Beautiful DaysⅡ ― Puzzle ―
心の整理と気持ちの持ち方に関しては個々人の内面に関する問題であり、如何様にも都合をつけることができる。
だが果たして自分以外の世界に関してはどうなのか?
現在、僕の懸念はもっぱらそれだった。
「じゃあ行こうか、お兄ちゃん」
「ああ、そうだな……」
制服姿の
久方ぶりに見たブレザー姿の妹は太陽の光を受けてまるで輝いているようで、身内びいきながらも相当に美人であると断言できる。
さぞかし学校ではモテるだろう。事実人気はあった。
それ故に彼女を知っている人間も多い。
だからこそ問題だった。
死んだはずの人間がある日突然登校してくるのだ。
友人知人の驚きは如何程ばかりか?
よしんば彼女が人気者でなかったとしても知人ぐらいはいるので騒動間違いなしだろう。
僕の懸念は間違っていないはずだ。
ただ目の前で靴入れから学校指定の靴を取り出す妹が同じ感覚を共有しているかはまた別の問題だった。
「なぁ、
「なーにー?」
「大丈夫なのか?」
「何が?」
チリひとつ、ホコリひとつ無い靴を履き、トントンとつま先で位置を合わせながら彼女はふんわりとした声で僕の言葉に相槌を打つ。
気のせいか幾分和らいだ彼女の言葉に先程までの混乱した気持ちが溶けていく。
この状況だけを切り取れば、仲の良い兄弟が交わす朝のやり取りと評して間違いないだろう。
だが僕の妹は死んでいる。
それは間違いようのない事実だ。
「いやさ、皆の前に現れたら、その、なんていうか」
「驚かれる?」
「間違いなく。僕もびっくりした」
「ふふふ、どうかな? 意外となんとかなるかもしれないよ?」
「どういう意味?」
「さぁ、結果は見てのお楽しみ」
片目をつむって人差し指を口元に近づける。
けれどもその言葉は十分に僕を揺さぶる。
明らかにおかしいだろ?
くすくすと笑う夢衣を訝しげに眺めながら形ばかり頷いてみせる。
なんとかなるとは彼女の言葉だが、実際なんとかなるとは到底思えない。
とは言え僕自身この問題を解決する術を持ち合わせていないのでどうすることもできない。
目の前でいそいそと用意をする夢衣を眺め、僕は流されるままその状況に身を任せた。
………
……
…
住宅街を歩く二人に言葉はない。
実際は幾つかの会話があるのだが、なかなか続かない。
僕はもちろん、夢衣も言葉を探しているようだった。
まるで初めて帰宅を共にする男女の様にぎこちない距離感に居心地の悪さを感じていた僕だったが、それを上回る問題が存在することに気が付き顔面を蒼白とさせる。
そう……ついに棚上げしていた問題の付けを払う時が来てしまった。
「あっ!
「
通学に利用するバス停に到着した際、僕に声を掛けてきたのはおっとりとした雰囲気を感じさせる呼び声だった。
――
目線の先でニコニコと笑みを浮かべながら手を振る彼女は僕の幼馴染みで、同じ高校に通う同級生だ。
肩まで伸びるウェーブのかかった髪。歳の割にはやや胸元の主張が過ぎる体躯。
少し気の抜けた所があるが、その性格がどうにも保護欲を誘う。
同じ笹丘高校の制服に身を包み、だが清楚さを感じさせる夢衣とは違って温和な雰囲気を持つ彼女とは幼少の頃からの付き合いだ。
『
僕としては高校生にもなってそんな呼び方をされるのは恥ずかしいので正直なところやめて欲しいが、僕も彼女を『
もちろん僕も夢衣も、叶ちゃんをよく知っている。
逆もまた然り、だ。
彼女はパタパタと手を振りながら、この寒空を温めるような笑顔を振りまいている。
だがふと夢衣に視線が移り、その表情がキョトンとしたものに変わった。
何か言わなければと思うが突然の状況に混乱して言葉が見つからない。
気がつけば僕は何も出来ぬままただ歩みを進め、彼女の目の前に来てしまう。
何も出来ない情けない兄に代わって口を開いたのは夢衣だった。
「おはよう。
「え?
