56.邂逅
爆発のあった場所から少し離れた森の中。
ケティエルムーンの魔法によって“転移”した竜が横たわったまま目を閉じていた。まだ“麻痺”の魔法が効いている様子であった。
時間を示していた日時計は爆発で木っ端微塵になっている。手術開始からどれくらい経ったのか、後どれぐらいで“麻痺”が解けるのかについて体感以外に手掛かりの無い状況だ。
竜は背中からも腹部からも流血はあるものの、今のところ命に別状はないようにみえた。さすがの生命力だった。
巨大な竜の傍らにはドゥクレイ、ヅッソ、フィーロ、モルトの四人が立っていた。
「で、どうするよ?」
大きな縫い針を手にフィーロは言った。
トリヤの負傷によって縫合の問題が宙吊りになっていた。
手のひらサイズの針ならばフィーロの出番だっただろう。だがさすがにこれだけ大きな針は扱ったことが無いし、なにより竜の血で服が汚れるのが嫌だった。他にやってくれる人がいるならそれに越したことはない。
「俺がやってみよう」
隊長のモルトが言った。フィーロはそれに口笛で賞賛し、鞘に入れたまま縫い針を隊長に手渡した。針の柄頭にはすでに赤い糸が結びつけてあった。
よろしくう、というフィーロの言葉に隊長は無言で頷いた。
ヅッソが“飛翔”を唱え、針と糸と隊長を竜の腹の上へと運ぶ。
「……すいません」
ヅッソは隊長に聞こえないぐらいの小さな声で言った。
「なに、魔術士さんが謝ることじゃない」
聞こえていたようで隊長はそう返した。
「こういうのはやるかやらないか、それだけのことさ」
隊長は飄々とした態度で言った。
箱組のメンバーにも剣の扱いに長けた者はいなかった。ショットは狩人の経験があるが使えるのは弓矢だけ(故にショットと呼ばれている)であるし、スモークは短剣は扱えるものの先日の事件で右腕は動かないままだ。
その隊長の淡々とした物言いに、ヅッソは静かに叱責されているような気持ちになっていた。騎士団長の息子である自分が、もう少し父の素養を継いでいれば役に立てたのかもしれないと思うと胸が詰まる思いがした。だがヅッソ自身、身体も虚弱で剣術のセンスも皆無だった。実際、二人の弟に体格差で負けるようになると父はヅッソを見捨てて二人に稽古を付けるようになっていた。あの時どう立ち振舞おうがここで役に立つような人間にはなれなかっただろう。
ヅッソはモルトとともに竜の腹の上にゆっくりと降り立った。
隊長が慣れない手つきで鞘から針を抜き放つ。開腹口の端に赴き、くるくるとまとめられた糸の束を遠くへ投げる。
柄頭から伸びた真っ赤な線がしゅるしゅると後方へ飛んだ。
ヅッソが開かれた腹の皮を持ち上げる。
皮膚の内側から針を突き刺す必要があった。
前述の通り、竜の皮膚は五層構造になっている。外側から差したのでは硬鱗皮に刺激を与え、内側のダイタラント層を硬化させてしまう。そうなるといかなる武器であっても竜の皮膚を切り裂くことは出来ない。トリヤが皮膚を外側から断てたのは“竜斬”の魔法と彼の剣技があってのことだ。
だが、内側から突くのであればダイタラント層の硬化は理論上起こらない。縫う分には支障なしと考えられた。
「でえい!」
隊長は全体重を針に乗せ、突進した。
ヅッソを貫かんばかりに巨大な針を厚い皮膚に突き立てる。
次の瞬間、隊長の身体ははるか後方に吹っ飛んでいた。針は宙を舞い、竜の腹の上に音もなく転がる。
針は、刺さらなかった。
ヅッソには、目の前の出来事がスローモーションに映し出されていた。
思わず口を継いで出た言葉は「……嘘だ」だった。
重ねて頭の中で言葉が響いた。
『……それじゃあ駄目だ』
その声は、ヅッソの深い記憶の底から唐突に浮かび上がってきた。
『それじゃ駄目だ。重心を前にし、体重を掛ける。それを踏み出した膝で止めてやるんだ。今みたいに身体が前に行くほど手は前に出なくなる』
低い、男性の声だった。
『膝で止め、体重移動を止めてやれば手が前に走り、剣先が走る』
それは、良く知っている声だった。
『今の感じだ。いいぞ。それ、もう一回だ』
声の主は、騎士団長バルブレア。
鍛え上げられた太い腕で二メートル近い大剣をやすやすと振るい、また、レスリングでも無双であったという豪の者。
そして、ヅッソの父親であった。
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