HappyEndⅠ ― loop ■■■■ ―





 狂気に満ちた学び舎。その廊下に二つの人影があった。

 一組の男女だ。

 男子生徒は、この閉塞した世界で淫蕩な交わりに耽るごく平凡な生徒であった。

 横には最近お気に入りの女生徒、身体の相性がよく具合も実に彼の好みだ。

 女生徒の首に手を回し、着崩した制服の襟元から手を差し込み直接乳房を揉みしだいている。

 廊下で見せる行為としては実に大人しい部類だった。

 今からどこか別の教室に行くのだろうか? 普段彼らの集団が集まる場所よりふらふらと離れ行く二人は、校舎の中でもより人気の無い方向へと向かって進んで行く。


「――ォォォ」


 ふと、何か遠くで鳴いた気がした。

 それはなんとも言いがたい、表現するならば強風の日に建物の絶妙な配置によって自然と鳴らされる。そんな反響音に似ていた。


「お? 何か言った?」

「何も言ってないわよ――んっ、もう」

「そっか」


 変わらず右手の感触を楽しみながら、どんよりとした瞳でその男子生徒は納得する。

 恐らく、気のせいだろう。

 何かの音を聞き違った可能性もある。

 それよりも、彼の心はまさにこれから行うであろう二人だけの退廃の時間に思いを馳せることに夢中だ。

 何も生みだしはしない、逃避的な行為ではあったが二人の生徒にとっては些細な音よりは重要な事柄であった。


「――ボォォォォォォォ」


 今度は確かに鳴った。

 二人はギョッとし、キョロキョロとあたりの様子を窺う。

 アレほど張り上げ己を主張していた男子生徒の股間も、いささかその気勢を失っていた。

 軽く朱に染まり先ほどまでトロンとした表情で男子生徒を見つめていた女子生徒も、今はその顔を青ざめさせている。

 音は廊下の奥、その角から聞こえていた。


「何の音かしら?」

「なんだよ、だれかいるのか!?」


 震える声で角の向こうへと問いを投げかける。

 この学園は危険に満ちている。

 狂信者のグループは彼らにおおよそ理解できない行為を平然と行っているし、そもそもあの悪夢と呼ばれたバケモノが存在している。

 今でこそ二つのグループはお互い不干渉を保ち、悪夢と呼ばれるバケモノも具体的な被害を生徒にもたらしてはない。

 だがいつ仮初めの平穏が破裂する危険性が存在しているのだ。

 それは、この瞬間かもしれない。

 恐怖が二人に近づいてくる。

 問いに返答するものはいない。

 消え去ったはずの勇気を振り絞り、再度角の向こうへと問いを投げかけようとし――。


「ボォォォォォォ!!」


 ソレが現れた。


「ひっ!」

「キャアアアアア!」


 ぬりりと廊下の角を曲がってきたソレは、一言で表現するならば人を馬の顔をした全裸の人間だった。

 だが肥大した筋肉と、青白く不気味なほど血色の悪い身体。

 そして何より血走り焦点の合わない瞳と、涎をまき散らす角の生えた顔面がソレを正常な生き物ではないことを物語っている。


 ぐるりと、本物の狂気を灯した瞳が、二人の生徒を捉えた。


「ボォォォォォォォォォ!!」


 一瞬の出来事だ。

 その走りはまるで陸上選手の様に正しいフォームで、同時に人としてありえないほどの筋肉から生み出される速力を発揮し、一瞬にして生徒との距離を詰めてくる。

 ようやく男子生徒が危険な存在の襲来と命の危険を理解し、「逃げろ」と言葉を放とうとしたときには、そのバケモノはすでに眼前で荒く息と涎をまき散らしている最中であった。


「に、にげ――がっ!」


 バキリと鈍い音が鳴る。

 バケモノの拳で生徒が倒れた。

 幸い生徒が受けた暴力は、致死性のものではないらしい。

 切れた口元から血を流しながらも、生徒の意識ははっきりとしている。

 だが暴力は終わらない。

 馬面のバケモノは男子生徒に馬乗りになると、その顔面をいたぶるように何度も何度も殴り始めたのだ。


「いてぇ! いてぇ! やめ、ぐっ、ぎゃっ!」


 何度も、何度も、生徒の懇願などはじめから聞くつもりはない。

 繰り返される殴打。

 それはたっぷり十数分は続いただろうか?

