第7話
*
神(仮)又はヤモリ(仮)は、具合が優れなくて休んでいた小菊のところへ現れたらしい。
その晩は、六葉と日和も、小菊の部屋で待機した。日和が丸くなって寝転がったら、小菊と六葉が掛け布を持ってきてくれた。
翌朝、軽快に腹の虫が鳴り、小菊が持ってきてくれた椀で食事をとった。六葉がしみじみと呟いた。
「お前は、ものが食べられる種類なんだな。しかもかなり食べる」
「何、その評価?」
食後、二人でさりげなく庭へ出て、そのまま外出する。
「どこへ行くの?」
「呪符をいくつか書いてくる」
「衛兵の仕事は?」
「それは本来の職務の者に戻らせる」
昨日行った、大きな囲いの内側(大内裏)に踏み込んだ。六葉は衛兵の仮装のままだが、特にとがめ立てされなかった。
「今日は外で待つか?」
六葉に聞かれて、日和は頷いた。
「あの、つるっとした人とか変な部屋とか、怖いから。ここに座ってる」
動く飾りを見上げて待つ。
入口の番をしている衛兵が、そわそわとこちらをうかがっている。目が合ったので、ちょこんと挨拶だけしておいた。ちょっと怯えられた。
(式神って、人に怯えられるものなのかな?)
人間と目が合っただけで雷を落とす神もいるが、そういうのの積み重ねで、人間は人外をあぁして恐れるのだろうか。
小鳩の姿はなく、辺りは静かだ。天気はよくて、日和はぼんやりと空を見る。
(あっ、父様に見つかったらまずいかも)
日和は出入り口の段に腰掛けていたが、軒の内側に一段上る。衛兵がびくっとする。
(私が神って、分かるかな?)
暇だし聞いてみるか、と身構えたとき、
「お前は、何を殺気立ってるんだ」
ぽすりと頭部に何かが乗った。
薄く黄色みがかった薄紙の巻物だ。受け取ろうとすると、取り上げられる。くれるわけではないらしい。
さっきの衛兵は、畏まって一歩引いている。
「だって……私が何に見えるのか、聞いてみようかなって思って」
「陰陽師である俺が連れていて、これほどぞんざいに扱うなら式神だと思っているだろうな」
「式神って、物の怪?」
「以前説明しなかったか? 神でも物の怪でも、人間でも。家に置いていた、家事用の式神は、自立式で息を吹き込んである」
「息?」
「木の葉で人を化かす物の怪もあるが、それと似たようなものだな」
六葉から、念のためと呪符を幾枚か、衣の中に突っ込まれた。赤ん坊が社にお参りに来るときみたいに、全身にお守りを縫いつけかねない勢いだった。
そんなに危険なのだろうか。
来た道を引き返しながら、日和は思う。
危険って――ヤモリが? それとも。
人間が。
*
小菊を掴まえて、人のいない部屋に入る。日和は、六葉の後ろから小菊を覗き込んだ。
「貴方が、陰陽師である加西に呪符を……守り札を貰ったという話は聞いています」
壁際に追いつめられた小菊は、びくりとする。
「見せていただけませんか。守り札があるのに何度も来るのは妙です。むしろ、守り札が原因でいっそう怪異が起きているのかもしれません」
「加西様が、私にこんな、恐ろしい目を見せていると……?」
「そこまでは申しません。証拠もまだ揃わず、不確実ですから」
小菊はゆるゆると首を振った。
「お見せしたいのは山々ですが、ないのです」
「ない?」
「加西様が、持ち歩くのに一番安全だからと……紙札を、酒とともに、私の口へ……」
「飲んだのですか?」
小菊は困惑しながら頷いた。
「そのときは悪いものではないと思ったので」
「では……役に立つか分かりませんが、念のためこれをお持ちください。人を引き寄せる術を無効化します。持って悪いものではない」
「あ、はい……」
「それがあったら、ヤモリは小菊のところには出てこないの?」
日和の言葉に、六葉は首を振った。
「場所が分かっているから、しばらくは来る。だが、見つけづらいはずだ」
六葉はうつむきがちな小菊を見やった。
「他には、まだ話していないことはありませんか」
「話していないこと……?」
小菊はぼんやりと宙に視線をやった。
「分かりません、加西様のことも、今思い出したような気がします。なぜかしら、考えようとすると、全部、霧のようになる」
小菊はひどく不安げに、六葉の渡した呪符を握りしめた。
*
小菊がどこで立ち働くか、今日の予定をだいたい聞いてから、六葉と日和は庭へ出た。
日は明るく、小鳩ではない鳥が飛んでいる。
(爺(じい)、元気かな?)
