第9話 人はそれを愛って呼ぶんだぜ
ミリーナ・ラヴクロイツ。
それがわたしの名前。
むかし、むかしのこと。わたしは、政略結婚を無理矢理進めようとしてくる両親が嫌で、家出をしたの。
行くあても特にない。いや、あるわけない。わたしは、いわゆる“箱入り娘”ってヤツだったから。あ、でもね。一応一人だけ、男の子の友達が居たんだ。
親同士が友達で、幼なじみって言うのかな。まるで実の兄妹みたいに育ったから、別に恋愛感情とかそういうのは全く無いんだよ?
『なあ、ミリーナ。知ってるか? 王都から出たら、もうそこは“魔物”の領域なんだ』
『そうなの?』
『おう。だから、俺たちみたいなガキは、外に出させてもらえねーのさ。あぶねーからな』
『へぇ~、そうだったんだ』
彼の名前は、えーと……。なんだったっけ……。ああ、そうそう。ローウェルだ。
彼は子供の頃から物知りで、“外の世界”に憧れを抱いていたの。
『早く大人になりてーなー』
それが、彼の口癖だった。
大人になって、立派な戦士になって。そしたら、外の世界を冒険するんだ! って、ローウェルはよく言ってたなぁ。なつかし。
『そうだ! 大人になったらよ、一緒に世界を旅して回ろうぜ!』
『世界を?』
『おう! 世界中を冒険するのさ! ワクワクするだろ?』
『世界中を? うん! とっても楽しそう!』
『よっしゃ、約束だぜ!』
『うん、約束っ!』
そして時が経ち、彼も、わたしも、その“大人”になった。
でも、わたしもローウェルも、国の中枢を担う大貴族で。そんな勝手なことが許されるはずもなかった。
『お父様! どうして!? どうして、もうローウェルと会っちゃダメなの!?』
『……あの家とは、縁を切った。もう二度と、会うことは許さん。その名を口に出すことも、禁じる』
『どうしてっ!』
世界中を旅する事を望んでいたローウェル。そんな彼の夢を潰したのは、わたしのお父様と、彼自身の父親だった。
詳しいことはよく知らない。ただ、仲が良かったはずの父同士が、互いに憎み合うようになってしまう程の
そして、ローウェルはわたしの前から姿を消した。本当に、会うことができなくなったの。
それからだ。お父様とお母様が、わたしにお見合いを勧めてくるようになったのは。
『もう、やだ! こんな家に居たくない!』
『待ちなさい、ミリーナ! どこへ行く!?』
『しらないっ!』
『ミリーナ! ミリーナッ!! 待て、待つんだ! ミリーナァァァ!!』
それまで、聞いたことがない程に必死な、お父様の声。それから、わたしと両親が再会する事は、二度と無かった。
住んでいた屋敷を抜け、王都を抜け、ローウェルが行きたがっていた“外の世界”に出て、どこへともなく、走った。走り続けた。
『……おなか、すいたな……』
『わふ……?』
『あ、わんこ……。ごめんね、あげるもの、なんにもないんだ。なんにも……』
『……わふ……』
『あっ……』
屋敷での暮らしが嘘のように、ひもじい思いをした。なまじ裕福な暮らしをしていたものだから、プライドばかり高くて、そこらへんに落ちてる残飯を食べるなんて事もできなくて。
すりよってきたわんちゃんを助けることすら、できなくて。
『うっ……うぅ……。ローウェル、おなか、すいたよぉ……。お父様……お母様ぁ……』
それでも、やっぱり帰りたくなくて。
今にも倒れそうな身体を引きずって、ゆっくり、ゆっくり、歩き続けた。
雨に濡れる日もあった。
道行く人に笑われ、石を投げつけられる日もあった。
逆に、心優しい旅人に、ご飯を恵んでもらう日もあった。
外の世界とは、こんなに過酷なんだと、世間知らずなわたしは、ようやく思い知った。
明るいうちは歩いて。
暗くなったら休んで。
ちょっとずつ、ちんけなプライドも無くなってきて、残飯を食べられるようにもなった。
みんな、ローウェルが教えてくれたこと。
『貴族のプライドなんざクソ食らえさ! いざというときゃ、食うものを選んでられねーんだ。覚えとけよ?』
『えー、やだなぁ』
『おいおい……。そんなんで旅なんて、できると思ってんのかよ、お前は……』
『できるよっ! きっと!』