 顔が終われば両手足、その次は胴体。

 念入りに、隙間など残さぬと言わんばかりに殴打を続ける。

 生徒は抵抗を続けるが、自身の倍以上の体躯を持つバケモノにのしかかられては抵抗らしき抵抗すら不可能だ。

 やがて生徒の声がか細くなり、抵抗もなくなり。

 命の炎が消える。


「コホォ、コホォ……」


 その後数度生徒を殴ったバケモノは、相手が確実に死んだことを確認すると大きく手を振り上げ無造作におろした。


 びしゃり。


 割れた頭蓋が辺りに飛び散った。

 その馬面をしたバケモノの筋力は人を一撃で死に至らしめるに足るものだ。

 あえて、力を抜いていた。

 なぶっていたのだ、より恐怖を感じるように、より苦痛を感じる様に。

 より絶望を感じるように。


 くるりと、その瞳が恐怖に震え動けないもう一人へと向く。

 男子生徒の脳漿を浴びた女子生徒はまさしくバケモノの思惑通り底知れぬ恐怖を感じている。

 バケモノがゆっくりと拳を振り上げる。

 見せつけていると、ハッキリわかる仕草だった。


「や、やめ……」

「ボォォォォォ!」


 ゆっくり、死なない程度に、なるべく痛みを感じるように。

 ある種の配慮と優しさをもって拳が振り下ろされる。

 狂いに狂ったその表情は、なによりも憤怒に満ち満ちている。


 *


「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!」

「あああ! 助けて! 助けて!」

「なんだよ! なんで俺たちばっかりこんな目に遭うんだよ!?」


 次の哀れな犠牲者がソレと遭遇するのはそう時間のかかる問題ではなかった。

 出会ったのは先ほどと同様に快楽に身を落としたグループの集団だ。

 とある教室で乱交に興じていた彼らは、突如やってきたバケモノに捕まり一人一人じっくりとなぶり殺されていった。

 ゆっくり、じっくり、時間をかけて、より苦しむように、より後悔するように、より恐怖を感じるように。

 だからこそ、その生徒も仲間が呻き苦しむ隙に逃亡することができたのだろう。


「た、助けてくれ!」

「――お前、なんでこっちに!? いや、それよりもどうしたんだよ血相を変えて」


 廊下をがむしゃらに進んだその生徒が出会ったのは、宗教グループの一人だった。

 教室のカーテンでローブの様に身を包み、あらゆる場所に奇っ怪な紋章を書き殴ったおおよそ正気を失っている様相の生徒。

 だが多少の理性は残っているらしく、全裸の生徒が血相を変えて駆け寄ってきたことに文明的な対処を行った。


「バケモノが出たんだ! 知らない奴だ! たすけ……て、あっ、ああ」


 お互いまったく違う派閥ではあったが、同じ生徒のよしみだ。

 この状況をいち早く伝え、なんとか助けてもらおうとしたのだが……。

 安堵にゆるんだ表情は再度恐怖にゆがんだ。


「ん? どうした? そんなにおびえ――あぺぇ……」


 ぐるりと眼球が裏返り白目をむく。驚く間もなく吐き出された血が顔面に降り注ぐ。

 ローブを来た生徒の口からは、巨大な角が生えていた。

 ビクビクと身体が震え、死の弛緩から股間に染みができる。

 ぐいっと身体が持ち上がり、ぶんと勢いよく壁にぶち当たった。

 背後から現れたのは憤怒に塗れたバケモノだ。


「ボォォォォォオ!」

「ひっ、ひっ……」


 もはや立ち上がる気力もないのだろう。

 腰が抜けたように後ずさる生徒は、ようやくその場で振り返りなんとかこの現実から逃げだそうと廊下の先へ目を向ける。

 向けた先には、変わらぬ絶望が待ち受けていた。


「ボォォォォォ!!」


 バケモノの嘶きが前後から連鎖する。

 一匹ではなかった。

 逃げ場を失った生徒は、先ほど死んだ生徒同様に失禁しながら己の不運を恨む。


「あっ、ああっ、あああ」


 ぬるりと伸ばされた腕は、決して彼の命が消えてしまわぬよう自愛すら込めて生徒をなぶり始める。

 筋骨隆々の青白い身体。怒りに狂った馬の顔面に鋭く延びる角。

 ソレを見た生徒たちは、だれとも知れず総勢6体の恐ろしい襲撃者のことを"馬面"と呼び始める。


 ……虐殺の最中、ある生徒はこう思った。

「ああ、これで助かる。死んだから、これで次は大丈夫……」と。

"悪い子"の襲来と虐殺が一度だけだったから、そう誤解してしまったのだ。

