48.温度

 二度目の跳躍も意味をなさなかった。

 トリヤの一閃は液体化した金属をすり抜けるだけで、何の傷も与えることが出来なかった。

「……っつ!」

 思わず柄から手を放した。竜の白い腹の上をミスリルの剣が転がる。

 刀身が赤く焼け、その熱さが柄にまで及んでいた。このまま斬りつけ続けたなら、剣自体が溶けてしまいそうだ。

 上空の“絶望アぺル”はおもちゃで遊ぶように、ヅッソ目掛けて炎を放ち続けている。

 ヅッソがその放射を交わせば交わすほど、背後で森が緑から赤へ、そして黒へと変わってゆく。

 それでも飛翔の魔法をコントロールしながら、少し思いついたことがあった。

「トリヤっ! もう一度いけるか?」

「い、いけるぜ!」

 言いながら再び柄を握る。熱いなどと言っている局面ではない。

「右腕狙って跳んでくれ!」

 言い終えてヅッソはすぐさま魔法の集中に入った。

 トリヤは剣を鞘に収め、もう一度開創器を使って空へと跳んだ。

 ヅッソの詠唱している魔法の名は“氷結”であった。

 マイナス二七三℃の氷の粒を叩きつけ、対象を凍死させうる上位魔法である。

 狙うは“絶望アぺル”右腕である。あの右の指先から放たれる炎を何とかしなければならないとヅッソは思った。

 液体化する防御機能の正体の見当はおおよそ付いている。体温を急激に上昇させることにより金属の肉体を液化させているのだ。ミスリルの剣がその熱で持てないほどの熱さになっているのもむべなることである。

 液体化が温度によるものなのであれば、策はあった。

 上昇する体温を抑える魔法を重ねて放つことで、防御機能を回避できるはずである。そこにヘカトンケイロスの巨大な腕を裁ち切ったトリヤの一撃が加わればさすがに無傷ではいられないはずだ。

 詠唱している“氷結”は、“低温化”、“冷却”、“凍結”を越える温度変化形の中でも最上級の魔法である。マーフォークが自らの生活の場である海を瞬時に凍らせるゆえに狂気の魔法と呼んでいたほどである。

 トリヤが開創器の先端を蹴る直前に魔法が完成する。

「……ブロド、キグス!」

 ヅッソの手から冷気とともに放出された無数の氷塊が“絶望アぺル”の右腕に叩きつけられる。

 魔法による攻撃に対し、自動的に防御機能が働く。体温を上昇させ、己の肉体を液体化させる。

 その機能に“氷結”が抵抗する。絶対零度の氷の粒がその温度上昇を著しく妨げ、派手に湯気が沸き上がる。

 そして、トリヤの高度が“絶望アぺル”の右腕に到達する。

 働くはずの“絶望アぺル”の防御機能が、ヅッソの“氷結”によって阻害される。液体化せずに表面に白い霜を下ろした金属質のその表面に、トリヤの渾身の一撃が加わる。

 がきぃん、と派手な音がした。

 金属の欠片が宙を舞った。

 その一撃は“絶望アぺル”にダメージを与えたかのように見えた。

 だがそれは違っていた。

 ヅッソの放った“氷結”は“絶望アぺル”の表皮を凍らせたに過ぎず、またトリヤの一撃もその表皮を破壊したに過ぎなかった。

 体積比が違っていた。

 人一人を瞬時に凍結させることのできる“氷結”だったが、全長五メートルの巨人の体温を全面的に低下させるには及ばなかったのだ。

 体積比は相似比の三乗である。全長五メートルの巨人と人体との体積比はこれにより二十倍以上にもなる。“絶望アぺル”を構成する金属の熱伝導率が仮に多少高かったとしても、その全身の温度を下げるには足りなかったということなのだろう。

 表面こそ温度低下により液体化の影響から外れたところで、本体に大きなダメージを与えるには及ばなかったのだ。

 だが、結果的に戦況に変化を与えることはできた。

 それは、“絶望アぺル”を怒らせる、というあまり歓迎しがたい変化であった。

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