『……お、おう』
楽しかった日々のことを思い出して、夜はわんわん泣いた。今にして思えば、よく盗賊とか魔物とかに襲われなかったな~って感じ。
そして、あなたと出会った。
『……なんだ、この薄汚い娘は』
『……?』
『喋れんのか? 人間だろうが。まぁどうでもいいが、私の領域に何の用だ。さっさと答えんと殺すぞ』
『ッ!?』
フィオの第一印象は、“恐ろしい怪物”だった。行き倒れてる女の子に対して、答えんと殺すぞ、はないよねえ。ひどいよねえ。外道だよねえ。まったく。しかもでかいし。
『……ミリーナ……』
『ミリ……?』
『……ミリー、ナ……』
『ミリーニャ?』
『……ミリーナッ!!』
『……鳴き声か……?』
『…………』
ないわー。ほんと、ないわー。
今思い出しても腹が立つよっ! 鳴き声? そんなわけないでしょうがっ!
『わ、たしの、な、まえ……』
『……おお、ミリーナという名前なのか。で、何の用だ? いや、それ以前に痩せすぎだな。栄養不足か。あー、だからあまり喋れないのだな?』
『…………』
“恐ろしい怪物”から、“変なヤツ”に変わった瞬間だった。あれから色んな人とか、魔物とかを見てきたけど、フィオ以上の変人は、いないと思う。
そこでわたしは気を失い、次に目覚めた時、目に入ったのは、ネコみたいに丸まって寝ている、無防備なフィオの姿だった。
『……いや、玉座でかっ……。あれ? なんか、身体が……』
あれだけ辛かったのに、一気に身体が軽くなっていた。あの時はワケが分からなかったけど、フィオが暗黒霊術で助けてくれたの。今ならわかるよ。
『おお、ミリーナとやら。起きたか』
『うん』
『で、何の用だ?』
『……またそれ?』
『うむ』
どれだけ人の事情を聞きたいんだ、このヒトは。わたしはそう思った。普通なら、『まぁ今はゆっくり休むといい』とか、そういう優しい言葉をかけてくれるところだよね!?
仕方なく、生まれたときから行き倒れるまでのエピソードを話してあげた。彼が延々と聞いてくるものだから、ついね。
で、全部聞いた後、フィオが一言。
『なんだ、それだけか? つまらん』
『……えっ?』
わたしのそれまでの人生が、“つまらん”の一言であっさり切り捨てられたの。
『いいか? “神生”……いや、“人生”とは、こういうものだ』
果てしなく長い、フィオの生い立ちを延々と聞かされた。さらっと“私は暗黒神でな”から始まり、目が飛び出るほど驚いたなぁ。
何日かかったかわからないけど、話を全部聞いた後、わたしはこう思ったんだ。
『たしかに、つまらん、だね』
『殺すぞ貴様』
『ちがうちがう、わたしの人生のことだよ』
『ああ、そっちか。そうだ、実につまらん。平々凡々、ありふれたゴミのような人生だ。その程度で絶望するなど、苦笑ものだぞ』
『そこまで言わなくても……』
フィオは、ずっと独りだった。なぜ生まれたのか、何のために生まれたのか。何をするために生まれたのか、何をすればいいのか。何を目指し、何を成せばいいのか。
人類が生まれる前から、ずっと、孤独。
それは、とても寂しく、悲しすぎる、聞いていて思わず涙が出てしまうほどの、『虚無』だった。いや、『暗黒』の方がいいのかな。
暗黒神だしね、あはは。
『ねえ、変なの』
『私を変なの呼ばわりとはいい度胸だ』
『怒らないでよ、短気だなぁ』
『怒っていない』
『あー、そうですか。でね、えっと……』
わたしも独り。フィオも独り。
なら、二人合わせれば独りじゃなくなる。
『一緒に暮らさない?』
二人だけの、長い暮らしが始まった。
あっ、時々魔物が迷い込んだりはしたな。フィオが一発で消し炭にしてたけど。
ねえ、フィオ? わたしはね、ほんとはね、あなたのこと、だいすきなの。好きで好きでたまらないの。
定められたレールからこぼれ落ちた、身の程知らずの、“籠の中の鳥”だったわたしを救ってくれた、とっても優しい“暗黒神”さま。
なのに、どうしてかな。
上手く、言えないんだ。
『フィオ、あのね……?』
『む? あ、ドラゴンの肉がとれたのだが、食うか?』
『……たべる』
……あれ? フィオのせいなんじゃ……?
