第6話
*
「ってことでした!」
「陰陽師? 小菊の縁者を当たってみるか」
その話が本当であれば、小菊本人から術者の気配がしそうなものだったが、と六葉が顔をしかめる。
「まぁ、あの屋敷自体、女官らがそれぞれ守り札だの何だの持ち歩いていて、術が微妙に絡んで判然としないからな。分からなくて当然かもしれない」
「そうなんだ?」
「建物自体にも術がある。お前には、妖払いの呪符が影響しないようにしてあるが、本来なら階の手前で払われていただろう」
「何て危ないところに行かせるの! っていうか、まだ私が物の怪だと思ってる? 私は神ですったら」
「神でも、こんなちんちくりんでは建物に入れまい……」
「失礼です!」
賑やかに歩いていると、近くの枝にとまっていた小鳥が驚いて飛び立つ。
(本当に、人間って、変なの)
ただ、嫌な感じではないのだ。
(姉様達が言ってる、「しょうがないわねーって何だかんだで可愛がっちゃうのよねぇ」っていうのと同じなのかなぁ)
小菊の実家筋は遠いようだが、知り合いが近くに勤めていた。小菊は幼少時代から可愛くてね等と長い自慢話(?)を聞きながら(父様もこういうところがある)、少女はたまにうとうとし、六葉の方は、終始にこやかな笑みを張り付けていた。
自慢話を同僚に遮られた男は、別れ際に思い出したように教えてくれた。
「あぁ、そうそう。最近変な夢を見ると言うから、陰陽師を紹介してやったよ」
「ご本人も仰っていました。どなたに頼まれましたか?」
「加西晴臣(かさいはるおみ)。美女っぽいから、女官の詰め所でも平気で入れそうだろう?」
(その理由もおかしいと思うけど……)
六葉を見やる。相変わらず笑みがあるが「そうですか」と答えたときに、わずかに力がこもった。
「加西って、六葉の知り合い?」
「そうなのかね?」
「いえ。親しくはありません。陰陽師の間では知った名前ということです」
男は事情をまだ喋りたそうだったが、業を煮やした同僚に連れて行かれてしまった。
しばらくして、日和は首を傾げる。
「六葉、どうしたの? 考えごと? えっ、私何かしたの!? 何で睨むの」
「加西は知り合いではない」
「私、そこで怒られてるの? 何でなの」
極めて嫌そうな顔で、六葉が呟く。
「加西は……お前も見ただろう。お前を連れて出向いた、最初の屋敷で。すれ違わなかったか?」
「あ、ごつくて睫毛の少ない男の人? それとも睫毛がたくさんある女の人?」
「お前の記憶には睫毛しか生えてないのか」
「睫毛の印象があったから! 睫毛が少ない方は衛兵? だったら多い人の方が陰陽師なの? 陰陽師は女の人もいるんですか?」
「今のところあまりないな。女は巫女になることが多い。ちなみに加西はおそらく男だ。素性は不明だな。あるときから都に現れたが……悪食で有名だから」
「あくじき?」
日和は首を傾げる。その頬を、六葉の手が軽く押した。
「お前も気をつけろ。アレは妙なものを食う」
「食べる?」
「小型の神や物の怪を頭から貪り食う」
「え!? 食べるの?」
日和は思わず飛び上がった。
「力のあるものを、種別もお構いなしに食う。以前、大路の西に鬼神が出たときに、数人で討伐隊を組んだことがある。俺や他の者達は、鬼を滅したり式神に落として数を減らしたが、加西は小鬼を捕まえて、片っ端から食ったそうだ」
「ほんとに? 六葉はそれ、見た?」
「俺は加西とは別行動だったが、他の奴の補助に戻ったとき、加西が小鬼の足を口からはみ出させていたのを目撃した」
「うわあ……人間なんですか? その人」
鬼なんて食べても、お腹を壊すに決まっている。壊さないなら、人間じゃない。
「加西は人間の気配しかせず、今のところ物の怪を引っかける術に検知されていない」