 だがその考えが間違いであったことに気づくのは次の明日へと到達してからだ。


 次も、その次も、その次でさえも。

 次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も次も……。


"馬面"は永遠に生徒たちを殺し続けるのだから。



 ◆   ◆   ◆



 図書室から出、しゃがみ込みながら廊下の窓をそっと眺める。

 中庭を挟んだ校舎の向こう側では血祭りという言葉がふさわしい光景が広がっている。


 人が呆気無く殺されている。

"悪い子"ではない。それとはまた別のバケモノだ。

 馬のような頭を持つ、初めて見るバケモノ。

 そう大きくはない中庭を挟んだ向こうの校舎ではまるでぼろ雑巾の様にあっけなく、そして無惨にその命を握りつぶされていた。

 蜘蛛の子を散らすように逃げる生徒たちだがどうやらそのバケモノは複数いるらしく、いたぶりながら殺される生徒はどんどん捕まり確実にその生命を摘み取られてる。

 ただ自分があの場所にいない幸運を感謝するばかりだ。


かなちゃん。見ちゃ駄目だ……」


 ひょっこりと首をだして向こうを覗きこもうとする幼馴染みを慌てて押さえつける。

 少々不満な表情を見せる彼女だったが、僕のお願いが聞いたのか渋々下がってくれた。

 なぜあんなものが突如現れたのかは分からないけれども、あまり女の子には見せられない光景だ。

 もっとも、流れ聞こえてくる悲鳴を聞く限りあまり効果はないようにも思えるが。


「夢衣も、気づかれないようにしろ」

「大丈夫だよ。ここからじゃ距離がある。それに――あの位だったら夢衣も叶さんも、対して問題にならないよ」


 あんなバケモノが対して問題にならない――か。

 実に頼もしい言葉だったが、無力な僕は捕まったら一巻の終わりだ。

 死んでもまた次のループがあるとしても、あの様にむごたらしく殺されるのだ、精神にどれほどのダメージを受けるのか。

 生徒の絶叫を聞く限り、廃人になったとしてもおかしくはないだろう。


「大丈夫だよ、暁人くん。わ、私が暁人くんを守るから!」

「ちょっと、気づかれるかもしれないから大声ださないで叶さん」

「ご、ごめんね夢衣ちゃん」


 二人のやりとりが異常な事態が発生している中で僕の心を落ち着かせてくれる。

 混乱をきたさずにこうやって冷静に観察できているのがその証拠だろう。

 もっとも、だからといって僕に何かができるはずもないのだけれど・・・・・・。

 校舎の向こう側で目に見えて変化が起こった。


「まずい、こっち側の校舎に生徒たちが逃げて来るみたいだ。僕らも離れるぞ」


 生徒の数は大幅に減っているが、それでも少なくない人数がこの校舎の中に存在している。

 それらの一部が一斉にこちらへとなだれ込んで来ようとしている。

 このままでは体の良い撒き餌だろう。

 そうしばらくしない内にバケモノを呼び寄せる。

 無情ではあるが、あの集団に巻き込まれる前にさっさと場所を移動するのが正しい判断だ。

 学校の校舎と言っても、実は僕らの学び舎はそこそこに広い。

 校舎の建屋がいくつかに分かれている他、体育館や多目的ホール、複数の学習用途に使われる建物がいくつも存在している。

 もちろん、それらすべてが日常的に使われている訳ではないのだが……。

 逆にそれが今の僕らにとってはプラスに働いてくれる。

 三人程度だったら息を顰めて逃げ隠れられる場所が無数に存在しているのだ。


 今は校舎から離れ、第二駐輪場へと向かっている。

 自転車通学者が少ないのでめったに利用されない、場合によっては怪談のネタにもされるような場所であるが、あそこには確か古い物置小屋があったはずだ。

 今は使われていなく多少朽ち果ててはいるが、身を隠すにはうってつけだろう。

 途中で誰かに遭うということもなく、何かトラブルに巻き込まれることもなく。

 一時的な避難場所に到達するのは実に簡単に行えた。


 物置小屋は僕が想像していたよりも広く、多少ゆったりとできる雰囲気がある。

 錆び付いた鍵を夢衣に破壊してもらい、中で一時の平穏を享受する。

 手持ち無沙汰になると気持ちも落ち着くのか、とたんにあれやこれやと様々な考えが沸いてきた。

 それらを整理整頓しながら、自らの頭に湧いた疑問に同意を求めるように二人に問うた。


「あれも悪夢なんだよな? 悪夢の見た目からその目的や性質を推測することができるんだっけ? あれは、なんなんだろうな?」


