる。

 そうこうしているうちに、ヤモリが塀を乗り越えて逃げていく。

「待てー!」

 少女は全速力で走り出した。六葉が後ろから「お前も待て!」と叫ぶが、無視した。

 自分で捕まえたい。

(絶対、捕まえたい!)

 捕まえて、胸を張りたい。塀を迂回して、近くの塀の切れ目を目指す。


 ――これはかなわん。何度も何度も邪魔をされる。えぇい口惜しい、だが割にあわぬ。帰ろう。

 ぶつくさとぼやきながら、ヤモリは塀を走っていた。まったく、ついていなかった。せっかく良さそうな娘を見つけて、手に入れるつもりだったのに。怪しげな術や、珍妙な者に阻まれて(壁を叩かれて、はたき落とされてしまった!)ヤモリは非常に不愉快だった。

 ――実に許せん! さっさと帰ろう!

 ぷんすか怒っていたヤモリは、思わず塀から足を滑らせた。

 このまま地面に無様に落ちる、かと思ったそのとき、淡い色の衣が、すいと宙に差し出された。ヤモリは、誰かの掌に着地する。

 ――あ?

 風が凪ぐ。薬のような、甘くも苦い香りが、道にわだかまった。

「うふふ」

 笑いを漏らして、女のような柔い面の者が、ヤモリを掌に包み込む。

「神よ。せっかく私が願いを叶えて差し上げようとしたのに。逃げてしまわれるのですか?」

 ――こ、こやつ。道案内役ではないか。今までどこへ行っておった。

 ヤモリは見上げる。相手は、柔らかく、ぞっとするほど優しく、微笑みを浮かべ続けた。

「うまく行けばその力、私にくださる予定だったではありませんか。ここまで手を貸して差し上げたのです、一部でも、報酬はいただきますよ」

 ヤモリが大きな口を開ける。ぞろりと、背骨に悪寒が流し込まれたような違和感があった。悲鳴をあげて慌てて身をよじったけれど、目の前の人間の口は、大きかった。

「いただきます」

 ――き、貴様! 何を……!

 一息で決着が付いた。

「うふふふ」

 己の掌まで綺麗になめて、ヤモリを跡形もなくして、彼は笑う。

「ヤモリ、待てー!」

 騒がしい者が近づいてくる。掌を下げて、彼は首を傾げた。歌うように口ずさむ。

「おや? 何かお探しですか?」

 裏門を回って来たのは一人の少女だ。

 つい最近、彼女を見たことがある。最初はひどくぼさぼさな頭をしていたが、今はいくらか無理矢理結われて、それなりに下位女官らしく見えなくもない。

 少女は目を大きく見開いて、辺りを見回すと、懸命に問いかけた。

「あのっ、さっきこっちに、ヤモリとか虫とか、飛び出してきませんでしたか?」

「さあ?」

 向こうの方に行ったのかもしれませんね、と来し方を指さすと、少女は素直に駆けて行こうとする。

「可愛らしいお嬢さん、慌てないで」

 危なっかしい勢いに、思わず声をかけていた。

「それより、貴方の連れのところへ戻ったらどうですか? 町は、一人歩きには物騒ですよ」

 その言葉で、少女は何か思い当たったらしい。ぴたりと足を止めて、振り返った。

「えっと……加西?」

「可愛らしい方に呼び捨てられるのであれば本望ですよ」

「あの、ごめんなさい?」

「不用意に謝られては困ります、何か詫びの品をいただけるのかと勘違いしてしまう」

 妖艶に微笑んだまま、加西は距離を詰めていく。

「ひ」

 少女は硬直したままだ。虎に出会った兎みたいに。

「陰陽師のことはご存じでしょう? 貴方のような方は、おいしく食べられて利用されてしまいますよ?」

 少女はだんだん涙目になっていく。

「そんなに怖がられるのも心外ですねえ」

 加西が呟いたとき、

「これはこれは!」

 朗々と、男の声が割って入った。

「このようなところでお会いするとは。江南邸の守りの仕事はどうされましたか?」

 どこか涼しげに、けれど油断なく、衛兵姿の者が近づいてくる。声を聞いた途端、少女がわずかに飛び上がって、

「六葉!」

 ほっとした表情になり、衛兵の後ろに駆け戻った。

「おやおや、実に可愛らしい」

「うちの式神です」

「こんなところで、取って食いやしませんよ」

 衛兵の格好をしている男に、睨まれた。ふ、ふ、と加西の体から笑いがこみ上げてくる。

「あぁ、先程、その方にも問われましたが、こちらには虫も何も来ていませんよ。一ノ瀬六葉」

「……ほう?」

 切っ先でも額に当てられているような、強い視線を、加西は笑みで押し返す。

 やがて六葉がきびすを返した。

「えっ、帰るの?」

 少女が戸惑っている。

「お返事もなしですか。冷たい方ですねえ」

 呼びかけてやったが、最後まで返事はなかった。

「まぁいいですけど」

 どのみち、用は済んだのだ。先程食ったヤモリの力が、その熱が、腹から染み渡っている。

 にやにやしながら、加西はその場を後にした。

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