目を少しばかり大きく開き、手のひらを口元に持ってくる仕草は誰が見ても驚きのそれであると判断するに間違いはないだろう。
「いや……
なんて言う?
すごく似ている人?
実は双子だったとか?
それとも全部言ってしまうか?
普段使わない頭を高速回転させる。
僕がどこぞの名探偵や主人公であれば気の利いたセリフでも言えるのだろうが、あいにくと何の変哲もない高校生だ。
この状況を華麗に突破する話術もカリスマも持ち合わせていない。
だから夢衣の言った通りになった時はまず安堵が先に来た。
「わぁ! 久しぶりだね
「うふふ、くすぐったいよ
「……え?」
それはありえない反応だった。
叶ちゃんだって夢衣が死んだことは知っているはずだ。
誰よりも妹の葬式で泣き叫んでいた彼女だからこそ、こんな頓珍漢な対応をするはずもない。
先ほどの夢衣の言葉が急速に浮上してくる。
意外となんとかなる。
夢衣はこの結果を理解していたからあそこまで余裕だったのだろうか?
それとも、夢衣が何かをしたのだろうか?
「もう、今まで何してたの? 最近あんまり会ってなかったから寂しかったよ。いつもは
「うん。ちょっと学校の用事で別々にね。それにお兄ちゃんにも妹離れしてもらわないとダメだから」
「えへへ。そうなんだ。なんだかおませさんだね
「
夢衣と叶ちゃんは至って普通に会話を続けている。
夢衣はあの日死んだ。叶ちゃんもそれは知っている。
その事実が、彼女たちの中では数日間だけ会えなかった程度の出来事に置き換わっているらしい。
だが僕が朝に経験した出来事、そして今朝夢衣が言った言葉。
それがこの状況が異常であることを如実に物語っている。
「ああっと……
「おおっと。ごめんごめん
「あーれー」
「いや、そうじゃなくて……」
声をかけようとした。
だが叶ちゃんは久方ぶりにあった夢衣との会話を楽しんでいるのか、二人でぎゅーっと抱き合って一向に話を聞いてくれない。
なんだか置いてけぼりにされてようで少々不満だが、女の子同士の会話に無理やり入って良いことなど一つもないことは十分に承知している。よって会話の隙を見て控えめに尋ねる。
「久しぶりって、
「ん? 一週間ぶり位かな? 久しぶりであってるよね。寂しかったよ~」
「夢衣もとっても寂しかったよ、
「あわわ……お姉ちゃんって呼んでもいいんだよ?」
「
「うちの子にしよう……」
「ふふふっ」
「
「ちょっとまって、今幸せをたんのーしてるのだ」
「
いい加減に夢衣から離れない幼馴染みに僕の苛立ちも限界を超える。
もしかして彼女まで変わってしまったらどうしようか? という恐怖心もあったのかもしれない。
普段ならもう少し距離感に配慮するのだが、混乱と懐疑心に苛まれた僕は思わず叶ちゃんの両肩に手を置き僕の方へと強引に振り向かせる。
「わっ!? なっ、なになに? 顔が近いよ
「お兄ちゃんってば大胆だね。
クスクスと夢衣に茶化されて初めて自分の状況に気がつく。
幼馴染みとは言え、この状況は非常にマズイ。
いや別に不味くはないのかもしれないが、叶ちゃんが照れくさそうに上目遣いでこちらを伺っているのが少しばかり僕の心をくすぐってしまう。
気心知れた相手だと距離感を図りそこねてしまったのが不味かった。
相手は女の子だ。僕は何を大胆な行動にでているのだろうか。
特に先程からニヤニヤと僕の行動をからかって来る妹がいるからその動揺はひとしおだった。
どうする? やばいぞ? この空気は良くない。心なしか夢衣からの視線も痛くなってくる。
結論として、僕はごく自然に叶ちゃんの両肩から手を離し、さも何もありませんでしたよと言った風を装って会話を続けていくことにした。
手を離した瞬間、叶ちゃんが少しだけ不満そうに見えたがきっと気のせいだろう。
そのことを確認する気も起きない。
僕は卑怯な人間なのだ。
「な、何かおかしいと感じないのか
「な、何がかな、
会話がぎこちない。
なんだこれは? ラブコメか?
