番犬ライフ!

とお.

0.『お手』はまだ抵抗があります。


「あ!わんちゃんだぁ!」


「やめなさいっ、飛び付かれでもしたらどうするの⁉︎お洋服が汚れてしまうわ!」


「でもママぁ〜、このわんちゃん泥だらけでかわいそうだよぉ」


目の前に、子連れの親子が居る。保育園からの帰りらしく、黄色い帽子を被り、フリルが付いた真っ白なスカートを履いた可愛らしい女の子が、こちらを指差しながらお母さんに「このわんちゃん家に連れて帰ってあげようよ」 なんて言っている。


「だめよ。ペットは飼いません。それにきちんとお世話も出来ないでしょう?」


「ちゃんとするもん!」


「だめです。帰りますよ」


「やだぁ〜っ!」


子供は本当に突拍子も無く泣き始める。親が「だめ」だと言えばすぐ泣く。泣けば自分のワガママが聞いてもらえるとでも思っているのか。いや、子供とはそう言うもんだ。その場その時の感情を自分の中で整理しないまま表に放出する。

親が言った、何がだめで、何が良い事なのか、小さい子供は理解出来ない。


「わんちゃん……ごめんね…」


終いにはコレだ。子供がこうして“可哀想な目”でバイバイしてくる時は、純粋な気持ちを突き付けられている気分になる。


(わんちゃんじゃねえけどな……)


それを素直に受け入れる事が出来ない俺は心底心が荒んでいる。


(……くそ……今日もだめだったか…)


あんなに純粋に俺の事を拾ってくれようとした女の子には悪いが、結果拾ってくれなかったさっきの親子もハズレだ。

言わば俺は絶賛媚売り中の身だ。俺を拾ってくれそうな奴なら誰でもいい。せっかく慣れない上目遣いと尻尾を千切れる程振ってやったのに、さっきの親子は結局拾ってくれなかった。だからハズレだ。


誰かに媚を売るなんて、プライドが高かったあの頃の俺は一体何だったんだと自分に言いたくなるが、今はもうそんな事どうでもいい。

上目遣い一つで食べ物と寝床を提供してくれるなら、拾ってくれる奴は誰でもいいんだ。


「クゥ〜ン…」


ガクリと肩を落とすと、同時にため息も出た。尻尾は振り過ぎて付け根痛いし、さっきから耳の後ろあたりが痒くて仕方がない。何より、腹が減った。


雲行きも怪しくなって来たから、とりあえず場所を移そう。と、俺は重い腰を上げ電柱の側を離れた。その途中、コンビニに弁当屋、お惣菜屋に飲み屋が目に入って来るが、どの暖簾も今の俺には潜る事が出来ない。


「クゥ〜ン…」


またため息が出てしまった。

わらわらと賑わう街中を、泥だらけになった犬1匹横切ったところで、誰も気に留めたりしない。


あ、子供とか中坊とかは見かけたら駆け寄って来てくれるけど、無駄に乱暴に撫でくりまわされるだけだ。正直、それだけは迷惑だ。


(酒飲みてえ……タバコ吸いてえ……)


道端にある喫煙所には、仕事帰りのサラリーマン達がスパスパと気持ち良さそうにヤニを吸っている。飲み屋にはこれから合コンらしきものを開催しようと男女それぞれ4人ずつの若者達が期待に満ちた目をして店に入って行く。

俺も、数日前まではそのどちらの楽しみ方も知っていたと言うのに、今じゃ手の届かない別世界の様に感じる。


「あらぁ、可愛いわんちゃんだねぇ〜」


タバコ屋の前を通りすがろうとすると、タバコ屋の小さな窓からご年配の女性がしわくちゃになった笑顔で俺を見下ろしてきた。


「クゥ〜ン」


ここぞとばかりに、俺は上目遣いと尻尾を振る。歩き疲れて喉もカラカラだし、腹の虫が鳴り止まない。


「あらぁ、お腹が空いてるの?ちょっと待ってねぇ、今何か……」


(しめた。これで食べ物にありつける)


店の奥へと何かを探しに行った姿を確認し、俺は確信した。


タバコ屋か。もしこの婆さんに拾ってもらえたなら、俺はこの店の看板犬になるのだろうか。

それも悪くない。毎日店の前で寝そべって、適当に店の前を通る人に可愛い仕草の一つでもしてやれば、店の好感度も上がって商売繁盛だ。招き猫ならぬ招き犬。店の主人は大喜びで、招き犬がいるこのタバコ屋は街の観光名物の一つとなる。名物犬を見にあちこちから観光客が殺到。雑誌や新聞にも載るかもしれない。もしそうなったらこの店はもっと商売繁盛するだろう。そしてご褒美として俺は毎日美味い飯が食える。


なんて、ざっと数秒でとんだ妄想が始まった。


「あぁ、待たせたねぇ」


汚い妄想をしている間に、婆さんが戻ってきた。その手には、牛乳ビンと、菓子パンが入った袋。


(飯だ!)


婆さんが店から出てきて俺の目の前で膝をつく。しわくちゃな笑顔で見下ろされ、俺も飯にありつける嬉しさで尻尾をブンブンと思い切り振った。


「さぁ、お手」


「……………」


だがだ。だがしかしだ。

婆さんがにんまりとした笑顔で、菓子パンが入った袋を握り締め、もう片方の手の平をこちらに出された瞬間、俺はフリーズしてしまった。


「おや、お手は出来ないのかねぇ」


「………」


そう。俺はまだ、自分が犬になってしまった事、その全てを受け入れているわけではないのだ。




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