『フィオ! そのぅ……』
『おお、ミリーナ。今日はアークデーモンが迷い込んできたぞ。食べられるのだろうか?』
『……無理じゃない……?』
うん。フィオのせいだね。
いっつもいっつも、人がせっかく告白しようとしてるのに、食べ物の話ばっかりして。
っていうかアークデーモンなんて食べようとしないでよね。おなか壊すよ?
『あ、フィオ!』
『ミリーナ、お前……』
『な、なにかな?』
『……太ったか?』
『ぶっ飛ばすぞコノヤロー』
……こういうのって、なんて言うんだっけ。
『フィ~オ~! 今日こそは話を聞いて!』
『む? いつも聞いているだろう』
『うそつけ!』
『……ん? ミリーナ』
『な、なぁに?』
『また胸が大きくなったな』
『それセクハラだよっ! フィオのえっち!』
『何だと!? ……セクハラとはなんだ?』
『…………』
思い出せば思い出すほど、笑えてくる。
あんなに強いのに、どうしてこんなにおかしな性格をしてるんだろ。
ま、そんなとこも可愛くて、好きなんだけどね。見た目は厳ついのに、ギャップがさ~。こう、ね。たまらないというか。わかるでしょ?
『ミリーナ。洗濯物はきちんとまとめて出しておけと言っただろう』
『え? ちゃんと出しといたじゃんか』
『嘘を吐くな』
『うそじゃないって! ……ん? ねえ、フィオ。それって……』
『……ん? ああ。お前の下着だ』
『ぎゃ~!! そ、そそそ……! そういうのは自分で洗うからぁ!!』
『な、何をする!? いきなり剣を投げるな! 刺さるところだったぞ!』
『この、スケベ! 変態! セクハラ魔人!』
『なんだと!?』
……キリがないね。思い出すのはここらへんでひとまずやめにしよっか。
今は、近くに居るんだしねっ!
えへへ~。いっぱい甘えて、いっぱい可愛がってもらうんだ~♪
あっ、フィオが言うところの外界……つまりは人間たちの世界にちょっと戻った時に聞いたんだけど……。
『はは~ん? いい、ミリーナちゃん』
『なぁに?』
『……人はそれを愛と呼ぶんだぜ!』
『……えっ!?』
年上の女の人だったかなぁ。
あの人のおかげで、わたしはフィオへの恋心を自覚できたんだよね~。
でも、肝心のフィオがなぁ……。
ぶっちゃけ割と朴念仁だから……。
「どうしたミリーナ。人をジロジロ見て」
“現在の”フィオが、不意に話しかけてきた。いきなりだったから驚いたよ! ああ、もう! お願いだから、ドキドキしてるのがバレませんように!
「べ、別に?」
「……? 具合が悪いのなら、言うのだぞ?」
「う、うん」
やっぱり、フィオは優しいなぁ。
そういうところも、それ以外も、全部。
「フィオ」
「なんだ?」
「……大好きっ!」
……あれっ? あれれ? わたし、何を!?
キャ~! やっちゃった! こ、ここここれは、こ、告白と言うことでファイナルアンサー、なのでしょうか? いやいや、動転しすぎだろわたし! 落ち着くのよミリーナ!
「……頭でも打ったか?」
「……は?」
……わたしは、渾身のグーパンチを、フィオの顔面にくれてやった。
もうっ! どうしてあなたは、そうなの!?
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