「さっき、六葉は私に、妖払いの術避け? みたいなのしてるって言ったけど……そういうのをしてるんじゃないの?」
「あれは簡易的なものだ。あらゆる探知術をかいくぐることは、さすがにできない」
「みんな、加西って人が人間かどうか試した後ってこと?」
「そうだ。あまりに不審だからな」
六葉はくるりと周囲を見回す。鳥も獣もいないことを確かめてから、ため息をついた。
「今回、奴が関わっているとなると厄介だな」
「その人と、話をしに行くの?」
「気が進まない」
「え~? 悪い人を捕まえるんでしょ?」
「加西は悪食(あくじき)で評判は悪いが、貴族の後ろ盾もある。呪詛を依頼したい者にとっては便利な男だ。俺が急に話をつけに行っても、揉み消される……もし加西が犯人であれば、証拠が揃ったときに動くしかない」
「六葉。取り締まりって大変なんだね?」
意外と地道だ。これまでの情報収集は結構大変だった。日和はほとんどついていっているだけだが、歩き回ったので足が疲れている。六葉は仕事だからな、と軽く頷いた。
「ひとまず小菊を見張るか。そもそも、加西は本当に守り札を渡したのか。本件はヤモリとは関係があるのか。ヤモリがどうなったのかも、確認しなくてはな」
*
日が暮れると少し肌寒い。辺りはとっぷりと群青色に飲み込まれている。
「何で夜に、忍び込むんです?」
日和はのそのそと庭木の間から這い出した。炊事場から漂う匂いで、お腹が空きすぎて目眩がする。
篝火を庭に配置した後、六葉は側に戻ってきて「黙っていろ」とだけ答えて、事情を説明しなかった。
(っていうか何で普通に衛兵をやってるの!)
六葉はごく自然に警備を務めているが、慣れているのだろうか。
(よく考えたらこの人、今日会ったばっかりだもんな……全然、掴めないや)
日和が鳴りそうなお腹を押さえていると、六葉は思い出したように言った。
「食べるか?」
六葉が手を差し出す。日和は反射的に受け取った。
干した果物、木の実。口に入れると、甘いしおいしいし、空腹でぼんやりしていた頭が少し働いてきた。
「これ、どこで?」
「非常食にな。そこで貰ってきた」
「六葉は何か、食べてきたんですか?」
「自分だけ食べては来てない」
少しむっとされた。日和は、言い方が悪かったのかなと悩む。
「だって……人間って、急に具合が悪くなって倒れたりするでしょ? 私だってお腹が空くのはつらいけど、神力が残ってれば死んだりしないし……六葉の方が倒れちゃうんじゃないかなって思って」
「日頃食事はとれているのに、一食抜いたくらいで死ぬか」
「そうなの? じゃ、よかった」
木の実は六葉が急に倒れたときのために取っておこうと思ったのだが、食べてもよさそうだ。もぐもぐと口を動かしていると、六葉がちらりとこちらを見やる。
「どうも、子狸でも飼っているような気がしてならないな……」
「んむ? むぐむぐ、何か言った?」
「いや。飲み物までは持って来られなかったが、悪かったな」
「大丈夫だよっ、しっかり噛んだら喉に詰まらない、うぐ」
「言いながら詰まらせるな」
躊躇ってから、六葉がため息をついて背中をさすってくれた。
「も、大丈夫です」
「そうか?」
疑われているようだが、ちゃんと飲み込んだので問題ない。
「口を開けて見せましょうか!」
「見せなくていい」
素早く頭を押された。
(真っ暗だし、爺もいないのに、あんまり怖くないなぁ)
元々、夜に出歩くこともなかったから、夜風が昼間と微妙に匂いが違うことも初めて知った。六葉の袖にも、自分が着せられている衣にも香りがついていたけれど、夜風はもっと不思議な匂いがする。
(姉様達は、出かけて戻らない日は、こうやって外を見て歩いてたのかな?)
――る……だ……よう。
ぶつぶつとした呟きが聞こえて、日和は顔をあげた。
「あれ? 何か今、通った?」
「何がだ」
「廊下に……」
「人間は通らなかったが」
「このくらいの」
手と手の間を、顔の横幅くらいに開いて見せる。
「しゅるっとしたものが」
「虫じゃないのか?」
「虫にしては細長いっていうか……あと、思い詰めた雰囲気で」
「思い詰めた?」
六葉に怪訝な顔をされた。篝火のせいで陰影が強く出て、ちょっと怖い。ひときわ怒られている気持ちにさせられる。
「普通の虫ってぶつぶつ喋らないじゃないですか。それが、喋ってたんですよ」
「物の怪か? ヤモリか?」
「ヤモリにしては細長い気もするな~、はっきり見えなかったから、分からないけど」
(そうだ、暗いから見えづらいんだ)
明かりを作ろうとしたが、我に返る。
「あの、明かり作っていい?」
「いや……必要なときに言う。今は待て」
ふわりと階(きざはし)を越えて、六葉が屋内に入る。
「入るの!?」
「大声を出すな。……確かに、外部の者の痕跡があるな」
庭側の部屋は夜間使われていないらしく、明かりが少ない。六葉を見失ったら、たぶん迷子になる。
「ろっ、六葉っ」
「きゃあっ」
短い悲鳴が聞こえた。
「今のっ、ねえ六葉……」
六葉が暗い色の衣だから、ほぼ見えない。立ち止まって舌打ちした六葉の背中に、思いきり突っ込んだ。
「ぎゃっ」
「お前は!」
不意を打たれたせいか、受け止めきれずに六葉が壁にぶつかって止まる。
「ごっごめんなさい!」
「見えないのか?」
押し戻され、日和はたたらを踏む。相手の顔の位置もよく分からなくて、適当な方向を向いて頷いた。
「普段、あんまり真っ暗なときに出歩かないよ、寝てるし。もし夕方出かけても、いつも明かりをつけるもの」
「物の怪のくせに、闇が苦手なのか」
「物の怪じゃないよ!」
「糸は繋いである。迷子にはならない」
六葉のあまりの落ち着きぶりに、日和は自分がばかみたいで恥ずかしくなる。
あの生き物(小さい)を早く追いかけなくてはならないのに。でも、怖いのだ。
「はぐれちゃったら、私、どうやって六葉を探せばいいの。六葉からは私の場所がすぐ分かるのかもしれないけど、私、こんな知らないところで、叫んだり走ったりする以外に六葉の探し方がわかんないよ!」
子どもみたいになってしまった。
ごしごしと顔を袖で拭う。いつの間にか顔がびしょびしょだった。
「……悪かった。お前の能力を把握しきらずに連れ歩いた」
「うん……うん?」
そういう話だっただろうか。
(あ、でもそうか。私のこと、何でもできるみたいに思ってたのかな?)
「私、何でもできそうに見えますか?」
「いいや」
即答された。
「ふぐっ」
涙ぐむが、
「だったらひとまず、衣の後ろでも掴んでいろ」
言われたので、遠慮なく掴むことにする。
先程の生き物の気配は、蛇行して壁を行ったり来たりしていた。おかげで、意外と早く、ぶつくさ言う声に追いついた。
「近いですよ!」
「静かに」
――だ、早く、……を、手に……ければ。
するりと、小さな影が床を走った。影は部屋に入り込む。
影を追って、六葉と日和も部屋に踏み込んだ。
調度品が少なく、棚もない。
暗いが、いくらか目が慣れてきた――誰か、いる。
その人は、怯えた顔で天井の辺りを見ていた。
「小菊!」
小菊は座り込んでいたが、こちらを見て余計に震えた。
「光って……?」
光?
六葉がちらりと振り向いて、舌打ちする。
「え、私?」
さっきから、目が慣れたのかと思っていたのだが――微妙に、自分の輪郭が淡く浮き上がっている。自分が光っていた。
「わっ、これは、その」
「手明かりが持てなかったもので、私がこの娘に術をかけました」
それより、と六葉が話を引き戻す。
「何がありました」
「あ、あ、夢ですか……? 以前枕元に来たものが、また出て……」
――来い、嫁に、……。
「いやっ!」
急に近くで聞こえたのだろう、小菊が思いきり、近くにあった道具箱で床を叩いた。
――ぎゃっ。
まさか当たってはいないと思うが、叩き潰さんばかりに激しい勢いだった。
「あまり無茶なさいませんよう。恨まれでもしたら厄介です」
六葉が小菊に言いさす。
「だって、でも」
「ねえ六葉、何か、これ……微妙だけど、力の感じが神力みたい……」
「まさか……」
ぬるりと壁を何かが這う。
「ネズミか?」
「違うよ! あれ……蛇じゃない?」
「蛇に手足があるか?」
「じゃ、やっぱりヤモリなの?」
物議をかもしたソレは、あっと言う間に、戸板の隙間から逃れていってしまった。
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