「お前は他の女官に見つかりすぎぬようにして、時々小菊の様子を見に行け」
「時々でいいの? ずーっと張り付いてなくていい?」
「百歩譲って、お前に女官の仕事ができるとしても、小菊のことを忘れて見失うだろうから、やめておけ。今回は、標的には呪符を持たせたから、神(仮)が接触する直前に感知できる」
日和は瞬きする。自分の、もつれがちな髪を手で払いながら(小菊が今朝といてくれたが、すでにもつれ始めた)首を傾げた。
「六葉、小菊は嘘をついてるの?」
「どうかな。守り札だと思って飲んだ代物が、加西等のことを忘れるように作用しているのかもしれない。神(仮)を捕獲すれば、多少事態は進展するだろう。そいつが葦野を引き裂いたのか、加西がやったのか。あるいは……加西が神(仮)に手を貸していて、何らかの見返りを貰うつもりなのか」
六葉の様子では、ヤモリ(仮)は神(仮)ということになっているようだ。
(神力があるみたいだったけど)
「ねぇ、六葉は、神かどうかってどうやって見分けてるの?」
「物の怪のくせに、違いも分からないのか」
「物の怪じゃないったら」
そんなことも分からない人間に聞いたのは、間違いだっただろうか。
むくれていると、気配の清浄さかな、と遅れて答えが返ってくる。
「威厳の有無という場合もある。社に祀られていれば神という場合も」
「ふーん。私は清浄じゃないのかな!」
どうせそうに違いない。半眼で六葉を見やると、
「いや」
否定されたので、日和は驚いた。
「え?」
「お前はそういえば汚れてはいないな。人を食う者でもないだろう、人間に対しては危険が少ない種類に見受けられる。俺が騙されているだけかもしれないが……騙すほど賢い感じもしない」
「うわっ、誉められてない!」
「少しは気をつけないと、お前が騙されて、人間にいいように利用されるぞ」
「今、利用されてるんですけど」
六葉が不意に真顔になった。凛々しくて、何だかずるい。
「利用できるほど役に立ったか?」
「うわーん」
「まぁ、多少は役立ったのか……」
思い返しているらしい。六葉を見ていて、日和も気づいた。
(私、連れ回されて、女官の格好もして、働いてたけど……)
いてもいなくても、あんまり事態が変わらなかった気がする。
六葉が、涙ぐんだ日和の肩を叩く。
「まぁ、多少面白かった」
「面白っ……?」
「それに、神(仮)がここへ侵入するとき、真っ先に気づいただろう。役には立っている」
「それは……ありましたけど」
何だか面白くない気分だ。
(人間なんて、六葉なんて、ぎゃふんと言わせてやりたいな……!)
日和は奮起した。勢いよく顔を上げて、つるりと足が滑ってそのまま頭から外壁に激突した。
何をやっているのだ、と六葉の呆れた視線が背中に刺さる。
涙目で起きあがったとき、ころん、と壁からヤモリが転がり落ちた。
「あー。ヤモリ、ごめんねー」
日和は拾おうとした。瞬きしたヤモリは身を翻す。彼は口を開け、「あわわ!」と慌てて叫んで逃げ出した。
「あれっ、喋ったよ!?」
「あれは神だな」
「えっ!? あれヤモリでやっぱり神なの?」
間近に見れば、神力の影響からか、ヤモリの気配は物の怪とは違うようだ。
「柑子みかんでたとえると、おいしいのが神で、ちょっとくずれかけてるのが物の怪で、腐ってるのが大妖っていうか。確かに神の方がちょっと清浄かも!」
「なぜ柑子でたとえた」
六葉がぼんやりと突っ込みを入れる。
そうこうしているうちに、ヤモリが塀を乗り越えて逃げていく。
「待てー!」
少女は全速力で走り出した。六葉が後ろから「お前も待て!」と叫ぶが、無視した。
自分で捕まえたい。
(絶対、捕まえたい!)
捕まえて、胸を張りたい。塀を迂回して、近くの塀の切れ目を目指す。
――これはかなわん。何度も何度も邪魔をされる。えぇい口惜しい、だが割にあわぬ。帰ろう。
ぶつくさとぼやきながら、ヤモリは塀を走っていた。まったく、ついていなかった。せっかく良さそうな娘を見つけて、手に入れるつもりだったのに。怪しげな術や、珍妙な者に阻まれて(壁を叩かれて、はたき落とされてしまった!)ヤモリは非常に不愉快だった。
――実に許せん! さっさと帰ろう!