僕はいつから主人公になったのだろうか? だとしたらもっとスムーズに女性の扱いができるようにして欲しかった。少なくとも幼馴染みの両肩に手を置いた位で動揺しない程度には。
だた言葉を重ねるうちに心の揺らぎも収まってくる。
「
「うーん? 何かおかしい事でもあるの、夢衣ちゃん?」
「ふふふ。あるかもしれないし、無いかもしれないよ
「む~? よくわかりませんでした! ということで何もおかしいことはないよ暁人くん」
「そんな……」
叶ちゃんは少しだけ困った表情で僕にはっきりと告げた。
おかしい。なぜ叶ちゃんはこの状況を自然に受け入れているのだろうか?
だが一つ分かったことがある。
彼女は僕の知っている
小さい頃から彼女とは同じ時間を過ごしている。
今は少し離れた家に引っ越してしまっているが、昔は彼女との家が両隣だった。
隣同士、年齢も一緒。
お互いの家族が仲良くなるのも時間の問題で、僕の両親が多忙なこともあってか叶ちゃんの両親にはとてもお世話になった経緯がある。
だから叶ちゃんとは切っても切れない関係で、夢衣と同じくらいに付き合いは長かった。
だからこそ、違和感があれば気がつくほどに彼女のことを見ている自身はあった。
そう、夢衣の様に……。
「変な
「きっとお兄ちゃんにもいろいろと悩み事があるんだよ」
当の本人、今持って僕の悩みの現況である夢衣はあっけらかんとしたものだ。
きっと本人はこの状況を楽しんでいるのだろう。
少しばかり悪戯心がすぎるところは確かに僕の妹だ。懐かしさを覚える。
妹は死んだが。
「ふーん、そっか! あんまり良くわからないけど早く解決するといいね。……あっ、バス来たよ」
くすくすと楽しそうに笑う妹を注意するか、それともさらに叶ちゃんに質問してみるか、僕の選択はバスの到着というイベントによって強制的に終了させられる。
「いこう、お兄ちゃん」
「ごー! ごー!
「ん? あ、ああ。今行くよ」
もしかしたらこのバスに乗っている人々も、すでに異常な事態に飲み込まれているのではないだろうか?
そんな不気味な予感を抱きながら、僕は見た目だけは変わらないバスに乗り込んだ。
※
結論から言おう。
僕の日常は何の変哲もなく平穏で。何の変哲もなく異常だった。
結局あれほどビクビクと怯えていた学校生活も、何の問題もなく過ごせていた。過ごせてしまっていた。
夢衣は当たり前に登校して、当たり前に授業を受け、当たり前にクラスメイトと過ごしていた。
当たり前の様に休み時間に遊びに来るのは少し控えて欲しかったが……。
ともあれ、
正直なところ、夢衣に対して完全に割りきれてはいない。
夢衣は何処までいっても僕の妹で、ありとあらゆる所が記憶の中の彼女と寸分の違いもない。
だが根本的なところで違うのだと本能が根拠の無い訴えを繰り返している。
だがそれも最近では薄れてきている。
だからどうしたというのだ。
彼女は夢衣だ。僕の妹だ。
彼女がなんであれ、僕がそうであると認める限り、彼女は間違いなく僕の妹だ。
異常な事態は僕の心を確実に蝕んでいるのだろう。
けど、けれども。
今の僕は、本当に毎日が充実していた。
「お兄ちゃん遅いよー! 遅刻しちゃう!」
「わわっ! ちょ、ちょっと待って
「それはそうだけど、じゃあ毎日毎日あんなに遅くまで起きてないでよね。そうすればもっと朝早く起きてゆっくり過ごすことが出来るんだから」
「い、いやぁ。善処はしようと思ってるんだけどなー、ちょっとゲームが盛り上がって」
「もう、いつもそればっかり! ゲーム禁止にするよ!?
「はいはい、分かりましたー」
「はいは一回で結構です!」
夢衣は僕のお母さんか?
いや、前から夢衣はこうだった。
世話焼きで甘えん坊で、元気いっぱいで。
あの頃と一緒の彼女に次第に僕の心も囚われていく。
今体験しているこの世界こそが真実で、あの絶望に満ちた日々こそが幻だった勘違いさえしてしまいそうになる。
ただ、彼女と出会った最初の日。僕が仏間で見た彼女の様に、時として不気味な様相を示すことだけが、この幸せが偽りの物であることを僕の心に楔を打ち込んでいた。
「やっほー
「ああ、おはよ、
「おはよう、
僕らの朝は決まって三人で始まる。
夢衣と一緒にバス停で叶ちゃんと待ち合わせ。
そうして日常のくだらない話をあれやこれやとして、気がつけば学校についている。
ありきたりで何の変化もない日常。
だがそれが本当に尊いものだったと、ようやく気がつくことができた。
これが、これこそが僕が望んだ美しい日々だ。
「でも良かったよ。あの日から
「…………」
「それに、最近殺人鬼の噂で持ちきりだったでしょ? 少しでも明るい話があればなぁっと思ってたんだ。だから、前みたいにこうやって三人仲良く出来て、私すごく、すご~く嬉しいんだ」
「ああ、そうだな。本当に」
そうだ。前みたいに三人で仲良く出来て嬉しいんだ。
「――あれ?
「えっと、なんでだっけかな?」
「む~ん?」
けれども不意の言葉は見たくもない現実を目の前に突きつけてくる。
忘れていた事実がすぐそこに鎮座していた。
「気のせいじゃない、
「気のせいかなー」
「そう……気のせい、だよ」
「なら仕方ないね!」
「そうだね、仕方ないね。どうしようもないもんね」
「ねー」
「ねー」
現実は書き換えられている。それをやったのはおそらく――いや、間違いなく夢衣だ。
とは言え……。
「まぁ今が楽しいのなら、それでいいんじゃないかな?」
今の僕にとってそれが、それだけが大切だった。
「そうだね暁人くん! ねっ、夢衣ちゃん」
「うんっ!」
元気よく返事をする妹。
この時の笑顔だけは、死んでしまったはずの夢衣そのものだった。
あの全てが輝いていた日々、そのものだった。
「……どうしたの
「
「ん? ああ、なんでもないんだ」
流石に妹の笑顔に見とれていたなんてバレたらことだ。
大変面倒なことになるだろう。
誤魔化すかのように話題を探す。ふと先ほどの会話でちょうど良さそうな題材が転がっていた。
毎朝ニュースは欠かさず見ているが、そんな話もなかった。個人的に興味もあるうってつけの話題だ。
「そういえば、さっき言ってた殺人鬼……? それって何?」
「うん。
夢衣の投げかけに軽く肩をすくめて応える。
殺人鬼か。物騒だなぁ。
けど記憶に無い。
「そんなことあったっけ? 至って平和な気がするけど」
「大きな事件も何も無いのがこの街の利点だよねー」
うんうんと兄妹揃って頷き、同意を求めるように叶ちゃんへと視線を向ける。
「ええ!? ふたりとも何言ってるの? 朝から凄い話題になってたじゃない!」
だが叶ちゃんの驚きに一気に冷水を浴びせられた気持ちになる。
その表情は呆れというよりも、怯えに近いもので、
思わず僕と夢衣はポカンとお互いを見合わせてしまっていた。
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