 新しく現れたあのバケモノがどの様な存在なのか、そしてどの様な目的を有しているのか、見ただけではさっぱりわからなかった。

 いや、一つだけわかることがある。

 それは強い憎悪を生徒たちに向けているということだ。

"悪い子"が癇癪じみた殺し方だとしたら、あの"馬面"は確実に生徒たちを苦しめようとする意図を持っていた。

 そう、あの馬の頭を持つ化け物は……。


「うーん、馬。馬。馬。角の生えた馬? 地獄の鬼?」


 僕の求めていた答えとは少々離れているが、叶ちゃんが興味深いことを言い出した。

 馬面の鬼と言えば、地獄の獄卒ごくそつ馬頭鬼めずきだ。

 確かに言われてみれば似ているかもしれない。

 生徒たちを憎むあの様と見た目、これは大きなヒントになるのではないだろうか?

 たしかに、この状況はすでに地獄と表現しても過言ではないだろうし……。


「違うと思うよ。そもそもあれ、悪夢じゃないし」


 だが僕の予想とは裏腹に、夢衣の言葉はまったく違った物だった。


「へっ、どういうことだよ?」

「あれ、人間だよ。間違いなく人間。なんであんなことになっちゃったかはわからないけど、れっきとした人間だね。生徒の誰かじゃない?」


 ・・・・・・は?


 意味が分からない。僕は瞬時にして混乱の極みに陥った。

 その言葉が意味するところを考えてみるが、そのような現象がおこる理由も意味もまったく理解できないものだ。


「なんで、生徒が、そんなことに……?」

「さぁ? そこまではわからないよ、けどあれが悪夢ではないことは確か。悪夢の犠牲者ってことだね」

「…………そんなまさか」


 生徒があんな風になるのか?

 あんな化け物に、どうやって? それが"幸福論"の目的?

 いや、その前に、生徒だとしたらなぜ彼?はここまで他の生徒を憎んでいるのか……。


「鬼じゃなかったらミノタウロスだ!」


 突然叶ちゃんが叫んだ。

 先ほどまで静かにしていたのはこのことをずっと考えていたらしい。

 だが彼女がその脳みそを振り絞って出した答えは、少々同意ができないものだ。


「叶ちゃん。ミノタウロスは牛なんだけど・・・・・・」

「えっー!?」



 ミノタウロスの伝説。

 決して出ること叶わぬ迷宮に潜む人食いの化け物は、確か牛の頭を持つ怪物だったはずだ。

 状況としては似てる言えなくもないが、さすがにあれを牛であると解釈するのは無理があるだろう。

 とはいえ、彼女同様、僕も良い案が浮かんでいる訳ではないのだが……。


「叶さん、子供みたいな間違えしちゃうんだね」

「がーん・・・・・・」


 考えに気を取られていて、夢衣が叶ちゃんをからかい始めたことにようやく気付く。

 こういった子供っぽいところは叶ちゃんの魅力ではあると思うのだが、本人はあまり良く思っていないようであまり指摘すると機嫌が悪くなる。

 特に今は夢衣がいるから最悪だ。

 またぞろ二人で喧嘩をはじめて、裁定が僕に向かうのではなかろうかと慌ててフォローに入る。


「いや、でも良かったよ叶ちゃん。すごくグッドアイデアだった。そう、たしかにミノタウロスっぽい。あれだね、迷宮での試練。うん。すごい、すごいよ叶ちゃん」


 あからさまな言葉だが、僕にはこれ以上に上手に彼女の不機嫌を沈める手段を知らないので仕方がない。

 幸いだったのは、こんなベタな褒め言葉でも僕の幼馴染みは目に見えて機嫌を直してくれたということだ。


「ありがとう暁人くん、やっぱり暁人くんは優しいね。ちなみに、夢衣ちゃんへの好感度は下がりました!」

「もう、お兄ちゃんってばどこまでも甘いんだから。ってかグッドアイデアってなぁに? それに迷宮だなんて、ここは迷宮じゃなくて学校だよ、まぁ閉じ込められた生徒にとっては試練かもしれないけど――」


 不意に夢衣の言葉が止まった。

 きょとんと目を見開いたその表情は何かに気がついたといったもので、「あー、そっか……」としばらく何かを脳内で考え、反芻するしぐさを見せていたかと思うと、


「全部わかった」


 と不意にポンと手を打った。


「へっ?」

「何が?」


 突然の行動の僕と叶ちゃんもびっくりしながら、夢衣の顔を窺う。

 まるで今まで見落としていた何かに気がついたと言わんばかりの表情は果たしてこの状況に明かりをもたらすものなのだろうか?

