作為幻想の勇者と異界終焉の剣
折口詠人
第一部 聖剣と魔剣の覚醒
序章 鐘の音が止まるとき
鐘が鳴り響いている。
この音が止まるまで、この都市の命運が決することはない。と、バイアルジャン守備隊の一介の兵士にすぎないオイラートは思った。
鐘楼の鐘は、街に敵対勢力が侵入した時点で鳴らすことになっている。
止めるのは撃退に成功したときか、完全な敗北を喫したときだ。
あるいは、鐘楼そのものを敵に落とされて音が止まるか。
だが、最後の可能性はない。
外門では、押し寄せる敵兵をさばくことすら難しく、後退を余儀なくされた。後退に後退を続ければ、いつかは街の中央にある鐘楼にまで達するだろう。しかし、そこまで押し込まれるということはすなわち完全な敗北に至ったということだ。
だから、鐘の音がすべてを物語る。
——ワァァァァァァァァッ
オイラートは再び押し寄せてきた敵兵の波に意識を移す。歩兵だ。敵国であるローデシア聖王国の歩兵は板金鎧を装備しているので、ムラート砂国の革鎧とサーベルという軽量な装備に比べると動きが遅い。
一心不乱に突っ込んでくるところを横から現れた、友軍の軽騎兵隊が側面を突くとたやすくばらばらになった。
聖王国の兵士は、騎馬隊である騎士たちでさえも、入り組んだ町並みにおいて馬を走らせる能力に欠けている。彼らは平地での馬上槍を用いた
つまり、ありていに言えば、遊牧民族であるムラート砂国の軽騎兵隊よりも馬術は数段劣っている。
隊列の崩れた歩兵など、いい獲物でしかない。
オイラートは隊長の指示に従って、他の歩兵とタイミングを合わせて突進する。
斬る、払う、薙ぐ。
突かないのは得物がサーベルだからだ。
幸いにも出来るやつはいなかった。敵兵を一掃した後、辺りには血煙が漂い始める。見習いが辺りを駆け回って、まだ動いている敵に止めを刺していく。どこにでも見られる戦場の光景。ムラート砂国の兵は長年にわたって戦争を繰り返しているから、この程度で嘔吐くものはいない。
この狭い街路の小競り合いだけを見れば友軍の完勝。だが——。
白光が、炸裂した。
外壁の一角が、まるで積み木細工だったのかと言わんばかりに吹き飛ぶ。
——奴だ。
オイラートは自然に震え出す剣を握った手首を、もう片方の手で押さえる。それは武者震いではなく、恐怖。
突撃を阻むための土嚢を積み上げる作業の傍ら、思い出したくもない記憶が頭を駆け巡った。
異界人の勇者。
数あるそいつの二つ名。なんとも仰々しい。
ローデシア聖王国が見いだした真なる勇者、カンナギレイジ——。
この戦が始まるまで知ることのなかった名前は、もはや頭に焼き付いて剥がれない。
歓声がわき起こる。雄々しく、しかしどこか悲嘆めいた怒号だ。友軍のどこかの部隊が奴に向かって突撃を敢行したのだろう。
野戦ではなく、市街地で混戦に持ち込めば可能性はある。
民の待避も満足にできないのに、そんな方針を打ち出した守備隊の将をしかし、オイラートは批判する気は無かった。
昨日の野戦で思い知ったからだ。
奴は化け物だ。
まだ若く、子供のように見えるが、その実は、
中隊が一つ、木っ端微塵にされたのを目の当たりにした。
比喩ではない。
すべて吹き飛んだのだ。馬も鎧も盾も——人も。
ただの人間に出来ることではない。
いや——正気の人間にできることではない。
だが、奴は。
まるで決まり切った作業を繰り返すように、部隊を、兵士を消滅させていった。
——くそったれ。
俺たちをなんだと思っていやがるのか。
異界人は、この世界の人間ではない。だから気にしていないのか。いや、人の形をしているが、人ではないのかもしれない。
と、歯ぎしりをしながら作業を続けていて、ふと気づいた。
——鐘の音が、止まった?
慌てて頭を振り上げて鐘楼を見る。そこから、一筋の黒煙が立ち上っていた。
一体、何が起きた?
疑問に思う間もあらば——先ほど奴と友軍兵士が交戦を開始したであろう地点から、幾たび目かの大きな発光が見えた。ただその場で光っただけではない。
飛び出した光が、鐘楼に向けて飛んでいく。
その光が建物に突き刺さると。
轟音。そして。
——そんな、まさか。
鐘楼が、へし折れようとしている。
鐘の音は完全に止まったままだ。多分、さきほど音が止まったときに最初の一撃があったのだろう。そして、いまの一撃が鐘楼の構造そのものに致命的な破壊をもたらそうとしていた。
奴が、何を狙って鐘楼を攻撃したのかは分からないが——。
オイラートは、バイアルジャンの街が今まさに落ちようとしているのを実感せずにいられなかった。
思わず祈る。
……誰か——誰でもいい。なんとかしてくれ。
ここにはまだ人がいるんだ。市民が。
あの狂った異界人を、誰でもいい、頼むから止めてくれ——!
だが、その血を吐くような祈りに応えるものは……。
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