ぷんすか怒っていたヤモリは、思わず塀から足を滑らせた。
このまま地面に無様に落ちる、かと思ったそのとき、淡い色の衣が、すいと宙に差し出された。ヤモリは、誰かの掌に着地する。
――あ?
風が凪ぐ。薬のような、甘くも苦い香りが、道にわだかまった。
「うふふ」
笑いを漏らして、女のような柔い面の者が、ヤモリを掌に包み込む。
「神よ。せっかく私が願いを叶えて差し上げようとしたのに。逃げてしまわれるのですか?」
――こ、こやつ。道案内役ではないか。今までどこへ行っておった。
ヤモリは見上げる。相手は、柔らかく、ぞっとするほど優しく、微笑みを浮かべ続けた。
「うまく行けばその力、私にくださる予定だったではありませんか。ここまで手を貸して差し上げたのです、一部でも、報酬はいただきますよ」
ヤモリが大きな口を開ける。ぞろりと、背骨に悪寒が流し込まれたような違和感があった。悲鳴をあげて慌てて身をよじったけれど、目の前の人間の口は、大きかった。
「いただきます」
――き、貴様! 何を……!
一息で決着が付いた。
「うふふふ」
己の掌まで綺麗になめて、ヤモリを跡形もなくして、彼は笑う。
「ヤモリ、待てー!」
騒がしい者が近づいてくる。掌を下げて、彼は首を傾げた。歌うように口ずさむ。
「おや? 何かお探しですか?」
裏門を回って来たのは一人の少女だ。
つい最近、彼女を見たことがある。最初はひどくぼさぼさな頭をしていたが、今はいくらか無理矢理結われて、それなりに下位女官らしく見えなくもない。
少女は目を大きく見開いて、辺りを見回すと、懸命に問いかけた。
「あのっ、さっきこっちに、ヤモリとか虫とか、飛び出してきませんでしたか?」
「さあ?」
向こうの方に行ったのかもしれませんね、と来し方を指さすと、少女は素直に駆けて行こうとする。
「可愛らしいお嬢さん、慌てないで」
危なっかしい勢いに、思わず声をかけていた。
「それより、貴方の連れのところへ戻ったらどうですか? 町は、一人歩きには物騒ですよ」
その言葉で、少女は何か思い当たったらしい。ぴたりと足を止めて、振り返った。
「えっと……加西?」
「可愛らしい方に呼び捨てられるのであれば本望ですよ」
「あの、ごめんなさい?」
「不用意に謝られては困ります、何か詫びの品をいただけるのかと勘違いしてしまう」
妖艶に微笑んだまま、加西は距離を詰めていく。
「ひ」
少女は硬直したままだ。虎に出会った兎みたいに。
「陰陽師のことはご存じでしょう? 貴方のような方は、おいしく食べられて利用されてしまいますよ?」
少女はだんだん涙目になっていく。
「そんなに怖がられるのも心外ですねえ」
加西が呟いたとき、
「これはこれは!」
朗々と、男の声が割って入った。
「このようなところでお会いするとは。江南邸の守りの仕事はどうされましたか?」
どこか涼しげに、けれど油断なく、衛兵姿の者が近づいてくる。声を聞いた途端、少女がわずかに飛び上がって、
「六葉!」
ほっとした表情になり、衛兵の後ろに駆け戻った。
「おやおや、実に可愛らしい」
「うちの式神です」
「こんなところで、取って食いやしませんよ」
衛兵の格好をしている男に、睨まれた。ふ、ふ、と加西の体から笑いがこみ上げてくる。
「あぁ、先程、その方にも問われましたが、こちらには虫も何も来ていませんよ。一ノ瀬六葉」
「……ほう?」
切っ先でも額に当てられているような、強い視線を、加西は笑みで押し返す。
やがて六葉がきびすを返した。
「えっ、帰るの?」
少女が戸惑っている。
「お返事もなしですか。冷たい方ですねえ」
呼びかけてやったが、最後まで返事はなかった。
「まぁいいですけど」
どのみち、用は済んだのだ。先程食ったヤモリの力が、その熱が、腹から染み渡っている。
にやにやしながら、加西はその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます