第32話:記憶―Forfeiture―
バイオスフォトンの波が治まり、キノナリに言われて海賊の拠点から離れていたニーアは海賊が次々に戦域から離脱している事に気づく。あまりにも鮮やかな撤退だ。元よりあの攻撃の後は離脱するつもりだったのだろう。ニーア達は、見事に陽動に乗ってしまったのだ。
だが少なくともこれで戦艦は無事だ。ニーアはもう一度海賊の拠点へ戻る。
「ヒューマさん……死んでいないはずだ、あの人なら」
根拠もない希望。それがいかに滑稽で愚直な物か。しかし、ニーアは信じるほかない。命の恩人が、こんなところで死ぬはずがないと。海上から海賊の拠点のコンクリートへ、ニーアは跳び立った。
不気味なのは、ニーアのモニターでも観測できたエネルギーの波に曝されても多少の焦げしかついていない建物だ。見かけだけだったのだろうか? しかしニーアはギアスーツの勉強の際、エネルギーのバイオスフォトンの性質を勉強している。
「バイオスフォトンは無機物を通り抜ける性質がある……」
厳密に言えば、そういう性質に変異できるのだ。バイオスフォトンが急激に普及した大きな理由はその変異性が認められたからだ。熱量を持つ事も可能、電磁を帯びる事も出来る。勿論、それなりの施設やコストはかかるが、不可能ではないのだ。
ニーアが見ている光景が現実である限りは、恐らく熱量変換は行われたのだろう。しかし、本当にそれだけか。ニーアが口から溢した変異性を考えると、少なくともこの拠点にいた子供達も危ない。
「ヒューマさんが間に合っていたら……でも」
ヒューマが間に合っていても、子供達を守る手段などあるのだろうか。単純で答えも判っている疑問だ。何せ、ヒューマでさえ安否が解っていないのにその議論に意味はない。
ニーアは海賊の拠点へ入り込む。もう遠い過去のように思えるこの光景は、ニーアにとっては懐かしさすら覚える。いい思い出はないが、少なくともマリーとの思い出とするならばこの通路で語り合った未来の事だろう。未来の意味なんて、知らないくせに、無知で無垢に語り合った、淡い希望の事を。
「でも、今なら叶うかもしれないんだ……」
あの頃語り合った、何も知らない世界を。未来を。自由を。マリーを連れて。二人で。
そう思うと気持ちが逸る。マリーがここにいる確証はない。でも、早く会いたいという気持ちが、それ以上に早く助けたいという気持ちがニーアの急かした。
そして、モニターに見慣れた対象を確認する。BR-06と表記された反応。ブロード・レイド、ヒューマの反応だ。
「ヒューマさんッ!!」
「……ニーアか」
ヒューマは健在であった。脚部のホバーで浮遊しながらゆっくりとニーアに近づいている。その傍らには四人のバラバラの歳の子供達がヒューマにしがみついている。重そうに見えるが、コアスーツによって筋力が強化されているため、実際は重くない。厄介そうにはしているが。
その子供達は見た事もない子供達であった。ニーアがギアスーツ部隊に編入されてから加えられた子供なのだろう。様々な人種の子供がいるが、皆揃って表情は俯いていた。
「大丈夫だったんですか!?」
「あぁ……しかし、いや」
ヒューマが口ごもる。珍しい事だが、その反応にニーアは動揺を覚える。思えば子供達は少なくても二十人はいたはずだ。最低がそれで最高が百人ほど。なのに、傍らにいるのは四人。いや、ヒューマの後方に一人、歩いてついて来ている少女がいた。
懐かしい顔だった。彼女を求めてあの戦いを超えてきたのだ。仲間達と共に。あの頃を追い求めて。
ニーアはバイザーを上げ、その少女の方へ駆けた。少女がビクリと震える。ギアスーツを纏っているのだから仕方がない。ニーアはヘルメットすら取り、少女に――――マリーに顔を曝す。
「マリー! 僕だよ、ニーアだよ! 助けに来たんだ!!」
彼女の手を取って必死に彼女の反応を待つ。俯いていたマリーは、恐々とゆっくり顔を上げ、ニーアが見た事もない弱々しい表情を見せた。そして、ただ一言だけ、短く呟く。
「あなたは……誰?」
その言葉にニーアは絶句する。そしてそんなマリーに自分の名を叫ぼうとした瞬間、ヒューマに手を握られて我に返る。
「……彼女は」
ヒューマが続ける言葉は聞きたくもなかった。認めたくもなかった。認めてしまえば、自分が抱えているそれよりも重く、苦しいものになってしまう。
でも、ヒューマは無情にも――――苦虫を噛み締めるように、断言した。
「記憶を失っている――――」
◇◇◇◇
彼女が記憶を失った大きな理由は、大量に死に倒れている子供達を見た事が原因だった。彼女は子供達のリーダーをしていた。だから、全ての子供達を知っていた。その、数分前まで生きていた子供達が、仲間が急に死んだのだから、彼女がそれを認識する事を拒み、一時的な記憶の喪失を生んだのだ。人間が持ちえる最大限のセーフシステム。心の崩壊を起こす前に急激なフォーマットを行ったと言うべきか。
ツバキと乗艦している看護師は冷静にニーアとヒューマに説明した。ニーアは息を飲み、ヒューマは無表情に腕を組んでいる。
「記憶は……戻るんですか?」
「……正直に言うとね、百パーセントじゃない。記憶を失う、という事は取り戻せる可能性もあるけど、逆にそのままずっと記憶を失ったままの可能性もある。こればかりは、私達も手を出せない。彼女が、受け入れるまでは」
その言葉にハッとする。自分もまだ、八歳以前の記憶を取り戻していないのだから。だから、もしかしたら永久に彼女はニーアの事を忘れたまま生きるかもしれない。
そんなのは嫌だ、と叫びたかった。でも、ヒューマがそれよりも先に冷静に言う。
「記憶が消えたわけじゃないんだな?」
「そう。人間の脳はそれこそ上手くできていて、フォーマットと同時にバックアップを作る。以前までの記憶をそこに内包し、初期人格を形成する。だから、このバックアップのデータから少しずつ漏れ出す可能性もあるし、そのまま固まって風化していく可能性もある」
「そうか……まだ希望は、あるという事か」
彼女の異常にヒューマは希望があると語った。ニーアにはそれが彼女を知らないから言える非情な決めつけに思えたのだ。だからニーアは思わず立ち上がって、ヒューマに怒りをぶつける。
「希望? そんなの、ないじゃないですか! 彼女は、今、僕の事を忘れているんですよ!」
「落ち着け、ニーア」
「落ちつけられませんよ! 僕は、僕はマリーを助けるために、ここに来た、のに……」
最後は言葉にもならない嗚咽に変わった。ニーアの思いをヒューマだって理解しているつもりだ。戦う理由にもなっていた少女が自分の事を忘れていたら、こうも自分本位な言い分にもなろう。
だからこそ、ヒューマは同じように立ち上がりニーアの胸ぐらを掴みあげた。
「ッ!?」
「ヒューマ!?」
「……こいつを、あそこへ連れて行く」
胸ぐらを掴んでニーアを浮かしながらヒューマは怒りを抑え込んだような声でツバキに言った。尋常じゃない馬鹿力だ。でも、それほどヒューマにとって今のニーアの姿はあまりにも情けなく、怒りを覚えてしまったのだ。
「あそこって……」
「こいつには現実を見せたほうがいいだろう。これまではただの海賊の被害者であったが、ここからは俺達の仲間にもなる。だから、あの光景を見せて、そこで判断する」
そう言いながら看護室から出ていく。その後ろ姿をツバキはただただ、ニーアの無事を祈って手を握った。
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