 僕はじぃっと彼女の言葉を待つ。

 その視線を感じたのか、彼女はうんと頷くと、僕らに向けて姿勢を正してこの不可思議な状況の説明を始める。


「全部。これ全部"幸福論"の仕業だ。全て一つだったんだ。幸福論は望んでいるんだよ、それはこの物語が――」


 ――ダメ。


 妹の首に女性の腕が巻き付くのは、ほんの刹那の出来事だった。


「夢衣!」


 唐突に夢衣が無数の手に捕捉される。


「え? ぐっ! しまっ――」


 それはいつの間にか、まるで慌ててやってきたかのように突如あらゆる場所から部屋へと侵入し、同時に殺到した。

 僕らには目もくれず、夢衣へと。

 まるで彼女に何も喋らせまいとするように。

 ギチギチと不快な音をかき鳴らし、腕は今も妹の全てを引きちぎらんと力を込めている。

 夢衣の方も抵抗をしているらしくある種の拮抗ににた物ができているが、このままでは妹が殺されてしまうであろうことが明らかだ。


「そうか、ぞういうごと……げぼっ! げぼっ!」


 ――言っちゃダメ。


 無数の腕にたかられ、顔どころかもはやその姿さえ見えなくなっている。

 ゴボゴボと咳き込んだような声が聴こえるのは、喉が潰されかけている証拠なのだろうか?

 その姿からこの後に起こるであろう恐ろしい出来事が容易に想像され、僕は何も出来ないと理解しつつも妹を助けようと足を一歩踏み出す。


「駄目だよ暁人くん」

「なっ――」


 気持ちとは裏腹に、僕の身体は腰に抱きついた叶ちゃんによって止められてしまった。


「危ないから行っちゃ駄目」

「でも!」

「駄目だよ。離さない」


 いくら力を込めても、万力で締め付けられたように動かない。

 はたして普通の女の子に同じ年頃の男を引き留めるだけの力があるのだろうか?

 ああ、違う、そんなことを考えている場合じゃないんだ。

 このままだと夢衣が、夢衣が……。


「喪失者は、じゃまだっだんだね……」


 ――ダメ。ダメ。ダメ。


「夢衣! まってろ、今助けてやるから!」

「暁人くん、近づいちゃ危ない!」


「が、がなえざん……幸福論は……」


 夢衣が僕ではなく叶ちゃんへ何かを伝えようとした。

 だが、それよりも早く。


 ベキベキベキ。

 骨の折れる音が五月蠅く鳴り響く。

 同時に肉がちぎれ、血が地面へと溢れ落ちる音が奏でられる。

 バチッ! と今まで聞いたどの様な音とも違う破裂音が響き、同時に妹が受けていた拘束が解放される。

 現れたのはもはや原形をとどめていない肉の塊。

 妹の面影はどこにもない。


 ぴちゃぴちゃ。

 妹だったものが、どこかへと連れ去られていく。

 それで、終わりだった。


「あ、あああ、ああ」

「ふーっ。危なかった! 暁人くん。大丈夫?」

「夢衣が……どうしよう、夢衣が……」

「うーん、死んじゃったね」


 夢衣は戻ってくるのだろうか?

 そもそも死んだのだろうか?

 なぜ彼女がこんな目にあわなければいけないのだろうか?

 疑問がぐるぐると脳内を駆けめぐり、ただ涙を流すことしかできず呆然と立ち尽くす。

 叶ちゃんが何かを言っているが、その言葉も耳から入りそのままどこかへと消えてゆく。


「安心して、私がいるから。だから、大丈夫だから」


 叶ちゃんが僕をそっと抱きしめ、背中をさすりながら慰めてくれる。

 いつしか僕がそうしてあげたように、不安で押しつぶされそうな僕を決して悲しませまいと……。


 ああ、きっと大丈夫だ。

 だってさ、夢衣は悪夢なんだ。前の時だって大丈夫だった。

 だからそんなに不安がることはない。

 きっと明日になれば元通りだし、もしかしたら今にもひょっこりと戻ってきてまたあの愛くるしい笑顔をみせてくれるはずさ……。

 僕の妹は……バケモノなんだから。


 だから、きっとだいじょうぶ。


 何も心配いらない……。

 けれど僕の期待とは裏腹に、次のループで夢衣が戻ってくることはなかった。

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